Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

ERNANI (Sat Mtn, Mar 29, 2008) Part I

2008-03-29 | メトロポリタン・オペラ
各作品の改訂版を除いて、タイトルだけ数えても30近い作品を書いているヴェルディの作品中、
初演順で第五作目にあたるこの『エルナー二』。
有名な作品をマイルストーンに使うと、『ナブッコ』と『マクベス』の間に位置しています。
『マクベス』のライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)の際に、レヴァインが『マクベス』について、
まだこの頃のヴェルディはその後に生まれる名作のために試行錯誤していて、
その跡が作品に聴かれる、というようなことを言ったという風に聞いていますが、
私からすれば、『マクベス』はかなり完成度は高い。
試行錯誤という言葉は、まさにこの『エルナーニ』のためにあるといってよく、
各人物像の掘り下げ度の甘さや(私の考えでは、この作品で説得力がある登場人物はシルヴァだけ。)、
話のいきなり度は、まだまだベル・カントの作品にどちらかといえば近いし、
曲の端々で、ああ、ここは『マクベス』のあそこに、そこは『椿姫』のあそこに近い、と、
後の作品を彷彿とさせる個所がたくさんあるという意味では
アカデミックな意味で大変興味深い作品ではあるのですが、
しかし、その先にそれを発展し煮詰めた作品があるなら、そっちを聴けばいいんじゃないの?と
いう気がしないでもなく、予習にも悲しいほど力が入らなかったのであります。
この作品の中では比較的有名なアリア、”エルナーニ、私を連れて逃げて Ernani, involami ”も、
後の作品に比べると、すかしっ屁のような盛り上がりそうで盛り上がりきれない感じがあり、どうにもこうにも、、。
これは、相当聴かせてくれるキャストじゃないと厳しい作品だなあ、と思っていたら、
主役のエルナーニは、ジョルダーニ、、、。ため息。

というわけで、このやる気のなさが反映したか、ふと気付くといつもよりも家を出る時間が遅れている!
昨年2007年11月に、休暇と出張をかねてNYに来訪、一緒にメトの公演も鑑賞した、
私のバレエ鑑賞のメンターでもある友人に、彼女のブログ内の記事で
こんな短い距離は歩きなさい!と叱られた私ですが、今日もタクります。

さて、いつもなら5分もかからないうちにメトに到着のはずが、
なんと70丁目あたりで猛烈な道路混雑があり、まったく車がうごかない。
開演まであと9分。
前方にはずっと数珠つなぎになった車の列。やばい!やばすぎます!!!
すぐに車を降りて、猛ダッシュ。すいていると睨んでウェスト・エンド・アヴェニューまで
出てしまっていたので、縦5ブロック、横2ブロック分。
マンハッタンのブロックは横の方が長いので、縦ブロックに換算すると約10ブロック。
これはきつい。
かつて人生で、運動会ですら、これほどまでに早く走ったことはないというくらいの必死さで完走。
しかし、メトのエントランスに到着した時、時間は開演時間を2分過ぎていました。
やっちまったか?私、、、

しかし、その瞬間、耳に響いた鉄琴の音(メトはこの鉄琴の音が”着席ください”の合図になっている)。
ま、間に合ったっす!!!!

もぎりのゲートを走破し、グランド・ティアーで係員の人にチケットを見せたときには、
息切れがして、ついひざに手をついて、ぜーぜーしてしまいました。
思わず係員の人が、このまま私が倒れてしまうと思ったのか、助けの腕を出してくださいましたが、
そんなに死にそうな顔をしていたのだろうか、、?

今日は全国ネットのラジオ放送が入っていたせいもあり、若干開始がおしていたようで、
いつもは、”ちっ!時間通りに始めやがれ!”なんて思っていた私ですが、そのおかげで助かった模様。
座席についた時には、すでにオケのメンバーは全員着席しておりましたから、危なかったです。
いつもならどちらかという寒く感じられるグランド・ティアー、周りにはコートを肩に羽織ったりしている方もいる中、
一人でだらだらと流れる汗をハンカチで抑える異様な様子の私なのでした。
オペラヘッド人生中、ここまで到着時間が危なかったのは後にも先にもこれ一度きり。
さて、酸欠で頭ががんがんし、そのせいか、まるで天井の金の花びら
(うろこのようにも見えるメトの内天井の装飾)が頭にのっかってくるような幻視がおこるほどの中、
容赦なく指揮者が登場。いよいよ開演です。

ん??
何でしょう?この前奏曲でのオケのアンサンブルの息の合わなさは??
もしや幻視に続く幻聴??

