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まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

これで正式に卒業です。

2009-01-20 05:42:01 | 学業
1月19日(月)。

先日、博士課程の試験で指摘された改善点を全て直し、ものによっては分析し直し、試験官に博士論文を再提出したところでしたが、本日ようやく、大学事務所からメールが届き、正式に博士号を授与されました。

あーーーー、もうあの分厚い論文の手直しをしなくていいなんてえー!きゃー、嬉しい!!

身分とか金銭には、ないからかも知れませんが、あまり捕らわれない性格なので、肩書きが嬉しいという気持ちはあまりなくて、とにかくごっつい重荷から開放されたのが嬉しい。しかも、もう働いているので、なるべく仕事以外の作業は減らしたいのです。大学時代のデータから、あと最低4本は出版する予定なのですが、これらは、お金をもらっている訳ですから、仕事中に作業するわけには行かないのです。うち2本は書き上がって指導教官に送ったので、残るは後2本。

早く二重生活から完全に開放されたいっ!

こればかりは、こつこつやるしかないですね。今日もちょっとやったので、もう妻子は寝てますが、一杯だけお祝いするかな。

博士号取得

2008-11-21 05:40:57 | 学業
11月19日(水)。

4年と2ヶ月間の歳月を経て、とうとう博士号を取得しました。

引越しの準備と学術誌投稿の準備に追われ、あまり試験の準備は出来ませんでしたが、何はともあれ、記録的に長い口頭試問の末、試験に合格しました。

全2巻という記録的な論文の長さのお陰で、その分試験に時間がかかりました。別に受け答えが悪かったわけではないと思います。試験官が、隅から隅までこちらが驚くほど細かくチェックしてくれたのは、大変だったけどラッキーでした。表を使って自分で統計処理もしてくれていて、有難かったです。これも、まあまあ内容を楽しんでくれたからかな?とプラスに考えてます。

午前11時に試験が始まり、昼食の休憩もなく、次から次へと浴びせられる質問に答えるので、出されたサンドウィッチもなかなか食べる間もありません。でも、試験官は内部試験官と外部試験官の二人なので、一方が質問している間にもう一方は食べてました(ズルイ)。終了したのは夕方5時過ぎだったので、たっぷり6時間強。休憩は、トイレに行かせてもらった5分ずつの10分のみ。今までの4年間で、最も大変な時間でした。特に内部試験官は、エディンバラ大学の先生で、教科書を書いている、世界的にも有名な疫学者。突っ込みも、アドバイスも、試験とはいえ、大変ためになりました。自分の教科書にも書いていない詳しいことを要求してくるので、二人の先生に比べたら、当たり前ですが、自分はまだまだ足元にも及ばないのだなあと実感しました。

終わって階段を下りて来たら、何と研究室の皆が長時間お祝いのため待っていてくれました。僕は力を使い果たして、なんだかぼぅっとしてましたが、とにかく祝ってもらって有難かったです。その後は、我が家にて、友人が集まってくれて夜中1時まで宴会が開かれたのでした。

最後のフレンチクラス

2008-11-14 18:47:33 | 学業
11月13日(木)。

2年間続けたフランス語の最後のクラスを受けてきました。
結局最後まで、普通のスピードの会話を聞くと、何を言ってるんだか分からないままでしたが、続けたお陰で、普段のメールのやり取りや、作文は出来るようになりました。それでも、街中やレストランでは、フランス語の会話が耳に入ると、たまによく分かる時があります。そういう時は、本当に嬉しいです。

今日は、クラスの最後に、先生からたっぷりと、新天地で頑張ってとの言葉を頂きました。先生はフローレンスといって、美人で服のセンスも良く、いつも一生懸命教えてくれました。僕は、こういう時は恥ずかしくなってしまって、有難う、教えてくれて有難う、としか言えませんでした。

クラスの後、仲良くなったクラスメート5人とカフェに行き、ランチを食べました。クラスメートとランチなんて最初で最後でした。何てことはない雑談で時間が過ぎて行ったのですが、カフェを出る時に、クラスからの寄せ書きと、あるプレゼントをもらいました。中身については伏せて置きますが、ランチの後6時半まで試験の準備に集中した後、帰りのバスで包みを開けてみると、友人達からの愛情にとても感動しました。試験と引越しで高まったテンションが、一気に解きほぐされました。

フランス語を学ぶだけではなく、本当にいい出会いが出来てよかった。ナイロビでも、引き続きフランス語を学ぶ時間が作れるといいのですが、どうなるでしょうか?というより、フランス語を使っての仕事が入るから上達するかも?

