萌えてばかりもいられない!

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Money Ballの雑記帳 vol.1

2011-11-11 02:13:54 | スポーツへの想い
最近何度も書いていますが、マネーボールという小説を読んでいます。

しかし、、、、翻訳物は読みにくい・・・。これ、仕方がないことです。言い回しには、その国や言語の文化的な背景が練りこまれ、ついついしてしまう言い回しが多用される。
なのでリズムが出てくるまでは、その辛い言い回しに翻弄される。
そこを突き抜けると、(気にならなくなるのか、それとも作者も導入部分だけはそうなってしまうのかは不明)明快に展開が頭に入ってくる。

今回読んでいるこのマネー・ボール。実話なので、そこかしこに実際の理論の展開が入る。それに話の流れが現在と過去を行ったり来たりして進行する。GMビリー・ビーンの過去と、野球界の過去、そこにドラフト会議に向けて失望したり、歓喜したりする現在が見え隠れする。
そして、メジャーリーグ(昔は大リーグって云ってた)・マイナーリーグを抱える、野球発祥の国、アメリカ合衆国。その国のドラフト制度や現メジャーリーガーの活躍ぶり、歴史的に有名なプレーヤー、そこにメジャーリーグ特有の年俸の常識や水準が被さって来るわけだ!

どれも頭に入っていない状況だったので、「へぇ~」の連発。
但し、ドルで表記される、その年俸や契約金額の日本円価値だけはすぐに換算できるので、その桁違いな額に呆然とすることは多い。
これにはコツがあって1$=100円で考えた場合、百万ドルが1億円となる。もちろん現在の水準では、そこから20~25%offすればいい。ミリオネアとは億万長者。1億円という金額は個人のレベルでは「お金持ち」という水準は、大体日本もアメリカも一緒と思っていい。おそらくだが、25%offされた金額(7,500万円)をもってアメリカに渡れば、日本の1億円分の買い物ができるはずであろう。通貨が歪に強く評価されているのであるならば、金融資産はいざ知らず(金利やその通貨をもつ国の経済背景というものでの将来価値を算定している結果なので不安定)、消費物の購買であるならば、その歪さが色濃く反映される、はずである。なので体感としては1百万ドル=1億円で換算してください。90百万ドル=90億円という感じで!

通貨の話は止めます。

それで、この話は、野球を科学し、その効能に適切なレベルで金額を割り振るという経営手腕を披露しているわけである。
球場に客を呼べる、有名プレーヤーという評価もあるが、徹底して野球における価値を勝利数という指標を軸に、それを成立させるに相応しい選手評価に工夫を凝らして、それを実践している。
これが大胆であるからこそ、映画化されるわけである。w

ここには、映画でどこまで表現されるか分からないが、小説内で披露された独特の理論を書き留めておくことにする。
ここで注意せねばならないのが、草野球の勝利とプロ野球の勝利をごちゃ混ぜにしないこと。
草野球とは、トーナメントや短期決戦の様相が色濃く、それ故にドラマも奇跡も引き起こすだけの緊張感や戦術、戦略の数々が存在する。それこそ相手の裏を掻くような奇襲もあれば、雰囲気作りや応援、士気の維持、緊張の解しなどが有効に作用することもあるだろう。

しかしシーズンを通して戦う順位争いにその要素は登場しない。必要な場合もあるだろうが、ドラマを起こすことを目的にしている訳でもなければ、薄氷を踏むような勝利方法を説いているわけでもない。究極のところ、GMという仕事をどのように位置づけているのかというのが底流に流れている。なので監督術の話にはならないのである。いや監督の話も出てくるには出てくるが、それはフロントの意向を聞く現場監督という位置付けでしかない。伝統的にプレイヤーから上がってきて、持論を持っている監督に(であればあるほど)この話は煙たさが付き纏ってしまう。。。

そして、メジャーリーガーとは、ある一定の条件を満たした水準のものという前提もある。

まぁ長くなるのでこの辺で本論の書き留めに移ることにする。


第一章 才能という名の呪い
ここではビリー自身のことが書かれている。大学の進学を夢見ていたビリーだったが、どの高校生よりも身体能力に、野球センスに優れていたビリーはスカウトの注目の的だった。しかし、プロ入りを決断したものの、才能が花開かず失望にくれていくのであった。

第二章 メジャーリーガーはどこにいる
現在に戻り、場面はドラフト検討会議。
スカウトとビリーの葛藤が始まる。ここではスカウト批判が始まっている。
①スカウトは自身の経験と照らし合わせて選手をみてしまう(統計・データを推奨)
②選手の最近の成績にばかり目が行ってしまう(統計の始点の問題)
③目で見たものばかりを重視してしまう。速いとか豪快とかいう類。逆に太っている、小柄、華奢などの身体部分からの偏見の排除(統計・データの推奨、幻惑の存在)

また、指名する傾向が徐々に顕わになっていく。
①高校生は採らない。(高校生がメジャーリーグで大成する確率と大学出身者との確率を投手で半分。野手で4分の1としている。)
②四球を選ぶのが上手いという技術を高く評価している。(出塁率という視点。これは通常記録の打率・打点には現れないため)
ビリーがここで披露しているのは、他の球団が評価しないものを評価軸に入れれば、誰も買おうとしない才能を安く手に入れることが出来るという持論とその実践を決断していることにある。

