森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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年の瀬に思うⅣ- 浅き夢見し。政治の行方
08年もほぼ終わり、浅き夢見し、政治はどう移ろうのか。
政治の世界では、いよいよ自民党政治がゆきづまったという実感と切り離せない。それはたとえば、自公政権の窮状、この間の政策的混迷に端的に表われている。それを軌道修正することは、とくに自民党内での政権の交代をもってしても能わず、麻生政権が誕生したものの、すでに先がみえている、こう誰もが思っている。昨日エントリーでふれた祝儀相場も期待できないとはこのことである。他方で、昨年の参院選では、その時点での、もう自民党はダメだという有権者の判断が働き、結果的に民主党が大勝した。
この流れに立つならば、民主党への支持が加速度的に高まってよさそうなのに、それから1年以上経過したのだが、少なくともそうはなっていない。自民党の次期選挙での敗北の予想は大方のものだが、この1年は、いったい何だったのだろう。
だから、参院選以来の有権者の、政治の現状にたいする不満と不安は、では今後、誰が引き受けるのか、引き受けられるのか。この問いが政治につきつけられている課題ではないか。しかし、この設問にたいする明確な回答を出すことは、必ずしも容易ではない。
私の考えでは、以下にのべるような理由から、民主党にはそれができない。ならば、共産党や社民党がそれに変わりうるか、これも有権者の意識を現状から一変させることに等しいから、選挙制度の問題も手伝って、これもむずかしい。
結局、次期総選挙では、参院選以来の政治のありようをいかに有権者が認識し、各政党のいってきたこと、なしえたことを、つぶさにみて、判断しうるかどうかにかかっている。
小泉構造改革にたいする有権者の関心と期待が一時的に高まって、圧倒的な支持を奪っていったのだが、構造改革が日本社会につくった亀裂が明らかになるにつれて、自民党政治への反発はさらに深まったといえる。
参院選も実はよく似た構図だったと私は思う。結局、小沢代表が、先の小泉と同じ役回りで、左寄りの政策を選挙戦ではかかげ、それが反自民の票を集めるというものだった。小泉は、その主張の本質でもあるだろう、我が亡き後に洪水よ来たれとばかり、構造改革で日本社会に与えたダメージにほおかむりをした。選挙を終え、一方の小沢氏は、自らの政策的方向と参院選戦術の矛盾を解消しようとして、福田首相との密室協議で、大連立を展望したのだった。つまり、民主党は今、政権についておらず、であればこそ、政権に近づくにつれて、自民党とそれほど違わないことを明らかにせざるをえなくなる。なぜなら、彼ら民主党のよってたつところがどこかにそれはよる。少なくとも、民主党が自民党のよってたつところと180度、異なるとは思えないからだ。
つまり、民主党は、政治路線上も、大企業優遇、米国追随をその基本におかざるをえないからだ。
ということで、最近の政局がからんでくる。
政党再編の動き、自民・民主を横断した現政権を批判する勢力の顕在化の問題だ。有権者の自民支持の低下は明らかなのだから、表向き、彼らの主張はより強く自民党の政治を批判する形をとる。加藤、山崎、菅直人、亀井静香であろうと、そして中川秀直であっても、渡辺喜美であろうと同じだ。
そして、民主党からの自民党議員への脱党の勧めもまた、同じ。
一度、彼らの主張を真剣に検討されたらよいが、そこに具体的な政策的主張は何も存在しない。
実は、この点で、小泉も、小沢も、そして今日の彼ら政党再編志向派、現政権批判派は寸分もちがわない。たとえば、政権交代したらすべては片づく、後退したらすべて明らかになる、といわんばかりだ。
つまり、これら現政権批判の可視化は、すなわち本質の不可視化に等しいのだ。
この年末の動きは来年に持ち越し、来年早々に新しい展開もでてこないとはかぎらない。
本質の不可視化とは、別の言葉でいえば、いまの自民党のもつ大企業優遇、米国追随という路線が今後も引き継がれることを徹底して隠しとおすことである。そのための渡辺喜美の、過剰すぎるパフォーマンスであって、中川秀直の懲りない現政権批判であって、場違いに受け取る向きもあったであろう菅の登場なのである。
日本政治の可能性は、基本的に先に示した3つの方向だろうと今でも私は考える(参照)。いよいよその可能性もしぼられてきつつあるという感じなのだが。
その選択可能性を実現可能性に転化しなければならないが、それは、先にのべたように、政治のありようをいかに有権者が認識し、各政党のいってきたこと、なしえたことを、つぶさにみて、判断しうるかどうかにかかっている。
その局面はまさに年末の、雇用問題を軸にしたたたかいに照らし出されている。そして、おそらく年明け早々からつづくであろう雇用問題、国民の生活問題のよりいっそうの深刻化とそれに対抗するたたかいの顕在化にかかっている。
というのも、まさにいまの雇用問題の噴出にこそ、大企業優遇、米国追随か否かが問われているからである。
この年末年始は、何もできなかった政党はどこか、実効ある措置をかちとったのはどの政党か、それを我われの前に明らかにするだろう。冒頭でのべた、表面だけを追っていればなかなか分かりづらかったこの1年間の正体が暴かれるにちがいない。
私は、だからこそ、雇用問題に関心をよせ、政治がどう動くのか、注目したい。
(「世相を拾う」08273)
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政党再編の可能性- 展望は見いだせるのか。。
政権交代論者の憂鬱
というわけでもないのですが、この学者先生は相当、脇が甘い。先日は、件の高名ブロガーに手酷い批判を浴びていました。
何しろこの山口二郎先生は、小選挙区制度の導入を、世間からみると右・左分けると「左寄り」の立場から積極的に推進してきた人物。むろん私は高名ブロガーと立場を異にすることを最初に申し上げておきますが、彼の批判はこの点においては正確です。
金がかかる選挙を改めるとのふれこみで導入された小選挙区制度。結局は、政党の排除・淘汰がその機能として明確になったのでした。おそらく現実には、自民党と民主党、どちらでもよいが、当選に有利な政党から立候補する、こう志す、たとえば松下政経塾主出身者がどれほど、その後、輩出されたのでしょうか。彼らの言動は、民主党所属であっても自民党所属議員となんらの違いはない、逆に自民党であっても民主党と何ら区分するものはない。この現象は、そもそも自民、民主に垣根がないことを示しているのかもしれません。
