まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

ポジティヴ思考、ネガティヴ思考

2009-05-30 03:33:41 | Weblog
5月29日(金)。

今週は、すんごく忙しかった。
僕が担当しているサハラ以南アフリカ8カ国の学生達が、尻を叩いていたら、一斉に研究計画書を送り始めました。最初からみんなちゃんと出来るわけはないのだけれど、ほとんどの計画書は、間違いが多かったり、書式が悪かったりで、直すのにとても労力を費やします。自分も論文を書くと、初めのころは真っ赤に添削してもらたっけ、と今になってお世話になった先生方、忙しくて早く返信してくれなかった先生方の気持ちがよく分かるようになりました。

特に先週から、3人の西アフリカの学生から来たフランス語で書かれた研究計画書を読み、直し、コメントを送るのに、結構時間を費やしています。コメントをメールで送ると、またそれに対してフランス語で質問がすぐ返って来ます。

大学院3年目に、スペイン語とフランス語を習い始めた時は、こんな姿に憧れていたんです。フランス語で仕事出来るようになるといいなあ、と。

留学のための奨学金確保のため試験勉強に励んでいた頃、高校までに習った英語の文法や単語を覚えなおし、聞き取りの練習をするのに、4年も掛けました。コツコツと一生懸命頑張ったものです。今なら気晴らしにすぐ読めてしまうような、セヴン・イヤーズ・イン・チベットを、非常に時間を掛けて読んだのを覚えています。留学した当時も、周りの英語が全く聞き取れなくて、大変な思いをしました。

今はまたその世界に逆戻りで(実際は進んでいるんだけど)、しかも専門分野を教えなければなりません。

「あー、もう一杯一杯だあ。」

とオフィスで嘆くと、フランス語圏のベニン人の同僚は、フランス語で、
「ラッキーじゃないか。考えてみなよ、そうやって2年頑張っていれば、フランス語が完璧になるよ。日本語と英語とフランス語がちゃんと出来て疫学が専門なんだから、怖いものなしだよ。」

何てポジティヴ思考なんでしょうか。

彼の言葉を聞いて考えたのは、「どうせヒトゴトだからな。疫学と日本語と英語とフランス語とネパール語が割と出来て、スワヒリ語とルガンダ語とスペイン語がサバイバル程度出来ても、国際社会では重宝されるかも知れないけど、日本社会だと受け皿がないんだよ。」、なんていうネガティヴなこと。

オフィスから出て歩き始めると、ふと先週のバザーでの出来事を思い出しました。ラテン系の女性のお客さんが、受付に来た時に、英語が喋れず、質問も聞き取れないようで困っていました。そこで、スペイン語で話しかけると、安心して説明してくれました。また、今週、うちのプロジェクトの学生で、ケニヤで研究しているカメルーン人が、他の先生に、英語で上手く説明出来なかった時に、フランス語で話を聞いてあげて、英語に通訳しました。そういえば先日は、ネパールからネパール語で書いた手紙をもらったし、先週日曜日は、ケニヤ在住のウガンダ人とルガンダ語で話したらすごく喜んでいました。


何だ、ちゃんと人の役に立ってるじゃない。


契約が終わって、それは仕事がちゃんと見つかるといいけど、そんなことより今、ちょっとした時に何かそれで人の役に立てているということの方が大切だと思う。さて、ポジティヴになったところで、ラジオでフランス語の聞き取りをやって寝ることにしよう。

分かち合うということ

2009-05-25 14:28:16 | イベント
5月23日(土)。

うちの子の通っているキューナ幼稚園の園長先生は、もう一つコイノニアという幼稚園と小学校を経営しています。

このコイノニア・スクールは、小さな川を隔ててキバガレというスラムの裏にあります。学校に通ってくる子供達は、みなこのスラムに住んでいます。園長先生夫妻は、幼稚園の設立前から、もう長年子供達だけではなく、大人たちとも関わってきました。

学費は、わずかですが、毎月親に納めさせています。スラムには、学校に行かない子供達もたくさんいるのですが、本当にわずかな額でも、お金を払うということは、親も自覚が出てとてもいいのです。詳細については、興味がある方は、「赤道の国で私がみつけたもの」という本を園長先生が書いてらっしゃいますから、インターネットで探してみてください。

