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弁護士の「お仕事」
件の卒業式での口元調査も、市職員の思想調査も、そして議員の口利き調査も。
なかには世論の批判をあびて途中で切り上げたものもありますが、動機そのものがいずれも問われないといけないものでしょう。私は、どれもが憲法に違反するのではないかと思っています。
これらが、橋下氏を経由したものであることは、口元調査も、氏と松井府知事がタッグを組んで動き出したことですし、あとの2つは直接、指示をしてはじめて成り立つ話なのですから。
しかし、「橋下氏にからんで」と冒頭にのべたのは、これら3件に関与しているということだけでなく、3件にかかわっているのがいずれも弁護士(出身)である上に、橋下氏の口利きがそこに介在するからにほかなりません。
市職員の思想調査、議員の口利き調査を特別顧問として仕切っている野村弁護士はいわずもがな。橋下市長が任命せずには、この人事はありえなかったはずです。
そして、口元調査が問題となった高校の校長がこれまた弁護士であって橋下氏の推薦があったというのです。考えてみれば、当の橋下氏は、市職員の採用に関して議員口利きがあったことをとりあげ、大阪市議会議員全員を対象に調査をやるといっておきながら、問題にした口利きを裏では自らやっていたというのでは、偽善家のそしりを免れないでしょう。いつも氏自身が口にする有権者にたいしてその態度はまさに欺瞞に満ちています。
話は元に戻りますが、この3件にかかわっているのは橋下氏をふくめていずれも弁護士であるという事実。弁護士ならば、憲法を擁護し、個人の人権を擁護するのが社会的な使命ではありませんか(参照)。
そもそも憲法に反する口元調査、あるいは思想調査、全員対象の口利き調査にかかわることにたいして、しばしば憲法を無視してきた、また改憲を口にしてきた橋下氏ならともかく、それに同調する弁護士はその矜持というものをもちあわせていないのではないだろうかと考えるわけです。まあ弁護士にやる仕事ではないとはっきり断じてよいと思います。むろん「お仕事」などと笑い話にすませるわけにはいかないものであるのにちがいはありませんが。
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滑稽で不気味な「維新」の世界
卒業式で起立しない教員を問題にするのが橋下氏と「維新」議員。氏が一つのことを問題視し、メディアを使って宣伝し、それに乗り出すと、その問題の本質などにはまったく無関心な彼ら議員たち。橋下氏の言葉をまちがいなくうけうりするだけで彼らの頭の中はいっぱいのようで、自分で反芻し気の利いたことの一つも考えることも、語ることもない、いいかえると発展がそこにはないように見えてしまいます。こんな人にはなりたくないものです。
一「維新」議員がこんなことをしでかしました。
大阪府守口市の府立高で8日に行われた卒業式で、来賓として出席した大阪維新の会の府議が、国歌斉唱で起立しない教職員を見て、「ルールを守れない教員がいることをおわびします」などと発言、保護者らが「お祝いの言葉もなく、式が乱された」と抗議していたことが分かった。
府議は「卒業生の皆さんを一番傷つけてしまった」とブログで謝罪した。
高校などによると、来賓として紹介された際に発言した。終了後、学校や府議に保護者らから抗議があったという。府議は「このような教育のもとで3年間生徒を過ごさせたことに対し、本当に申し訳ないという思いから述べた。おめでとうと言える心境でなかった」と話している。(2012年3月13日09時12分 読売新聞)
維新府議、卒業祝辞そっちのけ…不起立教員批判
この人物は、このエントリでふれた議員にちがいはなさそうですが、まあKYとはこのことをいうんでしょう。頭がほんとに悪い。自分が何を思っていようがあえていえばそんなの関係ないことで、卒業するのは高校生ですから、主役の高校生の前でそれをしゃべるのですからたまったものではありません。
100人の人がいればその顔もまたちがうように、それぞれの思想や信条があって当然です。憲法でもそのことは保障しているのですから。それをルールに仕立て、反則したら罰を与えるというしくみをつくることがそもそも憲法に違反すると私は考えるのですが、つくったことをいいことにこんなことをいってはばからない「維新」には通じないようです。
しかし、橋下氏はつねづね民意が、民意がなどといって口実にもちだすのが有権者であったり、父兄であったりしたのは周知のことです。だから、この一件では、保護者らが抗議したとされているわけですから、彼らは、まさに彼らのいってきたことを理由にその言行を問われなくてはなりません。
そして、こんな記事も。
大阪府立和泉高校の卒業式で、国歌斉唱の際、教職員が本当に歌っているかどうかを、校長が口の動きで確認していたことがわかった。
口が動いていなかった教員のうち、1人が歌わなかったと認め、府教委が処分を検討している。国歌起立条例を提案した地域政党・大阪維新の会代表、橋下徹・大阪市長は「服務規律を徹底するマネジメントの一例」と絶賛。しかし、その徹底ぶりに反発もある。
同条例の成立を受け、府教委は府立学校全教職員に、起立斉唱を求める職務命令を出していた。和泉高の中原徹校長によると、今月2日の卒業式では、教頭らが教職員約60人の国歌斉唱時の口の動きをチェック。その結果、3人の口が動いていないとして、個別に校長室に呼び、1人が「起立だけでいいと思った」と不斉唱を認めたという。(2012年3月13日07時52分 読売新聞)
国歌斉唱「口動いてない」教員、校長がチェック
説明はいらないでしょう。あまりのばかばかしさに唖然とし、私ははてなブクマにこう書き込みました。
教育現場の本末転倒。校長はさながら警察官かと思える滑稽さ。この姿をオンエアしてみるがいい、いかにばかばかしいか。
これが教育の場での出来事です。校長が管理者としての性格をもつことについて知らないわけではありませんが、労力をこういったところに注ぐより、もっと他に使ってほしいものです。
さて、先の「維新」府議会議員の言葉を思い出してください。
彼はこうのべています。
このような教育のもとで3年間生徒を過ごさせた
と。
言葉の是非はここではおくとして、この言葉の延長線上では、少なくとも大阪のこれからの教育現場では、そうあって欲しくない、なげかわしい事態がもたらされることが容易に推測できます。
そこでは、校長の仕事といえば、教員一人ひとりの口の動きを疑い深げなまなざしでうかがい、そして入念に点検することという、まるで風刺画のような世界がいたるところにあるはずです。もちろんそれは不気味でもあります。だって、たとえばただただ口元だけを順番に次つぎとみつめていく教育者であるはずのこの校長と同じような姿があなたの隣りあわせにあるのであれば。そして一挙手一投足に目をむけることにいきつきます。
「維新」の全国展開がいわれている今、この不気味な世界を受け容れるかどうかが私たちに迫られるということになるでしょう。
しかし「維新」の考えている世界がこうであるのなら、これには潔くお断りと申し上げるほかありません。
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ルールの区別のつかない人
たとえば、この件もそうでした。
https://twitter.com/#!/okitahiroyuki/status/174904845952745473
また、これなども同じ範疇にふくめてよいと思います。
無念な卒業式
だから、橋下氏は、さかんに有権者にむけて政治の担い手は維新だといわんばかりの饒舌を披露しているわけですが、ここは一度、たちどまってよく観察することが理にかなっているように思います。