試験の予行練習

2008-11-13 02:02:24 | 学業
11月12日(水)。

昨日、博士課程の最後、口頭試問の予行練習を、ポスドクの人達にしてもらいました。本番は、内部試験官1名と外部試験官1名の合計2名に試験されるのですが、昨日は、ポスドク5人が、本番さながらの厳しさで予行練習をしてくれたのです。

人間の記憶というものは、とにかく時間と共に薄れていくもので、自分が書いた内容でも、段々忘れていきます。中には、そんなこと覚えてないよ、と言いたくなる様な質問や、高度な切り返しを要求される質問もあります。

次々と質問されるので、出された紅茶を半分も飲むことなく、あっという間に3時間経ちました。本番も、平均して3時間かかるそうです。僕は、人一倍長い論文を書いているので、まともに質問して行ったら、おそらく5時間半くらいかかるだろう、と言われました。恐ろしいですね~。。。

3時間集中し続けていたら、すごく疲れたので、夜は8時にはもう寝てしまいました。そして朝まで、久し振りに12時間寝ました。

大体傾向は掴めたので、後は本番を頑張ります。でも、今は引越し準備でもてんやわんや。明日は最後のフランス語のクラスだし、なかなか楽になれない~。

提出しました!

2008-08-26 19:48:25 | 学業
8月26日(火)。

今朝10時、とうとう博士論文を提出しました。
全部で461ページになった論文は一冊にまとまらず、全二巻として提出しました。
昨日は、製本に入ってから指導教官から直しが入り、製本された論文の背表紙を切ってもらい、差し替えするというハプニングがあったため提出にいたりませんでした。

大学オフィスに持って行く間、一歩一歩緊張しながら歩きました。あそこの単語は違うのを使えば良かったとか、あそこの表現はもう少し美しく表現できたかも、などと、いろいろ考えました。もう本になっているんだから、どうしようもないのに考えるんですね。

階段を上がってオフィスに入り、事務員に手渡すと、「自分が書いたオリジナルに間違いない」という署名を確認しただけで、そのまま終わりでした。

日本だったら、「お疲れ様でした」の一言ぐらいかけてくれるんじゃないかと思いますが、はい、担当部署に渡しときます、としか言いませんでした。

帰りにバスに乗ったら、急にあー終わったんだーと安堵感が押し寄せてきました。しかし、実は木曜日に、順番でグループミーティングで研究内容のプレゼンをしなければなりません。その準備があるので、全くは開放されないのです。

でも、夕方、とうとう妻子が日本から帰ってきます。
あーーー、完璧です。夕方が楽しみだなあ。

印刷前夜

2008-08-22 01:42:56 | 学業
8月21日(木)。

ここ数日、かなりてこずりましたが、ようやく博士論文をコンピュータで一つのファイルにすることが出来ました。目次もバッチリ入り、最後はワードの文章からPDFを作りました。

指導教官からのゴーサインがあれば、とうとう印刷、製本となります。明日出来るかな?

かなり削ったのだけれど、全部で467ページです。電話帳かそれ以上の厚さ。分厚すぎることでダメ出しをくらったら困りますが、どうなることやら。どうにか早く提出出来ますように。

謝辞

2008-08-15 08:20:13 | 学業
8月14日(木)。

第8章が書きあがったら、すぐ終わり、と考えていましたが、ちょっと甘かった。
最後は意外とたくさん作業が残っているのです。

実は博士論文とは別に、すでに新しい分析に入っているので、そちらの打ち合わせで時間が取られてたりもしましたが、博士論文の製本前は、細かい作業が多い。

List of Abbreviationというのがあって、YMCAとか、UCLAとか略語がありますね。今日は、論文中に出てきた全ての略語とそれらのFull formのリストを作らなければならないので、論文全部をチェックして、一つ一つ拾っていきました。全部で87個ありました。それが終わった後で、謝辞を書きました。

謝辞を書くというのが、これほど楽しいとは考えても見ませんでした。
まずは大学でお世話になった先生方、先輩方、事務員や図書館の司書。留学に際し、一歳の幼子を抱え、安定していた公務員の職を捨てなければならず迷っていたときに、後押しとなる言葉をメールでくれたある事務員。

そしてウガンダに移り、ウガンダのマケレレ大学の指導教官、実験室の先生方、その他研究者、郡の獣医官たち、保健省の官僚、病院の微生物学部、医療記録部、結核病棟。調査した村々の村長と酪農家の方々、JICAウガンダ事務所。大学の同期と後輩たち、両親兄弟、妻と子。そして最後に、資金提供をしてくださった、JICA、イギリス政府、財団。

