変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




おいらの家の裏には、長さ4000メートル、高さ350メートルに及ぶスキー
のジャンプ台のように傾斜の付いたトンネル状の滑走路がある。
自然エネルギーを変換した電力によってリニアモーターが起動され、
ほぼ無音で動き出した機体は、トンネルの出口付近で音速の直前に
まで加速される。
マッハに極めて近い移動エネルギーを伴って高度350メートルでトンネル
から放り出された機体は、僅かな液体酸素と燃料に点火して一気に加速
され、その後にスクラムジェットエンジンが怒号の目覚めを向かえる。
究極のジェットは機体を更に6倍の速度に至らしめ、高度が3万メートルを
超えたところで吸い込む空気の欠乏とともに息をつきはじめる。
この段階で、機体を載せて加速させて来た汎用土台は切り離され、次の
任務に向けて帰還する。
本体の方は、ロケットエンジンが薄くなった空気を震わせながら噴射を
始め、そのまま機体を衛星軌道まで到達させる。
ここまで僅か数分の出来事。
ここで機体は地球の公転速度を保持しながら、次の準備に入る。
静止衛星から、惑星間エンジンと燃料の補給を受け、おもむろに加速
を始める。ここからは科学燃料エンジンの出番は主に姿勢制御になる。
イオン噴射と太陽風による帆行を駆使し、太陽に向けての旅立。
金星の公転エネルギーを得るためである。そして、更にもう一度地球の
公転エネルギーをチャージし、機体は太陽と逆の方向に航海を始める。
スイングバイ以降も太陽風によって加速し続けるのだが、それでも億の
距離を踏破するのには数年の時間を要する。
地球が肉眼で確認できなくなった現しようのない不安と戦い続ける無限
とも思われる時間を経て、念願の木星に至るのである。
そこは異質な世界。
漆黒の闇と強大な存在力を示す木星。周辺には4つのガリレオ衛星が
有り得ない表情を浮かべている。
木星を取り巻く薄く細い輪が彩りを添えるが、無機質な風景には風情の
かけらも無い。
太古にここで繰り広げられた悲劇を語る者はいないが、衛星達の異様な
表情が惨状の片鱗を伝えている。
・・・続く。


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期待値が高いというのはやっかいだ。裏切られることが少なくない。
逆の場合は得した気分になるが、頻度は低い。

人間、凝り固まってはいけない。
そのためには、自分の枠にはまらないことが重要だ。
興味が無いから行かない、好きじゃないから会わない、やりたきゃ勝手
にしろ、俺を私を巻き込むな。
よく聞く台詞である。
何か打ち込むものがあって、本当に時間が足りない人もいると思う。
しかし、そんな人は前向きで、色んなことに興味を示したり、普通の人
以上にマメだったりする。
要は自分の知らない世界を認める謙虚さを持っている。

おいらの必殺技の一つ。
駄作フリーク宣言。
例えば評判が悪い映画。何がそんなにつまらないのか、という興味。
どこかに隠れている見るべき処を見つけてやる、という意気込み。
意外と面白いものだ。
それでもやっぱりつまらなかった時は、本当のダメ作品に会えたことに
喜びを感じよう。
お陰様で、自分の世界が随分と広がったと思う。

福井晴敏の小説には「亡国のイージス」で出会った。前2作を読んだのは
その後からだ。
面白かった。
それだけに、映像化のリスクは知っているつもりだが、映画にも期待する。
ビデオで見て、まぁ楽しめました。でも、やっぱ原作の方がいいね。

キャシャーンは、少年おいらが見ていたのが出会い。
最近映画化され、評判の悪さは聞いていた。テレビで放送したのを録画
してあったもの見てみました。そして驚きました。
そのテーマに挑んでいたのかっ!? そしてあの結末! 
救いを輪廻に求めるのは良いが、その発想は・・・!!!

