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まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

衝撃的な出会いと再会

2011-12-07 00:03:04 | いろんな人がいるよ。
2011年12月6日(火)。

久しぶりにブログを書きます。

最近は、衝撃的な人との出会い、再会の機会に恵まれています。

先月、ケニヤでILRI(国際家畜研究所)のリトリート(年間の研究戦略などを話し合う)と、CGIAR(国際農業研究評議グループ)合同のワークショップに呼ばれて参加して来ました。内容は非常によかったのですが、それはさておき、

何と、クラーク博士のひ孫さんと知り合いになりました!
現在は、コロンビアにあるCGIARの一センターで研究員をされています。ひ孫から直接、「Boys be ambicious」を聞きました。こんな声だったのかなあと想像しつつ。。

そして昨日札幌で、仕事でインドから来られたWHO職員のネパール人とサシで食事していたのですが、何とその人が、私が1999年、青年海外協力隊員をやっていた時にネパールのジリ村というところで発生した口蹄疫のリングワクチネーションを率いた際、首都カトマンドゥにある口蹄疫センターで私にワクチンを売ってくれた研究者その人であることが発覚しました。
信じられんん!!

彼は感動しつつも覚えていなかったのではないかと思いますが、私はしっかり覚えていました。むむ、やはりその顔、見覚えがある!と。ワクチンだったら、日本人だからだまして高い金で売ることも出来たのに、彼は口蹄疫発生中なら特別料金を設定しているから、と安く売ってくれました。まあ確かに、その頃の私は超が付くほどみすぼらしく汚かったですから何とも言えませんが。

ネパールでは在任中に二度口蹄疫の発生がありました。一度目はまだ生徒がいたので(職業訓練校の教官を務めていました)、生徒10人ほどと10キロ以上山道を歩いてワクチン接種しました。二度目は休業期間中で、馬を借りて行ったところ、馬は辛さのあまりパニックになって、崖を落ち、死んでしまいました。私はかろうじて飛び降り、九死に一生を得たのですが、馬の所有者であった政府農場に吊し上げられ、住民が助けてくれました。その足で険しい山道を歩いてワクチン接種を続けていたところ、短期コースで研究に来ていたおじさんたちが手伝いに駆けつけてくれ、二度目のワクチン接種を成功させたのです。

あー、記録は残っているので、本でも書きたい内容だったなー。あのころの日記には、こういったことが毎月のように記録されています。

ともかく、最近は衝撃的な人との出会いが重なってます。明日は岩手大学へ出張。疫学を教えてきます。またどんな出会いがあることやら。

貧困削減を夢見る若者

2011-01-07 22:51:59 | いろんな人がいるよ。
2011年1月7日(金)。

先程、留学中のある若者からメールが入って、貧困削減に貢献したいのだが進路をどうしようかと相談された。
善意ある若者の情熱とは、なんと気持ちのいいことだろうか。優秀な若い人が、知的興奮を追い求めたり、金持ちになることばかりを夢見るのでなく、その知性を貧困削減のために用いたいと考えていることに、とても嬉しくなる。

私の場合は、高校生になって勉強しなくなり、ユーシューではなかったのであるが、そういえばぎりぎり若者だった2002年だったか、国連食糧農業機関(FAO)アジア太平洋地域事務所の次長さんに相談しに、タイまで押しかけていったことがあった。なんと無茶なことをしたもんだか。。。次長さんは、滅茶苦茶にお忙しい立場であるにも関わらず、喜んで私を迎え入れ、親身に進路相談に乗ってくれた。きっと、次長さんも嬉しかったのではないかと思う。そして、留学、卒業、ILRIへの就職、と、ことあるごとに報告していた。うーん、また連絡を取ってみよう。

私がメールをくれた若者にアドバイスしたのは、回り道のススメである。本当に貧困のことを考えるなら、やっぱり貧困地域に住んでみないことには分からない。

電気や水道がないことが、火を起こすコンロがないことが、どういうことか。薬がないことがどういうことか。戦争とはどういうことか。そして生きるということは、どういうことか。

是非、若者たちは、どんどん回り道をして欲しい。急がば回れ、である。

所長の家にて

2009-06-14 03:49:27 | いろんな人がいるよ。
6月12日(金)。

仕事の後に、職場の敷地内にある所長の家で、新入社員が呼ばれ、カクテル・パーティーがありました。

イギリスに4年とこちらに半年、英語圏で生活しているので、仕事や生活、処々の手続きなどには不自由がないのですが、留学も家族連れだったこともあり、ネイティヴ・イングリッシュ・スピーカーの会話に完全について行けるほどには、英語が上達しませんでした。なので、いろんな状況で、英語の意味が分からない、ということが未だにあります。国際的な輪に入ると、ジョークを言うことが大切になってきますが、えらい人といると特に、僕はあまり話せなくなってしまいます。

