まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

途上国では図太く。

2005-11-29 00:45:32 | 健康は大切よ。
11月27日(日)。

今週は、土日とも存分に運動しました。
平日は、世界中に報道されていると思いますが、ウガンダのムセヴェニ大統領が、来年3月の大統領選挙の候補者、ベシジ氏を逮捕、拘束していることから暴動が起こり、治安状態が悪化していました。

あってはならないことが起こっているわけですが、お陰様でJICA調整員や所長宅に避難させてもらい、美味しい日本食を味わったり、備え付きのプールでたっぷり泳いだりと、ここぞとばかりに状況を利用させていただきました。

こういう時は、焦るとネガティブになるだけ。図太くおいしいところは頂かないとね。
しかし、日曜の午前中、テニスをしていて、スマッシュをした時に、拾っていなかったボールの上に乗ってしまい、足をくじいてしまいました。一緒にテニスをしていたのが医療系の人たちだったので、すぐ適切な治療をしてもらったので、もうすでに良くなって来てます。納豆うどんに豆腐、餃子も食べさせてもらって、怪我した割りにすっかり幸せです。

もう一週間で極寒のエディンバラだ・・・。家族と会えるのは嬉しいんだけどね。ここは気候がいいんですよ。

協力隊OV(Old Volunteer)たち

2005-11-23 00:12:05 | イベント
11月20日(日)。

先週、マケレレ大学の中でJICA専門家として活動しているKさんに、
「ナイロビでイカとマグロを買うたから、宴会でもやらへんか?」
と誘われたので、Kさん宅に、朝から手伝いでお邪魔しました。

ウガンダに来て2ヵ月半、日本人の集まりに参加したのは2回目でしたが、今回は15人くらいと人数も多く、久々に日本語をたくさん話しました。母国語でも、使ってないと下手になるものです。いい練習になりました。

なんとこの日集まったうち、8割方が、元青年海外協力隊員。ケニアやらニジェールやらパプア・ニューギニアやら太平洋の小島やら、いろんなところでよくみんな活動したものです。異文化や、気候の違い、それぞれの体験談に、大盛り上がりで、あっという間に一日が過ぎて行きました。

私は、協力隊後も10年以上にわたって国際協力を続けるKさんと、パプア・ニューギニアで、協力隊に2回、4年半活動されたTさんに、なぜ過酷で危険な発展途上国に戻って行くのか聞いてみました。

答えは二人とも同じ。

「やっぱり人かな。」

盗難や官僚の汚職、内戦など、いやなこと、汚いものも見ていても、発展途上国の人たちに共通する人間らしさの魅力に惹かれるそうです。という私も、結婚して子供もいるのに、非常に安定した職を捨てて戻って来た口です。なぜかと訊かれて、真面目な答えももちろん持っていますが、正直なところ、「人」かな、と思います。

今回こちらへ来てから2ヵ月半。すでにたくさんの素晴らしい友人を得、毎日人間らしい表情が溢れる中で仕事をしています。辛いこと、危険なことがたくさんある反面、非常に幸せな毎日を送っています。

何とかなるよ、と今回も背中を押していただいた方々、どうも有難うございました。心から感謝しております。

このままこの第2回フィールドワークを気持ちのいい仕事、で締めくくれるよう、気を少し引き締めて残る2週間を過ごして行きたいと思います。

休養

2005-11-22 23:41:46 | ほっと一息。
11月19日(土)。

みなさんは、疲れたとき、何をしますか?
何もしない?それも手ですが。

今週は妙に疲れたので、外に出ず、ゆっくりマイペースに時間を過ごすことにしました。
朝はいつもどおり7時前に起きて、紅茶を飲み、朝食を作って食べました。
その後、空手の一人稽古。建物の中を走って体を十分に暖め、ゆっくり時間をかけて柔軟。1時間くらい基本を繰り返し、シャワーを浴びる。
ついでに、たまった洗濯物を、たらいで手洗い。