書いていると、論文には書かれることのない、大切な想い出が蘇ってきます。青年海外協力隊時代も思ったことがありましたが、肩書きのない人達ほど、親身に世話をしてくれたことに気が付きます。僕の指導教官にはもちろんとても感謝しているけど、ウガンダではずっとドライバーが本当によく働いてくれました。彼のお陰で僕はルガンダ語をある程度話せるようになり、楽しく仕事が出来ました。村長さんたちも、農家の方々も、忙しい中汗を流してほんとに一生懸命頑張ってくれました。

これからも、この謝辞のページを開くたびに、想い出が蘇ってくることでしょう。すっかり貧乏になりましたが、これらの想い出は、大切な僕の財産です。4年間、大切に生きることが出来て、感謝です。さて、明日は、とうとう印刷用のファイルが完成するかな?

書き上がりました

2008-08-11 09:55:33 | 学業
8月10日(日)。

イギリス時間、本日23時55分頃、とうとう全8章、博士論文が書き上がりました。
Cat StevensのPeace Trainという曲をyoutubeで聴きながら、最後にこの博士論文で最も伝えたかったメッセージを1パラグラフで書き入れました。ウガンダの首都、カンパラに住む人達へ想いを込めて。

最後は、意外とあっけなかったです。実際、まだ謝意の文を書いたり、これから全ての章を一まとめにして、ページを入れたり、何やかんや作業はありますが、もうとりあえず頭の中のスペースが空くので、5ヶ月ぶりに、日常生活に戻れます。

書き終わってすぐに妻に電話しましたが、喜びの言葉の後すぐに、現実問題で山積みになっていることの話が始まりました。

4年間も頑張って、せっかく書き上がったところなのに、数時間幸せな時間をくれてもいいじゃないか、と思いましたが、向こうにとっては、長い長い期間、現実的な話をする十分な時間がなかったので、ずっとやきもきしていたのだそうです。しかも、数日中に解決しなければならない問題が山積み。

僕はこれまで、博士課程を学んだ身内や先輩たちが、論文の執筆が遅れていると聞くと、努力が足りないんだ、だとか、怠けているからだとか考えたことがあります。しかし、実際やってみると、一ページを書くことが時に如何に困難なことなのかが、良く分かります。みんな頑張ったんだ、大変だったんだということが、良く分かりました。皆さんも、身内に論文の執筆が遅れている人達がいても、怠けているなんて考えないであげてください。もし怠けていたとしても、その人にとっては、それはどうしても怠けなければならない時間なのです(何のこっちゃ)。

さて、明日からは、製本などの作業に取り掛かります。
でもやっぱり、気が楽やね。それではとりあえず、お休みなさい。

ウノ!

2008-08-05 04:57:19 | 学業
8月4日(月)。

とうとう、博士論文全8章のうち、第7章の手直しが終わりました。
最近、うちの大学の熱帯獣医学センター長が、ヒマしているからか、ずっと校正を手伝ってくれてます。

第1章から5章までは、最終チェックも終わり、提出出来るクオリティーに仕上がっています。第6章は、センター長からの添削が返って来ているので、これを直したら終わり。

第7章はたった今センター長に提出したので、この添削が返って来たら、とうとう最後の総合考察で、、、、、、


博士論文が完成します。

いやいやいやいや、まだ先のことを考えるのは良くない、きっと良くない。まだまだかかるはず、と言い聞かせて心を落ち着けます。
いやいやいやでも、卒業生が言うには、最終章は、6,7ページで自分の一番言いたかったことを書くだけ、だそうです。去年の卒業生なんか、最後の日の午後(半日)だけで書き終えたそうな・・・。

ということは、多分今週中には、やっぱり完成します。
ちょっと、第7章が終わったとたんに、急にドキドキしてきました。でもとにかく、早く終わらせた方がいいので、あんまり考えずに、とりあえず第6章の最終チェックに取り掛かります。

あーーー、くわばらくわばら。

初出版

2008-07-31 02:56:07 | 学業
7月30日(水)。

90ページもある、長い長い第3章の最終チェックが終わりに近付いてきたころ、教授からメールが届きました。

何と、投稿していた学術誌への原稿が、修正などなしでアクセプトされました。しばらくすると、出版されます。割と有名なアメリカの学術誌なので、ほんま良かった。博士論文にも、付録で付けることが出来るので(なくても別にいいんだけど)、すごくほっとしてます。

やっぱり、たまには良いニュースもないとね。
第3章の最終チェックも終わり、第1章から第5章までは、本当に完成です。今晩からは、ようやく第7章の手直しにかかります。