森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
花・髪切と思考の
浮游空間
カレンダー
2008年11月 | ||||||||
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | ||
1 | ||||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | ||
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ||
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | ||
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | ||
30 | ||||||||
|
goo ブログ
最新の投稿
8月6日(土)のつぶやき |
8月5日(金)のつぶやき |
6月4日(土)のつぶやき |
4月10日(日)のつぶやき |
2月10日(水)のつぶやき |
11月12日(木)のつぶやき |
10月26日(月)のつぶやき |
10月25日(日)のつぶやき |
10月18日(日)のつぶやき |
10月17日(土)のつぶやき |
カテゴリ
tweet(762) |
太田光(7) |
加藤周一のこと(15) |
社会とメディア(210) |
◆橋下なるもの(77) |
◆消費税/税の使い途(71) |
二大政党と政党再編(31) |
日米関係と平和(169) |
◆世相を拾う(70) |
片言集または花(67) |
本棚(53) |
鳩山・菅時代(110) |
麻生・福田・安倍時代(725) |
福岡五輪幻想(45) |
医療(36) |
スポーツ(10) |
カミキリムシ/浮游空間日記(77) |
最新のコメント
Unknown/自殺つづくイラク帰還自衛隊員 |
これお・ぷてら/7月27日(土)のつぶやき |
亀仙人/亀田戦、抗議電話・メールなど4万件突破 |
inflatables/生活保護引き下げ発言にみる欺瞞 |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/国民の負担率は低いというけれど。 |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/[橋下市政]健康を奪い財政悪化招く敬老パス有料化 |
最新のトラックバック
ブックマーク
■ dr.stoneflyの戯れ言 |
■ machineryの日々 |
■ えちごっぺのヘタレ日記 |
■ すくらむ |
■ 代替案 |
■ 非国民通信 |
■ coleoの日記;浮游空間 |
■ bookmarks@coleo |
■ 浮游空間日記 |
過去の記事
検索
URLをメールで送信する | |
(for PC & MOBILE) |
トヨタがにらむと、こんな記事になる。。。
いまの日本のマスメディアが、広告宣伝費にその経営を支えられていること、したがって、その事実があることから依頼主の大企業に頭があがらぬことにふれました。
以下は、その結果、新聞社がどのような記事をつくるのか、そのことを明瞭に示す一例だと私は思います。
こんな記事の存在を、ぬるまゆにつかってすごす日々のこんたさんからのコメントではじめて知りました。
重大なことだと思います。その記事は以下。
大阪ひき逃げ 押収車は黒のワゴンタイプ 20代従業員の所在不明
大阪市北区梅田の交差点で堺市東区の会社員、鈴木源太郎さん(30)が車にはねられ、約3キロ引きずられて死亡したひき逃げ事件で、曽根崎署捜査本部が大阪市此花区内が発見、押収したのは黒いワゴンタイプの車だったことが4日、わかった。 捜査本部は、これまでの調べや目撃証言などから、鈴木さんの遺体が見つかった福島区吉野を起点に、逃走方向とみられる同区や此花区で「黒いワゴン車」を1台ずつ調べる「車あたり」を実施。今月1日、建築会社が借りている此花区内の駐車場で不審な車が止めてあるのを発見した。 これまでの調べで、犯行車両の可能性のある黒いワゴン車が、遺体発見現場から南西の此花区内の複数の防犯ビデオに写っていたことがわかっている。今回押収された車両は、当初言われていた「ホンダ・オデッセイ」とはメーカーが異なるが、よく似たタイプだという。 |
一読いただいた読者のみなさんは、どうお感じになるのでしょうか。
記事が扱っている事件は、大阪で起きたひき逃げ事件で、犯人は数キロにわたって被害者を引きずったとされるものでした。事件の鍵は、証言により黒いワゴン車ということが明らかになっており、当然、車種が何かがその一つであったことも自明でした。
記事は、すでに当該の車両が押収された以後のものなのですが、記者は車種に関して上記のような表現をしているのです。かえって、異様な記事だと思いませんか。この表現が私たちに違和感をむしろ与えないでしょうか。もやもやしたものを、読んだあとで感じないでしょうか。
あえて、点線をほどこしましたが、その部分に着目してもらいたい。
記者が意識していようがいまいが、表現から読み取れるのは二つのことです。
一つは、いうまでもなく特定自動車メーカーと車種をあえてあげていること。しかも、なぜそのメーカーが特定されなければならないのか、はっきりしません。
二つ目は、よりこちらのほうが重大なのですが、先の特定されたメーカーとは「異なるメーカー」を特定せず、あいまいな表現にとどめているということです。
根拠もなく特定のメーカーの車種をあげておきながら、犯行に使用されたメーカーと車種を明らかにしないという落差、記者のこの態度に、メーカーの圧力を感じてしまうのです。
重ねていえば、こんたさんは、その種明かしをして、幣ブログへのコメントでこう表現しています。
イプサムが、 「ホンダ・オデッセイ」とはメーカーが異なるが、よく似たタイプだという。 という表現になります |
すでに、メディアはペンを折っているのではないか。ペンは剣より強し、という言葉がありましたが、いまやその逆です。剣が強いのです。この場合、明確に剣とは大企業(の圧力)と指摘せざるをえません。
幣ブログはこうしたモノがいえない背景に経営的に広告収入に依存している実態に言及してきました。新聞協会の決算報告からもその実態の一端を垣間見ることができるように思えます(参照)。
思うのは、メディアがこのように経営的に財界・大企業に支配させているように、政治の世界でも同様の事態が進行していることも深刻です。つまり、日本の政治の世界では、財界・大企業からの企業献金という形で支援を受けていると、たちまちモノがいえなくなる病気に罹ってしまうということです。
