萌えてばかりもいられない!

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花神(下) 全巻読了!

2011-03-24 22:47:44 | 推薦します!
下巻では、少し話がパラつく。どう表現したらいいものか、、、村田蔵六の欠陥ともいうべき部分に誤解が生じないように、また周りの環境がそうであることを読者に分からせるための部分が非常に多くあり、少し躓いてしまっていました。(幕末はやはり時代が混沌としているのです)

ようやくの読了、今日は読後感想文です。

花神、中国の言葉で花咲爺(はなさかじじい)という意味だそうです。
幕末に沸いて出てきた、西郷をも超越した軍人。
戦いを革命の真ん中に据えて、それを仕上げることのみを貫いていく才能。
無私の精神であるため、人との交渉が特に苦手な感じ。偉ぶっているんだけど無私だから仕方がなく、みな付き合っているような。
でもこの人、「根っからの志士など、馬鹿に見えて仕方がない」といった感じで、通ずる人物・意気投合出来る者が少なすぎる人格の人なんです。この大村益次郎(村田蔵六)は!

武士の家計簿で大村益次郎が成之を「兵站になれるものはこの時代にそうはいない」と云って新政府に採用したという逸話が読むきっかけでしたが、そういう計算はこの人物は常に行っている状態です。

京に居る時までは、幕府の勢力を尊大に捉えていたようですが、江戸に入れば、戊辰戦争と呼ばれる戦い全ての予想と帰結を見通してしまうといった才能です。奥羽前線から大砲の要請が来ても、その重さ、必要な人足、一日の移動距離、前線の到着日、益次郎が予測する戦闘の決着日から「不要です」と跳ね除けてしまいます。
というか重火器も弾薬も戦闘員も全て計算し尽くされているため、予測を外れないのです。

しかも司馬遼太郎が一番書きたかったのは、戊辰戦争後、西郷を中心とした十年後に起こる西南の役を予言し、そのための政府の真の軍隊を内戦用に整え、九州を仮想敵国として大阪に火薬庫を備えておくことを最後の仕事のようにして末路を迎えます。その予知能力(直感力)の備わり方が尋常ではないと書きたかったのだと思います。
これは思い出します。上巻でいい医者は見立てがいいという、あの話に通じるものがあります。

ただ・・・
勝(海舟)も閉口したというくらい、西郷の持つ機微というものをこの益次郎は持ち合わせていません。上野の彰義隊を打ちはらすための軍費の用立てには、勝と手を切り、江戸城の管理を掌握し、政府軍の志士、武士階級のものを一切自分の命令系統の支配下に置かしめ、着々とその任を果たしていきます。

作戦を漏らさぬように細心の注意を払い、志士上がりの者が立てる作戦の一つ一つを「それのどこが作戦なのだ」「だまりなさい」「その作戦では負けます」というような口ぶりで振り落としていってしまうのです。
彼は江戸に跋扈する彰義隊の殲滅に、かつそのミッションを「江戸を大火事にしないように」と江戸を守るミッションも併せるためのシュミレーションを何度も行い、雨が何日も降り続いたのちに、彰義隊が全て上野の山に集まるように画策して実現してしまうのです。

その人当たりというか、ね、軋轢がために、新政府(官軍)内部より命を狙われてしまいます。

おかしいのは・・・
山田顕義を初めとする人物を招いても、大村益次郎は豆腐しか出さない。
暗殺をされた(即死ではない)時も湯豆腐をしています。
豆腐しかというのも変ですけど、この物語、いつも大村益次郎は豆腐を食べています。

山田顕義は出されたのが招待されて、豆腐二丁だけだったので、むっつりとするのですが、

「豆腐を愚劣するものはついには国家を滅ぼす」

と益次郎は凄むのです。

豆腐には身を養うに十分の栄養が備わっている。それ以上の奢侈(しゃし)を望む者と新国家の構想は話せないと叱咤します。山田は転戦してきているため、江戸の美食が恋しかったのに、この待遇に臍をまげてしまうのです。


愛すべき変人であり、情誼を欠くあたりは時代がその淵(龍馬のいた淵とはまた違ったところ)を用意したとしか思えず、土木機械として自分を全作戦の中心に立たせ、幕府官僚よりも薄給待遇でも長州藩を選ぶ故郷主義者で、攘夷家で、蘭医学者、軍神のような戦略家でしかもどこかで武士を疎んでいた革命思想家。。。。

大村益次郎とは・・・まだまだ言葉が足りないようではありますが、そんな不思議な側面をもつ男でありました。

こんな人物もいたのか!と改めてこの日本という国を偲ぶいい機会でございました。
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