もっとも、これまでの日本の政治のあり方にある種の敏感さをもちあわせている人びとは、すでに橋下氏の欺瞞というものを見切っているようですが。問題は、昨年の大阪市長選を頂点にして、氏がいわば日本の救世主だと信じ切っている人びとが相当の割合にのぼるという疑いもない事実です。一昔、いや二昔前なら、こんな潮流は嘲笑の的となった。そんな時期が日本になかったわけではないようですが、それはまさに昔のこと。そこで、日本の政治は、少なくともここ20年ばかりは同じ光景の繰り返しのようにみえて、たまたま有権者の期待の担い手が小泉であったり、民主党であったりしただけのことではないか、とシニカルに考えていたのですが、やはりらせん状に意識が発展をしていくものではないのかなと昨今の状況をみてあらためて考えざるをえないと思えるのです。
ようするに、小泉への、あるいは民主党へのその時々の有権者の期待と、今まさに橋下氏にむけられている期待はまさしく同じものではないかという仮説が成り立つだろうということです。これらはまったく別物だ、ちがうものだと断じることのできる人がいたら、その裏付けがどこにあるのか教えてもらいたいものです。同じ平面上をぐるぐるとまわり続け、3次元的に展開しない、これが政治をまなざす有権者のすがたではないのか。そう、思えてなりません。
そして、この現実を客観的にとらえているのかいないのかは別にして、まさに有権者に自分の姿を重ね、有権者の意を自分たちの描く方向と一体のものだと主張しているのが橋下氏と維新の皆さんなんでしょう。
その一例。

この大阪府知事のつぶやきは、まあ本人も腰が最初からひけている感じが読み取れないでもありません。が、なんともそのインテリジェンスの水準を示して余りあるものだと思えます。誰でも規範法が日本においては日本国憲法であることは承知しているはずなのですが、この人物にとっては、そんなことはおかまいなしに、自らつくったルールというものがまるで憲法に優先するかのような言いぐさです。憲法に反するルールをうけいれないのは、私だって同じです。それを意識している人なら、そのルールとやらを拒否するのは当たり前のこと。違憲状態とはそんな状況をいうのではないでしょうか。そんなルールを多数の力を借りて決議し、それに従わないのを従わせるために、いわば国家権力の一つの形態でもあり、軍隊ともいわれる自衛隊をもちだすとはいったいどんな感性なのかと驚かざるをえません。たとえツイッターであろうと。
少なくとも今の日本でいえば、日本国憲法に反するルールはルールの意味をもちえません。だから、たとえば橋下氏が、労働組合の活動を問題視し、それをあたかも民意が支持しているかのようにいって思想調査をおこなった一件は、憲法にてらして正当性をもつのか否かという視点で問われなければなりません。思想・良心の自由が憲法にうたってある以上、個々の職員が思想や信条や、労働組合活動への参加の有無等を一大阪市長にたいしてこたえる義務などまったくないのはいうまでもありません。
ルールとは、支配する側がつくり徹底するもの。しかし、そのルールが日本国憲法に反する内容をふくんでいたら無効となるものです。松井一郎知事は、おそらくそれを知らないか、または知ってはいるが憲法に価値を置かず無視してもいいと考えているか、のどちらかです。つけくわえれば、橋下氏は弁護士ですから、なおさら悪質だと断じてよいと私は思います。
違憲とは何かを知らないのも、知っていてあえて憲法を無視しているのも、いずれも危険きわまりないものですが、そんな人物が現に知事としているという事実をしっかりみつめる必要がありそうです。
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橋下という人物を駆動させるもの
たとえば医師であったり、教師であったり、あるいは弁護士であるのなら、いわゆる社会的な使命感とでもいってよいものが駆動する力になっているように思えます。医師は、目の前に健康を害している人がいれば、すぐさま手をさしのべ診断にかかるでしょう。もうかなり時がたってしまいましたが、神戸の震災でもそうでした。いち早くかけつけた人たちの中に医師の姿がありました。東北の地震もやはりそうでしょう。教師ならば、人間の全人格的な成長をうながすという役割は教師という職業を選んだ人にとっては他にかえることのできないものではないかと思えます。付け加えるならば、政治家だって本来、社会的使命に裏打ちされて志すものではないかと考えたりもするのですが、これは現実には正直あやしい気もします。そして、弁護士であれば、人の権利が侵害されているとき、それを黙って見過ごすわけにはいかないだろうと思えるのです。
なぜって。弁護士法をながめたことは、ありますか。最近、気になってみたのですが、こう書かれていました。
(弁護士の使命)
第1条 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
2 弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。
だから、弁護士はもともと基本的人権というものを擁護する、これが使命とされています。また、社会正義を実現すること、これもまた使命なのです。もっとも正義というものはそれぞれの人の価値判断がともなうので、なかなかこれが社会正義だといっても全員一致とはならないのかもしれません。しかし、基本的人権ならば、明瞭です。なにしろ日本国憲法にうたっているものなのですから。
この文脈で考えた場合、どうもしっくりこない現実が今、私たちの目の前に現れています。ツイッターで細切れに「政治論」をのべる橋下大阪市長。
以下はcoleoの日記;浮游空間で公開しています。ご一読いただければ幸いです。
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学者嫌いの橋下市長に捧げたい学者
素人にも分かる、根も葉もないことを堂々とメディアに載せてもらえるのですから、これほど旨い商売もないのかもしれません。
大阪市の橋下氏の言動の一つひとつが、世論を分ける。これが偽りでないことは、われわれにとどくメディアの報道をはじめに情報の量において他とは比較にならないように思えるからです。氏の提案することが誰も反対する人がいないものであれば、報じる価値を、メディアは見いだせないでしょうから。メディアが報じるのは、そこに新しい対立があるか、または予想されるからといってもよいかもしれません。この延長線上で橋下氏自身が、現下の構図を、さながら橋下・マスメディ・若者VS既成の利権集団・学者と単純化し、それを吹きまくっているのが現状でもあります。
それは、氏が率いる「維新の会」の末端政治家(とよんでおきます)がこうつぶやいていることからも伺い知ることができます。

若者と職員という本来、ちがったくくりの概念を対置させるという理不尽をまったく理解できない頭脳とはいったい何でしょうか。もっとも橋下氏自身がえらく若者をあげつらっている現実がありますが、あまりにも純粋にそのまま真似をしているのでしょうね。
ともかく、「維新の会」の地方政治家の水準は、それでは民主・自民など規制政党はどうかといわれる向きもでてくるかもしれませんが、けっして褒められるものではないと思っています。それは、上にあげたつぶやきからみてとれる水準でも分かります。もともと、この「維新」の連中ときたら、かつて自民や民主に籍を置いていた者もいますし、あるいは勝ち馬に乗るという狡猾な考えで、にわか仕立てで橋下にくっついたという者も少なくないのですから。ちょうど、それは今回、それが塾とやらを開き、塾生を募り、その中に民主党議員がふくまれていたように。この全国展開が大阪の矛盾を全国に拡大しようとし、しかもそれが大々的に受け止められているところに日本の政治の滑稽と皮肉、別の言葉でいえば悲喜劇があるような気がしてなりません。