山口二郎氏に戻ると、氏が、「有意義な政権交代のために」なる一文を『週間東洋経済』に投稿しています(参照)。
もとより政権交代は、交代してしかるべき事態にあるからこそ、交代するわけですし、では氏のいう有意義なとはどんな意味をもつのでしょうか。
むしろ、あいまいさをなくすのなら、国民生活にとってよりよい方向に変化する交代こそ、意味があり、求められているわけで、そこがはっきりしないで、有意義な、あるいは意義のない政権交代を抽象的に問うてもまったく意味はありません。
現実にはこの間、政権交代がことあるごとに、たびたび語られてはいるものの、政治の何が、どのようにかわるのか、そこを一切、有権者・国民が知らされていない、ここに日本の政治の貧困があるように思います。つまり、日本国民は、その意味で不幸です。何がかわるのか、変えようとするのか分からずに、政党を選ぶことを迫られるわけですから。
こういうと、今より少しはよくなる、というような希望的観測じみた強い横槍が入るのがこれまた日本の実情。まさに、お人好しの世界。どこに保障がある。そう想定する根拠がはっきりしているのか、それすら明らかでないのに。こう考えるのです、私は。
氏の主張は、これと同様の水準にとどまっているのではないか、これが率直な感想です。
たとえば、
自民党では世論迎合政治が決定的に支配するようになった。受けのいいリーダーを選んで、それにぶら下がって次の選挙を迎えるという安易な手法が蔓延するようになった。自民党全体でリーダーを鍛え上げ、問題に立ち向かうというよりも、人気のありそうなリーダーという勝ち馬に自分も乗るという、ケインズの言う美人コンテストのようなリーダー選びが、ポスト小泉の時代には続いた。政府の行動について世論の支持を作りあげるという能動的な姿勢は影を潜め、世論らしきものを常に忖度しながら、それにおずおずとついていくという意味で、消極的な世論迎合政治が自民党の特徴となった。 |
このように氏はのべているのですが、この一文の自民党を民主党に置き換えてもほとんど違和感はないのではないでしょうか。昨年の参院選で、この世間の反応を敏感によみとった小沢氏の態度は、その典型ではなかったのか。
これまで、民主党の政権交代を至上命題としてきた氏ですが、一方でのトーンダウンが顕著な傾向として垣間見られるようになりました。
民主党のマニフェストについていろいろ話は伝わってくるが、大局観が見えてこないことは残念
むしろ今の民主党に必要なのは、政策面での戦略と準備である。政治改革という単一争点だけで、その他の具体的な政策課題に何ら手をつけられなかった細川連立政権の失敗が頭をよぎる。 選挙前の再編論議も出てくるだろう。しかし、そんなものに付き合って、政権交代の意義をぼやかすようなことをすれば、民主党にとっては自殺行為である。仮に、小泉政権の新自由主義改革路線や対米追随路線に対する総括もなしに、中川秀直元幹事長やいわゆる若手改革派とつながるならば、それは大義名分も理念もない、自己目的的な再編ゲームである。そのような見え透いた策動に誘い出される軽率な政治家はいないだろうとは思うが、気になるところではある。 |
などのように。
一つの調査で即断するのは禁物ですが、こんな調査もあることは事実(参照)。
この調査結果には、有権者の隠しようのない率直な思いも反映しているように私には思えます。これほどの、自民党のていたらくなのに、民主党の支持が爆発的とはいわないまでも、急激に伸張しないのは、こんな意識がやはりあるのでしょう。
逆にいえば、山口氏もこの有権者の意識を「常に忖度しながら、それにおずおずとついていく」という態度をとっている、平たくいえばそんなところでしょうか。
民主党が爆発的人気を得るには、自民党とは本質的にこう違うのだという主張とともに国民の前で実際にやってみせることです。そう、たとえば緊急で横においておけない年末解雇への対応で、一度、経団連に堂々と乗り込んで解雇を撤回しろと要求してほしいのです。
おそらく道義的に、全政党が一致しうるであろう解雇の横行を阻止する課題で、民主党にイニシアチブがとれるでしょうか。
私は、ノンとみたてるのですが、それができれば、もっと民主党支持はあがるはずなのですが。
山口氏の憂鬱も存外、そのあたりにあるのかもしれません。
(「世相を拾う」08270)
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小沢一郎氏- 派遣切りも政権交代に回収するのか
他の言葉で置き換えるならば、やはり使い捨てとしかいいようのない派遣切り。新しい年が一歩一歩近づくにつれて、たとえ一人の解雇であっても、その社会的意味の大きさを私は取り上げざるをえません。この日本国では、それが数百、数千の規模でまるでなだれを打ったかのように、大企業が右へならえで派遣切りを断行するのですから。
問われるべきは、6千人の解雇を予定するトヨタや日産、ホンダなど自動車関連産業であり、期間途中で契約打ち切りという違法な手段にうって出たいすゞであり、派遣社員の処遇にまで介入したマツダの違法であって、なんら派遣社員に責任はありません。社会的存在であるべき大企業の違法、横暴ぶりは今、強い非難の対象になってしかるべきです。
経団連の、この点でのイニシアの発揮を私は今日までひそかに期待していたのですが、会長・御手洗氏にそんな殊勝なことを望むのがまずまちがっていたようです。もっとも、私たちは、かつてこのようなことを経験してきました。
日産自動車のCEOに件のカルロス・ゴーン氏が就任し、「日産リバイバルプラン」を発表したときのことです(1999年)。プランの本質は、大リストラ計画でした。3つの組立工場と2つの主要部品工場を閉鎖し、グループ14万8000人の労働者のうち2万1000人を削減するというのですから、大リストラ計画にちがいはない。3年間で1兆円のコスト削減を見込むというドラスティックなものでした。
問題はこのときの財界の反応です。これだけの計画ですから、当該労働者はもちろんのこと、関連企業や工場のある地域の経済に多大な影響を及ぼすだろうことは誰もが想定できることで、当時の関西経済連合会の会長はつぎのようにのべて印象的でした。
隣の家を取り壊してでも、自分の家の火を消すというやり方は受け入れられない |