その証拠に、キヤノンの派遣、トヨタの派遣使いまわしを共産党が追及し、現実に改善させているのですが、それとは比較にならないほどの議席をもつ民主党は、大企業の横暴をストップさせるのにどれほどの力を発揮しているのでしょうか。寡聞にして民主党が動かした事実を私は知りません。そこに、メディアと同様の、対大企業・財界の関係をみてしまうのです。やはりモノがいえない関係なのでしょうか。
(「世相を拾う」08236)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
二階俊博氏の認識を問う- 医師不足を認めたくない。。
妊婦死亡「医師のモラル」 二階氏、抗議受け発言撤回
脳出血を起こした妊婦が東京都内の病院で受け入れを断られ、死亡した問題について、二階経済産業相が「医師のモラル」と発言し、医師らの団体などが反発している。二階氏は13日の参院厚生労働委員会で、経産省幹部にコメントを代読させる形で謝罪し、発言を撤回した。 二階氏は舛添厚生労働相との10日の会談で、「何よりもやっぱり医者のモラルの問題だ。(医療界に)入った以上は忙しいだの人が足りないだのは言い訳に過ぎない。しっかりしてもらわないといけない」と話した。 この発言に、勤務医らでつくる全国医師連盟は12日、「勉強不足で事実の誤認がある」と反発。日本医師会も「不用意な発言で心外。考えを改めていただきたい」との声明を出した。13日には市民団体からの抗議が寄せられた。 二階氏は同委員会に「医療に携わる皆様に誤解を与えたことをおわび申し上げ、発言を撤回します」とのコメントを出した。 |
「しっかりしてもらいわないといけない」のは、いったいどちらでしょうか。
どうみても、二階氏ではないでしょうか。
今日、医療崩壊が大方の認識になりました。全国で患者受け入れ不能の現状をもたらし、そのことが度々、報道される現実に私たちは直面しています。また、産科や小児科で著しいように、全国各地で撤退を余儀なくされる公立病院は少なくありません。これらの背景には絶対的な医師不足がある。これが共通の認識となって、たとえば医師養成数が見直されたのです。
二階氏の発言は、逆にいえば、まさに今日の医療崩壊をもたらしてきた要因にもなってきた旧来の考え方の典型ではないでしょうか。
つまり、この考え方で強調され、常々、もちだされてきたのは医療人としての「使命」でした。別の言葉でいえば、医師に自己犠牲を強要するという、無責任な態度ではなかったでしょうか。
それでも医師や看護師や、その他の医療従事者は、みずからの強い使命感から、周りから求められるままに、なるほど自己を犠牲にしながら、ぎりぎりまできたのではなかったか。
こうした自己犠牲をいいことに、政府・厚労省は社会保障費の削減という課題をなしとげるために、医師養成数を削ってきたのです。診療報酬を抑制してきたのです。
医師のモラルがどうしたというのでしょう。
(医療界に)入った以上は忙しいだの人が足りないだのは言い訳に過ぎない、という二階氏は、諸外国と比較して日本の医療の実情がどんな位置にあるのか、認識しているとは到底、思えません。勉強しなければならないのは氏自身です。
今日の事態をもたらしているのは、自身もふくめてとってきた医療施策にこそ最大の要因があるのですから。
はたして発言を撤回してすむという問題なのでしょうか。閣僚としての基本認識が欠如しているわけで、その資格がないのではないでしょうか。
情けない話です。二階氏の言葉は、どこまでも医師不足を認めたくないという感情に裏打ちされたものでしょうが、それは今日、過去のものとして葬り去られたそれといえるのではないか。
ですから、二階氏は、その政治家としての視点が過去のものであることを自ら証明したものともいえるのではないでしょうか。
(「世相を拾う」08235)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
トヨタがにらむと、こんな事実が隠される
報復でもしてやろうかとなどと公言してはばからないトヨタ・奥田氏。
何がこうも彼を「増長」させるのでしょうか。
そのごくごく一端を、昨日のエントリーでふれていますが、少しその点に立ち入ってみます。
昨日は、以下のように記しました。
メディアがいかに大企業に首根っこをおさえられているか、極論すれば支配されているかということです。当ブログではこれまで、現代のマスメディアが経営的に広告収入に支えられていること、したがってその分、大企業の広告に拠る実態があることを指摘してきました。その結果、大企業の顔色をうかがうはめになるというものです。 |
トヨタ自動車は日本でいちばん広告宣伝費を使う企業です。
年に1000億円以上は使うともいわれていますから、新聞もテレビも広告宣伝費がないとつぶれることにもなりかねないわけです。ですから、スポンサーたるトヨタに都合の悪い報道はできないことになるのです。
その一例。
2年後には消費税引き上げ法案を提出するといった麻生首相です。このところ漢字の読み間違えで話題をさらっているわが首相ですが、この発言は、あらためて消費税増税の課題が支配層にとって避けてとおれないものであることを表明したといえるのではないでしょうか。もっとも首相の発言は、この時勢ですから、経済がうまくいったらという条件つきを表向きにしたものではあるのですが。
しかし、これを首相の読み間違えと同程度の問題として聞き流していたらもちろんたいへんです。
当ブログでは、折に触れて、消費税の問題点について言及してきました。
その一つは、消費に課税されるという税の性格から、所得の低い人びとにとって負担割合が高くなるという逆進性についてでした。それから、社会保障の財源問題とからめてこの税の増税が語られてきましたが、社会保障というものが本来、所得の相対的に高い人から低い人への再分配の機能をもつという点を尊重するとすれば、低所得者ほど負担割合が高い消費税をその財源にあてるというのは整合しないのです。
ところが、再三にわたって消費税増税を不可避なものとして宣伝し世論をつくろうとするのが政府と財界・大企業です。
財界・大企業にとっては、消費税による税収が法人税減税を支えてきたという事実があるのですが、消費税増税に固執する理由はそれにとどまりません。
言い方をかえると、消費税というのは、日本を牛耳る大企業、輸出製造業のための税金といっても過言ではありません。日本でいちばん輸出製造業でもうけているのはトヨタ自動車です。ですから、この円高のなかで経営見通しを下方修正することにもなったのですが、ともあれ、トヨタ自動車は一円も消費税を払っていないのです。