表現するものの深刻さ加減はあるだろうが、人間性の根本にある立場
の違いに起因する感情のすれ違い。全く違う2本のお話だったが、おいら
の心の中で、一つの根源的テーマとして収斂したのだ。
このテーマには解が無い。だからこそ、問い続けねばならないという
製作側のプライドもあるのだろう。
メビウスの輪に乗る勇気。
それらもおいらの心を打った。

傑作だと思いました。
ところが忘れてはならない。おいらは「キャシャーン」の映画が嫌いです。
心底、嫌です。
崇高なテーマも気高い情熱も認めよう。しかし、何を現すためであっても、
どんな目的であっても、表現してはならないことがある。
たとえフィクションでさえ、幼子を抱く母親を犠牲にしてはならない。
何を伝えるにしても、そんな手法を採る必要はないはずだ。
稚拙と言わねばなるまい。
鬼畜を表現するのに鬼畜を登場させるとは。
残念だ。


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潜在する能力や機能を、最大限に発揮させるのはとても大切なことだと思う。
仕事上は、品質と費用と納期の満足レベルを高めるために。
私事的には、全ての事象に敬意と感謝の意を込めて、謙虚に。

難しいのは、発揮するものが目的と合致しなければ無意味だ、というところ。
特に不特定多数を相手にした場合は、人によって評価が分かれる。
多数派の支持が得られれば良いのだろうけども、
味気ない。
及第点獲得で本当に満足ですか?

そんな妥協主義が伺える温泉地がある。
万座温泉である。
おいらが知っている限りでの万座の浴槽の多くは、名湯を水で希薄している。
加水は温度を下げるためなのだろうが、源泉掛け流しを謳うことに問題は無い
そうだ。「源泉掛け流し」を謳う上で、最大のタブーは『循環』らしい。
後は、混ぜ物(入浴剤)、加温(沸かす)といったところかで、万座のお風呂の
多くは、どれもしていない。
より多くの人に気軽に万座の名湯を味わってもらいたい、という目的であれば、
これは妥協ではない。
鮮度が大切な温泉にあって、高温源泉を引く浴槽の温度を下げるには、相当
な投資が必要だ。広い浴槽を満たす湯量を確保するためにも然り。
それらはただちに宿泊費や入浴料に跳ね返るだろう。値段が高くても行ける
階層の人達に占有されてしまっては、それはそれで残念だ。

しかし、だ。
白濁硫黄泉の名湯をそのまま味わいたい人って、少数派なのだろうか?
万座の所謂「民宿」に泊まったことがある。そこのお風呂には源泉がそのまま
流れ込んでいた。露天も無いし設備もプアで浴槽も狭かったが、素晴らしい
お風呂だった。
系列ホテルの大露天風呂や、万座で最も有名なホテルの様々なお風呂、
これらが源泉だけで満たされていたら、、、と夢想するのはおいらだけか。

そんなわがままな客のために、「希薄」の事実をつまびらかにして欲しい。
どこにも書いていないのだ。

確かに、国立公園なので娯楽施設が作れないという制約もあり、難しいのかも
しれない。でも、経営努力が足りなくないか? 万座!
はっきり言って、値段の絶対値は今でも高いしシーズンによって差があり過ぎる。
食事も特筆すべきものは何もない。サービスも中の下くらい。
この内容でこの値段、もっと設備投資できるでしょう!
・・・と素人的には思うのだが。

過去に万座に立ち寄ったのは数回だし、泊まった宿も数える程。
なので、個人的且つ断片的な情報なのだろうが、とりあえず、このまま記録して
おこう。
再び訪れた時に、現在の認識に誤りが見つかったり、改善されてたりした場合
に加筆することにしよう。


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おいらの財布には、小銭入れが付いていない。ジャリ銭は、ズボンの
左前ポケットに入れている。右は鍵とパワーストーン。左後ろは携帯。
間違って他の所に入れると、アタフタしてしまう。
習慣である。

小銭の枚数は少ない方がいい。重いし、金額確認が大変だし。
なので、買い物する時は、つり銭の枚数が少なくなるように支払う。
170円なら220円出して釣りを50円玉一枚にする、というアレである。
勿論、ぴったりある時はそのまま払うし、小銭が無ければ札も使う。
ここまでは至極常識的な範囲だろう。

