性懲りも無く昨日のネタを続けてみる。
言葉って難しい。
「適当」という単語がある。
おいらの中で、ビジネス上は使ってはならない単語としている。大幅に
誤解を受ける可能性があるからね。
本来は「的を得た」とか「場合に適った」とかいう意味なのに、口語では
何故か「いい加減な」という意味で使われているように思う。
本当の意味と使われている意味が、概ね逆転しちゃってるねー。
という訳で、先方様にどちらの意味で解釈されるか分らないという危な
い言葉は使わないに限る。日本語の乱れを危惧しない訳じゃないけど、
誤解されちゃったらオシマイだからね。「適切」とかさ、「上手く」とかさ、
『適当』にそんな単語に置き換えています。
↑これは本来の意味で使用。
次は「エゴ」。
エゴイズムを略しているはずなんだけど、「利己主義」のことでいいんじゃ
ないかな。英語の「ego」は「自我」のことで、そっちの意味で使われること
もあるのかな。おいら的には、前者の意味で使われることが多いと思って
いるんだけど、本来の『我田引水』的な利己主義という意味に留まらず、
「嫌なヤツ」の要素を「エゴ」と表現する風潮はないだろうか。
例えば、自慢すること、威張ること、キレやすいこと、etc...こういったことを
「エゴ」と表現している文面に出会うことが多いように思う。
これはちょっと違うんじゃないかなぁ。違和感ありますよ、おじさんは。
言葉は「生き物」だという。時代に即した使い方、使われ方に変化していく
のは正しいことだと思う。しかし、意思伝達の手段である以上、同じ言葉は
同じ意味として認識されねばならない。
ま、意思伝達の限界ってのはあるけどね。
それは論点が違うからここでは置く。
最後に「標準語」。
東京でフツーの庶民が日常会話で話している言葉は、「東京弁」です!
端的に言うと、NHKのアナウンサーがニュースを報道している言葉、あれが
標準語です。東京山の手の上品な会話言葉も「標準語」だという説もありま
すが、そんな会話を耳にしたことがないので、これにはノーコメントです。
どーでもいいね、こりゃ。
もう一つあった。
「学生」は大学生(短大生含む)を現します。高校までは、纏めると「生徒」
であり、個別には「高校生」や「中学生」です。
この誤用は最近甚だしい。
それだけ『学士』の価値が相対的に下がったってことなんだろうけどね。
これもどーでもいいや。
適当にクリックして
欲しいというエゴ。
↓


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