昼食を作りながら、友人のサムにコピーしてもらったビートルズのDVDをかけて、昼食後まですっかり楽しみました。

午後は、少し乾いてきた洗濯物と、前に洗ったしわくちゃのままのハンカチやシャツにアイロンをかけました。アイロンて、すごく落ち着くので実は好きです。そういえば、村上春樹の小説にも、悪いことがあるとアイロンをかけて気持ちを整える主人公がいました。

「俺って天才!」とか言いながら、一人でゆっくり夕食を作り、またビートルズを聴く。この日はトマトソースのパスタでした。
夜は寝るまでたまった日記を書き上げました。1998年から、たまに飛んでるけど、日記帳はつけてます。

全く外に出ない、癒しの一日でした。

人生楽ありゃ苦もあるさ

2005-11-18 23:58:11 | 学業
11月18日(金)。

今朝、これから始まる病院の診断記録入手のため、自分が考えた方法を、人畜共通伝染病担当官と会って検討してもらいに行きました。
申請のための書類は用意してあったんだけど、それもあって、急遽Director General(大臣の次に偉い人)に会うことになりました。予想もしていない展開でした。

それはそれは迫力のある方でしたが、書類に目を通して、あっさりOK.来週から、保健省が発行する許可証をもって、病院の診断記録をコピーする、今回最後の仕事が始まります。

そんな良い話もあれば、その後訪れた、水、国土環境省では、2001年分の地価調査が3分の2終わったところで、必要な台帳がなくなっている、と担当官が慌て始めました。今日で終わりにしたかったのに。

待って待って待ち続けましたが、結局紛失したんだって。これでも中央省庁なんです。そのため、4時から、2000年度分を用意してもらって、また一から地価の調査を始めました。途上国でコンピューターも配備されていないため、作業は、ノートの台帳から一つずつ拾っているのです。うーん、私は獣医師なんだけどなあ。

ま、人生楽ありゃ苦もあるさ、ということで。

忙しさも戻りました。

2005-11-17 23:53:30 | 学業
11月17日(木)。

2つの事件もなんとか収まり、市内は活気を取り戻しました。
そして私も、残した仕事に追われ、また日本からやってきている調査団のため、大学側と調整したりと、大忙し。

イギリスへの帰国は、12月4日発、5日到着となります。
来週から始める予定の、病院の診断記録調査のため、ここ数日方法を考え、夜中に書いたプランをイギリスにメールで提出し、やりとりしていました。明日はこちらの保健省と打ち合わせ。今回帰国前までのプランを煮詰めます。

それと、なんと今週はほとんど、水・国土環境省という省庁で、ずっと調査した村の2004年と2001年の地価を調べています。明日終わりそう。都市化指標の一つに使う予定です。

今日はこんな感じ。夜はこれから、大学に帰国後すぐ提出する、年間レポートに取り掛かります。疫学博士課程も、体力勝負ですわ。

同時多発暴動

2005-11-15 23:06:55 | 異文化
11月15日(火)。

昨日書いたが、これまでの追試代は1教科につき6,000シリング(300円)で、発表された値段は、なんと30倍の180,000シリング(1万円)だったようだ。
暴動により、政府と大学側は改善の検討を始め、大学の暴動は一時収まっている。
暴力に訴えるのはよくないが、これしか方法がなく、学生側が大学側を譲歩させたのを見ると、これがウガンダのやり方なんだと納得するしかない。

しかし、実は昨日と今日、もうひとつの暴動があった。
2001年大統領選挙の対立候補が当時の選挙終了後に南アフリカに亡命していたが、先日彼が帰国すると、警察は彼を追い始めた。

昨日逮捕となった(理由は強姦罪とか?)が、逮捕前に、彼の後援グループが首都中心部で暴動を起こし、これに便乗する強盗団が街を荒らし、マケレレ大学との同時暴動が起こってしまった。

