ロサンゼルス・オリンピックで柔道の山下が決勝前に足を痛めた。決勝の相手、エジプトのラシュワンはその右足を責めずに負けた。シドニー・オリンピックで篠原は内股すかしでフランスのドゥイエに勝ったと思ったら判定は違った。
ラシュワンはフェアと言われたが、どちらかというとラシュワンにそんな気遣いをさせないように山下が決勝を辞退した方がフェアに近いかな。篠原の方は、仮にドゥイエが自分の負けだと言ってたら満点のフェアだと思った。お前、フェアの意味が全然分ってないよ、と言われるかもしれないけどそんな風に思っている。
上のスクリーンショットは「2005年10月10日21時31分」の記事の一部。法に従うことがフェアなんだろうか、というのが引っ掛った。毎晩晩酌で父親が子供に向かって「今日のお父さんはフェアだったよ。一時停止のところではちゃんと止まったし、女子社員にセクハラしなかったし、・・・」なんて言ってたら気が触れたかと思われちゃうよ。
村上発言は暗に、不備な法律や法律の網の目をくぐって何かをしても、それはフェアだ、全く問題無い、と言ってるような気がする。だけど元々fairってのはそういう意味なんだろうか。辞書を見ても何だか良く分らない。