先週、今週の相場の乱高下は流石に酷かった。
それらも、相場を遠くから振り返るようにして見れば、ノイズの様に見えるのだろうが、真ん中から見ていたら竜巻の中心の光景に近い。
人生が80年とか90年しかないのがなんとも悔しいが、経済なんてこうやって大きな揺さぶりを何度も経ることで、本物だけが生き延びれるのだろう。
同世代の蓮舫議員が、かつて放った大迷言「どうして1位じゃなきゃ駄目なんですか?2位でいいじゃないですか!」
今だから分かるが、2位では駄目なのである。
2位に甘んじようとする、その沁みっ垂れた根性が常に妥協を生む。
DNAは幾らかは多様性をもたらすが、常に良いものを選りすぐって、底上げが図られて登り詰めて行こうとする。
なので、究極を思い描けている企業や経営陣にしか永続は許されない。
法人が人に見立てられている、その根幹の論理から目を背けて、言い訳を探していては、ハゲタカから足元を掬われて、食いものにされてしまう。
少しある良いところレベルは、吸収されて、そこだけが究極体の中でより進化をして行く。
ハゲタカの生業は、その捕食と究極体への良いものの提供にある。
清原達郎氏のわが投資術を未だに読み返すことがあるが、「株価(相場が付けるその値段)は常に正しい」という様な言い回しが何処かにあった。
右往左往する相場は、最終的なその会社の存在意義を色々な人からの評価と、その会社の能力による適正値の割り出しをペタペタと纏って確固たる値段に収れんして行くものを指していると言いたいんだろう。
彼が投資する時に、社長にインタビューして嗅ぎ出している「その経営者が描く未来図の具体性なり、デザイン性」を評価に加え、現段階の小型株の中から有望株を選んでいることがよく分かる。
なので、本当は『これはとても真似できない』という感想に繋がった。それでもその選別の一端は垣間見ることが活きてくる。会社の適切な解散価値とか。
社会の未来デザインに貢献しそうな企業を選んでいれば、ノイズをやり過ごすことが出来ると。
「株価は分からない(究極のところ計算では容易に求められない)」というのは現実で真理だが、ちゃんと理念を持っている企業は利益を出し続けて、一定以上の評価を受け続けられる筈なのである。
この時点で、もうそんなことはしていないだろうけど、今回も迷いなく買い増ししたとの報に触れて、しばらくは淘汰がまだまだ先の資本主義世界の中から、直ぐにはくたばらないDNAを、予め選り出していたんだろうとは思えた。
赤字は本当に異常値。
期間損益を適切に行っているなら尚更、1カ月でも赤字に直面したら、39℃の熱がある身体と受け止めて適切に処方を受ける処断を下さないとズルズルと死んでいく。
一発逆転に期待する気持ちがあることも分かるが、冷静にその確率をもっと真剣に考える必要がある。
今回のこの相場の乱高下から、這い上がれない企業はそういう選別を喰らったということなる(筈)。
うーーー 言い切るのってとっても勇気要る!