と。
当時の日経連会長も(ゴーン氏の計画に)否定的な発言をしたのです。私は何の抵抗もなく関経連会長のこの言葉を理解するのですが、少なくとも当時の財界トップの認識は、このようなものでした。
しかし、10年足らずの時を経て、財界トップの認識もまた変化をとげたのでしょうか。この10年の間にかわったことといえば、新自由主義的施策の深まりでしょう。その先頭に小泉がたってきたのです。分かりやすくいえば、財界・大企業と米国のために。
新自由主義の旗をふる財界には、雇用の不安定が深刻になるなかで、では労働者の働く条件をいかに確保するのか、その手立てをどうとろうとしているのか、それが問われなくてならないでしょう。
ところが、伝えられるところによれば、経団連の春闘方針では、あらためて賃金抑制が強調されています。内需をいかに浮揚させるのか、そこに日本の景気後退を打開する、遠いようで近道があると私などは思うのですが、大企業はそうではないようです。経団連の示す方針は、いよいよ労働者に犠牲を押し付けるものと断言してもよいものです。
そうであれば、なおさら今の解雇宣告に一つひとつ救済の道を求め、企業に社会的責任を果たすよう、世論を形づくることが不可欠なように私には思えます。
こんなニュースが伝えられています。
スペイン坂デビュー自体をとやかくいうつもりはありません。
取り上げたいのは小沢一郎氏の発言です。
非正規雇用をまったく禁止するわけにはいかないが、待遇面ではきちっとやるべきだ。政権を取ったら法的な規制をしていく |
注目するのは、この後段。「政権を取ったら」、これを私は見過ごすことはできない。
ただ単に小沢氏の無神経と断ずるわけにはいかない。
一人であってもそうですが、これだけの規模で、しかも同じ大企業という立場にある企業が、同じやり方で労働者に犠牲を転嫁し、利益確保は追求しようとする日本の大企業の姿勢を問わないといけないでしょう。
その点で、小沢一郎氏の発言もまた問われないといけない。
国会でいうまでもなく無視できない影響力をもつ民主党が派遣労働者の立場にたって、モノをいえばどれだけの仕事ができるのか。たとえば民主党と比較すると少数政党といわざるをえない共産党・志位氏が企業と直接、面談し、緒についたばかりとはいえ、実際に大企業を動かしつつある事実と見比べるとき、国民の、いいかえると派遣労働者の期待にいかほど民主党はこたえられているのでしょうか。民主党の現在の力をもってすれば、どれほど大きな仕事がやれるのか、そこに期待すればなおのこと、民主党の今を思わざるをえない。
すべてを政権交代にという小沢氏の主張は、(今は)何もやらないという宣言に等しい。こんなレトリックになっている。今は、今日、明日、首を切られる労働者を確実に救えるような実効ある措置を取らせるところに最大の課題がある。だから、そんな政党が、では仮に政権交代して、この仕事を確実にやれるという確信だけを我われに求めようとしても、それはできない相談でしょう。
これだけの自民党の「窮地」にあればこそ、民主党が野党の身分であっても大きな仕事をやった、そんな確信を我われに与えてくれてこそ、自民党とはちがうことを有権者は実感するのでは。
小沢氏の態度は、全てを政権交代に回収するもので、逆に民主党への期待を裏切るものではないでしょうか。
すべてを政権交代に収斂させていく態度は強く批判されてしかるべき、私はこう思います。
(「世相を拾う」08265)
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政党再編の可能性- 展望は見いだせるのか。。
昨日の朝のテレビ番組では、麻生内閣への圧力を強めている渡辺喜美が登場し田原総一朗とおしゃべりを繰り返していたが、焦点は、解散を迫ると同時に政党再編への意欲を渡辺が語るというところにあった。中身に新味があったわけではない。しかし、こうした番組編成は、もちろん内閣の急速な支持率低下を前提としているだろうし、メディア全体として内閣の急激な求心力低下を問題にしながら、ポスト麻生に焦点をあてはじめたことを意味している。新内閣発足による効果に期待し支持回帰を図ろうとしてきた自民党の思惑は、これでほぼ費えたといえる。
一方の雇用情勢。今後、予想される3万人の非正規切りはもちろん重大だが、自動車関連産業をはじめ製造業ですでにはじまった期間工・派遣切りをやめさせ、雇用をどう守らせるのか、政治に課せられた当面の緊急課題だ。自民党の右往左往、国会運営の迷走があろうとなかろうと、横に置いておけるものではない。実効ある対応を強力な政府の介入でかちとる必要がある。時は待ってくれない。今日から路頭に迷う者がいる。明日には寮を追い出される者がいる。
彼らにとっては、今回の事態は、まさに政治災害にほかならない。もともと派遣への置き換えは、規制緩和のもと大企業が要求してきたものだったのだから。
先の報道にみられる調査結果によって、一般的にいえば、「大連合」をも選択肢の一つにした政党再編を加速させると推測される。すでに、中川秀直は、フジテレビで露骨にそのことにふれた発言をし、再編のあり方でイニシャティブをとろうとしている(参照)。つまり、中川の発言のねらいは、再編によって、あたかもこれまでの自民党政治のあり方が一変できるかのような世論の形成だ。先の渡辺も同じで、いまの時期に自民、民主を横断した再編をうちあげている者に共通するのは、いまの麻生政権の姿に投影される自民党政治の「否定」である。再編は、自民党政治の枠組みを抜け出たものだという一点を強調することにある。そこを欠いては、国民の支持を期待できないからだ。
こうみてくると、この構図そのものが数年前の繰り返しであることに気づく。そう、あの小泉純一郎の政治手法だ。小泉もまた、自民党をぶっ壊すと声高に叫び、支持をさらっていったのだった。
けれど、残ったものは何であったのか。自民党を小泉は壊せなかった。自民党を壊そうともしなかった。
そのかわりに彼が残したものの象徴が、たとえば今日の非正規労働者への非情な仕打ちにほかならない。規制緩和によるリストラ、非正規雇用の拡大にほかならない。社会保障切り捨てに端的なように弱者のいっそうの差別化にほかならない。