この点をこれまで報道できたメディアがいったいあるのでしょうか。
トヨタ自動車は、一円も消費税を払わずに1年間におよそ3000億円の税金の還付を受けているのです(下図)。この仕組みは、以前にもふれました。輸出した製品の消費税は0%の税率をかけて計算することにあります。
消費税は、売上から消費税のかかっている支出を差し引いたものに、5%をかけることになっています。つまり、計算式は(課税売上-課税仕入)×5%、となります。
ところが、税率0%ですから、トヨタの例でいえば、輸出約8兆円にたして消費税は0円です。国内売上に関しては1793億円が課税されるべき消費税ということになる。
一方で、差し引かれる消費税は、消費税がかかる支出が9兆3240億円ですから、その5%・4662億円がさしひかれることになり、つごう2869億円の還付という結論になるのです。
ですから、消費税の税率が上がれば上がるほど、トヨタ自動車に還付される金額は大きくなるという、おいしいものなのです。税率が倍になれば、倍になってかえってくる。
経団連など財界・大企業、そして大新聞がこぞって消費税増税の合唱をつづけるのは、消費税が大企業のための税金であるということと、宣伝広告費で経営の首根っこを抑えられ、モノがいえないメディアという厳然とした構図があるからです。
(「世相を拾う」08234)
■こちらもお願い⇒
世は大企業の天下なのか- トヨタ・奥田発言
トヨタ奥田氏「厚労省たたきは異常。マスコミに報復も」 トヨタ自動車の奥田碩相談役は12日、首相官邸で開かれた「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」の席上で、厚労省に関する批判報道について、「あれだけ厚労省がたたかれるのは、ちょっと異常な話。正直言って、私はマスコミに対して報復でもしてやろうかと(思う)。スポンサー引くとか」と発言した。 奥田氏の発言は、厚労行政の問題点について議論された中で出た。「私も個人的なことでいうと、腹立っているんですよ」と切り出し、「新聞もそうだけど、特にテレビがですね、朝から晩まで、名前言うとまずいから言わないけど、2、3人のやつが出てきて、年金の話とか厚労省に関する問題についてわんわんやっている」と指摘し、「報復でもしてやろうか」と発言。 |
大企業いいなり、大企業の傲慢さは、こんな一面に、こんな形で現れるという好例です。
しかも、天下のトヨタ・奥田氏の発言ですから、典型といってよいでしょう。
曰く、
報復でもしてやろうかと(思う)。スポンサー引く |
この言葉は、メディアの現実を端的に照らしています。
結論づけていえば、メディアがいかに大企業に首根っこをおさえられているか、極論すれば支配されているかということです。当ブログではこれまで、現代のマスメディアが経営的に広告収入に支えられていること、したがってその分、大企業の広告に拠る実態があることを指摘してきました。その結果、大企業の顔色をうかがうはめになるというものです。奥田氏の先の言葉は、このメディアと大企業の関係をリアルに物語るものではないでしょうか。
奥田氏の言葉は、その意味で恫喝にもうけとれる。
分かりやすくいえば、下手なことをいうな、いえば兵糧攻めにするぞといわんばかりの態度といってよいのかもしれません。
奥田発言に象徴されるメディアと大企業の極端な非対称の関係性は、すなわち報道全般に貫かれていると考えてよい。
大企業にとってよからぬ報道は捨象され、都合のよいように、しかも大企業の思惑どおりに報道されかねない、ゆがみがそこに生じるということです。
たとえば昨今の、トヨタの派遣切り。事実としてそれを伝えるメディアは少なくありませんでしたが、その社会的影響をえぐりだすような報道があったかといえば首をかしげたくなります。ましてや、これほどの世界的大企業たるトヨタの「社会的責任」に鋭く迫る報道には、ついぞお目にかかることはありませんでした。
社会の公器であるのなら、本来、そうした立場から切り込むことがメディアにはもとめられているのでしょうが。
少し敷衍してとらえると、こうした大企業の圧力は、選挙時にはいよいよ二大政党に集中する報道姿勢にも直結しているということを想像させるに十分です。二大政党政治を志向してきた勢力のなかに厳然として財界・大企業があるのですから。
たとえば自民、民主のやりとりしか登場しない、この間のテレビの報道の傾向は、それを強く印象づけているようにしか思えないのです。
まあ、財界・大企業の意向にいくらかでも反すれば、手痛いしっぺ返しが待っているのですからね。
(「世相を拾う」08233)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
もはや田母神個人の問題ではない- 防衛大の反憲法教育
きょうは、この田母神の参考人招致の日。その場で、例によって自説をとうとうとのべたようです。彼個人の強調された「個性」をメディアも追っているかのように思えますが、事態はどうもそれとはちがった様相を呈しており、防衛大学という組織をつかって、彼と同様の戦士をつくりあげる、いわば国家的事業が見え隠れする、こんなところでしょうか。
過去の戦争は「自衛」を基本としていたと、「防衛学概論」で教えていたということです。「しんぶん赤旗」がスクープしています(参照)。ちょうど古舘一郎の番組をみていたところ、防衛大学ぐるみで田母神分身をつくるような背景を問う質問を紹介していたものの、誰が質問者なのかさえ伏せるという、念の入れようでした。よほど、共産党を隠したいのでしょう、こう勘ぐりたくなるほどの報道姿勢ですが、「しんぶん赤旗」の指摘は看過できないものではないでしょうか。
世間とは一線を隠した防衛大学のなかでおこなわれている純粋培養。その典型たる人物が、つまるところ田母神氏ということになる。
しかも、彼のどこまでも居丈高な姿勢は、背後に一大勢力があることを想像するに難くない。今回の懸賞論文を募集した企業、そして彼自身の語りのなかで明らかになった歴代の首相との関係等、けっして横に置くわけにはいかないでしょう。
すでに元首相を先頭にした、改憲潮流の画策によって、国民投票法を成立させたにがい経験を、私たちはいま一度振り返る必要があるのでしょう。侵略を正当化する、隠然とした勢力が政治家、征服組を覆っているということでしょう。
防衛大学生の多くが自衛官となる以上、すでに先の「防衛学概論」を学んだ時点で、憲法99条に違反することを当たり前のこととして教育されているということです。田母神氏は、その意味でピエロかもしれません。
