まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

口蹄疫被災農家の精神的ストレスに関する論文

2011-12-28 21:12:34 | 仕事
2011年12月28日

2010年に宮崎県で起きた口蹄疫は、今でも宮崎県の農家さんたちの中では終わっていません。中には復興し、前に進んでいる逞しい方々もいらっしゃいますが、それでも今でも非常に生々しく、辛い日々を過ごされている方々がおられます。

今日、自宅に、拙著「2010年に宮崎県で発生した口蹄疫により被災畜産農家が受けた精神的ストレス」が掲載された「畜産の研究」一月号が届けられました。東日本大震災で霞んでしまっている面が多々ありますが、口蹄疫は現在進行形で被災者に影響を与え続けています。

このブログを読まれた方、どうか口蹄疫を忘れないでください。私はまだ苦しんでいる方々を助けたいし、少し他人事でこれまで過ごされている畜産関係者に、自分のこととして再認識してもらいたい。また、消費者の方々にも考えていただきたいのです。

口蹄疫の精神的被害の調査分析は、現在進行中です。年の瀬ですが、被災者のことを考えると、ある程度返上で頑張ります。被災者とそのご家族の皆様、どうか命だけは大切にしてください。小さな手ですが、それでも手が届くように頑張りますから。

2012年2月4日には、札幌コンベンションホールにて、口蹄疫に関する市民公開シンポジウムが開催され、お話しします。2月11日には東京で、口蹄疫を考えるコミュニケーションワークショップが開催され、ここでもお話しさせていただきます。もしご興味があればお教えください。

一人一人の大切な命、みんなで守りましょう。

ドラムデビュー

2011-12-26 23:37:23 | 音楽は心の泉
12月25日(クリスマス)

今年のクリスマスは、23日に江別へ引っ越し、24日夜はイヴ礼拝、25日は朝からクリスマス礼拝と、とても慌ただしく過ごしました。ブログも、仕事用のブログは新設し(ブックマーク作りました)、これからはこちらでは、力を抜いて書いていきたいと思います。

クリスマス前に、私が通っている平岡ジョイフルチャペル(ブックマーク貼ってます)では、棚に眠っていたドラムセットを引っ張り出しました。その一か月前に、カホンという楽器がやってきて、私がギターはお休みし、打楽器担当を始めたのがきっかけでした。うちのメインギターは本職はベースですが、ゼップ札幌で演奏する実力があります。ピアノはどんなキーにも対応します。それならかぶることはないという分けで、一年ギターを務めたので、打楽器に転向してみました。

私はもともと高校では他高校の音楽仲間とバンドを組んで、ドラムを叩いていました。Loughin'NoseのGet The Gloryなんかは好きでしたね(You Tubeをご覧ください)。

とはいえ、今教会の賛美では、スティックではなく専らブラシを使って静かにやっています。あー、イヴ礼拝は雰囲気良かったなー。札幌在住の方、遊びに来てください。結構いい音楽やってます。

衝撃的な出会いと再会

2011-12-07 00:03:04 | いろんな人がいるよ。
2011年12月6日(火)。

久しぶりにブログを書きます。

最近は、衝撃的な人との出会い、再会の機会に恵まれています。

先月、ケニヤでILRI(国際家畜研究所)のリトリート(年間の研究戦略などを話し合う)と、CGIAR(国際農業研究評議グループ)合同のワークショップに呼ばれて参加して来ました。内容は非常によかったのですが、それはさておき、

何と、クラーク博士のひ孫さんと知り合いになりました!
現在は、コロンビアにあるCGIARの一センターで研究員をされています。ひ孫から直接、「Boys be ambicious」を聞きました。こんな声だったのかなあと想像しつつ。。

そして昨日札幌で、仕事でインドから来られたWHO職員のネパール人とサシで食事していたのですが、何とその人が、私が1999年、青年海外協力隊員をやっていた時にネパールのジリ村というところで発生した口蹄疫のリングワクチネーションを率いた際、首都カトマンドゥにある口蹄疫センターで私にワクチンを売ってくれた研究者その人であることが発覚しました。
信じられんん!!

彼は感動しつつも覚えていなかったのではないかと思いますが、私はしっかり覚えていました。むむ、やはりその顔、見覚えがある!と。ワクチンだったら、日本人だからだまして高い金で売ることも出来たのに、彼は口蹄疫発生中なら特別料金を設定しているから、と安く売ってくれました。まあ確かに、その頃の私は超が付くほどみすぼらしく汚かったですから何とも言えませんが。

ネパールでは在任中に二度口蹄疫の発生がありました。一度目はまだ生徒がいたので(職業訓練校の教官を務めていました)、生徒10人ほどと10キロ以上山道を歩いてワクチン接種しました。二度目は休業期間中で、馬を借りて行ったところ、馬は辛さのあまりパニックになって、崖を落ち、死んでしまいました。私はかろうじて飛び降り、九死に一生を得たのですが、馬の所有者であった政府農場に吊し上げられ、住民が助けてくれました。その足で険しい山道を歩いてワクチン接種を続けていたところ、短期コースで研究に来ていたおじさんたちが手伝いに駆けつけてくれ、二度目のワクチン接種を成功させたのです。

あー、記録は残っているので、本でも書きたい内容だったなー。あのころの日記には、こういったことが毎月のように記録されています。

ともかく、最近は衝撃的な人との出会いが重なってます。明日は岩手大学へ出張。疫学を教えてきます。またどんな出会いがあることやら。