米国発の金融危機が世界を覆っている。いまや世界各国の実体経済を揺るがしている。今日の期間工・派遣切りは、景気後退局面でも利益を追求しようとする大企業・財界の姿を照らし出しているし、そのための乗り切り策にちがいないことを示している。が、上にみたように非正規雇用の拡大が本来、大企業の思惑によって推進されてきたこと、その結果、あえていえば大企業だけがひとり膨大な資本蓄積を図ってきたことを考えると、いよいよこの時期に、大企業にため込んだ内部留保の一部をはき出させることによって、何人もの非正規雇用(の生活)を守ることが可能だということに着目しないわけにはいかない。
この点での国民的合意がどうしても必要だと考える。
ところが、これには当然、障壁が存在する。
自民党や民主党がはたして大企業に毅然としてこれを要求できるかという「難問」が目の前にたちふさがっている。
麻生内閣の支持率の急落とともに、先にみたように再編の動きは急だが、それではこの再編に我われ国民・有権者は期待できるのだろうか。残念ながら、ノンと私は答えざるをえない。
中川も、そして渡辺も、あるいは小沢も、法的措置をとれと叫ぶことはできても、それでは御手洗に、毅然たる態度で非正規雇用切りは違法だと迫り、撤回させられるかといえば、おそらくそれはできない。
つまり、政界再編という名で語られる彼らの展望というものは、自民党政治からの脱出をめざしたものでは一切ないということだ。
当面の、喫緊の課題である首切りを宣告された労働者たちを救えるのは、財界・大企業との文字どおり追及するという意味での対峙以外の何ものでもない。
それは、渡辺喜美にも、小沢一郎にも、中川秀直にも不可能だ。
政党再編の名ですすめられる合流が仮にあったとしても、それでもたらされる政治とは、これまでの自民党政治のやき直しであって、構造改革路線のせいぜい一部修正が期待できるか否かの水準にとどまるだろうと私は確信している。この意味で政党再編に展望があるなど、けっして読者の皆さんに約束することはできない。
しかし、有権者が何かをしなければ事態は動かない。いすゞ労働者の決起にこたえ、今日の政治災害から労働者を救えという問いを発信することを避けてはならない。発しつづけることだ。渡辺喜美にも、小沢一郎にも、中川秀直にもこれを迫り、態度決定させることだ。他人事から脱せよ。
それがほんとうにできれば、そこから政治は動くのではないか。
(「世相を拾う」08256)
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【関連エントリー】
総選挙の三つの可能性
党首討論の決算書
私は以前に、安倍・小沢の党首討論をB級映画だと評したことがあります(参照)。今回も、この域を少しもでませんでした。
以前にもまして民主党が政権交代などと強調しているものですから、自然とこちらの見る目も、では将来を託せるものかどうか、そこに焦点を置きたくなるのです。
その点からいえば、結論は、ノーでした。どちらにも私たちの将来を託せないと。
まあ、この党首討論をめぐっては、自民党側が討論を再三申し出て、民主党がこれに応じてこなかったと伝えられています。そんないきさつが醸し出す、もったいぶりは、あけてみると、大したことはほとんどなかったといえる。数日前のエントリーで、「信用できない」「チンピラの言い掛かり」などという言葉の応酬を、あたかも対決と勘違いしているかのようだとのべたのですが、結局、討論はその再来であったような印象です。
重箱の隅をつつくような。討論はそんなものではなかったでしょうか。
つまるところ、この2つの政党の党首の討論が迫力もなく、面白くもないのは、2つの政党のよってたつところにちがいがまるでないために、政局やいちいちの対応という細かい、ほとんど国民にとってはどうでもよいところに差異を求めようとする、そんな強調が討論でははっきりしたように思えます。
二次補正予算案を語るのはよいのですが、たとえば補正の根幹には、国民生活に軸足を置けるかどうか、がある。あるいは景気刺激策でも、真に国民生活を温めるために消費税減税など考えてよさそうなのに、2党からは一向にでてこない。それもそのはずでしょう。
そのためには、今の日本の政治のあり方をゆがめている大企業にたいする毅然とした姿勢が求められているのでしょうが、自民党はもちろん、民主党もそこは弱い。一例をあげると、日々、伝えられる派遣労働者の首切りにどのようにこの2党が対処したというのでしょうか。
党首討論がまったく面白くないのは、こうした背景が深くかかわっています。実際の政治の焦点は、自民、民主の国会でのやりとりとはちがったところにあるといえるのではないでしょうか。
ですから、とりあえず今回の党首討論の決算書も、以上の意味で赤(字)でした。プラス評価などは考えられないのです。
(「世相を拾う」08248)
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政権交代で何が変わるのか -山口二郎氏が語らないもの
山口二郎氏にとっては、政権交代こそが日本の政治の将来を左右するものらしい。 総選挙の課題と銘打って、政権交代の意義を説得するという。しかも、説得する相手は、「民主党や小沢一郎に不信感を持っている市民派」だという。この場合の市民派とはいったい何か。政権交代至上をうたってはばからない市民派も我われの周りにいるのだが、最近、市民派とか、平和・リベラルとかですべてを一くくりにすることにたいして違和感を少なからずもつようになった。
すなわち、平和とか、護憲をその人が希求しているとしても、一方で、政権交代こそ日本の政治の課題だと主張するとき、そこに欺瞞が残らないのか。あえていえば民主党への政権交代こそ命と叫ぶのは自由だが、平和、護憲と民主党は整合するのか。
「自民党も民主党も碌なものではない、選択肢がないのは嘆かわしい」と氏はいうが、選択肢がないわけではない。「自民党も民主党も碌なものではない」と思うのなら自民党も民主党も選ばなければよいだけのことである。それが選択である。「その手の純潔主義ほど政治の進歩を妨げるものはない。所詮政治というものは、より小さい悪(lesser evil)の選択」という政治学者の言葉はまことに笑わせるが、ここらあたりに、少数排除の思想が表れている。つまり、長いものにまかれろという最悪の政治思想ではないか。
こんな強がりをいう氏も、こういわざるをえない。
「民主党は信用できないと言われれば、私も全面的には否定しない」と。
以下はほとんど意味不明、素人の私からみてもおよそ政治学者の発言とは思えない代物だ。例証もできないことを願望でのべるのだから。民主党を、社会民主主義というのはそこいらのブロガーくらいだと思っていたのだが、学者先生が規定するのだから驚いてしまう。