うちは国際機関というだけあって、ほとんどの人は英語がほぼ完璧に話せます。しかし逆に、畜産の専門機関であるにも関わらず、現場で長年同じ農家さん達と向き合って仕事してきた、という人は非常に少ないのです。

今日もパーティーでは、子供に気を取られていたことと、英語のハンデもあり、輪の中心からは少し外れていましたが、パーティーの最後に、自己紹介と、何故ILRI(国際家畜研究所)に来たかを順番に話す機会が設けられました。

ようやくそこで、自分は長年農家さん達と仕事し、33歳になってから英語圏でのチャレンジを始めたハンデについて話しました。また、ネパールの村で感じたこと、それをもとに志を立てて貧困削減に資するためにこれまで努力し、うちの職場に来たことを話しました。

人は、相手の中身が分かると、急に親近感を増すものです。所長は、畜産農家の気持ちを分かるようにと、奥様とともに酪農と養豚をやっていたことがあるそうです。妙に親近感を覚えました。所長も大きい手で、また来てくれよ、と握手してくれました。

ILRIにはいろんな人がいて、ある人は数ヶ月、そしてある人は20年留まります。世界中から人が集まり、交差して、また分かれていく。若いうちにいた人が、数年から10数年たって戻ってくる。僕はといえば、2年後のことは、いつものごとく全く分からない状況ですが、とにかく、この英語のハンデに苦労したことも、きっと懐かしいいい想い出になることでしょう。うちの子は、将来何をするか分からないけれど、もし国際的な仕事をするのだったら、僕達両親の何倍も、何十倍も楽にその環境に入っていけるはずです。本人の希望と能力次第ですが、どうせならそのハンデがない(少ない)という特権を生かして、是非国際社会で全ての国籍の人達と対等にやっていける日本人になって欲しいものだと思います。

北極に行った人達のパワー

2009-06-08 05:20:17 | いろんな人がいるよ。
6月4日(木)。

つい最近のブログにコメントしてくれたRyokoさんと、お陰で連絡が取れ、ナイロビでRyokoさんの大学卒業以来、15年ぶりの再会を果たしました。

ケニヤには3回目だそうで、それも今回来ることを、たった一ヶ月前に決めたそうな。短いスケジュールの中、我が家に2日間泊まりに来てくれたので、そんな大胆な決断力がどうやって培われたかを知ることが出来ました。

もともと山登りが好きだったようですが、冬山で丸2日遭難してヘリで救助されたり、北極でもイヌイットのおじいさんと半遭難状態に陥ったりと、極限状態を体験したことにより、さらに肝が据わったというか、人間力を増したんじゃないでしょうか。そうやって決断力が培われたんだと思います。

Ryokoさんと話していて、もう一人T野さんという女性を思い出しました。ニアミスで会っていないのですが、エディンバラで環境学を学んでいた女性で、日本の中学生か高校生かと、衛生通信を使って、環境についての生ディスカッションをしながら北極探検をした方がいらっしゃいました。この方も、すごいパワーの持ち主だそうで、今は日本でNPOを主催されているのだと思います。T野さん、もしたまたまこの記事を読んで、「ちょっと違うぞ」という箇所がありましたら、是非訂正をお願いします。

この僕もやはり、ネパールの険しい山中にて何度か極限状態を得て価値観が変ってしまい、日本の奨学金を得てイギリス留学、そしてその途中、2006年からは資金面でも組織上でも日本とは関係のない宇宙遊泳状態に入っています。しかし、ネパールの山中で得た価値観、「人のために生きるのは何とすがすがしいことだろう」は、しっかり根を張りました。

Ryokoさんは、とあるマサイの村を4年ぶりに訪れたそうですが、急速な現代文明の流入と森林伐採による変化、そして解決の難しい様々な現実問題を目の当たりにしたそうです。

現実というのは、どこの国でも、またどこの家庭でも、大概困難な現状を抱えているものだと思います。僕の仕事の疫学とリスク分析というのは、問題の現状を理解して、これやったらどうなるか、ということを見るための学問で、羅針盤の役割を果たすものです。しかし、学問の体系がそういうことであっても、実際はその羅針盤を読んだり操作する健全な人がいないと効果がないわけです。

