ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

ディープ・ブルー:人間とは違う「生」と「死」が生み出す均衡

2006年02月19日 | 映画♪
海の映像の美しさや穏やかさに心馳せることもあるだろうが、現実の「海」に生きるものたちは必ずしもそんなに甘いものではないようだ。ハシナガイルカ、アシカ、シャチ、鰯の大群や海鳥、サンゴ礁など海で生きる動物たちにとっては「生」と「死」が繰り返される世界なのだ。その様子をカメラはとらえ続けるのだが、不思議とそこに残酷さはない。製作7年、ロケ地200ヶ所、撮影7000時間-。奇跡と執念の海洋ドキュメンタリー。




地球の表面積の実に70%を占め、膨大な生命を育む海-。隊列を組んで海を渡りながらジャンプを競い合う、陽気なハシナガイルカ。まだ満足に泳げない子供のアシカを狙い、浅瀬まで乗り上げてきたシャチの決死の狩り、その残酷な結末。透明な体を青く輝かせ、無数に漂う幻想的なミズクラゲ。外敵から身を守るため、巨大な塊となって素早く逃げ回るイワシの大群と、海鳥やイルカ、サメの激しい攻防…。カメラは世界中の海を尋ね、あらゆる生物の営みを捉えていく。

「平和」や「豊かさ」を求める人間の社会なんて、地球という世界で例外的な存在でしかないのだろう。この映像を見ていると、「海」という世界で繰り返される「生」と「死」、生き残るための生存競争が絶え間なく続いていることがよくわかる。「平和」や「豊かさ」が維持できるものだと考えているのであれば、それはやはり人間というものの特殊的存在の驕りなのだろう。

人間というのは確かに特殊な存在だ。例えばこの海洋の弱肉強食の世界の中では、小さな魚達は群れをなすことで大きな魚や鳥たちから身を守ろうとする。一匹でいれば確かに見つかりにくいかもしれないが、一度敵に見つかれば逃げることができない。むしろ多くの仲間と1つの固まりとなることで、敵にターゲットを絞らせず、また攻撃するのをひるませたりでき、生き残る確率が高くなる。この動物たちの世界では、「群れ」をなすことで敵から身を守ることができるのだ。

しかし相手が人間だとどうだろう。群れをなして泳いでいれば、それこそ網を使って一網打尽にしてしまう。動物界でのルールが通じない相手なのだ。

また動物たちがその場の「反応」的な意味での感情はあるにしても、憎悪の念を蓄積したり、自らの欲望に基づき必要以上の捕食を行ったりすることはない。だからこそそこには生態系としての秩序が発生し、あるものは「死」にしかしあるものは「生き残り」、結果としてはバランスのとれた生態系をつくりあげていく。

これに対して人間は、民族の歴史として「憎悪」を幾代にもわたり受け継ぎ、必要以上に争い、欲望に基づきただ無差別に搾取を行う。一方では「理性」というものである種の均衡や平和を実現しつつも、一方ではただただ強者になろうとする。おそらく動物たちにとっては「弱肉強食」の争いの世界こそが一定の秩序と均衡を生み出すのであり、人間のように「平和」や「豊かさ」を作り出そう・維持していこうなどという発想はないのだ。逆に人間にとっては、「争い」だけではそういった「均衡」は生み出されないのだろう。

人間が動物たちのもつ秩序形成能力を失ったのは、「道具」を使い出した時からなのか、「産業革命」からなのか、「資本主義」という欲望装置を発見した時からなのか、いずれにしろもう戻ることのできない道をきてしまったのだろう。

【評価】
総合:★★★☆☆
へたな物語よりも面白い:★★★★☆
一見の価値あり:★★★★★

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