民主党が政権を取ったら改憲に着手し、戦争の片棒を担ぐというのは、被害妄想である。民主党を軸とした非自民連立政権は、小泉政権以来の自公政治によってずたずたにされた日本の社会を再建することを最大の使命とするはずである。この点について、小沢代表は現実的発想を持っている。昨年秋の大連立騒動の時には、私も小沢代表の政治感覚を疑った。しかし、その後は改心し、民主党を軸とする政権交代の実現に政治生命をかけている。「生活第一」という民主党の政策は、社会民主主義の方向である。 |
変化を知る、変わりうることを私たちが知ることは重要なことだ。
戦後このかた、自民党の長期政権がつづいてきているのだが、そのなかでも非自民政権が生まれてきた。その限りで、われわれは政権交代を知り、非自民政権を知っているのだ。そして、そんな政権交代劇が長年の自民党政権とほとんど変わりのないものであったことも私たちは知った。
同時に、昨年の参院選で民主党は大勝し、参院で与野党の議席が逆転した。けれど、その後に待っていたのは自・民の大連立騒動だった。そんな紆余曲折があったのだが、政治は少しずつ動いている。薬害、派遣労働、過労死、名ばかり管理職、いずれも緒についたばかりの成果だが、動いている。民主党が動かしているのか。そうではないだろう。
それでも政権交代自体の重要性を氏が説くのなら、氏の頭にある民主党による政権交代が従来の政権(交代)と異なる可能性を明示すべきだろう。何がかわるのか、はっきりさせるべきだろう。
氏はいっこうに民主党結成のいきさつを語ろうとしない。「一党支配が社会を息苦しくするという法則」をいくら語っても、二大政党が同質ならば結果は同じことである。この点で、日本において二大政党政治が志向されてきた経過を横におくわけにはいかない。そして、二大政党政治が小選挙区制と両輪であることは誰もが知ることである。
自ら「私は理想主義者であり、進歩主義者」だという山口氏だが、「小選挙区に関する限り、鼻をつまんで民主党に投票しようと訴えたい」という氏自身がかつて小選挙区制度推進の論陣をはってきたことを忘れてはならない。
(「世相を拾う」08219)

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新テロ法延長の意味・または・民主党の動揺
アメリカの戦争戦略が世界のいたるところでうまくいかなくなっているなかで、米国は、日本にたいする派兵要求をいちだんと強めています。安倍首相が任期中に改憲をやるといっては頓挫し、その後のテロ対策特措法の延長さえ危ぶまれる状況にあったわけですから、なおのこと、日本にたいする米国の苛立ちと不満は相当のものだと考えないといけないでしょう。
ふり返れば、安倍氏の明文改憲主張が逆に国民の改憲反対運動に火をつけました。九条の会の活動をはじめ、世論の改憲反対の意思は確実に高まっていったのではないでしょうか。
それは、この間のメディアの世論調査にも表われています。読売でも、朝日・毎日でも同様の結果です。よく引き合いに出されるのは九条の会ができた2004年には、改憲賛成は65%(読売)でした。けれど、それ以後、改憲派の占める割合は徐々に低下し、今年4月には41.5%となって、ついに改憲反対派を下回ることになったのです。
こんな世論の動きに反応したのが民主党でした。思い出していただきたいのは、04年マニフェストで民主党は明確に改憲を主張していました。ところが、参院選前の07年マニフェストでは改憲主張を封印してしまったのです。同党のこんな変身は何も防衛問題にとどまりません。同じく参院選前に、従来、同党が新自由主義的政策を自民党と先を争っていたのに、これもまた、横においてしまった。そして昨今の右に左に揺れる同党。選挙前のいつもの行状といわなければなりません。
話を元に戻すと、安倍氏のあとを継いだ福田氏の難問の一つもここにあったはずです。改憲の青写真を描く上で手詰まりの状況のなかでの政権誕生でした。小沢氏との大連立密室協議はまさにこの過程のなかでの選ばれるべくして選ばれた選択肢の一つでした。現状でこそ自公で衆院は3分の2を上回りますが、今後、民主党が同意しなければ改憲条件の3分の2はとれないのですから。しかし、結局それも破綻。
ただ福田首相の選択肢は、もう一つありました。安倍氏のような明文改憲路線ではなく、解釈改憲を先にすすめる手法です。つまり、その手段が派兵恒久法でした。したがって、それは現局面での焦点ともいえるものです。
なぜ、派兵恒久法が焦点なのか。
麻生氏が国連の場で米国への忠誠を誓ったのも、先にふれた日本への不満と苛立ちに応えるためのものだと見て取れます。日米同盟の強化を強調し、集団的自衛権に踏み込むことによって、つまり自衛隊の海外派兵に言及することによって、日米関係を危うくしないという、ある意味で決意の表われでもあったでしょう。
当の米国では大統領選の最終盤です。オバマ優勢が伝えられていますが、マケイン・共和党=タカ派、オバマ・民主党=ハト派などと単純化してしまうと、日本にとっても、世界にとっても禍根を残すことになりかねません。私はどちらがなっても、ほとんど変わることはないだろうと予測しますが。
むしろ民主党は共和党と比較して、同盟国により負担を求める傾向が強いと説く識者もいるくらいです。
その上で、注目すべきはジョセフ・ナイがオバマのブレインに入っていることです。忘れもしませんが、ナイは、新ガイドラインをつくった人物。いっそう日本への要求、米国の肩代わりを求める圧力は強まると推測するのです。
今国会では、衆院をすでに新テロ法延長案が通過しました。特措法方式は、本来の米国の要求に応えるには間尺にあわないことははっきりしています。自民党は、特措法を重ねるごとに自衛隊の活動と役割をしだいに拡大していますが、それでも強い限定があるのにちがいはありません。
これをひとまず突破する手段が、派兵恒久法と位置づけられるでしょう。
いまの局面で、自民党からすれば民主党を抱き込むもっとも有力な手がかりが派兵恒久法でしょう。国連のお墨付きがあれば地上軍派兵もOKという、この面では自民党以上に右寄りともいえる対案をもつわけですから。
こうした解釈改憲を前面に押し立てて、米国の世界戦略に応えていく、その過程で民主党との協調を確立し、改憲への条件を構築していこうというのが自民党のいまの戦略だと思えます。
