ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

集合知はこの危機を乗り越えられるか

2011年04月23日 | ネットビジネス
もし仮に日本政府がもっと僕らのことを信じていて、もっと協力的で、もっとOPENで、もっと可能性を信じ、もっと勇気ある決断ができるのであるならば、こんなサイトを立ち上げてみるといいかもしれない。

「福島原発の危機を乗り越えるための方法をみんなで探そう」

もちろんこのサイトのポイントは「みんな」という言葉にある。これまでの官僚主義や「お上」意識や権威主義ではなく、インターネットを通じた「集合知」によってこの日本を変えることができるかという挑戦となる。

今回の福島原発事故では、3月11日の地震直後のに稼働中の1~3号機は自動停止したものの、津波により非常用電源が水没、冷却水循環系が機能停止し、冷却不能という事態に陥る。核燃料は原子炉停止後も崩壊熱を発し続けるので長期間の冷却が必要。そのため格納容器の破損という最悪の事態が現実味を増し始める。

ここから数日の状況というのは、リアルタイムに「衝撃的」な事態が続く。「原子力緊急事態宣言」が発令され周囲の人々が避難を余儀なくされ、最悪の事態を避けるために放射能漏れの危険を承知の上で弁開放(ベント)を実施、海水の注入などの対処を行うが、その甲斐空しく原子炉建屋の水素爆発、圧力抑制プールの爆発破損、使用済み核燃料プール付近の爆発などが続くことになる。

結果的には、チェルノブイリと同様の「レベル7」の「深刻な事故」となり、収束に向けた「工程表」が出されたものの、その実効性については疑問の声も聞こえている。

事故当初から、衝撃的な展開が続いたこともあり、対策本部や東電の対応や情報提供も、マスコミの解説陣もその展開スピード感には対応できなかった。何かが起こり、対策を行い、そのことの「危険性/安全性」について語っている間に新たなら事故が起きるといった具合だ。

そうした状況の中、そうした政府やマスコミとは別にネットでは様々な情報や解説、知恵が集まることになる。大前研一さんは事故発生直後の3月13日の段階で、限られた情報の中で、かなり的確に事態の進展を予想されていたし、その後の「大前研一ライブ」での放送でも参考になるような意見を述べられていた。

また「東大病院放射線治療チーム」はTwitterで放射線被害に対しての正確な情報を発信されていたし、「サイエンスメディアセンター」にも様々な専門家の意見が掲載されている。あるいは一般の人々でも、原発の仕組みの解説やどんな危険性があるのかを平易な言葉でまとめてくれたり、自身の体験や知識、過去のニュースから(ガセネタや的を得ていない憶測まで含めて)様々な意見があふれることになった。

そうした情報は、Twitterをはじめ、ブログやHP、YouTubeなど様々な形で表明され、結果的に情報が拡散してしまった。もっと集約し、どこにどういった有益な情報があるかを伝える手段があってもよかっただろう。知る技術に長けた人が知っている、そんな状況だったといえるだろう。

福島原発事故の収束について、工程表が出たとはいえ、まだまだ様々な問題が噴出することが予想される。こうした問題の解決に向けて、政府や東電では「専門家」や一部の関係者の代表となる「有識者」によって方針が話し合われ、いろいろな提言がなされていくのだろう。

おそらくこれまでの様々な対策はそのようになされてきたのだろう。

しかし今回の問題の場合、その影響はこれまでのどの問題よりも広範だ。格納容器を維持するためにベントを行えば、そこから発せられる放射性物質は近隣住民はもとより風に乗ってより広範に拡散するだろうし、水質や土壌への影響は農業や漁業へ、さらには食品加工業から流通業へ、あるいはそれを食する人体へのの影響も出てくることになる。

長期間にわたる対応の中では、もっと様々な問題が持ち上がるだろう。そうしたときに、これまでのような「有識者」による「専門」委員会による検討は、果たして様々な観点・意見の集約が可能なのだろうか。また実務を知らない「学者」による検討は、機転を利かせたちょっとした「知恵」が役に立つ「現場」という壁を超えられるのだろうか。

何が起きるかわからないこうした場面だからこそ、実は「集合知」の可能性があるのではないかと思う。「有識者」「専門家」というのはそれぞれの分野の代表者でしかなく、そうした「知識」というフレームワークは必ずしも全体を見渡せるものではない。だとするともっと多様な観点から議論はなされるべきなのだ。

今回の震災や事故直後からネット上にあふれた様々な的を得た意見を集約し、議論を戦わせることは、実は専門委員会のような組織での議論以上に鍛えられ、可能性のあるものになるのだと思う。少なくともそのような可能性が追求されてもいい時代のはずだ。

しかしそのためには検討に値するだけの情報が公開されねばならない。政府や官僚が真実を公にすることで社会不安が起きると考えているならば、そんした愚民観は既に時代錯誤だろう。今回の震災に対する反応を見返してみればわかる。瞬間瞬間では過剰反応があったかもしれないが、その多くは直ぐに冷静に対処するための意見が表明され、秩序は回復するのだ。僕らの感性はそんなに愚かではない。

そしてこうした集合知の可能性は「原発事故問題」だけではない。むしろより多くの大衆の「知恵」が反映させやすい、東日本大震災の処理についても可能性はあるはずだ。瓦礫の問題をどうするのか、被災地の復旧/復興をどのように進めるか、都市計画や住居問題、雇用をどうするか…こうしたまさに市民の直結する問題こそ、様々なアイデアを集約することで、これまでにない「血」の通った計画や施策が出来上がるかもしれない。

こうした時だからこそ、日本人皆の知恵を結集できる「場」「サイト」があってもいいのだと思う。


大前研一ライブ:東日本巨大地震 福島原発半径20km以内の住民に避難指示(3月13日収録)


大前研一ライブ:地震発生から1週間 福島原発事故の現状と今後 修正版(3月19日収録)




1 コメント

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philosophy (noga)
2011-04-24 04:14:27
我々は、ともすれば、消去法で意見を述べようとする。ああでもなければこうでもない、と話す。
消去法は、無哲学・能天気の人に見られる。不満はあっても、主張はない。
結局、不満の主張ということになるのか。
否定文だらけで不毛の内容となる。無為無策でいる。
自分の意見は、自分の哲学で話そう。上手い話を現実の中で辻褄を合わせることが出来れば、建設的な内容となる。

我々は、無いものねだりはできない。
つたない政治家であっても、捨てるわけには行かない。
我々は、助け合って、現実対応して行かねばならない。
指導者は、遠い未来に我々の行き着き先の内容を明らかにする必要がある。
そうすれば、自己の協力者を得ることが可能になる。

だが、未来時制のない日本語を使用していては、それも難しいことなのであろう。
日本語脳の持ち主は、未来の内容を受け入れることが難しい。
激しく離散集合を繰り返しながら、現実の世界を迷走する。
この国の意見発表がまともにならなければ、この国の政治音痴も解消しない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

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