まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

なんだか浮かない日。

2006-11-30 08:56:05 | 学業
11月29日(水)。

先ほど、空手の昇級審査に無事合格して帰って来た。
6級になり、帯は黄色から緑色になった。

しかし、今日はなんだか浮かない。肉体的に疲れ切っているというわけでもない。
昼間、ウガンダからスカイプでチャットが入った。大学に勤めるチャールズからだった。文面が厳しく、怒っている様子が伺える。ドライバーの給料の話だ。以前もウガンダで困ったことが何度も起きたが、こちらにいても蚊帳の外という訳にはいかない。

ドライバーに給料を払うはずのウガンダの教授が、7月からドライバーの給料を停止した。なので、うちの大学の教授が機転を利かせて別の方法を考えた。エディンバラの学生がウガンダに行った時に、そのドライバーに直接日割りで割高の日当を与えるというもの。ドライバーもこれで生活していけることになったが、給料が支払われなかった7,8月分の請求を、チャールズにしているというのだ。
はー。ウガンダの教授が元凶なのだが、彼がいないと、国レベルでの仕事が動かないので、誰も強くはモノを申せない。申しても、彼は動じない、という訳。

もう一つは、研究について。指導教官とゆっくり話したいのだが、彼らは忙しすぎる。ここ2ヶ月間、話せたのは2回で、毎回5分程度。明日の朝、アポイントメントを取っているのだが、十分話せるかどうか。そろそろ腰を据えて話をしないと、もうやばい。今年中に計画は固めて、来年の頭には、十分準備が整った状態でウガンダに行きたい。これが、最後のフィールドになるかも知れないのだ。

ミーティングの準備のために、3冊の本を読んだ。最近は、大体一日50ページほど読む。内容が濃いと、それだけ負担が大きくなる。これだけ準備をしたのだから、どうか明日はちゃんとミーティングがありますように。ミーティングで、ドライバーの件も話さねばなるまい。明日には、全てカタが付いて、気が楽になるといいなあ。

One more try

2006-11-29 08:46:05 | 音楽は心の泉
11月28日(火)。

先日のブログで書いた、"One more try"という曲が、当時のバンドメンバーのホーム・ページから期間限定で配信されています。
1996年に、吉祥寺のマンダラ2というライブハウスで録音されたものです。
聴くには↓

http://hw001.gate01.com/maruta/www/
(アドレスをコピーして貼り付けて見てください。ごめんなさい!)

の「音を聴く」
をクリックし、ウイスタディラヴのところを探してください。ダウンロードも出来ます。曲名の上で、右クリックしてみてね。

HP、見てみましたか?まるきち(丸田ゆうご)さんのバンド、その名も「ライス」のホーム・ページです。
音源のOne more tryの歌も、まるきちさんと僕の掛け合いになっています。

さて、まるきちさんは、1990年、僕が大学一年生の時に憧れたライヴバンドのギタリストでした。当時は、よく都内のライヴハウスに、そのバンドを聴きに行っていました。
中学生の頃からプロのミュージシャンに憧れていた僕も、メイン・ヴォーカルとして、その頃作詞作曲、ライヴ、レコーディングの音楽活動を開始していましたが、ついに1993年にまるきちさんと、バンド「We study love」を結成します。

このバンドは、まるきちさんと僕という二人のメイン・ボーカルと二人のリード・ギターを持ち、ベース、ドラムとも技の多彩なメンバーを擁する、斬新なバンドでした。MCは、なぜかコテコテの西ノリでした。

作曲は、印象派の詩と、空間的な曲を得意とするまるきちさん、直線的で、感情をぶつけるタイプの僕とが担当しました。全く違った作風を持つ二人の曲が、熟練に近付いてきていたメンバーによって、一つのバンドの曲としてアレンジされて行ったのです。

