ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

「金太郎」が仕掛けた出版社の消滅の可能性

2005年04月09日 | コンテンツビジネス
業界が成熟し、ある種のルールの下での競争だけを繰り返していた場合、その「中心」から業界全体のあり方を変えるというのは難しい。思えば歴史とは常にそうだったのではないか。江戸幕藩体制を崩したのは、決して石高の大きさではなく、薩摩や長州、土佐といった「周辺部」に位置する諸藩であり、またそれらの中でも決して藩政を握るエリート層ではなく、下級藩士や郷士といった周辺部に位置する「志士」たちであった。またスペイン/フランスを中心としたブルボン王朝のヘゲモニーを打ち破ったのも島国「イギリス」であったし、またヨーロッパという中心の衰退とともに台頭したのも、周辺部「アメリカ」であった。その中心に位置する限り、既存の秩序やルール、利害関係にひきづられ新しいルールを作り出すのは難しいのだ。

本宮ひろ志さんが「楽天」を選んだのも、まさに既存の事業モデルから抜け出せない「中心部」のプレイヤーでは出版業界を変えることはできないと考えたからだろう。

楽天ダウンロードで「サラリーマン金太郎」の新連載--出版社に干されるか実験?


とはいえ既存の出版業界が全く古いままだったかというとそうではない。これまでも大手出版社を中心に「電子書籍」の分野についていろいろな実験や事業に取り組んできている。独自のDRMも作れば、専用のリーダーソフトやリーダー端末も開発している。しかし外枠の整備は進みつつも、一般的な認知度、普及具合が進まないのは、既存の出版事業のスキームが脚を引っ張り、ユーザーの求めるようなコンテンツを提供できていないからだろう。

現在、電子書籍が提供しているものの中心は、新作のタイトルというよりは既に絶版となっているもの、中小の書店の店頭では並んでいないような「古い」作品だ。新作は、既存の出版事業のシェアを食い合う可能性があるという不安が各事業者にあり、電子書籍では流通しづらくなっている。

しかしそうした発想が「出版不況」といわれる状況から抜け出せない要因の一つではないか――それが今回の取組みに繋がったのだろう。

とはいえ音楽分野でもいえることだけれど、こと出版に関しても「世界の中心で愛を叫ぶ」「DeepLove」「NANA」といったようにメガヒットは存在している。つまり多くの人が特定の「売れ筋」商品に集中しそれ以外の賞品との売れ行きの差が激しくなっているのだ。そう考えると、「出版不況」の要因というのは、実は商品の多様化に対し、消費者自身はみんなが買っている「特定の」商品にしか関心をもたないというメンタリティを作り上げている現代の風潮に問題があるのかもしれない。しかしここではそのことは置いておこう。

では今回の本宮さんと「楽天」との挑戦で何が変わるのだろうか。大きく三つのことが考えられるのではないだろうか。

1)出版社の消滅の可能性

まぁ、現実的には「消滅」などありえないのだろうが、これまでの出版業界がイニシアティブを持つという状態が変わる可能性はある。今回の場合、本宮氏と三木谷氏との個人的なパイプによって話が進んだわけだけれど、今後、著者もしくは著者の代理人として「権利」のマネージメントを行うエージェントが、どの媒体、どの出版社からどのタイミングとプロモーションによって販売していくか、というコントロールを行う可能性はある。出版社が著書の出版に関するライツ・マネージメントに限定することで、作家側は自由となり、より自分の作品を売るための方法を模索することが可能となるのだ。


2)既存の出版モデルと電子書籍事業とのメディアミックスの可能性

そもそも新作が電子書籍に出ないのは、既存出版事業者の不安に起因するところが大きい。しかしこれらは本当にシェアを食い合うものなのだろうか。動画配信とDVD販売などもそうなのだけれど、これらは必ずしもバッティングするモデルとは言い切れない。それぞれのメディアにはそれぞれの「使い勝手」や「良さ」があり、多少重なる部分はあるとしても、全体としては広がる可能性もある。

特に書籍の場合、「所有感」や「持ち運べる」という要素は非常に大きい。

例えば「電子書籍」で見たという人が「本」を買う、安価に設定された「電子書籍」でより多くの人に1巻目を読ませ、続きの「本」へのプロモーションに利用する、それぞれのメディアの違いを利用した楽しみ方や演出を用意し、両方ともを購入させる――そういった相乗効果の可能性もあるだろう。


3)電子書籍のベーシックモデルの確立

これはインターネット上のビジネスの多くが立ち上げ期に直面する課題なのだろうが、果たして電子書籍の狙うべき事業モデルというのはどういうものなのか。

ITmediaに書かれているように、「電子書籍は部数を気にせず発行でき、工程が少ない分原価を抑えて損益分岐点を低くできる」、またいったん電子データ化されてしまえば、「在庫」という概念は限りなく薄い。

ITmediaニュース:「出版の危機を救え」――金太郎、ネット配信に挑む

そう考えた時に、電子書籍の「成功モデル」というのは、既存の出版事業を包括するくらいの規模を扱い、新作や売れる作品をバンバン扱い、既存の事業をリプレースしていくモデルなのか、それとも既存事業では採算にあいにくい分野や著者に対して、既存事業を補完する形で展開していくモデルなのだろうか。今回の取組みでそのあたりを見えてくるのではないだろうか。

もともとインターネットは、これまでは物理的な制約などを受けて成立しづらかった規模のコミュニティを生み出すことが可能なメディアだ。また今なら、ブログやSNS、アフィリエィトといった仕組を利用しつつ、また口コミというプロモーションが流通しやすいこともあって、後者のモデルが成立しやすい。しかし後者のモデルは当然、利益率がひくくなりがちである。

果たしてどちらのモデルを目指すことがいいのか。そうしたことを見極めるきっかけになるのかもしれない。




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