しかし、第一幕の頭の山賊たちの男声合唱がすっころんだのを聴き、これは幻聴ではない!と確信。
指揮がひどい!!ロベルト・アバド!!!クラウディオの甥なのに!!!
(注:クラウディオ・アバドはスカラ座やウィーン国立歌劇場の音楽監督を経て、
ベルリン・フィルの首席指揮者をつとめていた。)
今日は各所で迷走していました。



そんな中、ジョルダーニが歌うエルナーニのアリア、
”色あせた花の茂みの露のように Come rugiada al cespite  ”。
OONYのガラでの猛烈な不調ぶりは記事にも書いたとおりですが、
あれからもう3週間以上経っていることを思えば、風邪のはずとも思えないので、
彼はもしかすると今まで強引な発声をしてきたのか、
最近、声にコアースな(ざらざらとした)響きが混じるようになってきているように感じます。
むしろ、高音を出しているときには目立たないのですが、中音域でそれが顕著になってきています。
しかし、彼の歌は本当に魅力がない。
来シーズンのメトでは『ファウストの劫罰』を歌うようですが、”今観て聴いておきたい~”男性編で紹介した
カウフマンがアリア集の中で、この『ファウストの劫罰』からのアリアを歌っていて、
その出来が素晴らしく、ジョルダーニなんかより、カウフマンで聴きたいと思ってしまいます。

この”色あせた~”では、山賊のヘッドと思しきエルナーニが、
エルヴィーラという女性と出会い、恋に落ちているらしいことが歌われますが、
エルヴィーラはアラゴン王国(今のスペインの一部)に城を持つシルヴァ家の人間。
しかし、どうやって二人が出会い、どうやって恋に落ちていったか、などといったことの説明は一切なく、
いきなり二人は恋におちているのである。だって、まだまだベル・カントの影響濃い作品だから、
そんな細かいことは聞きっこなしなのである。(『トリスタン~』とはえらい違いである。)
しかし、彼女の叔父のドン・ルイ・ゴメツ・デ・シルヴァ(オペラ中では単にシルヴァと呼ばれる)も、
彼女を愛しており、その豊かな財力と権力をバックに無理矢理彼女との結婚に持ち込もうとしています。

そのシルヴァから、エルヴィーラを奪い返すため、みんなの力を貸してほしい、と訴えるエルナーニ。
”それが叶わぬなら、俺は死ぬ。”、、なんて、極端な男なんだ!
しかし、それもこれもベル・カントのせいなので、軽く通りすぎるべし。
どうやらそんな極端な男ながら、みんなの心は掴んでいるようで(で、その理由は後ほど明らかになる。)
よし、奪い返すぞ!と盛り上がる山賊たちなのでした。


その薄暗い山中のセットから一転して一幕二場はシルヴァ家の城の中。
大きな額縁(ゆうに2メートル X 5メートルはあるでしょうか?)がかかった舞台上手側の壁と、
下手側から風をあててなびかせた大きなカーテンが印象的。
奥にある玄関から数段の階段を下りると、手前におかれたエルヴィーラの座る長椅子が置かれている。
まるで玄関とエルヴィーラの部屋が合体したかのような間取りで実際にはありえなないのですが、
これが舞台に現われると一切不自然さを感じさせず、美しい色合いに、観客から拍手。

すかしっ屁アリア、”エルナーニ、私を連れて逃げて Ernani, involami ”。
エルヴィーラ役のラドヴァノスキー、この人は長身で舞台栄えがし、
特にこのプロダクションは非常に衣装が豪華なのですが、その衣装に食われることなく、
たたずまいは非常にエレガントでした。声にやや重みのある彼女なので、
この役にもマッチしていないとは思わないのですが、
立ち上がりのこのアリアで細かい装飾歌唱を歌いきるのは難しいのか、
もう少し滑らかに音を動かしてほしいかな、という不満は残りました。
あと、特に立ち上がりでの高音の出し方が、少しフレミングの歌唱を彷彿とさせる、
あわわわ、、とうがいをしているような響きになるのは残念。
ただ、幕がすすむにつれて段々と消えていったので、立ち上がり特有のものかもしれません。
フレミングよりは彼女の方がアジリタの技術はあるように思います。