さて、土曜日は、僕も一肌脱いで、キューナ幼稚園で開催される、コイノニア・バザーでお手伝いして来ました。コイノニア・スクールでは、親からはわずかしか徴収できないけれど、子供達のために、大学卒の先生達を雇っているのです。とてもお金がかかりますね。そのため、バザーはとても大切な、学校運営資金の収入源なのです。朝7時半に集合して準備をし、たくさんのお店を呼んで、9時から夕方5時まで、テントの中で商売してもらいました。子供達には、粘土やエアーマットで出来たお城など、遊ぶコーナーを設けてありました。フードコーナーでは、こちらはナイロビ在住の日本人、ソマリアから来た人達、そしてキューナ教会の人達が手作りの食べ物を売っていました。

僕は地道にゲートで50シリング(約80円)を集め、パンフレットを渡していました。一緒に働いていた人達は、キューナ教会に来ている若者達です。彼らの多くはキバガレ・スラムに住んでいるようです。そうでなくても、あまり裕福な家庭の出身ではありません。もうかれこれ数ヶ月毎週ギターで賛美歌の伴奏をしているのですが、スラムから来る人達の中には、なかなか簡単に心を開いてくれない人が多くいます。外部から来る外国人、という枠で見られていて、中に入って行けない。

丸一日、炎天下の中で一緒に働いて(ほんとここだけ忘れられていてテントがなかったんです)、椅子も数がないので順番に座り、冗談を言いながら過ごしたら、ようやくその枠、壁というものが取り払われたような気がします。

あるお客さんに、「コイノニアって何?」と聞かれた時、一人が「ギリシャ語で愛、そして分かち合う、という意味です。」と答えていました。ギリシャ語では、愛と分かち合い、はイコールなんですね。僕達は、長い時間の仕事と、炎天下と、飲み物と椅子を分かち合いました。何だ、これって愛なんだ、ということが、妙に理解出来ました。

翌日の日曜日は、うち一人だけ、まだよそよそしかったですが、みんなと友人になれました。違いを超えて、同じ目線に立てるというのは、本当に素晴らしいことですね。





走りながら服を着る

2009-05-22 03:49:31 | 仕事
5月21日(木)。

「走りながら服を着る」。
この言葉は、最近僕も所属させていただいている、農場どないすんねん研究会(NDK)という会のモットーなのですが、つくづくえー言葉や、と思います。

もっとお金が溜まったら、もっと自信が付いたら、もっと上手になったら○○をしよう、などと考えていると、人生は、「あっ」という間に過ぎてしまうものだと思います。実際に、僕に関しても、それいいね!やってみたい!ということがあっても、難しいスキルをたくさん身に付けなくては出来なかったり、実行を妨げる現実問題が沢山あったりするわけです。

例えば、僕はケニヤに住んでいるので、何か日本の人達のお役に立とうと思っても簡単には出来ません。しかし、ちょっとしたメールをきっかけに、この夏、僕も参加して、日本でNDKのワークショップをしよう、という話が立ち上がっています。僕には十分な実力はないけれど、もう走り始めちゃいました。これは、自分の仕事で身に付けなければならないことと重なっているので、ちょうど良い勉強になります。また、農家さん達や畜産技術者と獣医師のためにもなると思います。

あんた、また忙しくして、どうすんの?という声がどこからか聴こえてきそうですが、走りながら何とかするようにいたしましょう!

初しゃぶしゃぶ

2009-05-17 05:35:14 | ほっと一息。
5月15日(金)。

2006年には日本に帰ったけど、その時は夏だったから、しゃぶしゃぶなんてやりませんでした。だから、やったとして2003年から2004年に掛けての間に、恐らく前回はしゃぶしゃぶをしたんだと思います。鍋はその頃確実にやってましたね。