どでかい登山用のザックをひょいと担いでやって来たRyokoさんの、分かれる時の健全な笑顔がとても印象的でした。今回は、Ryokoさんの北極パワーをいただいて、またその後子供からうつった風邪がようやく治ってきたので、明日から健全に羅針盤を操作出来るような気がして来ました。皆さんにも北極パワーが届きましたか?健全に行きましょう。

ネパールへの帰国

2008-06-22 00:25:42 | いろんな人がいるよ。
6月21日(土)。

つい先程、ようやく第3章が完成したのでブログを書いています。

さて、昨日は、友人のネパール人舞踏家、チャランによるダンス・ワークショップがありました。

アロマテラピーとか、アニマルテラピーなどによる感情の癒しについては、皆さんも聞いたことがあると思います。チャランは、踊りを通した感情の癒し、ダンス・テラピーをスコットランドで教えてきましたが、来月、母国ネパールに帰り、そこでまたダンステラピーに挑戦することになりました。昨日は、その活動費捻出のための会だったのです。

チャラン一家とは、この3年間親しくしてもらいました。子供同士はすっかり仲良くなり、とっても楽しく過ごしました。

チャランの踊りは、ものすごいオーラが出ていました。ちゃんと写真におさめられなかったのは残念でしたが、しっかり目に焼きついています。これで、さらにネパールに行く理由が増えました。

折りしも、その前日、10年前に一緒に働いていたネパールのカウンターパートと同僚から、Eメールをもらいました。未だに覚えていて便りをくれるのは、とても嬉しいことです。

会でも、またネパール人の若者達と知り合いました。踊り好きで、明るくて、優しくて、やっぱりネパールの人達は好きです。

先日、ネパールは、王国から新しく共和国になりました。これから、どう発展していくのでしょうか?早いうちにまた訪れてみたいです。

ブルネイからの友人

2008-04-11 19:38:21 | いろんな人がいるよ。
4月10日(木)。

昨日、10日は、夕食にブルネイ人の友人ロスリが来てくれました。
ロスリは、インペリアルカレッジの修士課程の学生で、2月の統計の研修でご一緒しました。専攻は昆虫学。昆虫学と言っても幅は広く、農業の病害虫対策も、昆虫が媒介する人と動物の疾病対策も、環境の評価、環境の進化(Environmental evolution)も扱うので、とても重要な学問なのです。

ロスリのお姉さんはエディンバラに住んでいて、ご主人共々医学部のポスドクをされているのですが、今回は、お姉さんが長男を出産されたので、しかもそれが兄弟の中で最初の出産だったので、ロスリはロンドンから、ご両親もブルネイから集まって、応援に来たのだそうです。

恥ずかしながら、彼と会うまでは、僕はブルネイという国の存在を知らなかったので、いろいろ知ることが出来て良かったです。宗教はイスラム教で、マレーシアとボルネオ島を分け合っています。観光局のウエブサイトを訪れると、自然豊かな写真が多く、綺麗な布を生産しているようです。意外なことに産油国でもあるようですね。

研修は忙しくて、あまり話す機会もなかったのに、こうしてちゃんと交友関係を続けてくれるのは有難いことです。いつか観光か仕事でブルネイを訪れ、彼と再会出来たらいいなと思います。みなさんも、ブルネイは治安がいいということなので、観光にどうですか?

道を歩いていく人たち

2008-03-07 09:21:35 | いろんな人がいるよ。
3月6日(木)。

今日、日本から来られていた先生が帰国され、先生と一緒にうちの大学に来た短期の研究生をフラットに案内したので、ようやく一段落でブログを書きます。

先生方の来英の日に、ネパールで青年海外協力隊に参加した同期隊員F君が、数日間家に泊まった後、次の旅先へと旅立って行きました。

彼と会うのは4年ぶりでした。確か2年前、彼がケニアのナイロビに勤務していた頃、休暇を取ってウガンダに行くというので、僕も調査の日程を出来るだけ合わせようと努力したのですが、何と僕が来るたった一日前にF君が先にウガンダを離れてしまい、再会は結局ニアミスに終わってしまったのでした。

さて、イギリスは日本から随分遠いようで、僕の渡英からもう3年半も経ちましたが、日本からの友人の来客は、妻の姉と友人達以外は全くありません。今回F君が来ることが出来たのも、彼が国連の一機関であるWFP(世界食糧計画)での仕事を手に入れ、イギリスから近いイタリアで働き始めたからでした。

協力隊を終えた頃、僕にはすでに安定した仕事があり、彼はこれからの人生を、希望と不安を抱えて模索していたと記憶しています。僕たちには共通の夢、仕事として発展途上国に貢献すること、がありました。しかし、夢を叶えるための確実な足がかりなど、当時の僕たちにはなかったのです。