このような橋下氏を中心にあたかも政治が動いているかのように描きだすのが当面のメディアの仕事かと思える言論空間で、岸博幸氏がこんな文章を載せています。
まずタイトルから、どこかのアピールか決議ではないかと思いこそすれ、すでにアカデミックの気配がまったく感じられないという点がすでに文章の程度を明らかにしているのかもしれません。
大阪市労働組合連合会(大阪市労連)に対立する第二組合(?)からのメッセージでも、あるいはブログ世界の一エントリでもない、ちゃんとした大学教授の文章です。断っておきますが、私は過去の市労連をいくらか見聞きしており、今ももちろんけっして支持はしません。が、それでも今回の一連の橋下氏の言動にたいしては、それが違法であることを国民・有権者が共有しておくことが必要だと思います。さらにいえば、氏自身が法律家でもあるわけですから、弁護士法によるかぎり人権を尊重すべき弁護士の彼がこの間とってきた態度はおよそそれに反しているのではないかと疑わせるに足るものである以上、それを見過ごすわけにはいかないでしょう。
岸氏の文章は、以下に示す「第三者調査チーム中間報告」の指摘する点は労働組合にたいするものという視点で貫かれていることです。ようするに、その姿勢は、ねじ曲げた上で労働組合を攻撃しているとしか思えないわけです。
形式上は市の通常の業務を行うポストに就きながら、実際は勤務時間中に組合活動を行う“ヤミ専従”も、二代前の関市長の時代になくなったと言われていましたが、まだ脈々と続けられていたことも明らかになりました。
こう岸氏はのべています。
対応部分を調査報告書でひろうと以下のとおり。
交通局は、違法な組合活動が市会で指摘されたのを受けて、平成24年1月18日をもって、交通局の全事業所における便宜供与の許可を取り消すことにした。しかし、交通局は、その時点において下記のようなルール違反の便宜供与(以下「ヤミ便宜供与」という。)が行われていることを認識していたにもかかわらずそれを隠蔽し、あたかもルール内の便宜供与だけを廃止するかのように装っていた。
また、区役所の中には、敷地内の離れのようなところに、所有者の分からない私物が散らかっていることころがあり、その中に組合の資料が含まれていたことから、ここでもまた、ヤミ便宜供与が行われていた疑いがある。
例えば、バスの乗務員でありながら職場安全衛生推進委員(問題の指摘を受けて、昨年12月に廃止)の職務を兼務することで、乗務しない日を多く作り出し、その空いた勤務時間を組合活動や政治活動に使う職員が見つかった。
こうした行為は、専従届を出していない点で正規の専従とは異なっており、他方で完全に職場を離脱しているわけでもないため、かねてより問題視されていたヤミ専従とも異なるが、実質的にはヤミ専従と同視できるものである(以下「実質的ヤミ専従」という)。
大阪市・第三者調査チーム中間報告「大阪市役所で発見された違法ないし不適正行為について」書き起こし
ご覧のように「ヤミ便宜供与が行われていた疑いがある」、「実質的にはヤミ専従と同視できるものである」という慎重な表現なのですが、これはまさに管理者にたいする指摘でもあるわけです。
すべてがこのように調査チームの指摘を労働組合に押しつけるのでは、およそ世間が理解するような実証的な学者の態度とかけはなれていることは明らかなような気がします。
市労連や大交(とよばれ市バスの運転手などが加入しています。大阪交通労組)のこれまでは、かつての総評などが政党支持を組合で決めてしまうというものでしたし、ある意味でその先頭をいく、私の知るかぎりつけいれらるスキだらけの労働組合でした。その点を差し引いても、今回の調査の違法性を指摘しなければなりません。もちろん各方面からの抗議を受けたため、調査報告書自体に、思想・信条を問うた部分の掲載はありません。
この点でも岸氏の態度は尋常ではありません。
思想・良心の自由に関わるような事項については任意回答としており、回答を強制していません。政治活動に参加したことがあるかなどの事実確認だけを行っているのですから、必要最小限の調査だったと言えるでしょう。
そうではなく、「思想・良心の自由」にかかわる設問を準備すること自体が問われるのです。だって、いまどき採用面接で「思想・良心の自由」にかかわる企業なんてないでしょう。あればそれこそ違法です。
氏が橋下氏を支持しようがしまいがそれはまったく関心がありません。
けれど、みてきたように、岸氏の言論は学者というにはおよそそれにふさわしくないごまかしと予断にもとづくものではないかと強く思うのです。
* 岸氏は市労連が直接かかわらない、一部の労働組合(「なかまユニオン」大阪市職員支部)の懲戒請求を問題にしています。この請求は、調査を担当している野村弁護士を対象にしたものですが、私はこの懲戒請求を支持しません。野村氏を対象にすることによって、今回の一連の事態の問題がどこになるのかを不鮮明にすると考えるからです。橋下氏の改憲をも公然と口にする日本国憲法に対する姿勢、公共に身を置く立場でありながら徹底して一部を排除してよしとする姿勢こそ、明らかにされるべきだと思います。
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橋下市長;人のはみるが、自分はみせないメールの論理
事の発端は、大阪市職員の政治活動を理由に労働組合の活動、さらには思想・信条を聞き出そうという調査にあります。複数の弁護士がこれに加担する格好になっているのに正直おどろきました。弁護士というものは、現行の法律を遵守するものだとばかり思っていましたが、橋下市長周辺ではこの理屈がとおらないようです。
この件は、大阪府の労働委員会が勧告したことでいちおうの決着がつきそうな気配ですが、橋下氏のことですから、今後どう転ぶか分からない。
ともかく府労働委員会は「(不当労働行為の)支配介入に該当するおそれのある(質問)項目があるといわざるを得ない」という見解に立って、調査をやめるよう勧告したのでした。朝日の記事によれば、「労働委員会が労働組合法違反の有無の審査手続きに入る前に、違法性を示唆する勧告書を出すのは極めて異例」というらしいのです。いいかえると、審査という手続きを経たのちに勧告がだされるのが通常であって、そうした手続きを経由せずに勧告したのは違法性が明白であったからにほかないないでしょう。
そこで今度は、市のサーバーに残るメールを密かに点検させるという挙にでたのです。
大阪市が、市役所のサーバーに保存されている市長部局全職員の内部メールの点検調査に着手したことが分かった。橋下徹市長が問題視する職員の政治・組合活動の実態解明が狙い。調査を担当する市特別参与の弁護士がデータの提供を受けたが、この調査を市は職員に通知しておらず、識者は「職員の了解もないのは行き過ぎだ」と指摘している。
調査対象は、市長部局の職員約2万3400人が、庁内ネットワーク上で送受信した業務連絡用の内部メール。私的利用は禁止されているが、市では通常、メールの監視は行っておらず、同様の調査は初めて。サーバーの保存容量は1人当たり40メガバイトで、最大で数百通が保存されているとみられる。
大阪市:職員のメール調査 通知せず2万3400人分
話題に事かかないとはこの人物のことでしょう。もっとも、こうして話題を提供し世論をつくりあげている側面も忘れてはならないのでしょうが。記事は、厚生労働省「労働者の個人情報保護に関する行動指針」(00年)が、職員のメールなどを監視する場合は事前に通知するよう求めていることを指摘していて、この点に照らしても今回のデータを提出させる行為が度を超していることがはっきりしています。
滑稽なのは、担当した弁護士がこうのべていることです。
山形弁護士は、政治・組合活動の実態解明の一環であることを認めたうえで、「詳しい目的や手法は言えない」と話した。
目的も手法も明らかにしないような実態調査というものを聞いたことはありません。調査が不当なものであることを自ら認めているようなコメントではないかと思えるのです。