エルヴィーラ、叔父シルヴァによる強引な結婚を間近に控えて神経がたっているのか、
侍女にあたりまくるといういやな女ぶり。このプロダクションでは、結婚式用のヴェールをたずさえて
やってきた侍女からそれをひったくって床に叩きつけるという横暴さを発揮。
なぜ、こんな女が、3人もの男性に”清らかな女性よ”と言い寄られるのか。
女の私からすれば、”ぶるんじゃないわよ”ってなもんである。
しかし、このあたりの性格上の不整合ぶりもつっこんではいけない。なぜだかはすでに説明したとおり。
そう、これもベル・カントの影響がなせる業である。

そこに突然あらわれたにやけた男、トーマス・ハンプソン、いえ、ドン・カルロ。
このドン・カルロは、実在した人物で、神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン一世の長男。
16歳でスペイン王となり、19歳で神聖ローマ帝国皇帝となった史実に合わせるとすれば、
このオペラの中では、19歳のはずである。
トーマス・ハンプソンが19歳、、、うぬぬ。
ま、それは置いておいて、エルヴィーラの前に現われるこのシーンでは、まだスペイン王という肩書きです。
シルヴァ家は名家なので、スペイン王とエルヴィーラが顔を見知っていても、
ゆえに、ぶりっ子エルヴィーラにこれまた骨抜きにされていたとしても、話はおかしくありません。
城に入る際、身分を隠してしのびこんだドン・カルロですが、
エルヴィーラには、王であることがすぐにわかります。

トーマス・ハンプソン、この人はいつ舞台で見ても、
ちょっとにやけた彼の素がちらちらするように思うのですが、このオペラの中で描かれている
ドン・カルロの人物像には、これくらい軽薄でもおかしくはないかもしれません。
しかし、歌はここまで、ジョルダーニ、ラドヴァノフスキー、そして、ハンプソンという、
登場順どおりによくなっているように感じます。
特に、ラドヴァノフスキーからハンプソンの間はひょいとスタンダードが上がった感じ。
やはり、にやけてはいても、ここらあたりが、スター歌手といわれる所以なのでしょう。

ただし、ラドヴァノフスキーもだんだんとこのあたりから調子があがりはじめ、
なぜ自分になびかないのか、と問い詰めるドン・カルロに、
”どんな人の心にも秘密があるものです Ogni cor serba un mistero  ”というフレーズは、
彼女の少しスモーキーな声のカラーにマッチしているせいもあり、
また歌いまわしも繊細かつ丁寧で、大変よかったと思います。

自分の欲しいものは手に入れることに慣れている王は、
強引にエルヴィーラを自分のものにしようとしますが、エルヴィーラはナイフで応戦。
しかし、王にナイフなんか向けて、大丈夫なのか、エルヴィーラは??!!

このプロダクション、衣装が非常に豪華で見ごたえがあるのは先にも書いたとおりですが、
エルヴィーラのドレスもそれはそれは布を贅沢に使った、裾のドレープの長い、
見ているだけで、その重さを想像して、こちらの肩がこりそうなものなのですが、
その長いドレスの裾を思いっきり踏みつけていたハンプソン。
それに気付かないまま、怒りを表現しようとその場から勢いよく離れたところに向かって
歩をすすめようとしたラドヴァノフスキーが動けなくなっていたのがまるで漫画のよう、、。
王よ、いくら自分の思いどおりに人生を進めてきたとはいえ、
”自分の妻にならないか?(女王ですよ!女王!)”とまで言っている相手の
女性のドレスの裾を踏むとは失態です。
そんな無神経なことだから、エルヴィーラに袖にされるのだ。
情熱的な表情で歌えばいいってもんじゃないのです。




さて。そこになぜだかいきなりエルナーニ登場!!
もう度重なる強引なストーリーに、”あんた、一体どうやって城にしのびこんだのよ?”と、
聞く気も失せるというものです。

エルナーニの山賊としての悪評はなんと王の耳まで届いていたらしく、
(エルヴィーラよ、つくづく、そんな男とどこでどうやって知り合ったのか?!)
名前からすぐにどういう人物か、気付いた模様の王。
一方エルナーニは、王に向かって、自分の家系の恨みつらみを爆発させます。
これで、どうやら王が今の地位にあがる過程で、エルナーニの一族を破滅させたことがわかります。

ここでは二人の間に入っておろおろするラドヴァノフスキー=エルヴィーラが、
跪いた状態から、おそらく靴がドレスの裾の大量の布に埋もれてしまったか、
なかなか立ちあがれず、四苦八苦しているのに、
男二人は怒り心頭に達するあまり、愛する女性の窮地に気づかず。
ラドヴァノフスキーの奮闘はかなり長い間続いており、つい観客からも笑いがこぼれました。
だめだな。この二人、本当に。

さて、愛する人の窮地にも気付かぬほど我を忘れる怒りで一触即発状態のそこに、
”わしの家で何をやっとんじゃー!!”と怒り心頭の体で入場の、シルヴァ叔父。
いやいや、彼が怒るのも無理ないです。
ほんと、人の家に勝手にあがりこんで、剣をも交えそうな勢いなんですから。この人たちは。
しかも、自分が結婚しようとしている姪っ子の部屋に若い男が二人も!!!
きれろ!シルヴァ!!!!

