まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

歯の入れ替わり

2008-10-29 07:11:30 | 家族
10月27日(月)。

6歳の誕生日まであと2ヶ月とちょっとになりましたが、とうとう息子の歯の入れ替わりが始まりました。赤ちゃんの時も、下の前歯から生えてきましたが、抜けるのも同じところからなんですね。

子供の頃、母に歯に(早口言葉みたいですね)糸を引っ掛けて、歯を抜いてもらったことを、今でも新鮮に覚えています。家の階段を上がったところで、兄が傍で見ていたという状況まで覚えています。そのくらい僕には歯の生え変わりは衝撃的だったのです。でも何故か一本目しか覚えていません。

もうぐらぐらだったので、歯をしっかり糸で結び少々上に引っ張ると、意外なほどすんなり抜けました。本人曰く、全く痛みはなかったそうです。

抜いた歯は、イギリスの習慣にならい、紙で包んで枕元に置き、寝かせました。
夜寝ているうちに、妖精(フェアリー)が来て、歯の代わりに1ポンド硬貨を置いてくれたそうです。

一夜明けて10月28日(火)の今日、10日間の秋休みの後、久し振りの学校だったのですが、息子はこの1ポンドを握り締めて学校に行き、歯の抜けた後の隙間と一緒に友達に見せびらかしたそうです。

Loch Lomond

2008-10-26 08:42:59 | エディンバラの見どころ
10月18日(土)。

長い間ずっと行きたかった、ローモンド湖(ロック・ローモンド:Loch Lomond)に、家族と友人とで行ってきました。ここは、グラスゴーから車で20分ほどで行ける、とても便利で美しいところです。

なぜずっと行きたかったかというと、湖自体がとても美しいとの評判とともに、ここが舞台となっている「愛しきローモンド湖のほとり」という曲がとても大好きだったからです。

この歌詩にはいくつかの説がありますが、共通していることは、チャールズ・エドワード・ステュアート(美しき顔を参照あれ)
(参照)http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Edward_Stuart
の1745年の蜂起の際、捕らえられたジャコバイト・ハイランダーという反乱軍の兵士が処刑される前に残した言葉をもとにしているということ。
(参照)http://en.wikipedia.org/wiki/The_Bonnie_Banks_o'_Loch_Lomond

曲はこちらから聴くことが出来ます。
http://www.incallander.co.uk/loch_lomond.htm#thesong

"The bonnie banks o' Loch Lomond"

By yon bonnie banks and by yon bonnie braes,
where the sun shines bright on Loch Lomond,
where me and my true love were ever wont to gae.
On the bonnie, bonnie banks o' Loch Lomond.

(あの愛しい水辺と愛しい丘のある、太陽の光きらめくローモンド湖よ。私と私の真の恋人は、もう行くことが出来ない。ローモンド湖の愛しい、愛しい水辺には)

Chorus:
O'ye'll tak the high road and I'll tak the low road
An' I'll be in Scotland afore ye:
But me and my true love will never meet again
On the bonnie, bonnie banks o' Lock Lomond.

(あなたは高い道を行き、私は低い道を行く。そして私はあなたより先にスコットランドに着いているでしょう。でも、私と私の真の恋人はもう会うことはないのです。あの愛しい、愛しいローモンド湖のほとりでは)

高い道、とはこの世の道、そして低い道とは処刑されたあとに行くであろう、あの世の道です。こんな切ない歌詞が歌われているとは想像できないような美しい曲です。

素晴らしく晴れて、とてもいい一日を過ごすことが出来ました。ほんと、綺麗でした。

美しさを感じる条件

2008-10-15 06:04:01 | エディンバラの見どころ
10月14日(火)。

エディンバラでは、今、街中の木々が紅葉して、とても綺麗です。紅葉と言っても、赤より黄色に色づいている葉の方が、圧倒的に多いです。数えてみると、これが5回目の秋。そして、最後の秋です。

実は、エディンバラで紅葉が綺麗だと感じたのは初めてです。もう多分住むことがないから感傷的になっているのか、それとも今年の天気のせいで特別に綺麗なのか、よく分かりません。2005年と2007年の秋は、ウガンダにいたので、2/5回は見逃しており、実際は3回目なのですが。