Military Policeはまたも大量の催涙弾、催涙ガスを使い、放水車も群集に水をかけて収集を試みた。今日は、車の量が極端に少ない。みな、慎重に行動している。

そういう私も上手く大学に潜入、荷物をまとめてホテルに移った。昨日は急いでホテルに退避したので、着替えもなかったが、これでひと段落。仕事もスムーズに片付けたし、なかなかの対応かな。

暴動

2005-11-15 00:05:48 | 異文化
11月14日(月)。

先週の金曜日、マケレレ大学当局が、追再試代を1教科につき約1万円徴収することにしたと発表したことから、学生が暴徒と化した。日本の大学で10万円を要求するようなものだ。

大学内に住んでいるので、学生の大声と度重なる爆発音に、町での仕事もあったので避難を決意し、小さい裏門から脱出した。他の2つの大きな門は、学生と警官隊が衝突している。

門から出たとたん、コピー屋の知り合いに、大学内に隠れていろ、と言われた。そうこうしているうちに、周りが騒がしくなり、コピー屋に連れられて、近くの路地へと逃げ込んだ。何がどうなっているのか分からなかったが、逃げ込んだすぐ後ろから、Military Policeの車両が5,6人の兵士を連れて通っていった。見つかれば区別なく攻撃されるとのこと。

周辺の道路も学生とMilitary Policeが交戦しているらしく、安全な出口はなかったが、どこにいても危ないと思ったので、バイクタクシーを見つけて町へと走り出した。
道の両脇に人だかりが出来ていて、そこを抜けると、2台のMPの車両が見えた。道にはガラスの破片とアスファルトが濡れた後、そして燃えた跡。火炎瓶だ。その後数秒後に目、鼻、のどを刺激が襲った。くしゃみ、咳、涙が出る。催涙ガスだった。

ここに入ってしまったら、もう走り抜けるしかない。

後ろから猛スピードでMPの車両が迫ってくる。
どうなるかと思ったが、車は我々の横をすり抜け、そしてバイクは安全な市内へと抜けた。

交戦が終わった直後だったようだ。
この暴動で、学生2人が死亡、現在も戦闘が続いている。
理由もとんでもないが、学生の反応もとんでもない。どんな状況でも話し合いが優先と思うが、いまだに力でカタをつけなければならない状況があるようだ。

これがウガンダだ。本質の一部を見た。
写真は、土曜日の大学内にて。燃やされた車両。道路封鎖をしてある。

旅芸人

2005-11-11 00:48:29 | 学業
11月10日(木)。

西から東へ、東から西へ。首都に戻ってきてもぐーるぐる。
日本を発ってから1年と2ヶ月。特にこの2ヶ月は旅芸人生活。宿を転々とするのにも慣れました。

写真は西へ300kmほどの、放牧地帯での写真。牧場主と。

コブやアンテロープといった野生動物との遭遇もあったし、広大なアフリカ、平野や丘陵地帯を堪能しました。

話せば分かる

2005-11-04 18:40:38 | 異文化
11月3日(木)。

「まあ待て待て、話せば分かる!」

こういうシーンが、昔のドラマにはよくあったと思う。今でも使うのかな?
昨日、今日と、話せば分かる、を実感した日でした。

2日夜、前日に予約したタクシーが来なかったためルワンダに行けなかった、隣人のアンと、遅くまで語りました。私がゲストハウスに入った日、彼女は友人達と騒いでいたし、押し付けがましいところもあったので、私は彼女に対して悪い印象を抱いていました。しかし、仕事、人生、宗教について話すうちに、彼女の人柄が分かり、すっかり打ち解けました。

彼女は地元に根付いた活動をするミッション系NGOで働いているので、なおさら理解しやすかったこともあります。彼女に、私が研究開始当初、市長達にひどい扱いを受けたことを話したとき、彼女は、
「それはあなたがムズング(白人)だからじゃないわ。彼らには教養がなくて研究の大切さを理解できないから、それから例えあなたが黒人だったとしても、初対面というのは信用しがたいものよ。信頼には時間と話し合うことが必要だから。」
そう、私達が理解し合えたように。

