まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

ウガンダ料理

2005-04-30 18:56:05 | グルメ
4月30日(土)、続き。

さてさて、お料理の紹介をさせていただきます。

上の段左から、
ポショ(とうもろこしの粉を練ったもの。ケニアのウガリと同じもの)、牛ひき肉のトマトソース煮、カボチャ。
2段目左から、
ヤムヤム(芋の一種)、キャッサバ、サツマイモ、菜っ葉の炒め物。
3段目左から、
マトキ(バナナを蒸してつぶしたもの)、ナッツと干し魚のスープ、ローカルチキンのトマト煮、豆とナッツ、トマトのスープ。
4段目がナッツとトマトのスープ。

という豪華な内容でした。とても私にゃ再現でけん。
それはそれは美味しかったですよ。チャールズの腹も出るわけだ。

チャールズの一家と

2005-04-30 13:37:52 | ほっと一息。
4月30日(土)。

ようやく週末ということで、ワイスワ家に招待されました。
いやー、飲んだ、食った。

お酒はウガンダワラジというバナナの蒸留酒。この香りがたまらない。
皆様ごめんなさい。ウガンダのワラジとナイル・スペシャルというビールは、ひっじょうに美味しいにも関わらず、生産能力がないので、ほぼ外国には出回りません。興味ある方は頑張って行ってみてください。あー、申し訳ないけどなんという贅沢。

仲良くえー感じのワイスワ家の写真です。

意外ときっちり!

2005-04-29 11:23:01 | 学業
4月29日(金)。

肉の話などだめな方、ごめんなさい。

この日はウガンダの首都カンパラ市内のと畜場へ。
食肉の衛生管理を調査するためです。

すっごいことを想像していたので、あまりの肩透かし。
日本まではいかないまでも、十分衛生的に管理されていました。
写真は獣医師による検査スタンプ。

しかし、よく調べてみると、ここは高値取引のされる食肉卸。
一般住民が口にするお肉は、全て検査を受けているとはいえ、衛生的と言うには程遠い場所で処理されているのでした。

2日連チャン、イエローカード。

2005-04-28 11:15:39 | 学業
4月28日(木)。

疲れは溜まっているけれど、この日は西部へ。
カンパラ西部240kmほどのンバララを中心とした、商業的酪農業を見学するため。
距離は離れていますが、この西部地域がカンパラへの牛乳供給のかなりの割合をまかなっています。

予定では往復することになっているので、ハンドルを握るチャールズもついつい飛ばしてしまいます。
しかも真っ直ぐ伸びた直線道路には、他にそれほど車も走っていません。
長い緩やかな下り坂に入った時です。僕はエリックに、研究で使うGPS(全地球地位システム)の使い方を教わっていました。
「ここを押すと移動速度が計れるんだよ、えーと、今は時速110km、か。あ、車のメーターも合ってるね。」
と言った矢先でした。

チャールズが、
「あー、ポリスだよ・・・。」
と呟きました。ふと顔を上げると、スピード・ガンを持った警官が大きく手を挙げています。

チャールズの健闘も空しく、しっかり2枚目のキップを切られてしまいました。今日は朝から7枚目だとか。政府も自らの歳入確保に本腰を入れ始めたのでしょうか?GPSの記録にも残っているので、科学者として誰も異論無く事実を受け入れました。

ケニア国境の町、ブセア

2005-04-27 11:22:36 | 学業
4月27日(水)。

宿泊地ンバレを8時に出発し、ウガンダの国立家畜研究所(LIRI)(ILRIではない)に立ち寄る。
数年前盛んだった研究も、今は外国からの援助が減り、いるはずの研究者も仕事が上がったりで来ていない状況でした。改めて途上国支援の難しさを垣間見ました。優秀な人材はたくさん育てられても、研究資金がないのでは宝の持ち腐れ。