第三章 悟り
ビリーの選手時代の退廃が描かれる。その一方で弁護士のGMが独自の理論を持ち込もうとする。ビリーは引退後、このGM、アルダーソンの元で働くことが、転進のきっかけとなる。

サンディー・アルダーソンの理論
①得点力とは通常チームの平均打率と密接に結びついていると考えるが、チームの総得点と平均打率は実は密接には絡んでいない、出塁率と長打率との関連が上。
②監督の作戦である、バント・盗塁・ヒットエンドランは自滅行為か的外れと切り捨てる。
③守備力は試合の5%しか影響を与えない。
④アウトが3つでチェンジならば、アウト数を増やす可能性が高い攻撃(バント・盗塁)は、賢明ではない。出塁率こそ重要で、それは打者がそのイニングの終了(3アウト)を引き寄せない技術だとする。
⑤全員が一番打者のように出塁を目指すこと。誰でもホームランを打てるという印象を相手のピッチャーに与え、四球を投げさせ出塁を目指すこと。四球をピッチャーに投げさせることも打者の技術である。選手に教えられることは精神面だけであり、肉体面はドラフトに選ばれた時に既に手にしていると判断していること。

選手には四球を選ぶ技術がメジャー昇格の糸口との印象を付けた。
四球の少ないマイナーチームの監督の更迭までもする。
しかし、メジャーに昇格してもそこの監督が四球を選ぶことを戦術として取る監督ではなかった。四球は選手にとっても評価してもらえないならば取り得ない戦術なので、この理論を成就させることが出来なかった。

第4章 フィールド・オブ・ナンセンス
このアルダーソン、実は、ある見識をもつ野球オタク、ビル・ジェイムスの著作を実践していたことがわかり、ビリーはその著作と向き合うことになる。これが前半の一つの山場となる。

ジェイムスは野球スコアというものの解析にのめり込み、自費で出版を始める。「野球抄1977-知られざる18種類のデータ情報」。
セイバーメトリクス、という言葉。言葉は知っていらっしゃる方も多いと思いますが、それは伝統的な野球の指標を越えるもの。
①上記アルダーソンが重視したとする、出塁率と長打率。ビル・ジェイムスはこれらを合わせた指標である、OPS(on-base plus slugging)指標などの創設提唱者である。
on-baseは出塁で、sluggingは強打(引いて長打)。

打率って知ってます?安打÷打数。まぁこの打数からは分子に含まれない四死球を除いている。四死球は投手のミスとする発想からスタートしているこの率は、得点との相関が薄いというのがそもそもセイバーメトリクスの発想です。
チーム平均打率が球界一でもチームの総得点が低いという事態が発生することがあるということです。
残塁という考え方もあるでしょうけど、安打を何を打っても1とする取り扱いがそもそもの間違いではないのかという観点で作られているのです。進塁数(塁打数)を評点に加えるわけです。ホームランなら4、三塁打なら3、2塁打なら2、シングルヒット、四死球は1とした係数を用いていくようです。

得点数とはという公式が書かれています。

得点数=(安打数+四球数)×塁打数÷(打数+四球数)

これでいくと、盗塁数などは得点数との相関がないということになる訳です。ジェイムスのアプローチはいくつもの指標を用いてそれを代入し、公式を組み替えて答えを導く、もとい検証を繰り返すことをしたそうです。

この得点数と防御率(被得点数)を持ってすれば勝率を計算し、勝敗数を計算し、チームのリーグ優勝・シリーズ進出の可能性を描き出せるという話に繋がっていくのです。

私自身、打率は否定しません。ボールを当てることを重視した安打の可能性はバッティングセンスの評価の一つであると考えるとするのも分からなくはありません。ただ、それを何に利用するかという視点です。ドラフト指名ではそれらからだけの幻惑を排除しようとしているのがこの物語です。

ジェイムスは他にも仮説を立てまくります。

守備力を表すエラー数の検討です。
エラーほど主観を交えた指標はないとするわけです。
もし野手がエラーと取られなくなかった場合は、ボールに近付かないことになってしまう結論になってしまうというのです。エラーとは”取れたはずだ”という観念から創出される指標だからです。ノーヒットノーラン、これを成立させるためには”逆に”ヒットではなくてエラーと記録されればいいわけなんですけど、ボールに触れさえしてエラーとされることを望めばいいわけです。。。。
もちろんノーランなので得点されるほどそれを繰り返してはいけないんですけどね。

だからエラーという指標で野手の守備力を見ることは実は不可解なものになってしまうというわけです。なので飛球やゴロなどが野手の守備範囲に入っていったときのプレー成功率の方を重視していく考え方に繋がっていきます。


すいません。。。ここまででやっと第4章です。

物語は第12章まで続きます。が、映画は今日から公開されます!


そして明日から中日とソフトバンクの、両者リーグ覇者同士の日本シリーズが待ち受けています!

盗塁数は得点には絡まないというのがここまででも出てきましたが、盗塁阻止率が極端に悪いとされる両チーム、戦術に盗塁を絡めてくるのかどうか!それが得点に結びつくかどうか!シーズンとは違う、短期決戦ですから大いに心理戦や日本的な戦術の数々もあることでしょう。

両チームのデータ比較は、どこかのサイトに出ていると思います。。。。
去年のは、これ。中日vsロッテ

2011は、明日辺りでるのでは?

それでは映画、日本シリーズをお楽しみ下さい。

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