その上での、今回の新テロ法延長法案の提出であって、国会の中で自民党・公明党と民主党がどんな態度をとるのか、注目せざるをえません。
単なる給油法案という言葉で片づけてしまうのはやめたほうがいいかもしれません。一つひとつの動向が、改憲への道に直結しているのですから。新テロ法延長法案の審議の重さは、本来そこにあるのではないでしょうか。
(「世相を拾う」08213)
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追記;ガイドラインをめぐる日米の協議のもようが以下の東京新聞の記事で紹介されています。
【新防人考 変ぼうする自衛隊】
第四部 文民統制の真相 <5>ガイドライン
■悲劇の裏で同盟強化
グラウンドは怖いほど静かだった。
1995年10月21日、沖縄県宜野湾市の海浜公園で開かれた県民総決起大会。参加した8万5千もの人々は、米兵が起こした少女暴行事件への怒りと悲しみを共有していた。
ワイシャツの袖をまくり上げ、壇上に立った大田昌秀沖縄県知事は「幼い子どもの尊厳を守れなかったことをおわびしたい」と陳謝した。若者代表の女子高生が「軍隊のない、悲劇のない平和な島を返してください」と訴えると、涙ぐむ人もいた。
集会は米兵の綱紀粛正、日米地位協定の見直しや基地の縮小など、反基地運動への取り組みを決議して終えた。日米両政府が沖縄米軍基地の整理・縮小を協議する特別行動委員会(SACO)を設置するのは翌月のことだ。
「事件をきっかけに日米関係のあり方が見直される」。そんな沖縄の期待は見事に裏切られる。翌年四月、両政府は日米の軍事協力を極東からアジア太平洋に拡大する日米安全保障共同宣言を発表。同時に米軍と自衛隊が物や労力を融通し合う日米物品役務相互提供協定(ACSA)を締結、軍事同盟は格段に強化された。
実は、事件とは無関係に、日米関係を見直す動きがひそかに進んでいたのだ。
95年9月上旬、東京・霞が関。外務省の会議室で、折田正樹北米局長とジョセフ・ナイ米国防次官補が向かい合っていた。後に延期されたが、2カ月後に迫ったクリントン大統領訪日の際に発表する日米安保共同宣言の文言を詰めていた。
共同宣言は、日米防衛協力指針(ガイドライン)見直しに言及し、日米安保体制を再確認する内容だった。
この時期、ガイドラインの見直しが浮上したのは、北朝鮮による核開発危機がきっかけだった。核開発を進めていた北朝鮮は93年3月、核拡散防止条約(NPT)脱退を表明。米国は朝鮮半島有事が起きた際、自衛隊がどんな米軍支援ができるか、日本政府と非公式協議を繰り返した。
機雷掃海、米艦艇への洋上補給、負傷兵の捜索・救難。米国が示した支援要求は2千項目近くに上ったが、日本側の回答はことごとく「ノー」。怒った米側は、周辺有事で米軍支援が可能となるようガイドライン見直しを要求した。
折田氏は「朝鮮半島有事で日本は何もしないで済むはずがない。見直しは必要。これは日本の安全の問題だと思った」と回顧する。
大田知事は、米国の論文からガイドライン見直しの動きを早い段階からつかんでいた。ベトナム戦争当時、沖縄が米軍の前線基地と化し、地元の労働者が死体処理に従事させられた姿が脳裏に浮かんだ。
「周辺有事で日米が連携すれば、ベトナム戦争のような事態が再来しかねない」
沖縄の基地問題に注目が集まる中、日米両政府の作業は水面下で進んだ。「基地問題は重要だが、安保体制の充実もないがしろにできない」(当時の外務省幹部)との意識が働いていた。
96年4月17日、東京・元赤坂の迎賓館。クリントン大統領と橋本龍太郎首相が署名した日米安保共同宣言には「ガイドライン見直しを開始することで意見が一致した」と明記された。沖縄の少女暴行事件は、日米関係に何の変化も呼び込まず、自衛隊と米軍が一体化する最初の一歩がこの日、踏み出された。(肩書はいずれも当時) =おわり
<メモ>日米安保共同宣言 1996年4月、当時の橋本龍太郎首相とクリントン米大統領が署名した。冷戦期の日本防衛を主眼とした日米関係をアジア太平洋の広域的な同盟に移行させた。日米防衛協力指針(ガイドライン)見直しにつながった。
日米防衛協力のための指針(ガイドライン) 日米安保条約の円滑な運用のために作成された日米の軍事協力方針。新・旧2種類あり、冷戦後、97年改定された新ガイドラインは、日本防衛に加え、周辺有事の際の日米軍事協力に踏み込んだ。
*点線は管理人。
二大政党政治推進論者の破綻
あえてここでは推進論者というが、山口二郎氏のことである。
氏が、自民、民主の二大政党政治を念頭において、この間、自説を展開してきたことはよく知られている。
以下の週刊誌の記事においても、氏自身の立場をつぎのように明らかにしている。
この十数年間、政権交代可能な政党システムを作ろうと主張してきた 解散総選挙で何を問うのか |
と。また、その彼が、こう自らの心情を吐露している。素直にこの一文を読むかぎり、氏はもはや、二大政党推進のこれまでの立場にまったく自信喪失してしまったかのようにみえる。
最近の日本を見ていると、どの党が政権をとるかという問題よりも、そもそも日本で政党政治が意味あることをしているのかというより根本的な問題に我々は直面しているように思える。国会や選挙の場で自民党と民主党が角を突き合わせているが、構造改革路線が自民党でも否定された今や、二大政党の政策的な対立は見えにくい。むしろ、二大政党の政策対立なるものが社会から浮き上がっている。(同上) |
つまり、話を急げば、氏のこの混迷は、あたかもこの二つの政党の間に「政策的対立」を見出そうとし、あるいは存在するものとして自説を説いてきたところに起因している。別の言葉でいえば、氏が「政策的な対立」のなさを嘆き、自信喪失に陥ってしまったこと自体が、二大政党を対立するものであるかのように描き、国民に説いてきた氏のはたんを表している。
いよいよ自民党政治がゆきづまって、二つの政党の「交代」が実現の可能性をもつものとして我々の眼前に迫ってくれば、本来ありえない対立をあたかもあるかのように振る舞っているのだとすると、そうすることに無理がある。軋みが生じる。
その格好の証拠が、昨年の大連立騒動であった。
民主党という政党は、大連立の動きそのものを結局、小沢一郎すべてに責任をかぶせ小沢個別の問題として幕を引いてしまったが、民主党は元来、政権に近づけば近づくほど、党内の矛盾、あるいは有権者、支持者との矛盾がいっそう深まるものではなかったのか。参院選で反自民の姿勢を宣伝したものの、その姿勢と民主党の政策との乖離の埋めように腐心した結果の大連立(構想)だったのだから。