僕は1998年、少年時代からのもう一つの海外への夢を果たしに、ネパールへと旅立ちますが、まるきちさんは、その後も活動を続け、「ライス」に至ります。

ホーム・ページでいくつかの曲が配信されていますが、個人的には、テープの逆回転を利用した曲とか、すごいギターテクニックのものとか、配信されていないものも大好きです。

興味のある方は、親切な人ですので、是非メールされてみてください。

それでは、ボリュームも小さく、荒削りなライヴ音源ではありますが、どうぞお楽しみください。

久々のレコーディング。

2006-11-26 08:44:19 | 音楽は心の泉
11月25日(土)。

今日は、久しぶりに友人のサム・サリー夫妻の家に遊びに行って来た。
妻同士は染物と、フェルト作りを楽しみ、夫同士は、音楽を楽しんだ。そして天馬は、2グループを行ったり来たり。

妻グループの染物が終わると、フェルト作りでは、天馬の要望で、ライオンがジャングルにいる絵を、サリーが作ってくれた。羊毛をフェルト加工する過程は、天馬も参加し、一生懸命作っていた。

僕の方は、協力隊の先輩から、僕がネパールで歌っていた「One more try」というオリジナルの曲を是非送って欲しいというご要望を頂いたので、こちらの音楽仲間とレコーディングすることにした。

しかし、時代は変わったものだ。
歌詞とコードを相手に伝えるにも、コンピュータで書いて打ち出す。コピー&ペーストで、書くのにも時間がかからない。他のメンバーには、メールで送ればいい。
とりあえず、サムにどんな曲かを伝えるのに、ギターとボーカルだけで録音したが、それにもコンピュータ・ソフトを使った。
テンポを一定にするため、クリックという音をヘッドフォンで聴きながら演奏するのだが、それもコンピュータの中に入っているので、ちょっとテンポを調節しただけで、あっという間に録音できる状態になった。
ホント、1回目を途中までやって、ヘッドフォンのモニターレベルを調整しただけで、あっという間に2回目でレコーディング終了。

レコーディングを聴きに来ていた天馬が、演奏が終わった直後にスピーカーから僕の声が聴こえて来たのでビックリ!何が起こっているんだ?という顔が可笑しかった。

10年前は、レコーディングの度に、汗水垂らしてMTR(マルチ・トラック・レコーディング)という重い録音機材をスタジオに運んでいたのが、今はラップトップ一つあれば、より高品質の作品が出来てしまうなんて、全く時代が変わったものだ。
音を変えるエフェクターなんかも、レコーディングに限って言えば、もう要らないらしい。ソフトを買えば、コンピュータで出来てしまうのだ。

時間がない人には今のシステムが都合がいいが、逆に僕は若い時に手間のかかる作業を楽しめて、良かったと思う。楽しかったなあ。

とにかく、レコーディングとミキシングが終わるまで、また久しぶりに音楽を楽しめそうだ。

困ったちゃん、挨拶する。

2006-11-25 09:31:26 | いろんな人がいるよ。
11月24日(金)。

とうとう、例の困ったちゃんが、笑顔で挨拶を返した。
水曜の稽古では、とうとう初心者グループに自ら戻り、真面目に取り組んでいる。
良かった、良かった。

僕はといえば、かねてから特訓中であった、日本の古武道と沖縄空手に共通したある技を、とうとう少し使えるようになってきた。それは、重力を上手く使う動き。ノーモーションから、トップスピードで突きを出すことが出来る。
しかし、意外にも、最後にいいアドバイスをくれたのは、うちの師範だった。

空手は中国から琉球に伝えられた拳法をもとに、沖縄で作られた。
それが日本に伝わったときに、形を変えたので、長年をかけてせっかく研究、洗練された中国、沖縄の東洋武術の極意が伝わらなかった、とよく言われる。

しかし、稽古を続け、型を多く研究していると、松涛館流にもきちんと元来の重要な要素が伝わっていることを確認できる。要はきちんとそれを理解しているかどうかなのだ。師範は、考え方も身のこなしも日本の武道家のようだ。西洋を通じて東洋の理論を学ぶ。なんだか最近、空手がさらに面白くなってきた。

おじさんという魚

2006-11-23 09:34:53 | 家族
11月22日(水)。

魚のアンコウは、英語でangler fishという。
怒っているような顔を現したような、的確な名前だ。
今日、息子は図鑑に載っているアンコウを眺めていた時、おかしな問答があった。

子:"Dady, what is this?"