自販機からは商品と釣銭が出て来る。この時、どちらを先にとるか。
キップが万札で買える昨今、札の釣りは誰もが最初にとるだろう。いや、
新幹線のキップなら分からないかな。
120円の缶コーヒー、10円玉がいっぱいあって170円入れたとする。
お釣り50円也。不躾で遠慮の無い衝突音と共に転がり落ちてくる缶と、
独特の金属音を響かせて返却口に到達した50円玉。
どっちからとるか。
このケースの場合、おいらは缶を先にとる。額面が上だから。即ち、
千円札も使って1020円投入していた場合は、釣りが先。
さて、270円のモノを520円投入した場合はどうだろう。250円の釣りと
270円の商品。投下金額という意味では商品に軍配が上がるが、
流用性の高さは圧倒的に現金が優る。
これは迷ってしまう。
しかし、商品が出て来るまでの数秒間で結論を出さねばならない。

商品の購入が主目的だったのか、小銭を減らすことのその時の重要度、
周囲に釣銭の強奪を狙っているヤカラはいないか、この商品は狙われや
しまいか。
ケースバイケースで優先順位を付けるべく、おいらの頭はフル回転する。
そして、得られた結論に応じて、おもむろに一方に手をのばす。
それが商品にせよ釣銭にせよ、とっている段階で結論に誤りを見つける
ことがある。
あれは悔しい。ここは釣り(商品)が先でしょう! と一人呟く。
収まりの付かない心の昂ぶり、今や癖になっているのだが、ズボンの
右ポケットに手をのばす。
そこには、金属で互いに繋ぎとめた5種類6個のパワーストーンが入って
いて、手の中で軽く握り締める。
公私ともに失態をやらかした時と同様に、ほんの少しだけ心が落ち着き
を取り戻す。
次の自販機での買い物では、決して失敗はすまい。

毎日が大袈裟に過ぎて行く。


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丸ビルまで買い物に行ったさ。
「れいじーすーざん」なんてブランドは、おいらの知るところではない。
ヤボでそこの商品を購入する必要に迫られ、止む無く。
仕事の移動途中に立ち寄れるショップを探したところ、丸ビルにあるという。
丸の内ビルング(三菱系なので『ディ』じゃなくて『ジ』)。
関西出身のおいら、丸ビルと言えば梅田の丸いヤツを連想したもんだが、
こっちが本家丸ビルらしい。

10年位前、丸ビルで仕事してた時期があった。雲泥の差、とはこのことを
言うのだろう。ほんと、綺麗になりました。
立替前の丸ビルも味はあった。石作りで、がっしりしていて。
お化けも出たし。
たとえお化けが出ようとも、忙しくて帰れなくて、怖い思いを紛らわすため
にも、一人で仕事に精進したものさ。
それが今やどうだろう。
行き交う人々の洗練されていること。
建物が変わると、中の人も変わるのか。
へー。
勉強になりました。つか、テナントが変わっただけなのかな。。。

無事に買い物を済ませて、仕事先の大手町まで移動。散歩にはちょうど
の距離である。しかし、おいらにとってのこの移動は、単なるエネルギー
と時間の距離との置き換えという物理的作用だけを意味しない。
東京駅を挟んで西から東に抜ける道すがら、歩きながら自分のモードが
切り替わって行くのが分かる。
洒落た地区の女性用ブランドショップで買い物している変なおっさんから、
伝統のビジネス街に溢れるくたびれたサラリーマンに変身。
埋もれていく。
沈んでいく。
這い上がって、息継ぎしなければ。
3月初頭のプレゼン事案がいよいよ最終調整段階。
窒息している場合ではない。


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今思うと、この世に生れ落ちた瞬間から、おいらは虎キチ。
未だ解明されていないが、DNAレベルで塩基配列の中に刻み込まれた
虎因子があるに違いない。
プロ野球がお休みのこの時期、魂が、細胞が、六甲おろしを奏でようと
する。
高らかに歌いあげよう。
誇らしげに口ずさもう。