こちらナイロビは、雨季で、日本の秋のような気候です。南半球にあるので、日本の夏に寒くなります。最近は、朝晩はフリースを着ています。

先日、日本へ帰られた御家族から、10年以上前のホットプレートを頂いたので、お湯を入れてしゃぶしゃぶをしました。こちらナイロビには、日本人用に、肉を薄切りしてくれるお肉屋さんがあるのです!エディンバラにはありませんでした。いつもそこに行くと、笑顔で「ゲンキー?シャブシャブー?ヤキニクー?テバサキー?」と聞いてきます。いつも、そりゃー食べたいけどよ、ホットプレートがねぇ、と悔しい想いをしてきました。しゃぶしゃぶなんかすっかり忘れてたけど、ナイロビに来て思い出したそのささやかな欲求が、とうとう叶えられたのです。

いやー、美味いですね!感激でした。でも、ホットプレートが古いのと、電圧が低いのであまり熱くならず、わずかにふつふつ沸いたかな?という感じのまま食べ切ってしまいました。この夏に日本に帰りますが、今度は新しいホットプレートを持ち帰りたいと思います。

そうしたら、焼肉も鍋も出来るねえ。あんまり便利になるとだめな気がしちゃうけど、楽しみはある程度あってもいいですよね。最近だんだん世俗的になって来ているような気がする。。。

大家さんからの手紙

2009-05-13 06:47:00 | ほっと一息。
5月12日(火)。

日本の実家から、ネパールから届いた手紙が送られてきました。
差出人は、何とネパールに住んでいた時の大家さんです!(もう一昔前のことよー。今は70近いんじゃないの?)

日本の皆さんに、田舎に住んでいるネパールの人の気持ちを伝えたくて、訳しますね。

「○○先生様(当時20代だったのにねぇ)、

とってもナマステ。

あなたの御家族にも、とてもナマステです。随分久し振りにお手紙します。申し訳ありませんでした。最近は、私は家にいて、畑仕事ばかりで、トレッキングのガイドの仕事でもないかなと考えてしまいます。
あなたは、いつネパールに来る予定ですか?ネパールは、もう安全です。あなたの知り合いで、ネパールにトレッキングに来る人があれば、誰でも連れて行きます。
それから先生、もし時間があったら、手紙でも書いて下さい。出来たら、メルアドも送ってください。
カトマンドゥに住んでいる娘の電話番号と、ジリのシクリ村の私の電話番号を書いておきます。この手紙があなたに届いて、あなたの手紙が私に届くことを、切に願っております。それでは、また会いましょう。ナマステ。」

久し振りに涙が溢れました。
こうして自分もブログを書いていて、「投稿」を押すと、簡単にそれが皆さんに届くわけです。

しかしネパールにいた当時は、約束していても、下痢してしまって、とうていバスで10時間旅しなければならない山奥へは申し訳ないけど行けない、という状況が多々ありました。それでも、何とか朝早くバス停へ辿り着いて、メッセージを書いた紙切れ一枚を、バスの運転手に渡して、届くかも分からない相手に届けてくれ、とお願いしたものです。

それくらい、たった一言を、誰かに伝えるということが、貴重で、難しかったのです。

大家さん、僕は、時代を超えて、当時にはなかった、インターネットという媒体を通して、村の中央へ電話します。もうおじいさんになったのだから、ちょっとトレッキングガイドの仕事は危ないと思うんだな。それはいいから、今は、あなたに連絡するというお願いに、ちゃんと答えるよう、朝起きたら電話します。何とか通じますように。そして、当時守りたくても簡単に守ることの出来なかった約束を、一つ確実に叶えることが出来ますように。

ナマステ。




車が着いた

2009-05-12 05:35:16 | Weblog
5月10日(日)。

約2ヶ月かかって、ようやく日本から輸入した中古車が手に入りました。
車種は、日産X-TRAIL。

1月末から、日本に帰国していた友人のテラノIIを使わせてもらっていたのですが、この車、古くて相当ガタが来ていました。ステアリングがブれ、エンジンは弱く、助手席窓は開かず、運転席窓のレールは外れてます。しかし、慣れとは恐ろしいもの。このテラノIIにすっかり慣れ切っていた僕は、7年落ちの中古車のあまりの性能の良さに、驚くばかりです。

しかも、車の中には、大きな木箱に入れた日本からの食糧と生活用具がぎっしり入っていました。両家の実家の皆様、御協力有難うございました!

