まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

住めば都。

2006-11-11 08:47:37 | ほっと一息。
11月10日(金)。

今日は、仕事もしましたが、本を返すのと借りるのとで、図書館を3つも回ったので、久しぶりに外の明るい景色を楽しみました。うちの大学は、校舎が街中に点在しているので(郊外にも)、図書館もたくさんあるのです。

雨と風とで、傘も何度かひっくり返ったり、何よりもコンピューターのケースが濡れないか心配でしたが、もうこの気候には慣れっこになりました。

今日感じたのは、紅葉の美しさ。

日本の美しさとは、明らかに違います。日本の方が、繊細で何とも言えない鮮やかな色が出るので、やはりこちらよりも美しいでしょう。それで、2年前は、さらにどんより気落ちしていました。天候は悪いし、紅葉は綺麗じゃないし、と。
昨年は、ウガンダにいたので見ていません。

今年は、確かに日本とは全然違うけど、これはこれで美しいなあ。秋だなあ、と感じました。色は、全体的に茶色と黄色が多いです。でも、辺りが一斉に色褪せていくのは、特別な気持ちにさせてくれますね。雨のせいか、風も落ち葉の秋の匂いがしました。

イチゴつきクリスマス・ケーキ

2006-11-10 07:20:20 | 異文化
11月16日(木)。

今日は、オランダ人のシッツェという友人と、9月からうちの大学で動物行動学の修士を学ばれているIさんと、外で食事してきました。行ったのは、町の中心部のベジタリアン・カフェで、僕はラザーニャ。ワインを一本シェアしました。

特にシッツェとは、定期的に会っては、お互いの近況を話しまくる間柄なので、今日もかなりしゃべって来ました。

シッツェは環境関係の仕事をしていて、よくいろいろな国に出張しています。大学生のときには、一年間早稲田大学にもいたので、日本語もまあまあ上手です。

今日、異文化の話題になったとき、彼が笑いながら一つ僕たちに質問しました。
「日本のクリスマスでは、なんでケーキにイチゴが乗ってるの?だって、イチゴは春出来るのが普通でしょう?」

外国人は、いつも答えに困る質問をします。多分、僕もどこかで困る質問をしているのだと思うけど。

みなさんだったら、どう答えますか?ちなみに僕は、日本人は、イチゴショート・ケーキに特別な思い入れがあるのだと。あれがなんと言っても一番ハッピーな組み合わせなんだよ、と力説しました。全然説得力がないですね。

世界のアーチ

2006-11-09 08:42:07 | 異文化
11月8日(水)。

昨日は、「心が痛みますね。」という記事に、数名の方が非常に素晴らしいコメントを残してくださいました。

僕のブログ記事なんかよりも、とてもいい文章ですので、どうかこの機会に皆さん読んでいただけたら、と思います。また、もちろんさらなるコメントも歓迎いたします。

さて、また昨日の今日でいいタイミングですが、今日は昼間仕事を休んで、小学校の見学に行ってきました。今日は見学会で、来週の水曜日が、登録の日なのです。こちらイギリスでは、子供は年度中に5歳になる年から、小学校に入れることが出来ます。5歳になってから、その年に入学することも出来ます。どちらかを選べるわけですね。

といっても、最初の1,2年は、アルファベットを習いますが、あとは日本の幼稚園のような感じです。外国人には、ちゃんと特別に英語も教えてくれるので、うちは来年の8月から入れてやりたいと思います。

今日見学に集まったのも、出身地域はほんとに様々です。中国のおじさん1名、日本人は太郎の母子と僕の2名、白人は5人くらい。インド、パキスタン辺りといった方が1名、それから中東の目だけを出したベールをかぶった方が1名でした。

ここでご紹介したいのが、学校の入り口の中に飾られた、色とりどりのアーチ。ここには、世界各国出身の子供たちが、自国の紹介を書いた紙を貼っています。教室の中にも、互いに助け合い、協調しよう、異文化を理解し合おうというメッセージでいっぱい。

ね。昨日のコメントに返信で書いたとおりでしょ?日本の政府、自治体、自治会にも、願わくばうるさいくらい頑張って欲しいと思います。

心が痛みますね。

2006-11-08 08:41:11 | Weblog
11月7日(火)。

今日は、一日博士論文の校正に取り組み、夜は空手で型の稽古。初めて抜賽小(ばっさいしょう)をやる。足を引っ掛ける型と猫足があるので、なかなか面白い。

さて、日本では、皆さんの話題にも上っていることでしょう。いじめの手紙。
とても心が痛みました。でも、彼はよくそこまでの行動をしたと思います。そこまでのパワーがあるのだから、どうか思い止まって欲しい。全国のいじめをしている側も、これに懲りてやめて欲しい。