野球を本格的にやっていたわけではない。
少年として、野球遊びには興じていた程度。
タイガースの帽子をかぶっていたのは当然。
そう言えば、阪神ファン以外の人間がいる、という事実に驚愕したのは
中学に入った頃だったか。おいらが初めて経験したパラダイムシフト。

聖地、甲子園には幾度も足を運んだ。高校野球を含めて。
地元の恩恵がある。
今は知らないが、当時の夏の甲子園大会では、地元高校は予選が
甲子園なこともあった。
我が母校は平凡な高校だったので、強豪ひしめく兵庫県大会を勝ち
抜くのは夢のまた夢。それでも、甲子園で母校を応援する栄誉を得た
のだ。地元って素晴らしい。

初めて甲子園に行ったのは、親に連れられてだったろうか。
友達とも行ったし、アルバイトをしてた頃もあったなぁ。
スタンドでコーラを売っていた。売り子である。
ビンを20本かついで、スタンドに出て行くのである。売りきっては補充に
戻る、の繰り返し。
給料は歩合だったので、実入りはウデ次第。
3本の指に入る位のやり手だったものさ。
どうしても勝てないヤツがいたのも事実だが。
なんにせよ、裏の攻撃中に立ったまま売るようなマナーの悪い売り子
はいなかった。当時の甲子園じゃ殺されて消滅してたのかな。。。

夏の甲子園大会、高校野球のテレビ番組編集のバイトもしてたっけ。
こちらでは、出来の悪いスタッフだったようだ。
あの時の仲間は、マスコミ関係に就職したんだろうなぁ。
おいらには声がかからなかったが。見る目ねぇぞぉ、A放送。

初めて阪神の優勝を目の当たりにしたのは、掛布が現役時のあの優勝。
燃えた。
当時、大学入試に失敗して浪人中だったおいら。
そんなことも忘れて、燃えまくった。
みんな燃えていた。

忘れられない思い出がいっぱいある。
毎年、それらはどんどん積み重なっていく。
忘れてしまった思い出もいっぱいあるんだろうけども。

今年はどうなるかな。
去年の借りを、ロッテに、パリーグに、返さねばなるまい。
開幕まであと一ヶ月ちょっと。
待ち遠しいなぁ。


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我が家のAV機器が全般的に古めかしくなって来た。
昔の銀板カメラのように、最近の機器は味が出てきたりはしないものだ。
撮った写真そのものもさることながら、撮影という行為を通じた思い出作り。
カメラを媒体として記憶を呼び戻す、そんな風情は時代遅れなんだろうか。

おいらは懐古主義者ではない。
ただ、古いモノの良さを認めたいだけだ。そこに生きてきた証があるのは
事実だから。一部にしても。

さて、
まず買い換えるはテレビだろうか。
今のディスプレイでも、525Pも1050iも表示できる。
でも、小さい。
アクオスの56インチは魅力的だ。液晶なのに4msという応答速度。
すげぇ。
値段もすげぇ。
ビエラの65インチも素晴らしい。
フルHDパネル恐るべし。
値段も恐るべし。
ビデオカメラも古い。プログレッシブの3CCDを搭載しているが、ワイド画面
に対応していないし、そもそも走査線の数以前の画質的問題がある。
HDビデオカメラを借りてみたが、これがとても素晴らしかった。
こいつは買いかな。でかいけど。

こりゃ、テレビとビデオカメラの同時購入を目指すしかない。
液晶かプラズマか、40インチクラスのHDプラズマが日立から出るという話
だし、狙いはそこか。今でも画質は日立が一番だと思うし、HDは期待する
ところだ。
しかし、キャノンがSEDを6月に発売するという。
画質、消費電力、応答速度、コントラスト、輝度、等々、SEDが性能で優る
のは確実だ。絵作りも東芝がいれば安心だろうし。
値段次第かなぁ。

その頃には、HDビデオカメラも次世代版が出ているといいなぁ。もう少し
小さくなって、5.1チャンネル録音機能が付いたりして。
SDビデオカメラも次世代に移行してないかしら。FAT16を卒業して、4G
カードが使えるようになれば、あの小ささは魅力だ。

