諸般の事情から、微妙に取材もかねて上野動物園に行く。
来園時間が遅かったこともあり、お目当ての象は既に運動場から舎内へ引っ込んでいた。ただ、おかげで給餌時間に引っかかったらしく、退屈そうに草をほおばる象の姿を観ることができたのは、さて幸運というべきか不運というべきか?
とりあえず、なんとか最低限の情報は入手できたし、適当にハシビロコウでも観て時間をつぶそうかと思っていたら、かなり場所が離れていたため、たどり着いたことには閉園放送が流れていた。
時間をつぶすまでもなく、あわただしく動物園を後にすると、そのままPLACE Mへ向かい、瀬戸正人写真展「numa」を鑑賞する。
展示最終日の閉廊時間ぎりぎりという、なかなかあわただしい時間だったが、それでも非常に収穫が多く、行ったかいがあったと思う。
瀬戸氏は昨年はじめにもPLACE Mで個展「picnic」を開催し、展示作品は昨年末に写真集「picnic」として出版されたほか(同時に出版記念写真展も開催されている)、同年秋には個展「あの頃、1980」も開催しているが、今回の展示はそれらのいずれとも全く異なる、非常にシリアスでストレートな風景写真といえるだろう。
まぁ、こんな通り一遍の形式論はさておくとして、個人的に強く印象付けられたのは、作家の高度な自制心というか抑制された態度と、二重の意味で卓越した技巧だった。特に対照的なのは、個展や写真集「picnic」で示された「被写体に寄せる粘っこい目線」や、ある種の愚直さとでも言うべき「不器用な制作姿勢」が、今回の「numa」展ではほぼ完全に抑制されていたことだ。
まぁ、大いに抑制されてはいるものの、それでも作品には被写体に対する「どことなくフェティッシュな感覚」がにじみ出ているといえなくもないし、その部分は瀬戸正人という作家の基礎をなす部分でもあろうと思う。だが、逆にそれだからこそ抑制的に表現されていることは意外だったし、さらにリー・フリードランダー的な計算づくの技巧を感じさせられたことは、個人的にそういう技巧と距離を置く作家だと思い込んでいただけに、軽い衝撃を受けさえした。
撮影と暗室作業の両面について、瀬戸氏の技術が非常に優れていることは多くの人々に知られているが、作家として「様々なテーマを器用にこなす」技巧も備えていることを、本当によく理解させられた。もちろん、瀬戸氏は様々なテーマをそつなくこなす、多芸多才な作家でもあるのだが、そこにはある種の変体性というか、作家の欲望が常に存在していたと思う。
だが、今回の展示は「欲望をあからさまにしない技巧」が表現されており、作家的計算高さという瀬戸氏の側面を観ることができたという点で、無理やり時間を作っただけのことはあると、思いかけず知人に遭遇できた点も含め、動いてるハシビロコウをみたような、そういう非常に得した気持ちにさせられた。