先週、うちの子は、幼稚園で、よくある子に叩かれるんだと言いました。両親の言語が日本語なので、天馬には言葉のハンデがあります。彼の日本語は大したものなのですが。

だからかな、と思ってよく聞いてみると、
「あの子が悪いんだよ。僕は叩いちゃいけないから、Say sorry!って言うんだよ。」
と言いました。謝りなさいよ、とちゃんと英語で要求しているのだそうです。これは大丈夫だ、と思いました。言い返すことが出来れば、なんとかなる。

これが小学生、中学生になると、今回手紙を書いた彼が苦しんでいるような、もっと陰険ないじめがあるのだと思います。

いじめは世界中どこにでもあります。それが、冗談で済む程度なら健全なのでしょうね。
僕もウガンダで、研究のため数ヶ月通っていた病院へ向かう途中に、毎日小さなスラム街を通らなくてはならなかったのですが、日本人に慣れていない彼らは、最初、「あ!ムズング(白人)!」「ジェット・リー!ジャッキー・チェン!アチョー!」と大声ではやし立てました。なんだか、寄ってたかっていじめられている気分です。
3日目に、「ムズング!」と言われた時に、この頃いろいろな場所で使い始めていたのですが、「あ!ムガンダ(ウガンダ人だ)!」と叫んで、大げさに驚いて見せました。

すると、一瞬相手はあっけにとられて、それから大笑いし始めました。相手の気持ちが分かったのと、その返し方が気に入ったのでしょう。

それからは、スラムを通るときも、みな、
「ドクター!ワシゾチャー(おはようー)!」
と声を掛けてくれるようになりました。

途上国は、精神的に、先進国より豊かであることは周知の事実になってきていますが、それに比べて日本の今回の出来事には、ただ心が痛みます。日本だって、全学校の全クラスがひどい集団のいじめをやっているわけではないんですよね?反応しすぎなのかな?

去りし者ありて、来る者あり。

2006-11-07 07:37:35 | 学業
11月6日(月)。

今日は、数学の復習はひとまず終わったので、博士論文の第一章に着手しました。
内容は、去年出したレポートをもとに、もう少し見栄え良く整理する程度。一日かけて、だいたい形になったかな、というところ。

さて、先月の末から、同じ建物の中で作業していた博士課程の上級生が、次々と口頭試問をパスし、卒業していきます。

しばらく同じ部屋にいたスペイン人の女性獣医師、オルガも、博士論文提出までには4年半くらいかかりましたが、無事先週試験をパスし、次の仕事が始まるため、明日の夜からロンドンに移ることになりました。2月からは、彼女はケニア、ナイロビにある国際家畜研究所で働くことになっています。
オルガは、指導教官とのミーティング前や、最近では試験前数週間はいつも不安そうだったので、よく話を聞いてあげて、励ましていました。そんな彼女も、もう卒業。

一方では、博士課程の一年生が一人と修士課程が一人、新しく入ってきました。修士課程のクリスティンはウガンダからで、僕もウガンダで研究しているので、何かとローカル・ネタで盛り上がります。

帰りのバスでは、ザンビア人の同級生ジョゼフと、オルガ、タイ人女性のワンデーとクリスティンとの5人でワイワイ話しながら帰りました。よく考えたら、全員国籍が違う。

行く先のことなんか全く分からないけど、多分この先も、みんな次々卒業して行って、今こうしている仲間たちと関わりながら仕事をして行くんだろうな、とふと思いました。

風邪のリレー

2006-11-06 08:44:24 | 健康は大切よ。
11月5日(日)。

日本から帰ってきて、2つめの風邪。いつも子供が幼稚園から持ち帰り、子供が治ってきたと思ったら親の具合が悪くなる。これが2つ目で、この一ヶ月は、ずっと誰かが風邪をひいている状態です。

妻の咳がひどいので、今日の昼は僕があっさりトマトソースのパスタを作りました。作っていたら、どんどん頭が痛くなってきて、食事を終えたら今度は僕が寝込むことに。

今日は風が冷たく、買い物に行くのに今年初めてダウンジャケットを着ました。ああ、始まったよ。冬のエディンバラ。日が暮れるのも随分早くなりました。
しかし、この寒さだと言うのにまだ花火大会をやっているので、うるさくて寝られません(現在夜の11時半)。↓
http://www.istc.org/sisp/index.htm?fx=event&event_id=20623

でも、子供の具合が悪いよりは、ずっと気が楽ですね。明日からまた幼稚園に連れて行くけど、頼むから次の風邪はまだ持ってこないで欲しい。

博物館でランチ

2006-11-05 10:15:28 | ほっと一息。
11月4日(土)。

今日は、近くのスコットランド国立博物館で、友人家族と待ち合わせ。
http://www.nms.ac.uk/palace

ご主人がスコティッシュ、奥さんは日本人で、天馬より半年年上の太郎という男の子がいます。

ここの博物館は、子供が楽しめるサイエンス広場や、弁当を持ってきて食べるスペースがあるので、よく使ってます。今日はさらに、イスラム芸術の特別展示をやっていたので、特に奥様方二人には楽しんでいただきました。
そういえば、前回は、ご主人のポールと太郎親子と、僕と天馬親子の男だけで子守に来たよなあ。

