まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

デッドラインその一・クリア

2008-03-27 07:30:33 | 学業
3月26日(水)。

3月末にデッド・ラインが引かれていた第5章を、5日余して24日からわずか3日でクリアー。5時前に指導教官に送ることが出来ました。

これで、分析が残っているのは2章分、そして最後にGeneral Discussionで博士論文も完成です。残された時間は、あと2ヶ月と5日。

仕事量に対して、時間は決して多く残されてはいないけれど、この貴重な時間を楽しみながら、未知の問題解決に取り組んで行きたいと思います。いやー、尻に火がつくと、一気に前向きになるなぁ。「人生万事塞翁が馬」も、悪くないね。

尻に火がつくと

2008-03-23 10:23:53 | 学業
3月23日(日)に、1時間前になったところ。

たった今、指導教官たちに、博士論文第4章を送ったところです。
実は、昨年の7月に教授から生活費をもらったきり、もう8ヶ月もお金をもらっていなかったので、教授に窮状を訴えたところ、3月7日(金)にミーティングを開いてもらいました。

まだ論文を出せる状況にないことを話すと、何故遅れたかと問い詰められました。インペリアル・カレッジで研修を受けてたり、真面目にはやってたんですけどね。結局、8か月分の生活費はもらえないけど、今後3か月分はもらえることになりました。ただし、6月1日までに、博士論文のドラフトを提出することが条件。それをクリアすると、論文の手直しにもう一ヶ月お金がもらえて、それをクリアすると、学術誌への論文のパブリッシュのためにもう一ヶ月お金がもらえます。

売れない漫画家って、、、、こんな生活なのかなあと、いうのが、まず一番の感想でしたね。

しかし、人間ってすごいです。どこにこんな能力が隠れていたんだか、という勢いで仕事をし始めました。マシンガン・タイプで統計のコマンドを打ち、マシンガン・タイプで論文を書いてます。第4章は、丁度1週間で書き終えました。尻に火が付きましたわ。ああ、4月を迎える頃に第5章が書き上がってたら、ちょっと余裕が出てくるなあ・・・・

合計年齢180歳以上のトリオ

2008-03-14 08:06:45 | イベント
3月11日(火)。

合計年齢180歳以上のトリオ。平均年齢60歳以上ですから、有り得なくはないですね。今から20年強経ってから、これまでの音楽仲間が3人集まれば、行けます行けます。いつかやってみましょう。

しかし、このトリオにすでに僕が入っているのです。アコーディオンのサム(司会をやったサムとは別人)の年齢をまだ聞いていないのですが、もしかしたら合計年齢190歳を超えていたかも知れません。まあ確実に180は行ってますね。

というのも、僕たちのトリオには91歳のフロントマン、マルコムがいるからです。今年の誕生日に、マルコムに歳を聞かれたので答えると、

「なんだ、まだまだ子供じゃないか。」

と言われました。
先日、ローマから友人が来た際の話です。彼がマルコムにローマから来たと言うと、彼も言ったことがあると答えたそうです。友人がマルコムにいつ行ったか尋ねると、マルコムは、

「ああ、第2次大戦中に、戦争しに行ったよ。」

と答えたそうです。
先週、エディンバラの音楽隊に所属していた当時の白黒写真を見せてもらいましたが、体格のいい、爽やかな好青年がそこには写っていました。演奏しながら横で聴くマルコムのマウス・オルガン(ハーモニカ)は、歳のことなど全く忘れてしまうほど軽快で、楽しい響きでした。サムのアコーディオンも良かったけど、やっぱりマルコムはさらに30歳以上分くらい年季が入っているので違いますね。このトリオの次回の演奏は、多分またナーシング・ホームででしょう。演奏することで心から喜ばれると、とても遣り甲斐があるものです。

Japanese Music Night

2008-03-14 07:03:28 | イベント
3月11日(火)。

エディンバラに住んで3年半、これまで2回コンサートで歌う機会がありましたが、今回は初めて、主催する側に加えていただきました。

毎週日曜日は、教会で賛美歌の伴奏に参加していることは以前書きましたが、その教会は、エディンバラでは唯一、日本語で教えているところなのです。ここには、日本語を勉強している人達や日本に興味がある人達が集まっていて、とてもユニークなコミュニティーになっています。牧師も、日本人ではなく、日本語が上手な韓国人です。

今回のコンサートは、確か2週間ほど前でしたか、教会の礼拝が終わった後のお茶会で、勢いに任せてという感じで、急に日程が決まったのでした。そんな急な話でしたが、コンサートには結構たくさんの参加者とお客さんが集まりました。

僕もギターを弾いて歌うだけでなく、音楽仲間のサムと一緒に司会進行を務めさせていただきました。二人とも、普段はあまりお喋りではない性格なので、一体どんな司会になるんだか心配でしたが、経験豊富なサムのお陰で、楽しいコンサートになりました。感謝感謝。

この日演奏された内容ですが、日本民謡、三味線と唄、篠笛、ポップス、賛美歌、クラシックのヴァイオリンとピアノによる協奏曲、クラシック・ギターなど盛りだくさんで、最後は、Amazing graceを、サムのワイルドなジャンべ(アフリカの太鼓)と僕のギターによる伴奏で、全員で歌いました。

演奏会の後は、美味しい日本食、韓国料理、そしてケーキを食べながら、参加者と会場に来られた方達と話を楽しみました。論文執筆に追われている毎日ですが、本当に久し振りに、運営する側の楽しみを味わいました。やっぱり、ライブはいいですね。卒業前に、もう一度やれるといいなあ。