それだけではない。
最近の民主党の姿勢をみるがいい。
大げさにいえば、すべての政策課題で態度表明をあいまいにするか、先送りする(参照)。その繰り返しのように思う。
ところで、左派、共産党はこの衆院選にあたって、政権の担い手の選択ではなく、政治の中身の変革を、というスローガンをかかげ、そこに今回選挙戦の焦点をあてている。
政党としては当たり前の主張だろう。なぜなら、民主党のいう政権交代を例にとると、同党の強調する政権交代というものが、党首がかわるという意味での自民党内の交代と異なるものならば、どのように政治をかえるのか、有権者に示すことくらいのことはたやすいだろう。むしろ、そうしてこそ、ちがいも、争点もみえてくるわけで、有権者にとっては選択しやすいし、政党にとっても選ばれる可能性もまた広がることになるはずである。
けれども、今もって、この問いに民主党は答えられないでいる。
それどころか、論戦にさえ持ち込むことができずに、補正予算案に賛成し、新テロ法延長法案の採決を容認してしまうありさまだ。
いいかえると、自民党政治のゆきづまりとは、民主党にとっても同じことだ。なぜなら、自民党政治の本質を大企業・財界優先の政治、米国追従の政治というところに置くかぎり、この点では民主党もかわらないからである。
それでは、山口氏は、これまでの自説の展開を反省し、自己批判するのだろうか。結論から先にいえば、この一文は、結果的に左からの、共産党からの批判に抗しきれず、以下に示す部分では、ほとんど無条件にその批判を受け入れたものともいえなくはない。
権力を獲得して、一体何をするのか、どのような社会を作るのか、理念が伝わってこなければ、政党政治は国民から見放される。 |
それでも、「財源にこだわって、政策論争が矮小なものになっても困る」というくだりに民主党への氏の未練が透けてみえる。
しかし、言葉を返すようで悪いが、氏の懸念は杞憂にすぎない。
先にのべたところから容易に察することができるように、自民と民主の間で政策論争など起こりえないのだから。
むしろ私が心配するのは、氏は簡単に混迷から抜け出せず、いっそうその深みにはまるという予測が的中することだ。
それは、たとえば、「権力を獲得して、一体何をするのか、どのような社会を作るのか」、それを明示しないでは見捨てられるといいながら、片方で、「政権交代は政策転換を実現する手段ではなく、それ自体目的である」とあくまで政権交代至上とばかり断言する論理的矛盾を放っておいてはばからない無神経さを感じるからである。
(「世相を拾う」08210)
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マルチ商法癒着でも二大政党
国会では非難の応酬もみられるようですが、まず自らをたださなくてはなりません。
解散を急ぐ民主党は、小沢代表が記者会見し、前田議員を離党させることで幕を引こうとしています。
消費者、国民に損害を与え、泣かせてきたマルチ商法業者を支援しつづけてきた同議員の行為が収賄にあたるのかどうか、民主党は調査すべきでないでしょうか。一方の野田消費者行政担当相。過去に同業界を擁護する国会質問をしていたのです。
以下、国会議事録から引用。
日弁連の「訪問販売法改正に関する意見書」という資料がございまして、それを読みますと、「連鎖販売取引」のところで、連鎖販売取引規制というのは、昭和四十九年七月の国民生活審議会消費者保護部会の中間覚書、または同じ年の十二月の産業構造審議会流通部会の中間答申の「基本的には、マルチ商法が上述のような種々の問題を抱え、社会的トラブルの原因にもなっていることに鑑み、その活動を実質的に禁止するよう厳しい規制を行うべき」との方針に基づくものであるというふうに述べられております。 つまり、昭和五十一年に制定されている一番最初のこの法律というのは、マルチ商法というのができ始めてさまざまな被害が増大したから、これは実質悪であるという前提に立って、とりわけ連鎖販売取引というのが実質悪いものである、だから取り締まっていくというようなベースにあるのではないかと思っています。 私が申し上げたいのは、連鎖販売取引というのがあらかじめ悪質であるという前提に立ってこの法律が制定されているのではないか、そして、その連鎖販売取引というのはすなわち訪問販売の取引の一部の形であるということで、訪問販売というのと連鎖販売取引というのは別個のものではなくて、ほとんど同じものになってくるのではないかということを確認しなければならないと思います。 訪問販売、これは連鎖販売取引の形をとっているものが多いわけですけれども、この業界こそいわゆるベンチャービジネスのさきがけとして存在しているのではないか。そうであれば、今までの連鎖販売取引イコール悪であるというような考え方を大きく転換しまして、この際、日本の次代の産業を支えるいわゆるベンチャービジネスの一つ、新産業としての認知をし、かつその業界の健全な発展を支援するというふうな立場で、これからはこの法律を通じて国は取り組んでいくのではないかということを考えております。 |
選挙が近まれば、自・民対決といううたい文句で、日々、日本の政治はここを中心に動いているかのように誘導されるのが日本の常。この両党がときには生活第一といいながら、あるいは消費者重視を力込めて就任しながら、その実、消費者、国民から暴利を得ていた業界との癒着が疑われるというのだから。業界との癒着は政治の世界ではしばしば耳にしてきたわけですが、それだけに徹底した調査、解明が必要です。
企業・団体献金を容認し、絶つことのできないところに根本があります。企業・団体献金の禁止がいよいよ急務と考えざるをえません。
(「世相を拾う」08206)
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追記;「朝日」は石井副代表がマルチ業界から450万円の献金を受けていたことを報じています。
http://www.asahi.com/politics/update/1018/NGY200810170010.html?ref=goo
マスメディアに支えられる二大政党