F君は、着実に英語の能力を伸ばし、アメリカの大学院へと留学しました。一足遅れ、彼の帰国後すぐ、僕も奨学金を手に入れ、当時の仕事を退職してイギリスの大学院へと進学しました。その頃、F君はナイロビで、国連の仕事に就くチャンスを得たのでした。

最後に会った時と、現在の状況では、お互い夢を一歩一歩実現させて来たという意味で前とは別人なわけです。今回、再会前は、お互いどんな風に感じるだろうかと想像すると、怖くもあり楽しみでした。

随分たくさんのことを、F君と妻とで話しましたが、気が済むまで長い時間かけてお互いの近況を話し終えると、まったりさ加減が、ネパールのお互いの村からカトマンドゥに上京してきて、隊員宿泊所で会った時の感覚そのままであることに気が付きました。あの極めて独特な感覚は、村での厳しい生活と不安から開放された安堵感、異文化の中で暮らす日本人としての仲間意識、同期隊員という仲間意識、途上国で生きる生命力、若さ、そして自由感、そんなものの入り混じったものです。

そのまったりの中で、F君は僕に尋ねました。
「いつまで続けてみるか、考えてる?」

夢をいつまで追うか、ということです。実際、安定を得ることが出来るか、子供の教育をどうするか等、現実問題をいつも突きつけられているわけです。

いつまで続けるか、と言われても、もう戻るところはないし、道の開けたところに向って歩いていくしかありません。F君も同じです。契約期間が終われば、終身雇用にたどり着けるまでは、そしてたどり着いても、自分の道を歩いて行くのでしょう。

何だか、ネパールで住んでいたジリの村からエベレスト方面に向けてトレッキングしていた、あの長い長い山道を歩いているのと非常に似ているなと感じました。ビスターライ、ビスターライ(ゆっくり、ゆっくり)。今度会えるのはいつのことでしょう。今と同じ道を歩いているにせよ、その頃には僕はきっと、長い長い博士論文を書き終えていることでしょう。

同窓生発見

2008-02-15 23:08:09 | いろんな人がいるよ。
2月15日(金)。

昨日、図書館で日本人に声を掛けられたので、ちょっと小声で話すと、彼女も獣医師とのこと。ここまでは、まだよく有り得る話なのですが、出身大学を聞くと、なんと○獣大ということで、3年違いの同窓生でした。僕の方が、3年先輩でした。

彼女(Mさんとしましょう)は、学生の頃から野生動物に興味を持ち、インペリアル・カレッジでは環境学科で現在修士課程を学んでいます。たまにコメントをくれるちうさんの後輩に当たります(誰か分かった?)。今年9月からは、博士課程に進学する内定を、つい先日指導教官からいただいたそうです。彼女の指導教官は、国連の環境白書(かな?)を執筆している方らしく、そんな方に指導されるMさんは、日本にとっても世界にとっても貴重な人材になることでしょう。

Mさんは、翌日からキュー・ガーデンにて実習に参加されるということで、飲みにも行けず残念でした。もし時間があったなら、○獣大卒ということで、大酒盛りになったこと間違いなしだったのですが。まったく、何で大学の名前を聞いた瞬間、大酒盛りをしなければ、という発想が浮かぶんでしょうか???嗚呼、久し振りに大酒盛りをしたい・・・。みんな、帰ったらよろしく頼むよ。

先輩を迎えて

2007-08-23 08:20:46 | いろんな人がいるよ。
8月20日(月)。

3年前の8月、僕はまだ生活の安定した地方公務員で、難関の奨学金と二つの大学院の試験に受ってしまって、退職するか大学院を諦めるか最後の選択に迫られていました。

大変多くの友人、家族、そして先輩方に相談した訳ですが、大学を選んだ後、最後に具体的なことを教えていただいたのが、I大学のO先生でした。

O先生は、僕と同じく青年海外協力隊に参加後、数年を経て、同じ奨学金に受かり、そして同じくエディンバラ大学で熱帯獣医学修士課程を学び、1997年に卒業されました。

3年前にアドバイスを頂き、それからは数回メールのやり取りがあっただけでしたが、とにかく一生懸命やって、国際学会で発表したり、結果を残すこと、という具体的なアドバイスも頂きました。僕は、それらを忠実にこなして来ました。すると、気が付かないうちに、割と良い結果を残して来られたのです。

今回、10年前にエディンバラで生まれたお子さんと先生ご夫婦で久し振りの観光に来られました。O先生御一行が日本に帰国される前日でしたが、僕もフランスから帰り、何とか我が家に招待することが出来ました。

