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芸術でも犯罪は犯罪…

2007-02-07 22:48:10 | 業務関連


なじみの編集者氏より依頼があり、守備範囲からいささか外れる分野の原稿を執筆することとなった。
ネタ的にも進行的にもひどくシビアなのだが、まぁ急なリリーフやセットアップはいつものことだし、スケジュールを調整しつつ、粛々と資料の掘り起こしを進める。また、進行が非常に切迫しているので、事前の打ち合わせを入念に行い、お互いに齟齬が発生しないよう努めた。



打ち合わせの後はお決まりの近況報告を兼ねた雑談となるのだが、編集者氏がこのブログを閲覧していたのにはいささか驚かされた。
もちろん、こうしてWEB上に公開しているのだから、どこで誰が閲覧していようと問題ないのだが、流石に面と向かって感想を述べて下さると、なんと言うかとにかく面映い。ただ、感想そのものはいささか(かなり)辛口で、面映いどころか恐縮至極といった流れだった。



特に編集者氏はアダルトの仕事が長かったので現代芸術作家やその周辺の人々のナイーブさ、具体的には「作品の質が向上すれば、多くの人々から作品の重要性が承認され、やがては制作に対する理解も深まる」とかいった類の言説に見られるお気楽さ加減に、少なからずカチンと来るところがあったようだ。
ご存知のように、アダルトの世界は日本国刑法175条(いわゆるわいせつ物頒布罪)との、切っても切れない不愉快な関係があり、例えばわいせつ性と芸術性との関連についても「芸術性はわいせつ性を解消させるので両者は両立しない。高度の芸術作品がわいせつ物として処罰の対象となることはありえない」という非両立説も存在はしているものの、いわゆる「悪徳の栄え」事件では最高裁大法廷において「芸術的・思想的価値のある文書でもわいせつの文書として取り扱うことは免れない」という趣旨の判決が確定している。



さらには赤瀬川源平氏が通貨及証券模造取締法で裁かれた、いわゆる「模型千円札事件」においても「芸術評価は犯罪既逐後の情状にすぎない」との検察側主張が認められており、少なくとも日本の法曹界は「芸術でも犯罪は犯罪」という認識で固まっていると観たほうがよいだろう。ついでに言うなら、法廷において作品の芸術性を判定するのは、あくまでも「判事のみ」であり、作家や評論家は「参考意見を述べる」のみである。



もちろん、日常的にこのような状況と接している編集者氏にとって、自分が先日のエントリーで紹介したような現代芸術作家や周辺人物の見解は、恐らく我慢なら無いほどにナイーブなものと映ったのであろう。



表現の自由が持つ価値を高く評価している自分だが、実は日本の法曹界と同様に「芸術でも犯罪は犯罪」という考えを持っている。



少なくとも、この年になってまで「芸術性はわいせつ性を解消させるので両者は両立しない」などという世迷言を、公開の場で述べるほど中二病が悪化してるつもりは全くないのだよ。



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