ネコにケーブルを噛み切られて、レフトリアが沈黙している5.1サラウンド
システムも修理か、買い替えか。

録画系は次世代メディアまで、待ち、だな。
ブルーレイかなぁ。

フフフ、夢は広がる。
資金調達という根本的課題は、相手にとって不足は無い。


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他の動物と比較してもしなくても良いのだが、人間の目というのは、とても
良くできている。性能もいいし、大切にされている。
人間の五感で、自らの意思で使用を放棄できる器官は、視覚くらいでは
なかろうか。目を瞑る、瞼を閉じる。
視覚への依存度の高さが、放棄する機能の有無で計れるというのは面白い。
音も匂いも、耳や鼻を閉じることはできない。嫌でも匂うし聞こえてしまう。
だからこそ、音や匂いに対するマナーは厳しいのだと思う。
味覚は・・・。口を閉じたり、食べない、という選択ができるなぁ。

まぁいいや。

おいらは温泉通だ。
自分ではそう思っている。余暇の過ごし方の一つ、という範囲の話だが。

色んな温泉に入ったもんだ。
最近は、訪れる地方毎にお気に入りの温泉があって、新規開拓は減って
きた。温泉との新たな出会いは、行ったことが無い地方に限られている。
とは言え、所詮は関東近県と、出身地である神戸周辺くらいの話。
他の地方については、数える程しか行ってない。
特に、おいらの温泉アンテナは、東北方面に照準している。行く機会が
少なかったので入った温泉と言えば、那須、鬼怒川、蔵王、裏磐梯くらいか。
・・・結構入ってるなぁ。
蔵王は評判負けしない素晴らしい温泉だった。うん。
残りの3箇所は、温泉目的で行くことはないだろうが、ついでがあれば
入るかな。
現在のターゲットは、鳴子温泉。きっとおいら好みに違いない。
もうちょっと暖かくなったら行ってみたいと思う。

あちこち行って色んな温泉に入って、基本的には批判の目ではなく、いい
処を見つける気持ちで来たつもりだ。
そんなおいらだが、どうしても受け入れられない、許せない傾向がある。
塩素である。
レジオネラ菌の事故が続いてから、塩素消毒する温泉地が増えたように思う。
古来からの名湯でも、安全のためと謳って憚らない。
塩素の匂いは、温泉気分を台無しにすると思う。
ここはプールですかって感じ。日帰り温泉ならしょうがない気もするが。
残念だ。
鼻にも蓋が付いていればよかったのに。

そんなこんなを含めて、今までに覚えた泉質の効能や良い入り方、場所毎
の特質等々、勿体無いから記録に残すことにしよう。

まずは、温泉宝庫である群馬の何処かから手掛けるとするか。


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しかし、我が家には何て本が多いのだろう。
その上、仕事関連のものが占める割合の低さよ。
マンガは2割以上を占めているな。

そんな我が家の書棚に、流行りのNANAが仲間入りした。全14巻。
Tクランシーをどけて空けた、わずかな隙間に詰め込んだ。
司馬遼太郎の左、安彦良和の右、新谷かおるの上、塩野七生の下。
後ろにはカミュや落合信彦と松本零士。仕切り代わりに車雑誌。
何だ、この本棚。

さておき、
約1ヶ月かけて読破した。
正直、おもしれぇ。
これは少女漫画の部類に入るのだと思うが、今までに少女マンガを
読んだ記憶は無い。多分。
なので、よくある描写とか、使い古された言い回しとかがあっても
おいらには分からない。
それだけに、余計に楽しめました。
設定が現実離れしていることにトヤカク言うまい。
マンガだから、と言う訳ではなくて、そんなことは些細なことだから。

読者に愛される要素を盗もう。
この作者が、純粋に描きたいモノを表現しているとは思わない。
処世術もアドバイスも、巧みに咀嚼している様子が節々に見え隠れ
している。
含めて学ばねばなるない。