憲法99条は、
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。 |
と定めています。
ことは、政府がいうような文民統制うんぬんの問題ではありません。「田母神論文問題」は、自衛官トップが憲法尊重・擁護義務を定める99条に違反するという問題として存在します。
事態は、田母神個人の問題から憲法を覆す教育をおこなう国家機関の存在を照らし出すところまで及んでいるといえるでしょう。反憲法教育がそこにある。
日本の防衛政策、自衛隊そのものが問われているということです。
(「世相を拾う」08232)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
大企業の横暴と「正社員になりたい」という思い。
派遣労働者:「わたしは正社員になりたい」が5割--厚労省調査
なかには、非正規のほうが「自由が利く」などと考える向きもあるようです。が、じっくり考えてみると、その場合の「自由」なるものも、意外と肩身の狭いものであったりする。自分の好きなように労働する時間を決めることができ、好きな時間だけ働くことができるなどと思って、自由だと思うと根本からまちがっていないかどうか、振り返ってみる必要がありそうです。
「好きなように労働する時間」を決めることができると思っている人は、(雇い主たる企業側の)好きなように働らかされていると考えたほうがよいでしょう。そして、「好きな時間だけ働く」とはすなわち世間相場に厳然として縛られた結果、たとえば決められた賃金以上に賃金を受け取ることは不可能だという意味で、相手の土俵、つまり雇い主の思うつぼで働かされていると思ってよいでしょう。少なくともあなたの労働力の価値には遠く及ばないものとして評価された賃金でもって。
つまりこのような条件のもとで働いてもよいと考えることのできるのは、それを補う余剰部分をどこからか補填できる、その手立てがある場合でしょう。たとえば、生活費の大部分に自分は責任を負う必要がないとか、です。こんにち、その条件も途絶えつつあり、圧倒的にはそんなことを期待できるでもななく、したがって調査結果の示すとおり、正職員志向は強まらざるをえません。
労働者をとりまく環境という点で、記事にも示すとおり「派遣切り」が横行する世の中なのです。世界金融危機がなお深刻になるなかで、日本にも徐々にその影響が現れてきました。最近のトヨタなどの派遣切りのように。
労働者にとっては、まったなしに迫ってくる企業の横暴勝手なのですが、しかし、わが身に降りかからぬようにと考える労働者は、率直にいえばけっして少ないないでしょう。こんなときこそ、働くものが一丸となって狼煙をあげる、これが本来の構図であってほしいと半ば願望じみて考えてもみます。
企業は、どんなときでも最大利益を追求します。
グローバル化した経済の中であっても可能なかぎりの利益を追求するために、正規を非正規に置き換えることによって、それを可能としてきました。
具体的には以下の形態をとってきたということです。
昨日の「しんぶん赤旗」では、トヨタ車体の「派遣使い回し」問題が1面トップを飾っていました(*1)。「派遣使い回し」とは、企業が最大追求する際の、具体的な手法なのでしょうが、そのやり口は、いわば法の網の目をくぐりぬけるようなものです。すなわち、派遣労働には「臨時的・一時的」という原則がついてまわります。そのため労働者派遣法には最大3年という派遣労働の制限が設けられています。それを超えると派遣先企業は労働者に直接雇用を申し込む義務が発生するのです。
それを追及され、トヨタ車体が「派遣使い回し」を中止したというのです。きっかけは志位共産党委員長の予算委員会質問だというのです。大企業のこうした横暴勝手をただす、これを本来なら野党第一党たる民主党が、その力があればこそやってほしいのですが、この種の問題で民主党の名がでてきたことを寡聞にして知りません。
大企業には音なし。これが、私の感じている民主党の姿です。これでは自民党とと区別しようと思ってはほとんど不可能ではないでしょうか。
ですから、こんにちの日本政治にゆがみをもたらす要因の一つが、大企業・財界優先、そしてその横暴勝手を許している姿にあると私は考えているので、野党第一党たる民主党の姿に常々、失望させられるのです。
そうではないよと力強い反論を期待したいものですが、現実がそれをはっきり打ち消しているように思うのです。
この限りで民主党はまったく役立たず。それでも、大企業の横暴勝手-この場合はトヨタ車体の期間制限偽装-が少しづつではあれ、しっかりと暴かれているように思うのです。
(「世相を拾う」08231)
■こちらもお願い⇒
*1;「しんぶん赤旗」によれば、トヨタ車体では、A直とB直の二グループがあり、一週間ごとに昼夜勤が変わります。同社は、10月からA直の派遣社員をB直に集め、A直の派遣社員をゼロにしました。「三カ月と一日」が過ぎると、今度はB直の派遣社員をA直に集め、B直の派遣をゼロにします。A直、B直で派遣社員がいない「三カ月と一日」の期間を交互につくり、派遣社員を永続的に使いまわそうというものです。この「三カ月と一日」が「クーリング期間」といわれています。
利益が第一。景気回復はどうなる。。- トヨタの派遣削減
この金融危機は世界を覆い、時が経つにつれて、日本へもその波が押し寄せている。米国市場に依存してきた自動車産業では、その影響をもっともこうむるであろうことは明らかで、たとえば数日前のトヨタの業績見通しの厳しさにそれは反映されている。結局のところ、派遣労働者の大型切り捨てで資本は乗り切ろうとしている。
番組では、いまや世界有数の自動車生産工場地域になった九州の2つの工場を取り上げていた。労働者が働く場を失うばかりでない。自動車メーカーの生産に直結している自動車部品下請けのある中小企業の社長は、繁忙期の4割に生産が減ったことを坦々と語る。夜勤明けの労働者が立ち寄っていた飲食店では、この6カ月余りで極端に客足が減ったという。派遣労働者向けに賃貸住宅を借り上げていた派遣会社は、メーカーの減産によって借り上げていた部屋を減らすほかはない。したがって、突然の契約解除が相次ぎ、不動産会社では今後の借主確保もままならず、部屋を空けておかざるをえない、と困惑した様子でインタビューにこたえていた。
しかし、企業は経営者、株主だけでなく、そこで働く労働者から成り立っているのだ。商品を買うのは消費者である。企業はこの意味で、地域の支えがなければ存立しえないものである以上、労働者も地域も犠牲にしないという責任が企業には求められているのではないか。