まあ、普段は両家とも、子供は妻に任せきりなので、そのくらいはしなくちゃね。
ポールと僕も仲がいいし、子供同士も、特に日本語が分かるので仲が良く、ずっと遊んでました。

博物館の中で、みんなでお弁当を食べて解散。太郎も最近、ずいぶん僕になついて来た。天馬と一緒にトイレに連れて行っておしっこさせたけど、恥ずかしがらなくなったので、なんだか嬉しかったです。

丸一日数学。

2006-11-04 07:24:05 | 学業
11月3日(金)。

先週から昨日までは、とにかくひたすら文献を読んでました。
空間分析と、リスク分析というものに関わる、様々な研究事例を調べていたのです。

空間分析とは、例えばある疾病が、ある地域に固まって発生していることを、客観的に数学を使って見つけ出す分析です。

リスク分析も、簡単に言ってしまえば、リスクが大きい、小さいということを、客観的に数学を使って証明します。

これらのたくさんの事例で大まかなやり方が大体分かったところでしたが、出てくる数学用語を理解しようと、インターネットで検索すると、説明文に書かれている言葉が分からん!もちろん、高校まで数学は日本語で習っているということもありますが。

こちらで、応用の統計学は講義を受けて分かっていたつもりですが、数学はまだまだ自分には、幅が広くて奥が深い。

今日は、分からない言葉を追って行った挙句、昼前から中学、高校の数学のおさらいになりました。
練習問題を解いて、答えに一喜一憂したり、もう20年近く前にやっていたことで夢中になりました。

微分、積分、階乗、組み合わせ、順列、確率、指数関数、自然対数、導関数、などなど。覚えてますか?

いやー、懐かしかった。どんな学問でも思うのだけれど、高校までで積み込んでいる段階では、難しくてつまらないと思っていても、意義が見つかったり、目標が出来ると全く違うように見えてくるもの。もう、はまってますわ。

ただ、毎度のことながら、いつも現地の人々のことを忘れないようにバランスを取って行くことを忘れないようにしたいです。
さて、もう一頑張り。

人の運命

2006-11-03 07:32:12 | いろんな人がいるよ。
11月2日(木)。

先ほど、ネットサーフをしていて、昔知り合ったある方が去年亡くなったことを知りました。

あれは1996年の夏のこと。獣医師として世界の発展途上国のために何が出来るだろう、と漠然に考えていた頃、ふとしたきっかけで知り合ったNGO代表の方と、ボリビアの先住民支援で家畜を導入した村を訪れました。自費旅行でしたが、こちらは現場が見てみたかったし、その方は、獣医の専門の目が欲しかったのです。

初めての発展途上国でしたが、いきなり先住民の村で一晩過ごしました。開放的な学校の建物の中に木のつるを使って蚊帳をはり、寝ました。すごく暑くて寝られなかったけど、辺りを飛ぶ蛍の多さにビックリしました。

住民が食べさせてくれた野生の鹿肉。子供たちが「コメ、コメ(スペイン語で食べて)!」と差し出すマンゴーの美味しさと子供たちの笑顔。アマゾンの森とパンパの草原。忘れることが出来ない大切な思い出です。

そのNGOの代表の方は、原後雄太さんといいました。ボリビアやブラジルの住民のことを考え出したら頭に血が上ってしまう熱血漢で、貧しい住民のことを話していると興奮して、両手をバチバチ叩いていたのを、つい最近のことのように覚えています。その方は、限られた狭い地域のことを考えているだけではなくて、国家の細かな政策についても熟知しており、心底一生懸命に活動していました。

彼のNGOの、当時のニュースレター↓
http://homepage2.nifty.com/fukuyo/jbn/jbn-news/vol_1_3.html

日本に帰ってきて一度彼を訪れた際に、彼が言った言葉です。
「いいですか。これからは、マージナル(外側にいた)だった人が求められる時代ですよ。」

アメリカで経済分析をする一流企業を退職した彼が置かれていた状況は、ゆうちょのボランティア事業で予算を取る、弱小NGOの代表でした。そんな状況にいても、爆発的なパワーで進んで行こうとする彼はどうなってしまうのだろうか?

そのまま連絡が途絶えていましたが、今日、彼は昨年の夏まで明治学院大学の助教授をされていたことを知りました。

すごい人でした。
行く先を不安に思っている時間は、彼にはなかったでしょう。僕も、思うことがあるなら、もっと積極的にやらねば、と心底思いました。