理由は分からないが、細野不二彦のマンガが読みたくなった。
「グーグーがんも」がいいな。
VAN HALENあたりをガンガン響かせながら読むと、独特の感慨。
丘メタル少年だったおいらの世界。

前を向くためには、後の整理が必要だ。
それなくしては、単なる逃亡や避難になってしまうから。


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金が無い給料日前。
我が家の酒が底をついた。

これは由々しい。
酔い潰れないとまともに眠られなくなってから早3ヶ月。
買いに行かねば。
蒸留酒で燃費を稼ごう。

学生時代に先輩と通ったバーがあった。
そこの店長さんに飲ませてもらったのが、シングルモルトとの出会いだった。
当時は基本的にバーボンばかり飲んでたいた。
味が分かっていたわけでもなかろうに。
あれから20年近くの歳月が流れた。
今はちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、シングルモルトの魅力が分かる。
あの店長は既に亡くなられていて、そのバーも変わってしまったが。

とうわけで、シングルモルトを買うことにした。
今回はどんなのにしようかなぁ。
恐らく、酒の中でも最も幅が広い世界のひとつ。迷いだしたらキリがない。
しかし、財布の中は極めて寂しい状態。
晩酌用だ。クセの少ないものにしよう。

因みに、「学生」とは大学生(短大を含む)の呼称であって、高校生は学生
では無い。敢えて呼称するなら「生徒」である。
おいらが「生徒」だった時代は、今よりも子供が酒を飲むことに寛容だった。
あの頃は、安いけど旨い、をウリにした銘柄が国産メーカーから続出し、
伝統のブランドが一時的にせよ消えて行く直前だった。
おいらの机には、いつもトリスとNEWSがが入っていたもんだ。
安かったから。
一人の時はトリス。友達がいる時はNEWS。子供なりの見栄張り。
我ながら微笑ましいではないか。

などと考えながら酒屋に行ってみると、廉価でちょっと洒落た銘柄が結構
出ていた。
これは買わねばなるまい。急遽シングルモルト購入を中止。
グレン原酒の小瓶が付いて来る洒落たものがあったので、それを購入。

今、それを飲んでいる。
大学入学のために上京するおいらに、今は亡き親父がウイスキーセットを
くれた。それも今は無きOld Club House。
その時のグラスで飲んでいる。
何か懐かしい感覚。

将来、息子にも酒を贈ることにしよう。
とっておきのシングルモルトを。


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現在執筆中の小説が、仕上げの工程に入っている。
いよいよ佳境ということで、メールや膝を突き合わせての打ち合わせだけでは
不便なので、情報交換用のHPを立ち上げようと思った。

関係者だけの世界であり、目的も絞られているので、凝ったものは要らない。
というわけで、無料&簡単なものを選んで登録開始。
ユーザ登録してから、雛形を指定するところでネットワークが切れやがった。
ま、それはよくある話。その先が頂けない。
何やら、中途半端な所で切れたらしく、アカウントは登録されているのに有効
にならない、という状態になっている。
新規登録からやり直そうとすると、「既に登録済」と怒られる。
それではと雛形を設定しようとしてみると、「アカウント無効」とのたまわれる。
袋小路。
こらー!
初歩的なバグが流通する世の中、変わらんねぇ。
おいらもエンジニアの端くれ、分からんでは無いし他人事では無い気もするが、
ちょっと酷いね。

ま、いいか。

HP作成を思い立ったのは、共同作者との意思疎通を密にしたかったため。
先日、おいらのバイブルであるスタインベックの「二十日鼠と人間」という
短編小説を彼に貸したんだが、おいらとは感想が全く違った。
こりゃ、よ~く話し合える環境が必要だ、と思い立ったわけさ。

スタインベックの本とは、大学に入ってすぐに出会った。一般教養の授業の
課題だったと思う。生協で買って、いやいや読んだものさ。
何せ、アメリカ文学なんて読んだことがなかったし、遊びたい盛りの頃だし。
これが運命の出会いと言うのだろう。
以来、この作品はおいらのバイブルになった。
このブログのタイトルにしたジョージとレニーは、この物語の主人公である。
それはさておき、大感動した挙句、何時もこの本を持ち歩いていたもんだ。
そして、何かある度に読み返して自分を取り戻した。
久しぶりに、今年も1回読んだんだけども、効果はあった。

