ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

赤ひげ診療譚:徒労に賭ける

2006年02月23日 | 読書
最近は異常に忙しいこともあって、BLOGの更新はもちろんままならないし、仕事においてもただその場限りの対応になりがちで目指すべきもの、在るべき姿を追いかけるということが時としておざなりになっている。そんなこともあってこの小説を読んだ時、なんとも言えぬ感慨を受けてしまった。少なくとも戦後民主主義と呼ばれる教育体系の片鱗を受けてきた立場からすれば、例えその弊害が指摘されているとしても、主人公「赤ひげ」こと新出去定の生き方というのは心震わされる。



この小説は長崎遊学から戻ったエリート医師・保坂登が小石川養生所に配属されたとこから始まる。この小石川養生所には、「赤ひげ」と呼ばれる厳しい医師・新出去定がおり、畳も認めず、服装も決まったものを支給し、貧しい最下層の人々を相手に診療を続けるという、エリートの歩む道とは全く異なった世界が広がっている。最初は反抗的な保坂だが、やがて赤ひげの優しさと医師としての使命感をしり、また傷ついた心を癒し真実の世界を知り、1人の医師の成長物語として話は進んでいく。

確かにこの「赤ひげ」こと新出去定の生き方というのは、ある意味、理想主義的過ぎるともいえる。貧困などの原因を環境説に求めつつ、貧民や犯罪者でさえもかれらを否定することはしない。医師として自らの名声や富などにこだわらず1人でも多くの人を救おうとする。ただその反面、この物語は理想がただ実現されるものとして描かれるわけでなく、理想の実現のために、富んだものから多くのお金を得てそれを貧しい者を診療するための原資とするなど、あるいみ「こずるい」現実的なあり方を描いてもいる。主義主張こそ理想主義的ではあるものの、その実現方法は現実的な「ずるさ」をもつ。清濁併せ持った存在なのだ。

だからこそ余計に、「赤ひげ」の理想主義、「この世から背徳や罪悪をなくすることはできないかもしれない。しかし、それらの大部分が貧困と無知からきているとすれば、すくなくとも貧困と無知を克服するような努力が払われなければならないはずだ。」「そんなことは徒労だと言うだろう」「俺は自分の一生を徒労に打ち込んでもいいと思っている」という姿はそれだけで心打たれる。果たして、僕達は今、こうした理想のために生きているだろうか、生きられるだろうか。このように「人間」というものを信じられるだろうか。

おそらく実際には、僕自身、保坂に近い立場をとるだろう。環境説だけでなく、その人の本性がその人のあり方に影響を与えるのだと。しかしその一方、「赤ひげ」の言うとおり、「悪い人間の中からも善きものを引き出す努力をしなければならない、人間は人間なんだ」という言葉はそれだけで心に響く。

最近では被害者側の心情を尊重したり、犯罪者に対する更生の可能性を低く見たり、あるいは戦後民主主義的な平等感を否定したりする傾向が強いが、もちろん行き過ぎの「戦後民主主義」の抱えた課題は克服されねばならないにしても、しかし排他的に自分たちのあり方を保持しようとする傾向が強いのではないか。

またライブドア事件に象徴されるように、拝金主義がまかり通っている世の中で、こうした職業倫理・プライド・使命感に重きを置くことができるだろうか。

そう考えるとこの小説の描いた姿は、今こそ見直されるべきなのだ。




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