番組のなかで、「ニュース23」のキャスターである後藤謙次が、この事態に際して、アメリカとの協力をより強化しなければならないなどと的外れなコメントをのべていて、海外に依存するのではなく、国内需要を高める努力が必要だと強調していた江川詔子の姿ときわめて対照的であった。江川のいうとおり、経済の軸足を外国依存から、国内消費を高める方向に切り替える方策こそが火急に求められていることである。
振り返ると、10月下旬、円相場は一時1ドル=90円台と13年ぶりの円高を記録した。この時点で、3カ月間で円高は対ドルで10%以上、対ユーロでは30%も高くなったという異常さだった。
この円高は、いうまでもなく昨年8月以来のサブプライムローン破綻につづく金融混乱によるものだが、今年9月、アメリカ投資銀行の破綻をはじめとして世界に経済危機はいっそう広まり、資本主義は危機に直面しているとさえよばれた。その結果、株価も世界同時に急落、景気はさらに悪化しているのだ。
少し回り道すれば、景気後退局面にありながら円高になるのは、欧米の金融危機に比べるとまだ日本は痛手をこうむっていない、当面の利下げがない、経済余力がる-などの理由があるといわれてきたが、それ以上に、円キャリー取引の破綻が指摘されている。円キャリー取引とは、金利ゼロ台の円を借りてドルなどの外貨にかえ金差益を利用してかせぐ取引だ。長い間、日本政府と日銀がとりつづけた低金利政策の結果がそれを促進したことになる。
これに国際的金融機関やヘッジファンドなどが群がり、利益をあげてきたのだが、昨年の金融混乱によって損失を出したこれらが、この取引から手を引き始めたわけだ。保有していたドル、証券を売りに出し、円に換え損失補てんする。そのためにドル売り円買いとなり円高がもたらされる。
先にあげたトヨタの派遣打ち切りは、この異常な円高が国民のくらしに打撃を与える典型だといえる。輸入に頼り高収益をあげてきた大企業は、円高のために減益を予想する。それでも最大限の利益確保のために、しわ寄せを労働者、中小企業、国民に押しつける。結果、国民購買力はいっそう低下し、景気はさらに悪くなる。
景気対策は国民生活を第一に置いてはじめないと、この悪循環から逃れることはできない。これまで巨額な利益を貯め込んできたのだから、労働者や中小企業に還元すべきではないか。
以上の筋道を一つの方向だとすれば、政府や大企業がいま考え、とろうとしている方向は、消費税増税や労働者の雇用切り捨てであって、そのベクトルは正反対を向いているといわねばならない。
それでは、国民の購買力もあがらず、いっそうの景気悪化が待っているだけである。
(「世相を拾う」08230)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
貧困ビジネス 関連エントリー
貧困ビジネスというものがメディアでとりあげられています。古いものでは、消費者金融などを指すのでしょうが、それにもちろんとどまりません。
いまの日本では、構造改革の名によって、これまで日本を支えてきたといわれる柱を切り捨ててきました。すなわち、企業社会、利益誘導型政治、社会保障制度です(参照)。この結果、それまで必ずしも表に出てこなかった貧困が露になって、いまや日本を覆っています。
それを商売にするものがいるのが資本主義。
もっとも、日本国政府はいま、消費税増税の同意を得ようと度々、それに言及しています。しかし、貧しいものをより貧しくし、回収した税金で大企業を優遇する。これを国のしくみとしていること自体が貧困ビジネスではないか。
以下に貧困ビジネスにふれたエントリーをまとめました。
消費税増税が国家的貧困ビジネスだという意味
おめでたい言説「貧困ビジネスで稼ぐ連中!」
無保険の子ども、高齢者置き去り。関係の外部化
貧しい者はさらに貧しく- 消費税の累進性
一部が苦しむ不平等か、全部が苦しむ平等かという問い。。
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
筑紫哲也が語った日本政治のがん症状
筑紫哲也氏の死去を、昨夜のテレビ番組のいくつかが取り上げていた。その中の一つで、生前、概ねつぎのことを語る筑紫氏の姿を映し出していた。
政治とは結局は税金の配分の問題である。過去にたいしても、将来にたいしても日本の政治はお金をかけようとしない、と。がん症状だというのだ。
この筑紫哲也氏の言葉は、今日の政治のありようをまことに簡潔でありながら、本質をしっかり捉えている。税金がどのようにつかわれるか、それが政治だという同氏は、小泉以来、特に際立った新自由主義的施策の結果、それがどんな現れ方をするのか、二つの階層を全体から切り取って表現したのだ。
つまり、過去というのは、これまで日本の戦後を現場で支えてきた高齢者たちを、そして将来とは、規制緩和と自由競争が叫ばれてきた風潮の中でその風当たりを真正面から受けてきた青年たちを指している。しかし、自民党政府はいずれも歯牙にもかけぬかのように彼らを扱っているというわけだ。
筑紫氏がいうように税金をどこに配分するか、この点に、政権のよってたつところが表れるというのは当ブログが繰り返しのべてきたことと重なる。だから、その見方からすれば、いまの自公政権は、財界・大企業の意向を中心に政治を動かしてきたということだ。たとえ連立の相手の公明党の支持基盤が創価学会にあったとしても。ようするに、どこから税をとって、どこにつかうか、ここに政党の姿勢もまた如実に表れるといえる。
ところが、政治・経済の軸を大企業・財界に置き、そのいいなりになってきたばかりに、米国発の金融危機によって、日本の現在は、景気の先行き懸念がいちだんと強まっている。規制緩和と自由競争という掛け声のもとに、経済のグローバル化のなかでも自らの利益確保こそを最大の目的にしてきた大企業・財界が海外依存体質をより強めてきたために、むしろその影響は深刻さを増す格好になった。大事なことは、この場合も昨日エントリーでふれたとおり、企業はその論理にしたがい、働くものにしわ寄せするということである。筑紫氏は二つの階層をとりあげて国民の窮状を表現したのだが、以下の数字は何を示しているのか。4割が非正規雇用という異常さ。日本の国内経済の痩せ細りをそのまま表現しているのではないか。
くりかえせば、
企業は経営者、株主だけでなく、そこで働く労働者から成り立っており、商品を買うのは消費者である。企業はこの意味で、地域の支えがなければ存立しえない。企業さえ利益確保すればよいとし、労働者も地域も犠牲にしてよいのか |