先生の奥様も、うちの妻と同じ先生に英語を習っていたことが分かったり、10年前の風景がどうだったか知ることが出来てとても面白かったです。先生のお子さんを見ていると、数年後にはうちの子もあんなにしっかりするんだなあ、と感慨深くなりました。

エディンバラ城から、毎日午後1時に空砲が鳴らされるらしいのですが、これを両家族の奥様方は知っているのに、両亭主は知らなかったのも笑えました。O先生は、10年以上知らなかったわけです。僕も、もう3年も住んでいるのに、こんな毎日の慣習に気付かなかったとは、危ないところでした。

楽しい時間はあっという間に過ぎて、最後にまたアドバイスを頂いてしまいました。

「大志を抱いて、それに向って頑張ってください。」

僕には、志の大きい、小さいという区別はあまりないのですが、今感じる、考えていることを実行に移してみたいと思っていたので、なんだか追い風のようなものを受けたように感じます。

日本を遠く離れてしまって久しいですが、こうして、忘れることなくアドバイスを下さる数少ない先輩、恩師は、本当に有難いものです。

これからも、今を大切に、世界の人々を大切に、頑張って行きたいと思います。

クリスティン、最後のドタバタ

2007-03-26 06:49:55 | いろんな人がいるよ。
3月25日(日)。

当初は、同級生のジョゼフが車でクリスティンを空港まで乗せて見送りに行く予定だったが、ジョゼフの身内の不幸とかで、それがキャンセルになった。

クリスティンから「どうしよう?」の電話があったのが土曜の夜。そこで、僕がまずクリスティンのフラットに行き、タクシーを呼んで預かる荷物(布団と枕)を我が家に運び、それから一緒に空港へバスで行く手筈を整えた。

フライトは夕方18時20分発なので、2時間前の16時20分までに空港に着けばいい。市内から空港までは約20分の距離なので、14時半にクリスティンのフラットに着けば、十分すぎるほど時間に余裕がある。

外出して13時に帰ってくると、丁度彼女から電話があり、14時にタクシーを予約したとのこと。予約したのなら、我が家まで一人で来るように伝えた。

次の電話が14時20分。「タクシーが行っちゃった。」とのこと。
今日から夏時間だから一時間自分の時計に時間を足すよう言っておいたのに、逆に1時間引いていたのだ。予約時刻に指定場所に出ていなかったため、タクシーは帰ってしまったようだ。

電話口で落ち着かせ、タクシー会社にもう一度電話してみるように促した。待っていると、14時40分ごろ我が家に着いた。とりあえずフラットの階段口に荷物を入れようとすると、重い!でも、ある程度の重量オーバーならなんとかなるので、そこに置いておき、布団と枕を預かり、我が家で少しお茶した。ビスケットを出すと、実は前日の昼から、緊張のあまり何も食べていないという。バナナ1本食べさせたが、落ち着かないので早く空港に行きたい、と言う。早く着いても待っているだけで疲れるよ、と言っても聞かないので、15時過ぎに出発した。

荷物があまりに重いので、バスを乗り継ぐことは諦め、タクシーで空港に行った。着いたのが15時半。16時20分までチェックイン出来ないのでカフェに入ると、クリスティンは緊張のあまり手が震えていた。「落ち着きなさいってば。」と水を飲ませ、僕はカプチーノを飲む。

時間が来たのでチェックインすると、預け荷物がなんと35.5kg!どうりで重いわけだ。超過料金はいくらかなあ、と気になったが、クリスティンの必死の形相を見かねたからか、ブリティッシュ・エアウェイズだからなのか、4kgくらい別の袋に詰めればそちらも超過料金なしで預かってもらえることになった。袋まで無料でいただいてしまった。化粧道具と伝統衣装の軽い帯を取り出したら、荷物は30.5kgになった。4kg以上も化粧道具を持ってたんかい!?ま、友人、親戚へのお土産も込みなのだろう。

チェックインが終わると、クリスティンは急に笑顔が出て元気になった。
何度も僕に礼を言い、ウガンダに来たら僕の好物の、干し魚のグラウンド・ナッツ・ソース煮を料理して食べさせるから、と張り切っていた。

思い起こせば、僕も始めての海外一人旅は緊張したものだった。彼女も始めての海外だったので、ついて来てあげて本当に良かった。時間が来てセキュリティー・チェックを受けに入っていく彼女の顔には、もう緊張感はなく、嬉しそうだった。さて、次に会えるのは、彼女のホーム・グラウンド、ウガンダで。きっと楽しいフィールド・ワークになることだろう。