2004年の秋を思い出してみると、日本の紅葉の繊細な美しさと比べてしまい、美しさを受容していなかったように思います。とりわけ、それまで秩父の山で四季を間近で感じながら4年間働いていたので、尚更でした。それよりも、来た年は、言葉が出来ず、自信が全くなかったからか、「日本人として、イギリスに負けてなるものか」という意識が、非常に強かったのを覚えています。だからこちらの美しさを謙虚に感じることが出来なかったのかも知れません。

今日バスの中で、前の席に座った人達が、こう会話していました。「全くエディンバラと来たら、夏が終わった途端にもう冬だよ。」「全くだ。寒くて嫌だねえ。」その会話が聴こえたとき、僕は、窓の外の紅葉の素晴らしさに見とれていたので、ふと気が付きました。確かに、2006年のこの時期は、僕はそう感じていた、と。2006年秋の僕は、博士課程の終わりが見えず、奨学金ももらえる確証がなかったので、下を向いて歩いていたのかも知れません。今は今で、やることが多くて忙しさではその頃を上回っています。でも、今は先を見ているから、紅葉の存在に気が付いたのでしょうか。

それからもう一つ、美しさを感じる条件には、よく知っていること(familiar)があると思います。集中して勉強している時に、まだの外から大音量の音楽が流れてくるとうるさい、と感じるのに、それが昔熱中していた曲だと嬉しくなってしまう。絵でも、ピカソやダリが出たときなんかは、突拍子のなさに、受け入れることが出来ない人も多かったのではないでしょうか。

人間は弱いものだから、僕もきっとケニアでの新しい生活と仕事で落ち込むことも多いと思います。そしてナイロビは僕にとって初めての土地なので、全くfamiliarではありません。だからこそ、ナイロビに着いたら、その良さと美しさを、しっかり見渡して、謙虚に感じることが出来るといいなあと、そう思いました。

ダサイン

2008-10-14 06:49:24 | イベント
10月8日(水)。

もう先週のことになりますが・・・

ネパールのお祭り、ダサインが、ここエディンバラでもありました。
僕にとっては、エディンバラで最後のダサイン。去年はウガンダにいて逃してしまったので、実はこの日、腸チフスとA型肝炎の予防接種を受けたため、副作用の痛みと微熱で苦しかったのですが、気合を入れて行って来ました。

思い起こせば、イギリスでも、ネパールの人達にはよく助けられました。こちらのネパール社会の一員にも加えていただき、温かい人達に囲まれて幸せでした。

「おー、ぶっだじ(ネパール語の僕の名前)、ナマステ!」と皆さんに迎えられましたが、ネパールと違うのは、大切なお祭りなのに、カジュアルになり過ぎてること。服装こそ、多くの人が正装しているけど、「ハーイ、サンクス!」と言いながら握手してきたり、うやうやしくお祝いの言葉を述べると、逆に場違いのような反応をされたりと、特に若者達は、大切で美しい文化を失ってしまっているように感じて、少し寂しくなりました。

一番嬉しかったのが、受付のところで、グルン族の老夫婦が座っていて、来る人皆に、お米の入った赤い染料、ティカを額に付けてくれたこと。挨拶も、間も、ちゃんとネパールの人達だなあ、と感じさせてくれました。お米で作ったドーナツ、シェルロティを頂き、すっかり嬉しくなりました。

ダルバートという食事も、とても美味しかったのですが、ワクチンの副作用で冷や汗が出てきたので、泣く泣く皆踊り始めるところで家に帰りました。

ケニアに行く前に、みんなと会えて良かった。今まで、温かい想いをありがとう。また、ケニアでもネパール人に会えるといいなあ、と期待してますが、なかなかいないでしょうね。とりあえず、ネパールの協力隊OBがすでに4人もナイロビにいるらしいので、会うのが楽しみです。

おもちゃ

2008-10-12 06:37:56 | 家族
10月11日(土)。

僕は子供の頃、割とたくさん親に玩具を買ってもらいました。兄弟がいたし、経済的にも恵まれている方でした。好きだった玩具の多くを、今でも覚えているし、玩具を一生懸命動かしながら、自分だけでなく、友達とも、空想の世界を作り上げていた興奮を覚えています。

これまで、子供のいるいろんな家庭にお邪魔しましたが、とんでもない量の玩具が置いてある家もあれば、親が工夫して手作りのものを置いてあったり、絵を描いたり紙を切ったりして遊ぶ家もあります。