ということである。
つまるところ、いまのこの時期に、大企業や財界だけの利益追求を第一に考える政治そのものの是非を議論しなければいけないのではないか。税をどこからとって、どこに配分するか、これが政治であるのなら、いつまでもこの視座から大企業・財界を欠落させ、横に置き、聖域とするような態度はあらためるべきではないのか。
先のようにわれわれにつきつけられる数字は、それを教えているのではないか。
自民党政治は、この間の世界的な金融危機もあいまって、これまでの大企業・財界、そして米国を優先してきた結果、日本社会全体に、国民生活にさまざまな亀裂を生み出し、いっそう拡大して、修復しようにもできないほどの立ち往生ぶりではないか。
だから、有権者の自民党ではもうだめだという思いは強いし、よく理解できるものだ。
この右往左往ぶりを、たとえばダッチロールともいえるのではと考えていたのだが、すでに民主党・簗瀬進氏がそう表現しているようだ。けれども、あわせて私が思うのは、ダッチロールは何も自公にとどまらないということである。
筑紫氏がのべたように、政治とは結局は税金の配分の問題であるのならば、たとえば税制上の大企業・財界優遇をどうするのかも、あるいは法外な軍事費も、問われないといえないだろう。そうなると、民主党はこれにどうこたえるのだろう。官僚政治打破や一般的なムダづかいの指摘のみではすまされない。
つまり、大企業・財界、そして米国にたいしてものがいえず、いいなりになってきた政治そのものが今日、行き詰まっていると、筑紫氏の言葉にふれてあらためて思うのである。
(「世相を拾う」08229)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
トヨタ大幅減益で労働者切り捨て。これでよいのか
米国の金融危機が世界中に波及し、自動車販売で米国市場に依存してきた日本の自動車産業の今を、この事実は端的に示すことになった。話はトヨタだけにとどまらない。ホンダも日産も今期大幅減益が見込まれており、自動車産業界のこの事態は、世界的景気悪化のなかでの日本の製造業の苦しい立場を象徴しているかのようである。
この事態を、日経社説(11・7)は、「トヨタ1兆円減益の衝撃」と表した。
トヨタを頂点とする日本の製造業界が試練に立たされていることを率直に吐露したものだと受け取れるのだが、たとえばその際、トヨタが苦境打開の手段としようとしているのは、労働者へのしわ寄せという、その意味での資本の単純明快な論理である。きわめて分かりやすくいえば、儲かるときにはさんざん働かせておいて、あるいは働くものを酷使し、絞りにしぼったあげく、法外な儲けを溜め込んでおきながら、一転、業績が悪化すると労働者を切り捨てるという、洋の東西を問わず、今昔のちがいもまた問わない、資本家の論理が今回も繰り返されているということだ。労働者は、まさに調整弁として、使い捨てられているのだ。
それは、こんな労働者切り捨てになるのだ。同じ日経新聞7日付がつぎのように伝えている。来年3月末までに5800人の期間従業員を削減するというのである。
トヨタの減益の要因は、むろん世界景気の悪化だけでなく、円高と材料価格の高騰が考えられる。が、一方で、日本国内での販売台数の低迷も、ことこの事態にいたって浮き彫りにされなければならないだろう。
外需だのみの日本の産業構造が問われているということでもある。
日本製造業の、ベンチマーク企業として存在してきたトヨタの現状は、すなわち日本の経済・産業政策を根本から問うていることにならないか。大企業は正社員を減らし非正規の労働者を増やすことで生産コストを切り詰め、輸出を増やして、大もうけを続けてきた。減益局面になって、非正規労働者を狙い撃ちして人減らしが始められるのは、正社員だと労働契約法にも盛り込まれた「整理解雇の四要件」が適用され、労働者との協議がないなど合理性のない解雇は強行できないからにほかならない。
企業は経営者、株主だけでなく、そこで働く労働者から成り立っており、商品を買うのは消費者である。企業はこの意味で、地域の支えがなければ存立しえない。企業さえ利益確保すればよいとし、労働者も地域も犠牲にしてよいのかということを今、問わねばならないのではないか。
企業の社会的責任はそこにあるのではないか。企業には雇用の責任がある。
(「世相を拾う」08228)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
やはりオバマも日米同盟強化
この記事に関するかぎり、関心は、オバマが小浜市を知っているか否かにあるのでなくて、ただ一点にある。
両国トップがともに日米同盟強化に言及したということである。
この間、2度、オバマが日米関係をどう位置づけるかについてエントリーをあげてきた。
結果は、そこでふれたとおり、オバマもまた、日米同盟強化の立場を隠そうとしていないということだ。
日米同盟が日本の政治に、経済に、軍事に大きく影を落としていることを強調し、この現状からの転換が必要ではないかと、昨日エントリーでは問うた。
その立場に立ってみるかぎり、オバマになってもこれまでの日米関係は変わらないということだ。
むしろ、彼が日本に肩代わりを強く求めてくる可能性もあるわけで、今後の言動に関心を払わざるをえない。
つけくわえれば、朝日の記事は、米大統領が小浜市を知っていることに眼目を置いたわけだ。それは裏返せば、同盟強化発言を軽視したことにもなる。
オバマのイメージが壊れると思ってだろうか。しかしどう転んでも、同盟強化発言が重要だと私は思うのだが。
(「世相を拾う」08227)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
オバマ当選に思う
次期米大統領選でバラク・オバマが勝利した。
オバマ当選そのこと自体に特別の感想を私はもっていないが、彼の勝利には、ブッシュの政治からの転換を願う米国民の願いが、そして建国以来の差別的立場に置かれてきた黒人の期待が込められていたことを誰も否定しえないだろう。
私はそれを前提に、わが日本国にひきつけて考えてみたい。この場合、米大統領選後、日米関係をどのように位置づけていくのか、この点がわが国に少なからず影響を与えると考えるからだ。
たとえばオバマが日米安保条約を破棄する。こんなことがあれば、日本の支配層はむろん動転するだろうが、話はそれにとどまらない。
なぜなら、現在の日米の関係は、今日、しばしば日米同盟という名で表現されている。日米安保条約に象徴される日米関係は、米国が政治においても、経済においても主であり、日本が従であることを旨としているからであって、そうなれば、日本の政治・社会的構造を確実に揺るがすからである。 それほどに日本の政治・経済構造は米国(の態度)に依存しているということだ。
