変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




潜在する能力や機能を、最大限に発揮させるのはとても大切なことだと思う。
仕事上は、品質と費用と納期の満足レベルを高めるために。
私事的には、全ての事象に敬意と感謝の意を込めて、謙虚に。

難しいのは、発揮するものが目的と合致しなければ無意味だ、というところ。
特に不特定多数を相手にした場合は、人によって評価が分かれる。
多数派の支持が得られれば良いのだろうけども、
味気ない。
及第点獲得で本当に満足ですか?

そんな妥協主義が伺える温泉地がある。
万座温泉である。
おいらが知っている限りでの万座の浴槽の多くは、名湯を水で希薄している。
加水は温度を下げるためなのだろうが、源泉掛け流しを謳うことに問題は無い
そうだ。「源泉掛け流し」を謳う上で、最大のタブーは『循環』らしい。
後は、混ぜ物(入浴剤)、加温(沸かす)といったところかで、万座のお風呂の
多くは、どれもしていない。
より多くの人に気軽に万座の名湯を味わってもらいたい、という目的であれば、
これは妥協ではない。
鮮度が大切な温泉にあって、高温源泉を引く浴槽の温度を下げるには、相当
な投資が必要だ。広い浴槽を満たす湯量を確保するためにも然り。
それらはただちに宿泊費や入浴料に跳ね返るだろう。値段が高くても行ける
階層の人達に占有されてしまっては、それはそれで残念だ。

しかし、だ。
白濁硫黄泉の名湯をそのまま味わいたい人って、少数派なのだろうか?
万座の所謂「民宿」に泊まったことがある。そこのお風呂には源泉がそのまま
流れ込んでいた。露天も無いし設備もプアで浴槽も狭かったが、素晴らしい
お風呂だった。
系列ホテルの大露天風呂や、万座で最も有名なホテルの様々なお風呂、
これらが源泉だけで満たされていたら、、、と夢想するのはおいらだけか。

そんなわがままな客のために、「希薄」の事実をつまびらかにして欲しい。
どこにも書いていないのだ。

確かに、国立公園なので娯楽施設が作れないという制約もあり、難しいのかも
しれない。でも、経営努力が足りなくないか? 万座!
はっきり言って、値段の絶対値は今でも高いしシーズンによって差があり過ぎる。
食事も特筆すべきものは何もない。サービスも中の下くらい。
この内容でこの値段、もっと設備投資できるでしょう!
・・・と素人的には思うのだが。

過去に万座に立ち寄ったのは数回だし、泊まった宿も数える程。
なので、個人的且つ断片的な情報なのだろうが、とりあえず、このまま記録して
おこう。
再び訪れた時に、現在の認識に誤りが見つかったり、改善されてたりした場合
に加筆することにしよう。


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