ところで、他を顧みず市長に全権があるかのように、まるで自分が法律であるかのようにふるまう橋下市長です。徹底して実態を解明するとこの間の流れてくるニュースでは繰り返しのべていたところですが、反対に自らのメールを公開するよう求められ、本人はメールを消去したとか。
驚きました。まさしく二枚舌ではないでしょうか。
大阪府の橋下徹知事は26日、府幹部と送受信したメールの一部について、情報公開請求を受けた後に削除したことを明らかにした。これらは「不存在」として開示されない見込み。情報公開に取り組む専門家からは「情報隠し」との声があがっている。
橋下知事の説明によると、削除したのは(1)9月以前のすべてのメール(2)10~11月のメールのうち、幹部と一対一でやりとりしたもの。
削除した時期は明確にしなかったが、10~11月分のメールについては、今月に入って就任後のすべてのメールの公開請求が相次いだため、府の行政文書管理規則で保存義務がないことを確認したうえで削除したという。
橋下知事は「個人対個人のメールは組織共用文書(行政文書)ではない。組織共用のメールは残している」と説明。削除理由については「面倒くさいから消しちゃおうという軽い判断。残せという話になれば、ごめんなさいするしかない」と述べた。
全国市民オンブズマン連絡会議事務局長の新海聡弁護士は「重要なのは、あて先が不特定多数か否かではなく、目的だ」と指摘。「幹部1人に指示したメールでも組織として用いたら公開対象になる。廃棄は究極の情報隠しだ」と批判した。
橋下知事、公開請求後に庁内メール削除 情報隠しの声も
「重要なのは、あて先が不特定多数か否かではなく、目的だ」と全国市民オンブズマン連絡会議の弁護士がのべるとおり、当時の橋下氏が何を指示したのか、何を語っているのかが問われます。
でも、削除理由については「面倒くさいから消しちゃおうという軽い判断。残せという話になれば、ごめんなさいするしかない」という彼のコメントに、あのワタミの渡邉美樹氏につうじる軽薄さを感じます。
「個人対個人のメールは組織共用文書(行政文書)ではない」といい自分のメールを削除しながら、市職員のメールを通知もせず弁護士とつるんで調査するのは問題なしだという支離滅裂。他人のメールに何もなく、消してしまった自分のにはとんでもないことが記されていたとすれば大問題になりかねません。消してしまったということは、何かがまずく、明らかにされればまずい何かが存在したからでしょう。
もともと政治家と弁護士はウソをつかないとやれないと公言する橋下氏のこと。しかし、自分のメールで何をやりとりしたのか、白状しなければ、そこに不純なものがあったと、そしてそもそも職員を対象に労組活動への参加意識や思想・信条を調査する動機そのものがまた不純であったと推測したとしても、あながち間違ってはいないように思えます。
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橋下市長、舵とりは大丈夫ですか。
それが今、馬脚をあらわしたという言説さえ同じ保守的な立場から飛び出す始末。なぜか。
風呂敷を広げて、さあみてくれといわんばかりにメディアに流させる。産経は橋下もちあげのいちばんひどい部類のように思えた。読売もしかり。それが今、少し論調が変わりだしている。
ちょうど中央政界に乗り出すためのビジョン「維新版・船中八策」を橋下がうちだしたのが、雲行きがかわる直接の引き金となった。ひどすぎるという評価が相次いでいる。あえて産経から引用する。
自民党の脇雅史参院国対委員長は14日の記者会見で、橋下徹大阪市長の率いる「大阪維新の会」が次期衆院選の公約として策定中の「維新版・船中八策」について「論評に値しない。憲法を変えなければできない話もあり、とても公約になんかなるわけもない」と批判した。
脇氏は「2年半前に民主党がとんでもないマニフェストを出して、今日まで来たが、全部できなかった。また2年半前と同じことなる」と述べ、実現は難しいとの見方を示した。
溝手顕正参院幹事長は「全部がダメとは言わない」としながらも「できそうなことと、できそうにもないことが全部ごちゃまぜで混在している。(民主党マニフェストと)同じより、もっとひどい」とこき下ろした。
維新の会公約に参院自民の脇氏ら酷評 「論評に値しない」「民主党の公約よりひどい」
また、公明党も同様に批判している。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120214/stt12021411400001-n1.htm
一転、この調子で橋下市長への風あたりは強い。
四面楚歌ともいえそうなくらい。いや、これは正確にいえば正しくない。あのみんなの党が今でも秋波を送っているのだから。同党は、これまでの選挙でネオフィリアの応援で前進したが、ネオフィリアの支援を受けたということはもとより凋落の将来が待っている。なぜなら、新しいことに価値をおくのがネオフィリアであって、渡辺喜美はそのことを察知し、橋下にすり寄った。もっとも、橋下自身が渡辺同様の軌跡をたどる可能性は大いにある。
ところで、橋下市長が朝日のインタビューにこたえている。
中身まったくなしと吐き捨てるように評価する左派きどりの人もいるが、むしろ橋下は自分の考えを言葉でそのまま表しているように思えるし、その言葉は無視しようにもできないものがみられる。これは、朝日がシニカルに突っ込みを入れていて、それに動じ乗せられたというわけではたぶんないだろう。
僕が一番重視しているのは、行政サービスをユーザーの選択にさらすことです。医療も教育も介護もニーズに合っているものは付加価値が高い。行政が一方的に供給するものはあまり価値がない
――そのニーズを判断するのは誰ですか。
「ユーザーです。僕は選択をすごく重視しています。ユーザーが選択しないものは(行政が)基本的にやっちゃいけないんですね。今の行政はユーザーの選択に関係なく、とにかくお金を突っ込んで供給する」
――橋下さんは強い人ですが、世の中は強い人ばかりではない。そういう人にはどう言葉をかけますか。
「では、日本の生活のレベルを落としますか、東南アジアレベルにしますか、と。今の日本を維持しようと思えば、そりゃ努力をしないといけないですよ」
「議論はし尽くすけれども、最後は決定しなければならない。多様な価値観を認めれば認めるほど決定する仕組みが必要になる。それが『決定できる民主主義』です。有権者が選んだ人間に決定権を与える。それが選挙だと思います
弁護士は委任契約書に書いてあることだけしかやってはいけないけれど、政治家はそうじゃない。すべてをマニフェストに掲げて有権者に提起するのは無理です。あんなに政策を具体的に並べて政治家の裁量の範囲を狭くしたら、政治なんかできないですよ。選挙では国民に大きな方向性を示して訴える。
なんですよ」
――橋下さんは「競争」が必要と言いますが、政治は「競争」を野放しにしておいていいのですか。
「経済活動は自由が基本です。競争はまず徹底的に自由にやってもらいます。でも、もうかったところから、もうかっていないところに所得を移転するのは政府の役割だと思います。為替の変動という、当事者にとってはどうしようもないような事情が発生したときには、利益の再配分のような措置を政府がやらなくてはいけません」
橋下徹・大阪市長に聞く
こんなやりとりでの、橋下のいうユーザーというのは選択肢をもっている人を念頭においていて、そもそも選択肢をもちえない人びと、たとえば朝日がいう弱者は対象としていないことに注目しないといえないように思う。