それはこんな事象に表れている。
軍事費は、米国の肩代わり的側面が年々、強まっている。思いやり予算だけでなく、米軍再編・移転費用すら負担しているではないか。
そして、たとえば、年末近くになると毎年、日本につきつけられる年次改革要望書を一読すれば、両者の関係がいかなるものか、たちどころに判読できるだろう。
軍事的にも、政治的にも、経済的にも米国いいなりの日本の姿勢がこれらに表現されている。ひるがえれば、この従属の関係がすなわち日本のゆがみにもなっているということだ。
日本国の首相が、ことあるごとに米国の顔をうかがいながら、ことを進めていることを私たちは幾度となく経験させられてきた。われわれが目で見、耳で聞く限られた情報ですら、日米の関係のあり方が色濃くにじみでているということだ。こんな日米の関係を一変してほしい。こう願いたいものだが、それは残念ながら、少なくともすぐには叶いそうにない。
別のエントリーですでに、オバマがジョセフ・ナイをブレインとしていることを引き合いにだし、以下のようにのべた(参照;新テロ法延長の意味・または・民主党の動揺)。
マケイン・共和党=タカ派、オバマ・民主党=ハト派などと単純化してしまうと、日本にとっても、世界にとっても禍根を残すことになりかねません。私はどちらがなっても、ほとんど変わることはないだろうと予測しますが。 むしろ民主党は共和党と比較して、同盟国により負担を求める傾向が強いと説く識者もいるくらいです。 その上で、注目すべきはジョセフ・ナイがオバマのブレインに入っていることです。忘れもしませんが、ナイは、新ガイドラインをつくった人物。いっそう日本への要求、米国の肩代わりを求める圧力は強まると推測するのです。 |
こうのべたのだが、米国の肩代わりを求める圧力は強まるという私の見立てがどうかは横におくとして、閣僚の組織に着手しはじめたといわれるオバマはだが、「ゲーツ現長官(65)が留任する可能性が指摘されている」という観測もある(参照)。そうなると、いよいよブッシュの対東アジア戦略を引き継ぐことになるだろうし、日本にたいする米側の基本的な姿勢が変わる可能性は少ない。ほとんどない。
新しい大統領の誕生で、米国の政界戦略がどのようになるのか、日米の関係がそれにともないどうなるのか、そこでの大転換を率直に期待したいものだが、それを上回る負の条件が現状では整っているように思えてならない。
むしろわが日本国がこれまでの日米関係をいったん白紙に戻し、ほんとうの意味での対等平等の友好条約を締結するよう申し出ることが重要なのであるのだが。
しかし、これは、「政権交代」があろうとなかろうと、まったく望み薄なのも確かである。
(「世相を拾う」08226)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
税のとり方、使われ方を問う- 「社会保障国民会議報告」雑感
25年度、消費税6%上げ 国民会議が最終報告 政府の社会保障国民会議(座長・吉川洋東大大学院教授)は4日、首相官邸で会合を開き、最終報告をまとめ麻生太郎首相に提出した。年金や医療、介護、少子化対策など社会保障機能を強化する必要性を訴え、消費税増税を念頭に、安定財源確保に向けた税制改正論議を求めた。 |
消費税増税は避けられないのか否かという点では、上記のように社会保障国民会議は、消費税増税しか想定していないということです。
税源をどこに求めるのか、これはすぐれてその人の政治的、階級的立場を反映せざるをえない設問でしょう。最終報告は、記事にあるように「現在の社会に生きている国民がみな、応分の負担に応じなければいけない」と強調しているのですが、応分の負担をいうのであれば、大企業・財界にその言葉を返さなくてはなりません。
この図が示すのは、消費税導入以来の消費税による税収が188兆円であるのにたいして、当該期間の法人税減収分が159兆円にものぼるということです。この時期に、法人税の税率が40%から30%に引き下げられているわけですから、消費税税収が企業減税を支えてきたということになります。07年まで大企業は史上最高の利益を更新しつづけて、バブル期を税負担は下回っているのです(参照;図)。
同時に、国民にとってはこの期間はどうだったのでしょうか。消費税増税の際、必ずといってよいほど社会保障が口実にされます。
表は、実際はそれがまやかしであることを証明しているのではないでしょうか。健康保険本人の医療費一部負担割合は3割になりましたし、老人医療も負担増。国民年金も、さらには年金開始年齢も改悪されました。
次々に改悪され、社会保障の充実や高齢化社会に備えるためにという政府の言い分がごまかしでえあることが裏づけられています。
社会保障という言葉がでてくると、負担やむなしとか、あるいは西欧型の「高負担・高福祉」を思い描く人もあるようです。しかし、社会保障をどう支えていくか、財源をどこに求めていくか、それはいうまでもなく、税をどこに配分するのか、税をどこからとるのかという問いと不可分の問題です。
いま、はっきりさせる必要があるのは、消費税を増税しなくても財源はあるということでしょう。
大資産家について上記でふれていませんが、大企業・大資産家の減税を元に戻せば、7兆円の税収が可能です。そのほか大企業向けの優遇税制をただせば、さらに3兆円が可能ともいわれています。
軍事費についてはどうでしょう。思いやり予算をふくめて米軍のために莫大な税金がつかわれています。これらをあらためればさらに少なくない財源が確保できます。公共事業費は削減されてきているとはいえ、西欧に比べると格段に使われています。フランス並みにすれば12兆円の財源が確保できます。
ようは、これらを聖域にしないことです。
是非をしっかり議論し、削るものは削るという立場に立てば財源は生まれます。
その意味で、税金のとり方も、使い方も根本から問う国民的な議論が求められているのではないでしょうか。
とりあえずは総選挙を、そのための一つの機会にしなければなりません。
(「世相を拾う」08225)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
追記;図表は、国民大運動実行委員会作成のリーフレットから。
消費税増税が国家的貧困ビジネスだという意味
麻生首相の先だっての消費税増税公言は、消費税増税を争点にすることを意味しています。財源問題に即していえば、昨日エントリーでふれたように、消費税増税なのか、それとも聖域に手をつけるのか、これが問われているということです。
