6月12日(金)。
仕事の後に、職場の敷地内にある所長の家で、新入社員が呼ばれ、カクテル・パーティーがありました。
イギリスに4年とこちらに半年、英語圏で生活しているので、仕事や生活、処々の手続きなどには不自由がないのですが、留学も家族連れだったこともあり、ネイティヴ・イングリッシュ・スピーカーの会話に完全について行けるほどには、英語が上達しませんでした。なので、いろんな状況で、英語の意味が分からない、ということが未だにあります。国際的な輪に入ると、ジョークを言うことが大切になってきますが、えらい人といると特に、僕はあまり話せなくなってしまいます。
うちは国際機関というだけあって、ほとんどの人は英語がほぼ完璧に話せます。しかし逆に、畜産の専門機関であるにも関わらず、現場で長年同じ農家さん達と向き合って仕事してきた、という人は非常に少ないのです。
今日もパーティーでは、子供に気を取られていたことと、英語のハンデもあり、輪の中心からは少し外れていましたが、パーティーの最後に、自己紹介と、何故ILRI(国際家畜研究所)に来たかを順番に話す機会が設けられました。
ようやくそこで、自分は長年農家さん達と仕事し、33歳になってから英語圏でのチャレンジを始めたハンデについて話しました。また、ネパールの村で感じたこと、それをもとに志を立てて貧困削減に資するためにこれまで努力し、うちの職場に来たことを話しました。
人は、相手の中身が分かると、急に親近感を増すものです。所長は、畜産農家の気持ちを分かるようにと、奥様とともに酪農と養豚をやっていたことがあるそうです。妙に親近感を覚えました。所長も大きい手で、また来てくれよ、と握手してくれました。
ILRIにはいろんな人がいて、ある人は数ヶ月、そしてある人は20年留まります。世界中から人が集まり、交差して、また分かれていく。若いうちにいた人が、数年から10数年たって戻ってくる。僕はといえば、2年後のことは、いつものごとく全く分からない状況ですが、とにかく、この英語のハンデに苦労したことも、きっと懐かしいいい想い出になることでしょう。うちの子は、将来何をするか分からないけれど、もし国際的な仕事をするのだったら、僕達両親の何倍も、何十倍も楽にその環境に入っていけるはずです。本人の希望と能力次第ですが、どうせならそのハンデがない(少ない)という特権を生かして、是非国際社会で全ての国籍の人達と対等にやっていける日本人になって欲しいものだと思います。
仕事の後に、職場の敷地内にある所長の家で、新入社員が呼ばれ、カクテル・パーティーがありました。
イギリスに4年とこちらに半年、英語圏で生活しているので、仕事や生活、処々の手続きなどには不自由がないのですが、留学も家族連れだったこともあり、ネイティヴ・イングリッシュ・スピーカーの会話に完全について行けるほどには、英語が上達しませんでした。なので、いろんな状況で、英語の意味が分からない、ということが未だにあります。国際的な輪に入ると、ジョークを言うことが大切になってきますが、えらい人といると特に、僕はあまり話せなくなってしまいます。
うちは国際機関というだけあって、ほとんどの人は英語がほぼ完璧に話せます。しかし逆に、畜産の専門機関であるにも関わらず、現場で長年同じ農家さん達と向き合って仕事してきた、という人は非常に少ないのです。
今日もパーティーでは、子供に気を取られていたことと、英語のハンデもあり、輪の中心からは少し外れていましたが、パーティーの最後に、自己紹介と、何故ILRI(国際家畜研究所)に来たかを順番に話す機会が設けられました。
ようやくそこで、自分は長年農家さん達と仕事し、33歳になってから英語圏でのチャレンジを始めたハンデについて話しました。また、ネパールの村で感じたこと、それをもとに志を立てて貧困削減に資するためにこれまで努力し、うちの職場に来たことを話しました。
人は、相手の中身が分かると、急に親近感を増すものです。所長は、畜産農家の気持ちを分かるようにと、奥様とともに酪農と養豚をやっていたことがあるそうです。妙に親近感を覚えました。所長も大きい手で、また来てくれよ、と握手してくれました。
ILRIにはいろんな人がいて、ある人は数ヶ月、そしてある人は20年留まります。世界中から人が集まり、交差して、また分かれていく。若いうちにいた人が、数年から10数年たって戻ってくる。僕はといえば、2年後のことは、いつものごとく全く分からない状況ですが、とにかく、この英語のハンデに苦労したことも、きっと懐かしいいい想い出になることでしょう。うちの子は、将来何をするか分からないけれど、もし国際的な仕事をするのだったら、僕達両親の何倍も、何十倍も楽にその環境に入っていけるはずです。本人の希望と能力次第ですが、どうせならそのハンデがない(少ない)という特権を生かして、是非国際社会で全ての国籍の人達と対等にやっていける日本人になって欲しいものだと思います。