HIV/AIDS感染率が人口の一割を超えるこの国では、優秀な人材のAIDSによる早死にも、重大な損失となっています。この研究所も、残念ながら例外ではないようでした。

以前TOEFLの試験を受けたとき、問題の中にアウストラロピテクスについての記述があったことを思い出しました。彼らは何故繁栄できなかったのか?それは、食べ物が固く、若いうちに歯が磨り減って食べられなくなるため、子孫に知恵を伝える間も無く死んでしまうからという内容でした。
そこまで行かないまでも、AIDSは恐ろしい。自分が感染するかどうかよりも、その社会的な被害の大きさが恐ろしい。

さて、その後ケニア側半分が研究地候補に挙げられている国境の町、ブセアを訪れました。
町、と言っても半径1kmほど。主要道路から一歩中の集落に入ると、国境の町だけあって、面白い物がたくさん見られました。
魚、鶏、野菜、果物の市場が入り組んでいて、商売人たちの飯場が並んでいます。
主食であるウガリ(ウガンダではポショ、ザンビアではシーマという)はとうもろこしの粉で作られますが、この袋入りのとうもろこしが、トラックを並べて検査したり取引されていました。

検査で地面にばら撒かれたとうもろこしを、鶏や山羊が食べて生活しています。市場のごみごみした通りを、5、6頭の牛を連れて牛飼いが通り過ぎて行きます。一体ここの生産システムはどうなっているのか?
一目で分からないので、きっと教授もここを研究して来いと言うのでしょう。人々は割と人懐っこいし、面白そうなところでした。数ヵ月後に、果たしてこの国境の反対側を訪れることは出来るのでしょうか?

この後は一路カンパラへ。
運転はエリックとチャールズが交代でしてくれました。二人の優秀な研究者に丸2日運転させているのには気が引けました。しかもエリックの運転中、スピード違反で捕まってしまった。罰金はなんとチャールズの給料の半分の額だとか!ごめんねー。

アフリカ眠り病の現場

2005-04-26 14:26:28 | 学業
4月26日(火)。

早朝ゲストハウスを出て、東を目指しました。2000年からの大学のプロジェクト現場を視察するのが今日の目的です。
プロジェクトは、1998年頃、アフリカ眠り病のアウトブレイクがあったウガンダ南東部の疫学調査と知識の普及、そして診療施設の改善でした。
アフリカ眠り病とは、ツェツェバエがトリパノゾーマ原虫に感染している動物やヒトから吸血した際原虫を体内に取り込み、さらに次のヒトを吸血する際に原虫を注入することによって感染します。原虫は感染したヒトの血液中に存在し、やがて脊髄、脳に進入し、神経症状を経て死に至らしめます。
末期で原虫が脳に侵入してしまうと、治療薬は血液脳関門を通ることが出来ないため有効ではありません。

さて、小さいとはいえ、近代的なビルもある、排気ガスだらけのカンパラを抜けると、右手には美しいビクトリア湖が見えたり、保護林、茶畑、ナイル川、そしてブッシュのある村落地帯へと変化に富んだ飽きない旅になりました。

昼2時頃、以前BBCでも取材、放送されたプロジェクトの現場、セレレの診療所に着きました。エリックが旧知の仲間と話に花を咲かせています。
まだアフリカ眠り病の現場を知らなかった僕は、看護婦のフローレンスに話を聞くうちに、これまで講義でしか聞いていなかったその病気が、きわめて現実味を帯びていくのを感じ取っていました。

検査台帳に並ぶステージの欄には、
末期。末期。末期・・・、の文字が続き、その右には、
「Dead」
といくつか書かれていました。

こんな村の奥地では、いまだに意識が低く、もしくは貧しいため、早期の段階で遠くから診断に訪れることは少ないようです。
眠り病よりもさらに数が多いのはマラリア。また、2000年に150人の死者を出したエボラ出血熱の発生地グルは、ここから北西に200kmの位置にあります。
これが東アフリカの現実です。

写真は月曜日に掲載予定です。