公共という立場にある市長ならば、選択肢をもつ人も、持たない人も視野に入れておかなければならない。あるいは橋下を支持した人も、そうでない人も視野に入れざるをえない。市長はこの立場に立ってもらわないといけない。「ある種の白紙委任」といって切り捨て、反対意見を封じるがそうではなかろう。「選挙では国民に大きな方向性を示して訴える。ある種の白紙委任なんですよ」という言葉だが、大きな方向性は示さずむしろ個別の問題に特化しそれをあおった。それをすりかえて白紙委任でなんでも片づけては困る。支持しない人も投票していない人もふくまれていればこそ、そこから政治ははじまる。
橋下とメディアからみれば既成政党ということになるが、その多くはとりあえず、橋下言説の法を無視した言動を肯定することはできないでいる。ようするに、橋下という大阪市長を介在しながらいま争われているのは、憲法をめぐる価値についてということになるのではないだろうか。
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橋下の強制調査と「排除するということ」
その中から一つだけとりあげたい。
労組が "職務時間中" に "違法" な労組活動・政治活動をしていたんだから当該行為に対する内部調査をするのは正常な手続き。
労働組合の違法行為があるとすれば、これ自体は裁かれなければならない。このこととは別に、橋下がそれを理由に労組の活動に介入した今回の行為はもとより区別される必要がある。
橋下の考えから判断すると、労働組合員が勤務時間中に選挙活動を行ったという件で問われるのは主には地方公務員法だろうけど、一方の橋下の今回の指示というかほとんど命令に近いものは、労働基準法にてらしてどうかということになるのだろうと思う。むろん公務員も橋下も法の下でそれこそ平等に扱われなければならない。
指示文書によれば、橋下のとった指示という行為が労働組合への支配介入だと判断できる点はおよそ以下のとおり。
- 業務命令であることを前提に回答を迫っている
- 業務とは直接関係のない他団体であるはずの労働組合の活動への参加や意識を設問している
- 無回答は処分すること、回答の内容によっては処分もあることを明記ている
橋下市長は強制的に全職員を対象に、組合活動への参加、意識を問い、罰則を片方でちらつかせているのだから、支配介入の意図は歴然としていると思う。一方、冒頭のブクマのコメントは、別のいいかたをすると、違法行為をした者は違法なやり方で支配介入されても当然という立場にほかならない。たしかにコメントは「当該行為に対する内部調査」とのべてはいるものの、先のエントリーに示した調査の内容をみれば、その内容は当該行為の有無の確認をはるかに超えるのであって、介入そのものになると思える。この点でもコメントは明らかに混乱しているとみてよい。
このブクマコメントは、たとえばつぎの意見と通じるものがある。
「生活保護受給者に社会権を持たせる必要はないと思う。生存権をやるんだから、参政権とか必要無いだろ」
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/254579
だれであろうと生存権も参政権も保障されるとわが日本国憲法は謳っているのだから、憲法をそのまま読みとれば誤りは明白なのだが案外、このような意見に同調する人は多いように思える。参政権は、生存権の代替物ではもちろんない。
また、冒頭のコメントの心性は、死刑制度の存続を求める下記の意見にもつらなるものを含んでいるのではないか。
彼らは揺れる。死刑は本当に正しい選択なのか。被害者遺族の傷を本当に慰撫するのか? 仮に慰撫するにしても、それは人の命を犠牲にすることに価するのか? あるいは人の命を踏みにじった命なのだから、犠牲になって当然なのか?
そんな自分たちの揺れる意識を誠実に提示しながら、高校生たちは1時間余りのレポート発表を終えた。ニュアンスとしては死刑制度への懐疑が色濃い結論だった。でも断言はしない。できない。いずれにせよ知ることで変わった。ならばこれからも知り続ける。知らないことはたくさんある。知り続け、そして考え続ける。最後に高校生たちが一列に並んで頭を下げたそのとき、客席から罵声が飛んだ。
「被害者の人権はどうなるんだ!?」
会場は静まり返った。最前列に座っていた僕は後ろを振り返った。年配の男性だった。険しい表情をしていた。男性はさらに何か言った。かなりの大声であり、かなりの剣幕だった。バカヤロウやフザケルナ的な言葉そのものは発さなかったけれど、バカヤロウやフザケルナ的な雰囲気を男性は濃厚に発していた。
森達也 リアル共同幻想論 第50回
文中で紹介されているのは、容疑者に極刑を迫るという立場からの一人のフロア発言だ。それは、容疑者は被害者の人権を踏みにじったのだから、当然、容疑者は死刑に処せられるべきというものだ。けれども、死刑というものは、人権をうんぬんする以前に人間の存在そのものを認めない。それだから人権の否定でもあることは論をまたないということになる。この文中でとりあげられている一人の発言者の意見は、平たくいえば殺人を犯した者に人権など認めない、論外だというのに等しい。
しかし、考えなければならないと思うのは、そもそも容疑者のといいだした時点で、人権のある者とそうでない者を峻別する心性をあらかじめ表しているんではないかということになる。「被害者の人権はどうなるのだ」と言葉を発する際、人権の有無をすでに容認する他ならぬ発言者の態度をそこにみてしまう。
人権に、被害者の人権、容疑者の人権などという2つはないと考える。被害者の人権は容疑者の人権の否定によって代替されるものでもない。もし容疑者の人権と、被害者の人権という異なる2つの人権があると主張するのであれば、それはどのように異なるのかを説明しない限り、そもそもその命題自体が成り立ちえない。
ブクマのコメント、そしてツイートの視線、死刑を求める声は、それぞれ直接には一部の労組員の行為、生活保護受給者、容疑者を対象にしたものであった。この異なる三様の設定でありながら、それら主張には、特定の立場に置かれている者の排除に対して容認するか、あるいは親和的だという視点があって、そこに無視するわけにはいかない共通点を私たちは見出せるのではないか。
いうまでもなく、それは、憲法のいう国民の権利、基本的人権に対する態度に深くかかわっている。
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* 市職員の選挙活動、記名調査 橋下市長方針
大阪市は10日から、すべての市職員を対象に、市長選などの選挙活動に関与したかについて、記名式のアンケートを実施する。橋下徹市長は9日、職務命令でアンケートへの回答を義務づけ、拒んだ職員の処分も検討すると表明した。地方公務員の政治活動は地方公務員法や公職選挙法で規制されているが、強制的に政治関与の有無を問う調査は波紋を広げそうだ。
職員対象のアンケートでは、ビラ配布といった選挙活動に携わったかを質問。橋下氏は、職員が不適切な行為を申告した場合も処分を軽減するとし、実態解明を優先する姿勢を示した。
調査に先立って市は9日、「行政と政治の分離について」と題した見解を発表。昨年11月の市長選に際し、市の広報誌などで「(橋下氏が掲げる)都構想に反対する立場から情報発信していた」と認めた。
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橋下命令は不当労働行為に限りなく近い
その実態を調査するといって市長の指示で調査が開始されたことが伝わり、市長自身の指示文書を目にした。
内容は、憤りを通り過ぎるようなという表現がふさわしいほどのものだった。これまでの一連の橋下言説についてヒステリーとよんだが、事態はいよいよそれが高じ、尋常では理解しがたい域に達しているように思う。
ツイッターを介して指示書原文(コピー)をみることができる。
市長の指示は、限りなく不当労働行為に近いと思う。業務命令であることを前提に回答を迫り、業務とは直接関係のない他団体であるはずの労働組合の活動に介入し、かつ無回答は処分すること、また回答の内容によっては処分もあることをちらつかせているのだから。