消費税は、これまでも社会保障のためという理由づけで増税されてきたのですが、結果はそうではなくて、社会保障が削られる一方でした。では、増税分はどこに消えたのか。繰り返し当ブログで言及しましたが、大企業の法人税減税分に消えていったのです。
社会保障は削減の対象になってきたのに、一方で大企業や財界のための優遇をつづけてきた。ここにこそ、今の自民党政治の本質の一つがあります。ここをあらためてこそ、自民党政治からの転換がはじめて実現するし、そのことが国民の苦難から解き放つ第一歩になると考えるのです。が、民主党の「政権交代」論にはこの青写真は入っていないようです。消費税に反対することも、ましてや大企業にノーといえることなどできないのですから。
消費税というのはその税の性格から低所得者の負担割合が高く、しかも、以上のような歴史的経過をたどったことを考えると、消費税の増税そのものが、貧困をさらに広げ、貧しいものはさらに貧しく、富める者はさらに富むように機能してきたことに着目せざるをえません。
以前のエントリーで湯浅誠氏が消費税は国家的な貧困ビジネスだとのべたことを取り上げました(参照)。その指摘は、この点に深くかかわっています。彼はこうのべています(*1)。
貧困状態にある人の貧困を固定化して、それを食いものにするビジネスというのが、いま日本社会のなかで、いろいろな分野で生まれています。私はそれを貧困ビジネスと名づけたことがあります。サラ金はその典型ですけれども、労働の分野では日雇い派遣会社がそういうものです。 これは貧困状態にある人が働きにいって、どれだけ働いてもお金をためられないシステムになっていますから、そういうなかで貧困が常に固定化される。しかし、その一方で、利潤を上げる人が生まれてきます。 弱いものイジメをしつづけているいまの政治状況のなかで、さらに生活必需品などを除外することなく一律に消費税率のアップがおこなわれるのだとしたら、それはもう国家的な貧困ビジネスだとらえる必要があるのだと思います。 |
国家の財政を左右できるのは政治家です。どこにお金を回すのか、決めることができるのです。ですから、どの政党が政権をとるのか、それは税金のつかい方が決定される上で大きな意味をもってきます。つまり、政党がどの階層の要請を受けて結成されているのか、これが重要だということです。
消費税にかぎっていえば、どの政党が消費税増税に賛成しているのか、財源をどのように確保しようとしているのか、いわゆる聖域に手をつけられるのかどうか、これを見極めないといけないでしょう。それは、つまるところ政党が大企業にものをいえるのかどうかと深くかかわっています。
(「世相を拾う」08224)
■こちらもお願い⇒
*1;「消費税で福祉国家になれる?」p47
追い詰められた麻生首相の30日会見
30日の麻生首相の追加経済政策は、いまの自民党政権がどこに軸足をおいているのか、あらためてはっきり示したものだった。いうまでもなく、それは大企業や大銀行、資産家にこそ焦点をあてた政策だった。その柱は、①設備投資減税、②海外子会社の利益の非課税、③証券優遇税制の3年延長、④株式の売却益や配当に対する税率の軽減にある。もっとも、首相の会見では、給付金が強調されたが、これはあからさまな選挙対策以外の何ものでもない。
給付金などに喜んでおれない。
大企業や大銀行対策も、この給付金も消費税増税を当て込むことが合わせて公言されたわけだから。むしろ、首相が3年後からの増税計画を明らかにしたことで、は消費税増税は、総選挙の争点になった。ばらまきも、その後にくる消費税増税で帳消しになるばかりか、国民負担が以後、いっそう強まるということだ。消費税1%引き上げで2兆5000億円の税収になるといわれているわけだから、1年かぎりの給付金など、まさに吹き飛んでしまう。
この点では、民主党も消費税増税を否定しないわけだから、自民党に対決する気もないし、できない。批判もできない。
財源問題では、消費税増税か、あるいは負担能力のある財界・大企業に応分の負担を求めるのか、いよいよこれが対決軸になる。
その総選挙の時期と国会解散について、あれほど解散の時期まで示し、シナリオを描いてきたマスメディアは、30日の首相の会見でもって、こんどは解散は遠のいたという論調で世論を誘導している。しかし、30日の首相会見は、これまで想定されていた10月30日解散がなくなったという一点を示すだけのことであって、それ以上でも、以下でもない。麻生首相は、これまでも解散の時期は自分が決めると繰り返していたが、年内解散が会見によって消えたわけではない。今の時期に、解散は遠のいたなどと推測する必要もない。
ただし、自民党自身が主体的にその時期を確定できる状況にないことも確かであって、米国発の金融危機が日本を襲い、これだけの景気悪化をもたらした要因が、外需だのみで、内需、国民の懐を温め消費を高める政策を軽視したきた、これまで自民党がすすめてきた新自由主義路線にあることも明らかだ。首相が自ら決めようと思っていた解散の時期が先延ばしになっているのはその反映である。それでも、追加経済対策では、いっそうの大企業や大銀行にテコ入れしようというのだから、ゆきづまりも深刻だといわなけれならない。
この間の国会内外のこうした状況は、自民党政治のゆきづまりだけでなく、民主党も、ではしっかりと自民党政治に対峙し、彼らのいう生活第一の立場に立てているのかといえばそうではないことを語っている。民主党も、右に左に蛇行している。ふらふらしている。自民擦り寄りが明らかにされたとたんに、こんどは対決姿勢を強めるといった。だが、口ではそういえても、対決することにはならない。先がみえている。
資本は自らを自己増殖させるために存在している。そのために動く。それが資本の論理だ。
そうした資本をしっかりけん制し、富を国民全体に回す、そのためにこそ政治はあるだろう。今日の日本はその機能を失い、その結果、貧困を広げ、いわゆる格差社会とよばれる社会を政治がもたらしている。その政治の機能を取り戻すかどうか、誰がとりもどせるのか、これが問われている。
自民党にその選択肢はない。麻生首相が消費税増税を公言せざるをえなかったのは、賭け値なしの対立がいよいよ避けられなくなっているからである。大企業や大銀行など支配層と国民の。
別のことばでいえば、区別もつかない二大政党と国民の間の矛盾としての。
(「世相を拾う」08223)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒
« 前ページ | 次ページ » |