ここで、自分の人生で、どれほど自分がエルヴィーラを大切に思って来たか、
彼女を百合のように清らかな人間だと思ってきたのにこんな裏切りに合うとは、と切々と歌う、
”悲しや、麗しき人の Infelice! e tuo credevi  ”は、私がこのオペラでは一番好きなアリア。
これを聞くと、歳をとっているという理由でシルヴァを無下に扱うエルヴィーラがひどい女に思えてきます。
というか、この作品で、一番行動と性格に筋が通っていて、
かつエルヴィーラを一途に愛しているのはシルヴァなのであって、
結局、彼のその怖いまでに熱すぎる性格と想いが、最後には不幸を呼ぶという意味で、
この作品は彼が中心にあると思います。
だから、私にとって、この作品の主人公はエルナーニではなく、シルヴァなのです。

さて、その大事な役、シルヴァを歌ったのは、フェルッチョ・フルラネット。
日本でも何度も歌ってくださっているイタリア・オペラの大御所バスですが、今年59歳。
先日『トリスタン~』でマルケ王を歌ったサルミネンは62歳と思えぬ声量でしたが、
フルラネットはさすがに少し声量の面、またワブリング(延ばす音が、細かく大きくなったり、
小さくなったり、を繰り返すので、うわんうわんうわん、、というような音に聴こえる)
が入ったり、で、これで表現力のないバスが歌った日には、かなり聴くのが辛い歌唱になるところですが、
そこをそうさせていないところが素晴らしい。
いや、逆にこの声で、人の心を動かせる歌を歌えるという事実がすごいです。
シルヴァの老いに対する恐怖と、その老いを否定したいがゆえの血気盛んさ、
その隙間に花のように咲いたエルヴィーラへの思い、と、全てを表現していて、
本当に見事でした。
こんな歌を聴くと、3人の中でシルヴァが一番素敵に見えてくるではないですか!

その大事なお花、エルヴィーラに手をつけようとはわしが許さんわ!
わしが直に相手になってやる!!と、エルナーニとドン・カルロを煽るシルヴァ。
”いや、それはやめておきましょう”と、身を明かさぬまま、円く事をおさめようとするドン・カルロ。
一層つめよるシルヴァ。
やむなく、王の従者リッカルドの”王でござる!”宣言と同時に、
ドン・カルロがまるで遠山の金さんのように、がばーっ!と、
かぶっていたケープを脱ぐと、そこにはきらきらの王様服に身をつつんだスペイン王、ドン・カルロが!!!

さっきまで剣を抜け!と迫っていた相手が王とは!!!!!
驚愕の事実にびっくり仰天のシルヴァ。
しかし、悲しい性で、王への服従は絶対というのが身にしみついている。
すぐさま打たれた鉄砲玉のように頭を地面にすりつけ、叩頭礼。

カルロは、人の家に勝手にあがりこんだどさくさを隠蔽するかのごとく、シルヴァを赦し、
(正しくは、メトのプログラムにあるとおり、神聖ローマ帝国皇帝の任命を待つ身であるドン・カルロが、
大きな勢力を持つシルヴァの支持をとりつけるため、というのが真の理由である。)
また、エルナーニの命も救うのですが、王の、この19歳とは思えぬ粋さと計算高さに比べ、
エルナーニは、エルヴィーラに、”今は危険すぎるから、黙ってこのまま逃げて!”とたしなめられるまで、
激昂している猿のような男なんである。
つくづく、エルヴィーラ、こんなエルナーニの、どこがいいの?!

Part II に続く>


Marcello Giordani (Ernani)
Sondra Radvanovsky (Elvira)
Thomas Hampson (Don Carlo)
Ferruccio Furlanetto (Don Ruy Gomez de Silva)
Wendy White (Giovanna)
Keith Miller (Jago)
Ryan Smith (Don Riccardo)
Conductor: Roberto Abbado
Production: Pier Luigi Samaritani
Set Design: Pier Luigi Samaritani
Costume Design: Peter J. Hall
Grand Tier B Odd
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***エルナー二 ヴェルディ Ernani Verdi***

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