ダウンロードしたものを下記にリンクしています。
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12
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橋下には得体の知れない調査を命じた責任がある
橋下市長 想定外れた?市職員の子も“私学の割合”変わらず 大阪市に住む同市教職員の子供のうち市立以外の小中学校に通う比率は6・4%で、市内の全小中学生の平均6・3%と同水準だったことが28日、市の調査で分かった。「教職員だってみんな子供を私立に通わせている」と主張する橋下徹市長が調査を指示していた。 橋下氏は市の教職員家庭が市立以外の進学先を選択する傾向が強いと見込み、導入を目指す学校選択制に批判的な勢力を“攻撃”する材料にしたい意向だったが、想定が外れた格好だ。 調査結果によると、大阪市内に住む市職員や市立学校教職員の子供の小中学生は5942人。うち市立に通うのは5564人で93・6%だった。残りの6・4%は国立も含むが、大半は私立とみられる。 一方、市内の小中学生は18万6955人。うち市立は17万5201人で93・7%、残りは6・3%だった。 学校選択制は子供の通学先について保護者の希望を反映させる制度で、市教育委員会は「学校と地域の関係が希薄になる」として導入に消極姿勢。 これに対し橋下氏は「ある程度お金を持ち身分が安定した市役所サイドが、自分の子には私立を選択させ、他人の子供に選択させないのはとんでもない」と持論を展開していた。(共同) |
調査をする意向が報じられたとき、こうボクはのべた。
学校選択制にみる橋下ヒステリー 橋下が学校選択制(=学区制廃止)を公約に掲げていたのはよく知られている。で、この記事は、選択性導入にむけた参考資料をつくるために市職員や教員を対象に、私立小・中学校に子どもを通わせている割合を調査するように橋下が指示したことを伝えている。 いろんな解釈がありうるのだろうけど、結局、最後まで釈然としないのは、調査そのものに加えその対象に市職員や教員が特定されていることに尽きる。学校選択制の是非はともかく、この文脈でなぜ市職員や教員がでてくるのか。記事には少なくともその説明はない。橋下も語っていない。 |
その際、橋下の言説の矛盾にもふれて、「特定の階層を一つの問題で悪玉にしてしまう。そして、その誰か、特定の階層を全否定してしまうという橋下の思考の一端を垣間見た」と指摘した。おそらくこの見立てのように橋下は事をすすめようと考えていたのだと思うけれど、それは不可能になった。
文化であれ、人件費であれ、ことあるごとに財政支出削減を語る橋下だが、こんな調査に伴う時間の浪費とそれにともなう人件費については、頭に浮かばないらしい。
まったく根拠のない、思いつき以外には想定できない「理由」をつきつけ、部下に命じてなんとも思わない首長。何よりも、その下で働く職員、そして大阪市民を率直に気の毒に思う。
重ねていうが、橋下には説明する責任がある。

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学校選択制にみる橋下ヒステリー
「市職員や教員の子、私立小中の割合調査」橋下市長要請 橋下徹大阪市長は11日の市議会本会議で、市長選の公約に掲げた学校選択制の導入を目指すにあたり、私立小・中学校に子どもを通わせている市職員や教員の割合を調べるよう市教委事務局に求めたことを明らかにした。 市教委事務局はこれまで「地域と学校の関係が希薄になる」などとして学校選択制に慎重な姿勢を取ってきた。これに対し、橋下市長は「選択制はダメだというが、金のある人は(私立へ行く)選択をしている。地域コミュニティーを大事にというのなら私立を禁止にしないと。金持ちの人だけ選択できるのはおかしい」などと述べた。 議会後、市長は「職員らが子どもを私立に通わせることは否定しない」とする一方で、「自分の子どもは(私立を)選択しておいて他人の子どもに選択させないのはとんでもない」と批判。調査結果を学校選択制導入に向けた議論の参考にする考えを示した。 |
橋下が学校選択制(=学区制廃止)を公約に掲げていたのはよく知られている。で、この記事は、選択性導入にむけた参考資料をつくるために市職員や教員を対象に、私立小・中学校に子どもを通わせている割合を調査するように橋下が指示したことを伝えている。
いろんな解釈がありうるのだろうけど、結局、最後まで釈然としないのは、調査そのものに加えその対象に市職員や教員が特定されていることに尽きる。学校選択制の是非はともかく、この文脈でなぜ市職員や教員がでてくるのか。記事には少なくともその説明はない。橋下も語っていない。
記事によれば橋下はこう語っている。
「選択制はダメだというが、金のある人は(私立へ行く)選択をしている。地域コミュニティーを大事にというのなら私立を禁止にしないと。金持ちの人だけ選択できるのはおかしい」。
これは、橋下の頭の中では3つの短文がそれぞれ理路が接続しているのだろうが、たぶん通常の頭の持ち主で理解できるのはいないと思えるほどの飛躍と混乱、いいかえればすり替えがあるようにボクには思える。
たとえば、橋下の矛盾は以下のとおり誰でも指摘できると思う。
- 選択制はダメだといっている人と金のある人は必ずしも一致しない。ましてや市職員や教員が選択制はダメだといっているのではない。
- 金のある人が必ずしも(私立へ行く)選択をしているわけではない。
- 金持ちの人だけが(私立を)選択しているのではない。
この問題で明らかなのは、市職員や教員は、別に市職員や教員でなくても誰でもやっているにすぎないことで橋下に槍玉にあげられてしまったということになる。結局、彼らは異なる文脈で橋下が話題にし、「当事者」としてクローズアップさせた人びとであって、その彼らを学校選択制導入でも生贄としてつかおうという魂胆が透けて見えてしまう。だから、この問題でいえば気の毒なのは市職員や教員といえる。
誰かを、そして特定の階層を一つの問題で悪玉にしてしまう。そして、その誰か、特定の階層を全否定してしまうという橋下の思考の一端を垣間見た気がしてしかたがない。
橋下の政治手法を、たとえばあの山口二郎のハシズムの言葉に象徴されるような独裁とよんでしまう批判が的確だとは思わない。市長選で結果的には6割の支持を得たわけなので、安易な批判はそぐわないと思う。むしろ、うまくたとえることはできないが橋下自身のもつ潜在的な衆愚思想(*)を抉り出し、つまるところ、それが結局、反市民的な姿勢に転化してしまうことを明らかにすることが必要だと思える。衆愚思想を持つがゆえに彼は権威主義的態度をしばしばとる。
はっきりしているのは、この学校選択制にかかわってその衆愚思想の一端があらわになって、ヒステリーがいちだんとすすんだということだと思う。
* エントリ「票になる」というモノサシであげた「ウソをつけない奴は弁護士と政治家になれないよ」等の発言の端々にそれは表れていると思う。橋下が敵にも見立てている中島岳志が以下でその思想がよく分かる橋下言論の特徴を紹介している。
http://www.magazine9.jp/hacham/111111/index.php
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「票になる」というモノサシ
橋下市長に新成人が要望 「公営施設、安く開放して」 大阪市では9日、新成人49人が市役所に集まり、屋上にある「みおつくしの鐘」を20回打ち鳴らし、「市長と明日の大阪の夢を語るつどい」で橋下徹市長と意見交換をした。 橋下市長は「票になるところに税金は回ってくる。政治に参加して権利を主張してください」と呼びかけた。新成人が「公営施設を安く開放して欲しい」と要望すると、市長は「学校など使われていない場所はいっぱいある。安く開放できるようにすぐに検討する」と応じた。 …… |
