変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




日差しの変化(へんげ)。
春の日差しは優しい。
夏になると力を帯びる。
秋には物寂しさを醸す
冬は硬い。
かように、陽の光は季節を現す。

針葉樹なのか広葉樹なのか、ということもあるし、斜面なのか平地なのか、
そして、周囲の開発の具合というのも関わるけど、木の葉というのも季節
性を強く示す。顕著なのは紅葉か、あるいは初夏の燃える緑か。

そんな陽の光と木の葉がコラボしたのが木漏れ日なんだから、春夏秋冬
の色合いが一層強められるのは当たり前なのかな。
季語としての「木漏れ日」は、秋を示すんだったかも。
でもさ。勿体無いと思う訳さ。
あんなに季節を語っているのに、秋の声だけに耳を傾けるなんてさ。

おいらは晩夏の木漏れ日が好きだ。
場所は、ちょっと洒落た田舎町の住宅街。お盆の頃には、帰省してきた人
達で賑わいを見せたろうに、一時的であるが故にその後の静寂が際立つ。
焼け付く日差しが木の葉で冷やされ、木の涼しさを帯びて地面を照らす。
地面に映し出されるまばら模様が、紫外線から瞳を救ってくれる。
ちょっとした斜面の道路脇。歩道の向こうには芝をあしらった庭がある白い
木の家がある。吹き抜ける熱風は、木漏れ日の下で心地よい風に変化し、
願わくば近くの小川のせせらぎが聞こえている感じ。

晩夏。祭りの後の情景にも通ずる名残惜しさ、物寂しさ。

このブログを始めたのは、去年の明日。今からちょうど1年前。
冬の木漏れ日は、自然の厳しさを感じさせる。待てよ、葉が無いのだから、
本来は木漏れ日とは言わないのかな。
とにかく、寒々しい雰囲気。そんな心持で書き始めたあの時を思い出した。

おいらの部屋に飾ってある版画は、夏の木漏れ日を見事に映し出している。
キャロル・コレットのAugustという作品。
版権に関わるだろうからここに写真を載せるわけにはいかないけど、大好き
な絵なんだ。
その絵を眺めることも殆ど無かった1年。
久しぶりに見た気がするこの感慨。

1年経って、おいらの心は満たされたかな。

-----追記-----
折角だから、Augustの絵を紹介しときます。
       ↓
キャロル コレット August

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