はてさて、
そんな感性が異なる二人が創る物語は、広い感性に対して磐石になるのか。
それとも、
意見の不一致から創出される課題が山積しているのか。

HP立ち上げの失敗が暗示する何某かの正体や如何に。
因みにおいらの物語は、文学とは程遠いミステリー。



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二十歳前の小僧でもあるまいし、バレンタインと大騒ぎも無かろう。
事実、今までに2月14日を意識したことは余り無い。正直な話。

オリンピックを見ている。見られなくても、結果はチェックする。
歳を重ねる毎に、感動するようになっていく。今や一人じゃないと
見られない。選手の一挙手一投足に感涙。
涙目のおっさんほど見苦しいものはなかろうから、誰もいない所で
見るようにしている。

すっかり涙腺が弱くなったもんだ。
「フランダースの犬」で泣いている木村拓也のCMで、ほろっと来る。
ジャンプ原田の長野での回想シーンでウルウル。
愛猫を亡くした方のブログを読んで号泣。

あほや。

でも、悪くはない。
誰にも迷惑かけてないし。

困るのは、チョコレート。
こんなおいらでも、義理チョコなら幾つかはもらえる。立場のお陰。
つまり、仕事上の社交事例だけ、ということ。
ま、それはそれで、プロジェクトを上手く運営できているからという
ことで、前向きに受けとめよう。
しかし今年は、権力や立場に依存しない、人と人との繋がりの証
としての義理チョコをもらいたいと思っていた。
仕事一点張りでは寂しいと考え始めたからで、交友関係を見つめ
直した結果である。
でも、全くもらえなかった。
経緯や背景と現状を考えると、いや、考えるまでもなく、
道理としては全く当たり前の結果なんだけども、
何とも悔しいものだ。
何もしないと、何も起こらない。
仕事上で何もしないと、悪い結果という反応がちゃんと出るもの
だけど、日常生活ではそうは行かない。

というわけで、バレンタインで初めて悔し涙。

やっぱあほや。
ほっとけ。


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ペットボトルの水(血糖値上げたくないのでバナジウム入り)を飲みながら
ふと思い出した。
水にはちょっとした拘りを持っている。
神戸六甲山の水を飲料水にして育った身には、東京の水道水はマズ過ぎる。
大阪都心に次いで不味いのではなかろうか。

どんな食べ物も飲み物も、水を使うものであれば、いい水を使うだけでグッと
美味くなる。大事な素材だ。
退廃的と言う事なかれ。
人間が生きて行く上で、食事は欠かせない。生物学的にも精神衛生上も。
後者の依存度は人によって軽重があるが。
そんな食事に使われる食材、何らかの生命の犠牲を伴っている。味の追求は
それへの一つの敬意の表し方だと考えている。
テレビなんかのやり過ぎには賛同出来かねることもあるが、基本的にはね。

そして唐突に紅茶。
マリアージュフレールの紅茶が好きだ。種類がいっぱいあるので、飲んだこと
があるのはほんの一部だろう。
しかし、これは美味いと思う。
浄水器を通した水を浄水ポットで沸かし(沸かし置きしたものは使わない)、
経験則を踏まえた方法で入れる。
とっておきのティーカップに注いだ紅茶の香り、味、色、最高である。
茶葉の種類は、その時の気分で選ぶ。
まさに至福の時。

そんな風に美味い紅茶飲みてぇ、と、映画を見ながら考えていたことがある。
友人に誘われ、「男たちの大和」という映画を見に行った時のことだ。
つまりこの映画、評判の良さとは裏腹に、おいらの心を掴まなかったわけさ。
例えば、淡々と描くリアリズムは、見る側に知見を求めるが、迫力が出る。
好き嫌いは置くとして、「プライベートライアン」が好例。
あるいは、哲学的ですらある徹底した意思と思考の表現。「ガンジー」が
これにあたると思う。
他にも、純粋に感情を突き詰める手法もある。「フォレスト・ガンプ」は生涯
忘れられぬ映画だろう。
これらに対して、何だ、こりゃ。
ま、世界的名作と比べるなっちゅうことなのかもしれないが。