この記事の主題とは離れた点に実は関心をもった。橋下の「票になるところに税金は回ってくる」という発言が気になった。政治とはこういうものかもしれないという思いも少しはあるが、それは政治の前に自民党という「前置詞」をおいて成り立つものだと考えてきた。いいかえれば、その政治とは利益誘導型の政治、あるいはかつてこんな言葉もはやったが「土建国家」の政治が長い間の自民党政権で横行していたといってよい。今はやりの言葉でいえば、特定の団体や組織との Win-Win の関係がその根本にある。
そこで奇妙とさえ思ったのは、既存の考え方やシステムにたいして挑戦的な姿勢をことあるごとに示しウリにしてきたはずの-かえってそこがよいのだという人がいるかもしれない-橋下が、まあかつての自民党と寸分もかわらないようにみえる言葉を語っているからだ。これをそのまま受けとると、看板に偽りありということになる。
昨年の政治戦のなかでご当地ではさまざま語られてきたと思うのだけれど、いくつかボクの知るところをあげると、橋下はこんなことを語ったり書いたりしている。
- ウソをつけない奴は弁護士と政治家になれないよ(自書『まっとう勝負!』)
- 市職員は税金をむさぼるシロアリ、一族郎党覚悟しとけよ(産経・2011.11.13)
- いまの日本の政治で一番重要なのは独裁(政治資金パーティ・2011.6.29)
これだけでやはり波紋をよぶだろう。ふつうは記しもしないし語らないだろうし、彼は独裁という評価もあるけれど、ポレミカルだということだけはまちがいなさそうに思える。
ともかく、一政治家が自分の利益になる一部にたいしてのみ機能するということでは今日、政治の意味をなさないだろう。政治家とはまさに万人にむかって開かれていなくてはならないのだろう。なので、この点にかぎれば、この人物はもともと政治家とはいえないのかもしれない。
話を元にもどし、「票になる」というモノサシをよしとすればどういうことになるのか。
論理的にいえば、仮に「票になるところに税金は回ってくる」という命題が真だとすると、その対偶の「税金が回ってこないのは票にならないところ」もまた真となる。だから、橋下を応援する皆さんは、彼が票にならないと判断したとたん、君らもまた見捨てられるということを覚悟しなければならない。
もっとも、橋下は弁護士であり、かつ自分では政治家と認識しているだろう。で、自書で書いたとおりに彼はウソつきを自認しているにちがいない。だとすると、どうなるのか。彼の語った「票になるところに税金は回ってくる」自体もウソだということになるのだが。
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壊すのが好き-橋下・小沢会談
注目したのは、橋下が「古い仕組みを壊す」という表現をもちい、「古いものをぶっ壊さないといけない」と小沢が応じたところ。「壊す」とは何やら物騒な話だが、すでにボクらはこの言葉の洗礼を受けていたはずなのだけれど。しかし、大阪市長選、府知事選では、この主張は再び有権者を惹きつけたといえる。
橋下市長、小沢元代表と会談 都構想に「協力」引き出す 橋下徹大阪市長と松井一郎大阪府知事は20日午前、東京都内で小沢一郎元代表と原口一博元総務相、輿石東幹事長、平野博文国対委員長ら民主党幹部らと相次いで会談し、大阪都構想実現への協力を求めた。 橋下、松井両氏は小沢氏と30分余り会談。同席した原口氏によると、橋下氏は都構想を説明して「(ダブル選で)有権者は古い仕組みを壊すことを選択した。国会で私たちの法案を後押しすることに協力してほしい」と要請。小沢氏は「これだけの改革は大変なことだ。古いものをぶっ壊さないといけない。ついては基本となる法律が必要だろう。そこに自分たちも協力したい」と応じたという。 一方、平野氏は、橋下氏らに「もう少し具体的な説明が必要。私たちは良いものは良い、悪いものはアカンと申し上げていく」と語り、橋下氏は「しっかり説明していく」と答えたという。 |
小泉純一郎が自民党をぶっ壊すといって、総裁選に勝利したのを覚えている人は少なくないだろう。自民党の総裁選に立候補しながら、自民党をぶっ壊すというのは論理矛盾にほかならないのだけれど、こうした短い言葉で表現する彼の方法が新鮮なイメージを有権者に与えたといってよいと思う。この小泉の政治信条を橋下は引き継いでいるといわれており、その入れ込みぶりは、小泉の引退表明では感動ですなどといったくらい。
一方の小沢。小沢はずいぶん以前、1992年のことだが、日本改造計画をぶちあげている。彼は翌年、自民党を出て新生党を結成する。以後、新進党、自由党を経て民主党に参加した。政党が変質するのか、それとも彼の主義主張あるいは姿勢がころころと変わるのか。それは、これだけの政党の離合集散に直接、中心としてかかわっている経歴が端的に示していると思う。
小泉も、小沢も、橋下も外形的に古いものを攻撃する。また、意見が異なると、えてして相手にレッテルを張り批判し敵とみなす。小泉は、反対派を「抵抗勢力」とよんだ。「私の政策を批判する者はすべて抵抗勢力」のように。小沢も党内の閣僚争いで相手を守旧派と決めつけた。橋下はいわずもがな。政策的には新自由主義的な手法を共通して好む。ただ、手法が異なるのと思想・主義が異なるのとは同じことではない。他の自民党・民主党議員とくらべて小泉・小沢・橋下は手法が異なるのであって、思想・主義が必ずしも異なるわけではなく、けっこう古い体質であったりする。あれだけ吹いてる橋下の言葉の端々にも自民党の誰がいったとしてもおかしくはない考えが垣間見える。
さて、その古いもの。彼らが攻撃する古いものが有権者にとって不要なもの、役に立たないもの、利益とならないものかといえば、そうではない。有権者にとってどうなのか、そこをモノサシにしなくてはならないと思う。古いものといって、たとえば君が代歌わない教員は免職といって橋下が切り捨てようとしているものは思想・信条の自由なのだし、あるいは聖域をつくっておきながら「聖域なき構造改革」を小泉は訴えた。つまるところ、痛みを押しつけられたのは国民という結末になってしまった。この3人は有権者に迎合するための演説や手法には長けているが、その主張の視野に有権者がしっかり位置づけられているかといえばそうではない。
都構想の全容は今、明らかでない。しかし、これまでの主張を追ってみるかぎり、首長専横に橋下は強く拘っているように思える。その姿勢にこそ変わり身の早い小沢が飛びつき、新たな受け皿づくりも視野に入れた結果の今回の動きというのは深読みすぎるか。
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四面楚歌の政権または橋下-つぶやき#23
こんどはあの鳩山由紀夫が野田を批判した(参照)。野田は、これまでの民主党政権以上に自らの支持基盤に肩入れする方向を鮮明にしている。それしかとるべき選択肢がないともいえる。ところが、政権党の先輩ともいえる小沢や鳩山が野田を批判する。どうみても尋常ではない事態と考えざるをえない。まさに四面楚歌。脱党を堂々と主張する若手も出てくる事態は、野田にとって後がない、崖っぷちの状態にあるといえそうだ。
野田にたいする厳しい視線は国内ばかりではない。わが日本国の世論を敏感に察した米国議会はグアム移転費用を予算から外した。賢明な判断だとは思える。この米国の決断は、沖縄県民のほとんど多数が普天間基地県内移転に反対していて、もはや野田の信頼度はゼロに等しいと思える日本の実情を考えてみるときわめて自然なことのように思う。それなのに野田はアセス提出を近々、予定しているようだし、身の程知らずとのそしりを免れない局面に相対している自分の姿を客観視できない首相には、ただただ哀れみの感情を禁じえないというところか。年が明け、政治の世界は加速度的に動き出す予感すら迫ってくるのは少なくないかもしれない。