父:"It's a fish."

子:"No, what is this name(だから、なんていう魚(意訳))?"

父:"Hmmm,"アンコウねえ・・・

子:"Uncle?"

父:いやいや、それはおじさんでしょ。

子:ねえねえ、この魚、日本語でおじさんって言うの?

本当にあった会話です。英語らしく、uncleと言ってみてください。なるほどです。

武道の初心者

2006-11-22 08:01:35 | いろんな人がいるよ。
11月21日(火)。

今年度、空手部には2人の困ったちゃんが入ってきた。
一人は最初は愛想よく、もう一人は最初からふてぶてしい。

二人とも、自分には空手の経験があって、腕にも自信があるから、白帯からなんてやっていられるか、というのだ。しかし、以前の級は?と聞かれると、昇級審査を受けたこともないらしい。

実は、僕も昨年空手を始めた時は、その前の一年間はテッコンドーをやっていたので、途中の級から始められないものかと思い、師範に相談した。
しかし、師範にはきっぱり、空手は空手。白帯から始めなさい、と言われた。その言葉に、逆に外国にあっても、さすが日本の武道だ、と感心した。

自分も初心者の頃は、他の人の稽古を見て、俺はあいつより強い、だから自分はせめてあの色の帯を許されるはずだ、と密かにむらむらとした感情を抱いていたので、彼らの気持ちもよく分かる。まあ、まだ初めて一年なので、初心者のようなものだが。

先週の金曜日、困ったちゃんの一人が、4人組になって回し蹴りの稽古をしていた際、こともあろうか僕に教え始めた。最初は話を合わせていたが、そのうち師範が言ってもいないのに、見栄えのいい違う技をやり始めた。他の白帯君もそれに呼応する。
そこで僕は一言、
"Just do it!"
と言って、戒めた。うちの師範が、基本を大切にしていることを知っていたので、尚更止めなければ、と思った。それからは、こちらから挨拶をしても困ったちゃんは機嫌を損ねて返さない。

日本の武道は、礼に始まり礼に終わる。
毎日の稽古は、稽古相手との勝ち負けを競うものではない。相手は自分自身である。どのレベルの人であってもお互い尊重し、仲良くする。
基本は繰り返し繰り返し、アホになってやるべし。

ま、彼らもしばらくやらないと、分からないだろうねえ・・・。

夢が紡ぐもの

2006-11-20 08:15:53 | 学業
11月12日(日)。

先週は、濃い週だった。

息子の英語や小学校への進学のことで考えたということもあったが、それよりも、現在の自分を肯定出来るようなことが立て続きに起こった。

一つ目は、指導教官からメールで送られてきた資料。それは、国連食糧農業機関(FAO)の本で、発展途上国における、畜産と獣医学による貧困削減の障害になる諸要因と、取るべき政策をまとめたもの。PDFではなく、インターネット上で読んでいるので、ページ数は分からないが、膨大であることには変わらない。

他に急ぎの仕事が山ほどあるのに、何で今?と辟易したが、読み始めて納得した。自分の仕事が形を成してきていると思っていたが、なるほど小さくまとまり過ぎていたかも知れない。

その内容は、イギリスに来る前、日本で仕事をしながらも、一度しかない人生を、どういうことに捧げたいか、と一生懸命インターネットを読みかじっていた時に惹かれた内容そのものだった。