3日、イスラムの祭り、イディだったので、チャールズ一家と一緒に、彼の親戚のイスラム教徒の家に招待されました。私にはイスラム教徒の友人は一人しかいなかったので、なんとなく緊張して玄関に入りました。

そこには4人の30代前半から後半の男性がいました。女性陣が食事を作っている間、私は彼らと話をしていたのですが、彼らは世界情勢について非常に詳しく、日本の平和政策について白熱した議論になりました。靖国問題、イラク派兵、憲法改正、小泉首相の再選、今回の組閣人事などなど。彼らは日本の軍国主義化を非常に憂えていて、日本に対する不信感も募ってきているようでした。私なりの解説で、日本人全体は戦争反対だし、平和政策だけで首相が決まるわけではないと説明しました。バブルの崩壊、経済危機と建て直し。彼らも内部事情が良く分かり、納得してくれたようでした。

個人的に強く印象に残ったのはその後で、話題はまた宗教へと移っていきました。彼らは、私が仏教徒だと知ると(ほとんどのウガンダ人は仏教の存在さえ知らない)、お前は、輪廻転生を信じるのか?と質問してきました。以前にもこの質問を受け、困ったことがあり、自分でも「日本の仏教」についてよく考えたことがありました。

日本の仏教を考えるとき、墓参りや、仏壇にお参りすることは、完全な輪廻転生とは理論的に矛盾します。なぜなら、日本人は、故人は「あの世」行ったと考えており、故人がすぐ転生して別の人として生きているとは通常考えないからです。

私が彼らに、
「あなた方がラマダンで昼間食事を節制することと同じように、私達が仏壇に参ったり、墓参りをすることによって先祖を供養するのは、宗教理論云々ではなく、私達にとって非常に自然なことなのです。」
と説明すると、一番物分りの良かった男性は、

「Yes, relegion is life (そう、宗教は人生だものね。)」
とつぶやきました。

初めて宗教について、話し合って他宗教の人と分かり合えた瞬間でした。

とことんいい加減

2005-11-02 15:03:43 | 異文化
11月2日(水)。

発展途上国に住むのが2カ国目となると、大概のことでは驚かなくなるもの。
腹が立つことはあっても、どんなことでも簡単に納得できるようになってきます。

今朝早朝6時頃、5時半に出発するはずの隣人が、携帯電話を貸して欲しいと部屋をノックしました。彼女はこれからNGOの仕事でルワンダに出張予定だったのです。バスも予約し、ゲストハウスに迎えに来るタクシーも予約していました。ところが、そのタクシーが時間になっても来ないのです。
電話をかけても、相手の携帯電話はスイッチが入っていません。我々の車も手元にはないので送ってあげることも出来ないし。

そのタクシーは、予約したバスがすでに出発してしまった7時前にやってきました。通常アフリカン・タイムは2時間遅れなので、まだましなのでしょうか?誰も信用できないのが、ここウガンダ。

今日はイスラムの休日で、ラマダン明けの「イディ」のはずでした。私は大学の上級講師、チャールズと、彼の友人のムスリマンの家に招待されていました。

しかーし、昨夜11時頃ドライバーから電話があって、イディは翌日に変更されたとのこと。国民の祝日が、前日夜に変更されるとは。でもちょっとしか驚きませんでした。ま、誰も信用できないので、今朝とりあえず大学に来ると、チャールズがやって来ました。彼は今朝方知ったとのこと。急に学校に行かなければならなくなった娘も怒っていたそうです。

でも今日は、ウガンダだけではなくて、世界中のイスラム教徒と、イスラム教徒がたくさんいる国の人々も同じように面食らったことでしょう。そう考えると可笑しいですね。