少しだけ振り返ると、小泉が政権から退いて以降、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と続き、そこで自民党は政権を離れた。だけど、交代した民主党もそれ以来、安定的な政権の構築をこれまで果たしえていない。鳩山も菅も、安倍、福田、そして麻生同様、いずれも1年前後の短命で政権の座から降りている。今になって、あえていえばまたぞろ、橋下の大阪市長当選は既成政党批判の表れだとの喧伝がメディアからたれ流されている。けれど、果たしてそうか。少なくとも小泉のあとの安倍ら三代の自民党政権の否定形として、民主党を選択したのは有権者であった。自民党にないものを民主党に求めて、しかも違和感のない程度の交代要員として選んだのではなかったか。さらに、遡れば小泉の登場自体が自民党を壊すといってはじまったのだから。それならば、橋下の登場を、そもそも既成政党にたいする批判と受け止めることに無理があるだろう。しかも、彼の率いる維新の会の議員たちの多くは自民党からの鞍替えにすぎない。議員たちの頭の中が異質のものにかわったというのではなく、潮流にのって帰属を変えたという以上のものではないように思える。当選した松井一郎をみよ。その器が大阪府をしきるだけの広く、大きく、深いものだとは到底、思えない。頭の中は回転の速くない自民党府議会議員のままであって、せいぜい橋下の意向にそって動くので精一杯だと考えてしまう。
橋下をたとえば小泉と重ねてみるし、ボクはこれからも当分はそうみていく。スタンスはほぼ同じだと思う。自民党の多数とは異なる主張を少しはするかもしれないが、その主張の表面をひっぱがして、より深部をながめてみるとどうだろうか。ここから先は予測にすぎないが、おそらくは内部でつながっていて、実は同じものに帰着するという可能性は少なからずあると思う。磁石の両極のように反発するものであるのなら、橋下当選後の双方からのエールがあれほど自然に行き交うことはまずありえない。事態は、大きな連立にむかっていく第一歩がどんな形になるのか、いよいよそれを決める段階に移りそうに思えてならない。その中心の一人に今は橋下がいる、それだけは確実なように思える。
つぶやき(18日)から。

- すり寄り。相撲じゃないんだけど。もともと同じ器の中のちがいなんだもんね>橋下人気に各党すり寄り…戦うより連携の思惑(読売)
- 読売はいったいどんな態度をとるんだい! 評価が必要だろ。>小政党、存亡の危機?比例削減案で焦燥・苦悩
- まだいたのか、アオカイ。>革労協の2人、キセル乗車の疑い 警視庁が逮捕(朝日)
- 帰属意識はもともと薄いだろうけど>民主党:若手議員数人が年内離党の動き 消費増税に反発(毎日)。
- 野田、四面楚歌>「原発」「消費税」で野田首相批判=鳩山氏(時事)
- 海を超えても日本にたいする厳しい態度。米国もまた同じ>異例の対日強硬も妙案なく=関係者「残念な会談」-韓国大統領(時事)
- いわずもがな>天下無敵 橋下大阪新市長の意外なアキレス腱<松井府知事は記者と会話が成立しない>@ゲンダイネット
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沈黙の螺旋再び
伝えられるニュースはそのままこれを裏づけているかのよう。新しい勢力を構築しようとするねらいとそのための動き、政権政党内の亀裂、それに米国の動向が伝わってくる。野田にとっては、どこかでそれぞれがつながっていて手をつけようとすると、また別の問題で波風が立ち袋小路に直面、それでたちすくむかのような今日があるように思う。不退転の決意は、どうも決意のままで終わりそうな気配が強い。消費税にしても、党内でさえらまとめることもできず、基地移転にしても、米国議会ではグアム移転費用が予算から削減されるなど、状況がすでに野田の決意を翻すよう求めているとすらみえてしまう。
だから、よけいに橋下への期待を、野党の自民党だけでなく、小沢もまたあけすけに語る。野田政権3カ月をへて、新しい展開に入ったとみてよいと思う(参照)。少しだけ先読みすれば、この「新しい段階」は、メディアの強調する方向に、つまり橋下がらみで政党の再編・離合集散を加速していくだろうと考えることもできる。それを、メディアがあおり、そして少なくない有権者が後押ししていくという構図を描いてしまう。これはこちらが望む方向ではない。かつての小泉政治や民主党への政権交代にも期待をよせることはできないという立場でながめてきて、今回の「新しい段階」は平たくいってしまえばその繰り返しのような気がする。
この考えにそってみると、ではなぜ繰り返されるのかという疑問が残る。歴史は繰り返すというのが格言としてある。仮にそういったところで、先にまったく進まない。
以前に沈黙の螺旋理論についてふれたことがある(参照)。この仮説にしたがって今日の状況をみてみるとどうか。沈黙の螺旋理論は、ノエル・ノイマンの仮説。少数派が多数派の数に押されて意見を出しづらくなり、その結果、ますます少数派の存在が軽視されてしまう現象を沈黙の螺旋とよんでいて、つぎのとおり整理することができる。
- 人は自分の支持する意見を、社会で支配的な意見か否か、またそれが増大中の意見か否かを知覚する。
- 人は自分の意見が社会で支配的であると感じている人は、それを声高に表明する。
- 一方、そうではないと感じている人は、沈黙を保つようになる。
- 雄弁は沈黙を生み、沈黙は雄弁を生む螺旋状の自己増殖プロセスの中で、一方の意見のみが公的場面で支配的になる。
この4つの論点をひきつけて考えてみて、集団の中でこんな経験をした人は少なくないように思う。討論でも会社の会議でもよいが、手をあげて発言したものの周りの誰も賛同せず、その場が白ける。結局、その後は発言しづらくなり、大勢が決まっていく。クラス討論でどんなときでもオピニオン・リーダーの彼が口火を切り、やんやの喝采をあびた。その後、威勢よく反対の立場から自分が発言し、何人かから連なる意見が続いたものの、その後の討論の結果、一人、二人と自分と同じ意見の人がその場の多数を占める意見になびいた。こうした懐かしくもあり苦いものでもあるかもしれない体験の一つひとつは、ノイマンが示す仮説に合致しているようにみえる。人は、自分の周りの環境/世論を常に意識し、世界と自分の位置とを確認するためにメディアも参照するし、孤立する不安を大なり小なりもつと考えれば、この仮説も生きると思う。
これを今の政治に移しかえたらどうだろうか。当たってはいても、外れてはいないようにみえてしまう。
雄弁が沈黙をもたらし、沈黙が螺旋状に広がる中で雄弁が支配的になるというこのノイマンの仮説は、同時に、「悪魔の代弁者」が準備されることを克服の条件としている。何とまあ極端な響きの悪さだが、条件はつまるところ少数派、多数派にあえて反対する者の存在にかかっているといえる。民主主義を精神とする以上、だから政治の世界ではサヨクをはじめ少数派の存在を尊重しないでは成り立たない。政治の世界でなくとも、マイノリティがどんなときでも排除されないような前提がなくては民主主義とはよべない。
なので、選挙制度が議論される場合、少数派を排除することが眼にみえている改革案なるものにボクは反対する。また、少数派を排除・差別するあらゆる動きを許すことはできない。
今の時期は、まさに支配的でありつづけようとする/なろうとする勢力がメディアの加勢をうけ、沈黙を迫ろうとする局面にあるのかもしれない(*)。
* 以下のエントリの橋下の言動はこれを端的に示している。
橋下は市長として務まるか。。
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