その本には、非常に様々な側面から書かれているが、中でも興味深かったものの一つが、文化人類学的な部分。ウガンダのカラモジャという地域の移動性放牧をする民族では、親から子に家督を譲る際に、特に雄の子牛一頭を特別な印として授ける。この牛は、皮製の首輪と鈴で他の牛とは区別でき、新しい主は、この雄牛を大切にし、宝であり、無二の友人であり、財産であり、自分の一番の誇りであると見なす。奇妙に思われるかも知れないが、この牛が盗賊に盗まれた場合、主は槍一本で命を懸けて奪回しようとし、この牛が死んでしまった場合は、後を追って自害することも多いという。
要は、その国の出身でない者が、例えば先進国のやり方で物事を進めようとしても上手く行かない。文化もよく知らねば、最上の対策は取れない、ということ。

僕がこの道にいる理由の一つに、こういったロマンというものがある。特に現地の人と言葉を交わし、例え数日でも共に仕事、生活し、お互い分かり合える瞬間は格別だ。実際現在も、何度もウガンダに滞在する機会を得ている。

確かに先のことは全く決まっていないし、危険で不安定だし、経済的にも困ってしまう。家族にも心配や、不自由な思いをさせる。何もいいことがないような気がすることも多いが、一つだけある。それは、やりたいと思ったことをやっているということ。今が、少年時代や青年期のほのかな夢をたどった延長線であるということだ。

二つ目は、そう考えていた矢先、学部の事務所の懐かしい方からメールが届いたことだった。その方には、僕が現在の大学に合格が決まった際、仕事を辞めるかどうかまだ悩んでいたので、その状況をメールで説明し、決断までもう少し猶予をくれ、とお願いしたことがある。その時彼女はポジティブなことを書いてくれ、説得してくれた。もちろん家族、友人、恩師などの後押しもあり、決断したのだが、彼女の言葉も追い風となった。返信に、研究を楽しんでる、と書くと、説得して良かった、と返ってきた。
まだまだ夢を見て、その後をたどって行かなくては、と思わせてくれる週だった。

息子の進学については、好きなことをして幸せに過ごせる幼稚園の時期を、あと一年でも長く味わせてあげよう、という方向に落ち着いて来ている。何もそんなに焦ることはない。

ただ、英語は当分、息子が分かるまで家での主な言語にしている。金曜日の昼近く、園の終了間際に、彼は、
"I'm go home!"
とにこやかに大声で言ったらしい。文法は間違っているが、とうとう堂々と英語でコミュニケーションを取り始めた、と先生がとても喜んでいたそうだ。

幼児の英語

2006-11-17 12:18:45 | 家族
11月16日(木)。

只今、幼児の使う英語に格闘中です。

だって、よく考えたら、うちの子と僕とでは、まだまだ話している内容が違いますから。

「お父さん、ぺろりって食べちゃったのぺろりって、英語で何て言うの?」
ぺろり?うーん・・・。
辞書を引きました。一口で飲み込む、はswallow。一口でぺろりと食べる真似をしながら、swallow~~!と教えます。

「お父さん、だっこ。だっこって、英語でなんて言うの?」
抱っこ?う~ん・・・。俺も普段誰かに抱っこして、なんて言わないからなあ・・・、とまた辞書を引く。
Hold meかなあ?Hold meって、今日のところは言っといて。明日友達に聞いてくるから。おんぶは、piggy backなんだけどね。

ちなみに、日本語には、擬音語と擬態語が多い言語であるということは、知っていましたか?ワンワン、ニャンニャン、といった、繰り返しの言葉も多いですね。大和田獏の出ていた連想ゲームを思い出してしまいます。ぺろりと食べるなんて、面白い言語だよなあ、と改めて感動です。

英語のレッスン

2006-11-16 08:33:55 | 家族
11月15日(水)。

昨日、妻が幼稚園に子供を迎えに行った時、園長先生から、小学校進学についての助言を受けました。

息子は、英語があまり分かっていないようなので、このままだと来年小学校には入れずに、幼稚園に残った方がいいのではないか、という内容でした。

彼は、日本語はとても上手に話すので、考えたり、コミュニケーションを取ることが出来ないわけではないのです。

英語が分かっていないようだ、というのは気が付いていて、可哀想だと思っていましたが、また聞きでは、子供は放っておけば、勝手に話すようになる、と言われていたので、うちでは日本語のみでした。