水に拘るおいらが、結局は買ってきたキリンの「アルカリイオン水」を使うのが
最も美味いことを知った。
敢えて大和のスタッフには苦言を呈したい。
キャストもテーマもいい。
素材を最も生かす水を探せ。考えろ。

何様?
俺様さね。


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今使ってるダーツを買ってから、どれくらい経ったかな?
忘れた。
良くしてくれる行きつけの店で買ったのは覚えている。
その前に使っていたのは、酔った勢いで誰かにあげてしまった。
さぞや迷惑していることだろう。
申し訳ない。

ところで、
ダーツ仲間がいるのだが、最近は数がメッキリ減った。もう数人
しかいない。
今でも週に1回位は投げに行っているのだが、殆どは特定の友人
とになった。彼的には迷惑なのかな、もしかして。

彼と一緒に投げ出した頃、確かに奴の方が上手かった。
しかし大差はなく、ゲームでは勝ち負け同率くらいだったもんだ。
これが最近、大きく状況が変わって来た。
全く勝てない。
明らかに腕の差が出ている。
互いに個別に投げることは殆ど無いはず。即ち、才能ってこと。
これは悔しい。
余りにくやしいから、自宅の近所で闇練中。
1時間だけだけど一人で夜中に投げている。隔日くらいのペース。

今に見ていろ、この野郎!
しかし、自分でも下手だと思う。
周りで投げている若い子達の方が、楽しんでいるようだ。

そう言えば、学生の頃にボーリングにはまった。
ある程度までは行ったが、所謂プロ級というわけではない。
今じゃ、ちょっとだけ上手なおっさん。

学生時代に「ハスラー2」が上映され、ビリヤードが大流行。
これにもはまった。
残念ながら、初めてやる人よりはお上手、という程度までが
精一杯だった。

おいら、すべからくこうなんだろうか。

ギター(アコースティック)も歴28年だが、とても中途半端。
ま、滅多に弾かないので当然だが。

いやいや、負けてたまるか。
よ~し、今日も今からダーツ闇練するぜ。


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何て旨いのだろう。
栄養も豊富だし、好物である。

生牡蠣と言えば、痛い目に遭うことがある。
食中毒系の腸炎を起こすウイルスや細菌にやられたことがある。
いわゆる、牡蠣にあたった、というヤツだ。
これはキツかった。
その経験がトラウマになって、牡蠣が食えなくなった知人もいる。
しかし、これについては鮮度の確かさを担保すれば、防げる。
怖いのは肝炎を起こすウイルスだ。A型と呼ばれる。
牡蠣や帆立等にはいるそうだ。
こいつは鮮度に関係なく、感染は確率の問題らしい。
おいらもやられたことがある。
体調が良かったりすると、感染しても発病しなかったりするらしいの
だが、おいらはこれで1ヶ月ちょっと入院した。
完治する病気で、後遺症も無いので今は平気だが、大袈裟じゃなく
死ぬかと思ったなぁ。あれはしんどかった。
阪神大震災のニュースを病室で見ていたので、10年以上前になる。
その結果、安心して牡蠣が食えるという恩恵を享受している。
A型ウイルスの抗体が出来ているので、大きく発病することはもう
無いそうだ。

昨日は職場の仲間とオイスターバーに乗り込む予定だったが、延期。
この「牡蠣食うぞぉ」のやる気はどうしたものか。
久しぶりに、オリーブオイル漬でも作って食うか。塩かけて。
それとも、酢飯に載せて焼海苔で巻いて食らうか。
天婦羅は今はやめておこう。やってみれば分かるが、牡蠣を揚げる
のはとても怖いことだし。
でも、この時刻じゃもう買えない。
明日にしよう。


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