久し振りに日本の茶碗で食べたウガンダ産のご飯は、日本米に劣るとはいえ、美味しかった!!美味しい日本酒も、久し振りで信じられないくらい美味しかったです。いやあ、日本の食べ物、飲み物の美味しいこと。そして、食器の美しいこと。

息子は、送ってもらった雑誌、「小学1年生」の付録にかかりっきりです。普段野原を飛び回って遊んでいるので、すごい集中のしようで、朝から幼稚園に行く準備もせず遊ぼうとします。ま、たまにはいいか、と。

いやあ、生活がこれですごく楽になります。

日本式ピザ

2009-05-06 04:41:17 | グルメ
5月5日(火)。

はっ、しまった。今日は子供の日だった、と今気が付きました。
しょうがないので、明日歌を歌ったり、鯉のぼりを作ってやろうかな。

さて我が家は、職場の敷地内にあるのですが、そこでは毎週火曜日に、敷地内に住んでいる人達で食事を持ち寄り一杯やることになっています。

我が家は、そんなことはすっかり忘れてしばらく参加していなかったのですが、隣に最近引越ししてきた人に何故先週来なかったのかと聞かれたので、今週は行ってみることにしました。

我が家からは、お好み焼きを3皿持って行ったのですが、これがとても好評でした。最初に、食事会の会長さんに、お好み焼きのことをお客さん(今日はたまたまお客さんがいました)に説明してあげて、と頼まれたので、妻ととっさに、
「これはジャパニーズ・ピッツァです。」と説明しました。

「日本食」と「ピザ」がどうしても結びつかない、とアメリカ人のナンシーが笑っていましたが、本当に人気でした。

それ以外にも、レンズマメのスープ、カレー、マカロニ、パスタ、ほうれん草の炒め物、パンにチーズがあり、全て美味しかったです。今日はまた、半年だけうちの研究所で働く奥さんについて来たアメリカ人ジャーナリストの御主人と話せて面白かったです。飲んだ時に仕事の話にならないのはいいもんです。

また楽しみが出来た、と思うけど、料理を作る妻としてはどうでしょう?次は僕が作らないとですかね。

ようやく追い付いた

2009-05-02 01:26:41 | 仕事
5月1日(金)。

一ヶ月間御無沙汰していました。
4月1日から11日までは、西アフリカの、ガーナ、コートジボワール、マリで、プロジェクトの打ち合わせと、講義、それからリスク分析の指導をして来ました。

初めての西アフリカ。特にコートジボワールとマリはフランス語圏だったので、面白かったです。こちらが英語で話しても理解されないので、コートの講義では英語で話し、カウンターパートの教授にフランス語に訳していただきました。

しかしマリでは、ようやくフランス語の勘が身に付き、一応3年近く勉強もして来たので、ほぼフランス語で講義、会議、そして指導をしました。

マリでは、気温が40度以上になり、まるで乾燥したサウナでした。風が吹くと、ドライヤーの熱風を顔に当てられている感じ。伝統的に放牧をしていたけれど今は定住しているフラニという民族に出会えて、また握手して笑顔も見ることが出来て、とても良かったです。

イースターの前日にケニヤに戻り、イースターを祝った後、13日月曜には、知人がナイロビのスラムに建てた学校の運営資金の確保のため、バザーで一働き。なんだかお祭りのテキヤさんになった気分で面白かったです。

それから3週間のうちに、以前に書き上がっていた1本を、ようやく指導教官の校正が終わったので投稿し、その後一気に学術誌投稿のための論文を2本書き上げました。これで4本目。本日11時に指導教官に送り、ようやく一つすっきりし、レイバーデイで休めるようになりました。

ようやくPhDからは最後の論文の再分析に入ります。これは、今の仕事と密接に関係があるので、堂々と仕事中にも出来ます。今日までは、昼間は仕事、夜と休日は論文の執筆をしなければならなかったので、本当に大変でした。あまり疲れていると頭が回らないので、最近あいつは使えない、と周りに思われていたかも知れません。

ようやく追い付きました。今年は4本出版かな。まあまあです。