以前、うちでもなるべく英語で会話しようとした時期があったのですが、妻は恥ずかしがったり、黙りこくってしまったりで、結局日本語で話してました。その状態で僕が英語を教えようとすると、息子は、「英語は分からないから嫌!おかあさーん。」と言って、教えようとする僕を避けるようになりました。その後は、家の中の言語は完全に日本語になり、今に至るわけです。

やっぱり、家族持ちの海外生活って、大変でしょ?
親のどちらかが、習得しようとする第二言語を母国語にしていない限りは、小さい子が、勝手にその言語を話すようになるということはないのではないでしょうか。
小学校の進学が一年遅れるのは構わないけど、英語が分からないまま放っておくのは可哀想です。

そこで、昨日から、特に僕がいる時間は、なるべく家の中でも英語で会話するようにしました。今回は、妻も英語が上達してきたこともあり、賛成してくれました。
息子はというと、不思議や不思議。母親も英語を話している、と分かると、英語を嫌がらなくなったのです。

毎日、彼にとってたくさん知らない単語が出てきます。初めてまだ2日。幸い楽しんでもらえているようだし、もし分からなければ、日本語で言ってごらん、ああ、それは、こう言えばいいんだよ、と優しく教えています。

英語が分かるようになれば、友達の言っていることもより理解できて、幼稚園も楽しくなるでしょう。

僕の方は、当たり前ですが、空手とブログにかける時間を減らさなければならないでしょう。ま、家族は十分コミュニケーションを取るというのが健全な家庭の形ですからね。

全英3位!

2006-11-13 07:13:47 | 健康は大切よ。
11月12日(日)。

な~んて、大げさなタイトルを付けてみました。
実際は、ちょっと落ち込んでるけど、とてもいい経験をした、という感じ。

本日、BASKA(British All Styles Karate Association)英国全流派空手協会という団体の大会があり、4級以下成年男子、型の部で3位に入賞しました。

でも、組み手では一回戦負け。
松涛館だけではない他流派とどうやって対戦するかが分かって、有意義な大会でした。ここ最近、家族が風邪をひいていたり、子供のインフルエンザのワクチン接種でもめたり、いろいろタフなことが続いていたから、家庭と学業のバランスなど、試合に臨みながらも、前日から妻と話し合ったりしていたので、それも含めてとても深い大会になりました。

僕がこの年で空手を始めた理由は、実は小学生時代に遡ります。
小学校1,2年生の頃、極真空手の道場に通っていましたが、昇級審査も受けることもなく、辞めてしまいました。この時は、自分の小学校の野球クラブに入るためでした。でも、昇級審査も受けずに辞めてしまったという心残りが、このころ少し出来ました。

その後、高校で弓道部に入りました。この頃、やっぱり武道はいいなあ、とはまります。

大学に入って、ある友人が、日本拳法のクラブを作りたくて、名前を貸し、稽古もしていました。試合に一回も出なくて残念!という思いが残りました。

だから、弓道だけでなく、ちゃんと打突系の武道に落ち着いて取り組んでみたかったのです。

そして、ストレスと肥満解消、地元の友人を作ることも目的に2004年12月、taekwan-doの門をくぐり、8月まで稽古。そして、やっぱり母国の武道をやろう、と空手に転向しました。

殴られるのは怖いし、殴りたくもない。それでも、やりたい気持ちというのでしょうか?やってみると、すごいことがあるかも知れない、という変な期待感で、いい年して始めたのです。

いいもんですね。やっぱりいいもんです。「克己」ということです。ああいかん、もう眠い。今宵はこれまでぇ~・・・・