我が家は、もう4年も子持ちで学生をやっていたこともあり、慢性的なマイナス経済なので、手作りで遊び、玩具はもらうか、ほとんど買いません。今、世界の経済情勢が非常に危ういのですが、今後もし玩具を買うだけのお金が手に入ったとしても、これからも手作りの世界を大切にしていきたい考えは変らないと思います。

しかし、お金で買える既成の玩具というのも、最近、子供にとって大切なものだと気付きました。トランスフォーマーという映画がありましたが、その映画に出てきたトランスフォーマー達の玩具が、たくさん売られています。非常に良く出来ていて、車からロボットに変形します。友達の家に連れて行ったら、友達と遊ぶ代わりに、友達のトランスフォーマーの玩具を、夢中になっていじっていました。その友達は、もういくつもトランスフォーマーを持っていて、持ち家も庭もあり、非常に裕福なんですね。

僕は、出来るだけ不必要な物は持たない方が幸せ、と信じています。しかし子供は、’モノ’を通してでも、何かに夢中になっている時というのは、すごい勢いで能力を伸ばしているのだと思います。なので、クリスマスまでイギリスにいることは出来ないのだし、今日、友達の誕生日のプレゼントを買うついでに、とうとうトランスフォーマーを買ってあげました。

天馬の喜んだこと。すごい集中力で、車からロボットに、ロボットから車に、何度も何度も変形させて遊んでいます。折り紙もなかなか想像力を高めますが、玩具を実際自分の手でいじることが、多分重要なのではないかと思います。

一生懸命な息子を見ていて、中学生の時、新聞配達をしてようやく買ったギターを手にした何とも言えない感動を思い出しました。一生懸命になって打ち込んだ音楽は、どこへ行ってもいつも自分を助けてくれます。自分だけでなく、友達にも楽しんでもらったり、ほっとしてもらったり、役に立っています。

トランスフォーマーが、どのくらい息子の将来に役に立つかは分かりませんが、何か一つの’モノ’に夢中になって、子供が豊かに育つことが出来るのならば、本当に欲しいものは与えてやった方がいいのかなあ、と思います。何でも買い与えるというのは、出来ないしやりませんが。





ケニアはもうすぐそこに

2008-10-08 08:51:03 | 異文化
10月6日(月)。

日曜の夜と月曜日の丸一日を、ほとんど同級生の博士論文の最終編集に取られてしまったけど、この日はケニアでの仕事がかなり現実味を帯びた日でした。

そのタンザニア人の同級生は、パソコンの機能に詳しくないので、前以って手順を詳しく説明しておいても、いつも約束の時間までに終えているということが出来ないのです。なので、結局全て僕がやることになりました。彼も締め切りを過ぎているし、もう何日もちゃんと寝ていません。でも、僕も仕事の契約や仕事が始まるまでに終えておきたい学術誌への投稿作業で一杯なのです。

横で同級生の仕事もしながら、自分のコンピュータから、スカイプでナイロビのボスと通話して、具体的な仕事開始と、生活の準備を整えました。

ウガンダでは、所詮短期滞在だったけど、ケニアでは、家族との生活が始まります。一番手こずりそうなのが、車の購入のようです。車を買うのに、3ヶ月かかるのは当たり前、たまに6ヶ月かかる人もいて、中古車の金額も、日本やイギリスより、かなり高いようなのです。職場での事務処理もかなり遅いようなので、そういうイライラからのストレスを感じないように、頭を途上国モードに変えて行くことが必要です。ま、慣れれば天国、と友人達からは聞いているので、肩の力を抜いて、時間をかけて生活を整えていくようにしたいと思います。

良かったのは、新しいボスと相性が良さそうなことです。ナイロビでの生活では、当面ボスの奥様にかなり頼ることになりそうです。食材の買出しやら、幼稚園への送り迎えやらに、妻子を車で連れて行ってくれるそうです。

博士課程の口頭試問直後に家族でケニアに移り、翌日僕だけナイロビからエチオピアに飛んで、一週間の研修を受けます。その研修には、関係者のほとんどが出席することから、是非出席するように勧められたのです。そんな長距離の移動と国際的な仕事が、一本の電話でどんどん決まって行く。学生では経験出来なかった、実際の仕事の現場に、もうすでに突入しているのです。