道を歩いていく人たち

2008-03-07 09:21:35 | いろんな人がいるよ。
3月6日(木)。

今日、日本から来られていた先生が帰国され、先生と一緒にうちの大学に来た短期の研究生をフラットに案内したので、ようやく一段落でブログを書きます。

先生方の来英の日に、ネパールで青年海外協力隊に参加した同期隊員F君が、数日間家に泊まった後、次の旅先へと旅立って行きました。

彼と会うのは4年ぶりでした。確か2年前、彼がケニアのナイロビに勤務していた頃、休暇を取ってウガンダに行くというので、僕も調査の日程を出来るだけ合わせようと努力したのですが、何と僕が来るたった一日前にF君が先にウガンダを離れてしまい、再会は結局ニアミスに終わってしまったのでした。

さて、イギリスは日本から随分遠いようで、僕の渡英からもう3年半も経ちましたが、日本からの友人の来客は、妻の姉と友人達以外は全くありません。今回F君が来ることが出来たのも、彼が国連の一機関であるWFP(世界食糧計画)での仕事を手に入れ、イギリスから近いイタリアで働き始めたからでした。

協力隊を終えた頃、僕にはすでに安定した仕事があり、彼はこれからの人生を、希望と不安を抱えて模索していたと記憶しています。僕たちには共通の夢、仕事として発展途上国に貢献すること、がありました。しかし、夢を叶えるための確実な足がかりなど、当時の僕たちにはなかったのです。

F君は、着実に英語の能力を伸ばし、アメリカの大学院へと留学しました。一足遅れ、彼の帰国後すぐ、僕も奨学金を手に入れ、当時の仕事を退職してイギリスの大学院へと進学しました。その頃、F君はナイロビで、国連の仕事に就くチャンスを得たのでした。

最後に会った時と、現在の状況では、お互い夢を一歩一歩実現させて来たという意味で前とは別人なわけです。今回、再会前は、お互いどんな風に感じるだろうかと想像すると、怖くもあり楽しみでした。

随分たくさんのことを、F君と妻とで話しましたが、気が済むまで長い時間かけてお互いの近況を話し終えると、まったりさ加減が、ネパールのお互いの村からカトマンドゥに上京してきて、隊員宿泊所で会った時の感覚そのままであることに気が付きました。あの極めて独特な感覚は、村での厳しい生活と不安から開放された安堵感、異文化の中で暮らす日本人としての仲間意識、同期隊員という仲間意識、途上国で生きる生命力、若さ、そして自由感、そんなものの入り混じったものです。

そのまったりの中で、F君は僕に尋ねました。
「いつまで続けてみるか、考えてる?」

夢をいつまで追うか、ということです。実際、安定を得ることが出来るか、子供の教育をどうするか等、現実問題をいつも突きつけられているわけです。

いつまで続けるか、と言われても、もう戻るところはないし、道の開けたところに向って歩いていくしかありません。F君も同じです。契約期間が終われば、終身雇用にたどり着けるまでは、そしてたどり着いても、自分の道を歩いて行くのでしょう。

何だか、ネパールで住んでいたジリの村からエベレスト方面に向けてトレッキングしていた、あの長い長い山道を歩いているのと非常に似ているなと感じました。ビスターライ、ビスターライ(ゆっくり、ゆっくり)。今度会えるのはいつのことでしょう。今と同じ道を歩いているにせよ、その頃には僕はきっと、長い長い博士論文を書き終えていることでしょう。

怒涛の一週間

2008-03-01 07:54:31 | 学業
2月29日(金)。

まさに怒涛の一週間でした。
昨年初めて国際学術誌に論文を投稿したのですが、何と一ヶ月前に、「会社の社長が交代したので事情が変った」という理由で書式を変えてもう一度投稿しなければならなくなりました。ページ数がちょっと増えてラッキーだったのですが、インペリアル・カレッジの研修があったため、その間は論文の仕事までは手が回りませんでした。そして、それは語学も同じ・・・。

インペリアル・カレッジで学んだ統計学と統計ソフトの知識、技術を駆使して統計やグラフ作りをやり直し、内容的にもレベルアップ出来ました。

でも、うちにいた東大生が帰るので、最後に飲みに行ったのが月曜。火曜にも夕食に誘い、彼は無事水曜の朝日本に帰国しました。

水曜は、3週間溜め込んだスペイン語の宿題をこなして、夕方にスペイン語のクラスを乗り切り、

木曜は、同じく3週間溜め込んだフランス語の宿題をこなして夕方にフランス語のクラス、早めに切り上げて6時から獣医大学院生の勉強会で研究内容を発表、怒涛の質問攻めを受け(みんな興味津々ですごく受けたみたいです、ギャグじゃなくて)、

なんとか今日、金曜日の昼12時半、無事直した原稿を提出いたしました。

全く、いつの間に仕事したのだろうか???とにかく、やりました。これでも、指導教官と10往復近くメールで原稿をやり取りし、校正に校正を重ねました。こんな生活なので、何だか面白そうな内容のブログを書けないのが残念です。

明日から、協力隊で一緒にネパールに行った友人が家に来ます。4年ぶりの再会で楽しみです。彼が我が家を去る日には、H大から2週間半の予定でまた研修生が来ます。いやあ、何だか盛りだくさんだなあああ。