変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




ウンジョンがソロを出すとのこと。

楽しみにお待ちしております。

本当に楽しみだなぁ。

そんなこんなで、キュリのInstagramに
とんでもない写真がアップされてるぢゃ
ないですか!


妖艶。

この言葉はあなたの為にあるのですね、

キュリ。

素敵です。


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T-ARAの日本における公式サイトが、人知れず無くなっていた。
運営者であるコアコンテンツメディア自体も、存続してるのか
どうか分からないが、何の告知もなく、ひっそりと、唐突に、
リンクが切れていた。

歴史は栄枯盛衰の繰り返しでもあるが、かつての大帝国、
西ローマ帝国は、塩野七生先生「ローマ人の物語」によると、
征服者に対して大した抵抗もなく、そして征服者が後釜に
座ることも無く、ただ蹂躙され、消え去っていったらしい。
西ローマ帝国という、歴史上の大都市、ローマを中心とした
国家としては、何ともあっさりした幕切れだったようだ。

なぜか。

住人と征服者の双方にとって、人心の喪失感が伴わなかった、
或いは、希薄だったからではないか。
即ち、価値を見出せる存在ではなかったということだろう。
「滅亡」ではなく、「消失」か「消滅」だったのだ。

では、ここで語るのはT-ARAそのものではなく、公式サイト
を対象にするとして、このサイトの価値とは何だったのか?

エンタメ業界に疎いボクには分からないが、「公式」を名乗る
サイトには、色んな役割があるはずだ。
しかしながら、掲示板上のファン同士の交流以外に、全く
機能していなかったサイトには、何ら存在価値は見出せない
と言える。だから、「消失」したのだ。

本当にそうか?

ならば、ボクのようなファンに限定されるかもしれないが、
この喪失感はどうやって説明すればいい?

恐らく、公式サイトが「存在する」という一事においてのみ、
しかしながら、その重大な意味において、サイトの消失が
喪失感を醸しているのだろう。

日本でのT-ARAの活動を支える専門媒体が無くなったのだ。

これからの日本でのT-ARAの活動に、言い知れぬ絶望感を
持たざるを得ない。
文句は言っても、再び日本で活動してくれることへの期待は
霧散した。

寂しい。
とてつもなく寂しい。
フェードアウトは、決して傷を浅くする手段ではない。

さようなら を言う機会が欲しいのではない。
あくまで再起を待っている。

頼みます。


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忘れないうちに記録しておこう。

東京-大阪間の移動手段として、
何が優れているか。

結論から言うと、新幹線は素晴らしい。

のぞみ号に適うモノ無し。

しかしながら、値段が高い。

そこを何とかしたい。

ということで、アガいた記録である。




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今更と言うにも遅すぎるとは思うのだが。

全く飽きない Sugar Free だけども、

ボクが大好きだった、名付けて

「ノーガード戦法 行くぜクロスカウンター」

ダンスが、普通の振り付けに変わったのはなぜだろうか。


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