わくわくするような国際的な仕事である反面、途上国での生活にはリスクは付き物です。昨年まで同じ建物で博士課程を学んでいたタンザニア人の卒業生が、ケニアでフィールド調査の帰りに、車で交通事故を起こし、この日亡くなりました。彼は、いつもティールームで会うと、穏やかな笑顔で僕とスワヒリ語の挨拶をしてくれました。

協力隊終了後、ネパールを再び訪れたときも、親しくしていた人達が、若いのにもう何人も亡くなっていました。途上国では、死は、先進国より確実に身近です。

そういう環境に赴くには、人それぞれ違っても、理由が必要です。僕の場合は、一人でも多く人を助けること、です。何より、その理由のために付いて来てくれる家族が、出来るだけ安全で快適に、楽しく暮らすことが出来ることを、願って止みません。

あと一ヶ月と2週間、ケニアでの生活は、もうすぐそこです。

子供たちの世界

2008-10-02 07:18:25 | 家族
10月1日(水)。

9月に小学校に入学した息子ですが、友達も増え、忘れかけていた英語ももとに戻り、ようやく学校に慣れたようです。

朝の始まりは、校舎横での整列から始まります。整列して待っていると、先生が来て、本校舎とは離れた建物にある教室のドアを開けます。生徒達は、列のまま順番に教室に入っていきます。毎朝、必ず保護者が各生徒に付き添って学校に来なければならないので、朝は大体僕が連れて行き、帰りは妻が迎えに行っています。

さて、先週の金曜日、2番目に教室前に着いた天馬は、満足気に2番目に並んだのですが、後から来たある子が、堂々と横入りをして来ました。天馬は、僕が2番目に来たんだと主張していましたが、横入りの子は、頑として譲らず、天馬につばをかけました。天馬は、泣きそうな顔で僕を見ました。

僕は座って、二人の肩に手をかけ、横入りした子に、「I know my son came the second. Don't do unfair things, and be happy today.(僕の子が2番目に来たことは知ってるよ。卑怯なことは止めなさい、そして今日楽しく過ごしなさい。)」
と言いました。その子は、黙って場所を譲りました。

息子の話では、その子は担任の先生も手を焼く問題児で、特にうちの子に対して嫌がらせを多くしていたそうです。

土曜日に公園に子供を連れて行くと、息子の同級生の女の子、ソフィアがいました。子供たちを遊ばせている間に親同士で世間話をしていると、その問題の子の名前が出ました。彼は、幼稚園時代から友達をよく殴ったりする問題児だったそうです。その子の両親とも、いい人達なんですけどね。

月曜日、天馬は、公園で遊んだソフィアから、ハロウィーン・パーティーの招待状をもらい、他の男の子、エディーから、誕生日の招待状をもらいました。でも、例の問題児の子は、学校に来ませんでした。ちょっと心配になって、天馬には、彼もナメられちゃいけないってんで、きっと一生懸命なんだよ、可哀想だなあ、と言いました。

火曜日の朝、その子はお母さんに連れられて来ました。お母さんは、「さあ、笑顔でね。」と言っていました。どうやら、その子は、先週天馬が何をしかけても折れないので、プライドが傷付いたのかも知れません。彼は相変わらず問題児なのですが、もう天馬には悪いことを仕掛けないようです。

そして今朝。みんな列の順番を見ていると、なんと問題の子は、天馬のすぐ後ろに横入りして、嬉しそうな顔で並びました。横入りはよくないけど、なんだか微笑ましい光景でした。

夜になって、天馬はエディーに、誕生日会に参加する意思を伝えるため、電話をかけたいというので、番号を押してやり、かけさせました。自分から友達に電話するのは、生まれて初めてです。「May I speak to Eddie, please?」と言いなさいよ、と練習してからかけさせたのですが、もごもご言って、ちゃんと伝えられませんでした。でも、エディーと話すことが出来て、ジョークを言いながら、用件を伝えることが出来ました。

天馬のクラスには、4つのグループ:プラネット、スター、ムーン、サン、があって、机で島を作ってます。毎週2人ずつ、グループの入れ替えをしていくわけです。

エディーと天馬は、先週プラネットにいたのですが、今週から天馬は、ムーンに移りました。エディーの誕生会には、プラネットのお友達が中心で呼ばれているので、天馬は電話で、「Can an alien come to the planet?(プラネット:惑星の集まりに、宇宙人も参加していいのかなあ?)」というジョークで、参加の意思を伝えてました。親より上手ですね。

小学校を、とても楽しんでいるようです。