新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)が9月25日、「総選挙に向けての緊急提言~来る総選挙を歴史的な政権選択選挙とするための条件整備~」を発表した。21世紀臨調は、「政治改革の推進」を目的とし「政権交代可能な政党政治の実現」を当面の目標の眼目とする、各界の有識者による運動体である(http://www.secj.jp参照)。今回の提言は、一部の新聞に小さく扱われただけだったが、不公正な選挙報道を促すきわめて危険な内容が盛られている。市民・有権者のみなさんに注意を喚起したい。 言いたいことはたくさんあるが、この際、一点に絞る。緊急提言の冒頭に掲げられた「首相候補同士の党首討論を」についてである。提言は、自民・公明党の連立与党と民主党が首相候補同士による論戦を繰り広げ、総選挙を名実ともに「首相候補」「政権公約」「政権枠組み」を一体的に選択する「政権選択選挙」とする責務があるとし、連立与党と民主党はそのための努力を精力的に行うべきであり、21世紀臨調としても首相候補同士による対決型の党首討論を主催する意思を表明し、双方に申し入れるものである―としている。私は有権者の1人としてこの提案に反対する。麻生太郎・自民党総裁(首相)と小沢一郎・民主党代表ふたりだけの党首討論がマスコミに仰々しく取り上げられ、不公正な選挙報道となって私たち国民の「知る権利」を侵害するからである。党首討論を行うなら、最低限、総選挙をたたかうすべての与野党党首の参加と発言が保障されなくてはならないし、何をどう議論するかももっと吟味されなくてはならない。 選挙は、私たちが主権者として日本の政治の現状と未来に対する意思を直接表明するきわめて重要な機会である。議会制民主主義を尊重するなら、何よりもまず主権者に、政治諸勢力の主張、政策等の判断材料が公正な形で豊富に提供されなくてはならない。21世紀臨調が「2大政党論」を主張するのは自由だが、今回緊急提言での「基本認識」に書かれているように、来る総選挙が「日本の民主政治の真価を問う選挙」だと言うなら、少数野党を切り捨てた党首討論を推進しておいて何が民主政治か、と言いたい。 |
氏の発言につけくわえることはない。
自民、民主の対決こそが政治の核心であるかのように主張しながら、二大政党政治というものが、実は共産党をはじめ少数政党を排除することにねらいがあることを氏は明確に指摘している。
今日の政治のゆきづまりは、財界・大企業を優遇し、米国追随の積み重ねによってもたらされている。
財界・大企業が後押しする「21世紀臨調」が選挙報道を独占し、世論操作を露骨に打ち出そうとするのも、この財界・大企業、米国追随を保持したいがためだ。
そして、早期解散のみくろみがはずれ、国会論戦上の対決どころか、自民党に民主党が協調していく姿は端的にこの流れの本質を示している。
財界・大企業の選挙報道ジャックを許してはならない。
ぜひ長谷川氏の文章全文をご一読ください。
(「世相を拾う」08205)
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追記;「21世紀臨調」のメンバーが以下に掲載されています。
http://www.secj.jp/what_21st.htm#421
この件を「しんぶん赤旗」(10月16日)が報じています。
【関連エントリー】
志位質問と迷走する「朝日」、民主党
「朝日」の欺瞞 -どこに対立軸があるのか。
「非自民」で安堵するのかという問い。
ぜひ吟味ください。
今の自民党の政治があまりにもひどいので、少しでもよくなれば、すぐにでもかえたいと考えるのがジョーシキなのかもしれません。
けれど、こうした気分、感情をいったん横においてみて、過去に私たちは、ちょうど今と同じような経験をしてきたことをふりかえってみようではないか、それをペガサス・ブログ版さんは強調しています。
そんな冷静さを身に着けたいものです。
当ブログは執拗に、今の日本国で貧困と格差を深刻化させてきたのはだれか、そして貧困と格差を促進してきたしくみをこそ、この際、見直し、転換を図るべきだと訴えてきました。
ペガサス・ブログ版さんの主張とのかかわりでいえば、私たちの眼前で演出されているのは、自民VS民主の「対立」であって、「政権交代」が実現するか否かという論立てにほかなりません。
1945年以来の自民党政権に「交代」をもたらしたのは、かつての細川内閣とそれにつづく村山内閣でした。ペガサス・ブログ版さんは、このときに導入された小選挙区制に着目されており、この着眼にまったく首肯せざるをえません。
政治とは本来、こんなものなのかもしれません。長年、政権の座についていた自民党が野に下り、とってかわった時の「非自民」政権が自民党の積年の課題を成し遂げる結果が訪れる。「過去の過ちを繰り返してはならない」と、ペガサス・ブログ版さんは警鐘を鳴らしているのです。
このエントリーでは渡辺治氏の見解が紹介されています。
氏の主張を再掲すれば、
民主党中心政権ができるが,その場合も,共産党や社民党が前進し,これらの政党抜きには民主党が過半数を取れない状況になるのか,それとも共産党抜きでも民主党が過半数を獲得できるかで事態は大きく異なる.前者の場合は,後期高齢者医療制度の廃止を始め構造改革に重大な打撃を与えることができるばかりか,民主党が自衛隊の海外派兵に動くことも難しくなる.しかし,後者の場合には,自衛隊の派兵や構造改革に歯止めをかけることは困難になること必定 |
この見立てに私は賛成です。
小沢一郎氏のこのたびの代表質問は、渡辺氏の見立てを現実に支持するような内容であったと、しみじみふりかえるのです。
(「世相を拾う」08198)

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麻生も、小沢も日本を変えることはできない。
いまの日本社会は、ひとときの猶予も許さないような現状にある国民生活、つまり家計に相当のテコ入れが必要だと私などは思っているのですが、総裁選は、メディアもふくめたお祭り騒ぎのカンジを呈しました。けれど、米国リーマン・ブラザーズの破綻は、日頃、盟主のいいなりになってきた日本国の金融政策ですから、まともに考えれば、横に置いておくことなど決してできない一大事であったはずです。ですから、たとえば与謝野氏が総裁選からの戦線離脱も辞さないと、いちおうは公言せざるをえなかった。少なからぬダメージを日本も受けることが確実視されています。そのことは、昨日のテレビ番組で、茂木金融担当相がスズメバチをもちだし、激痛を免れないことを表明したことにも表れているわけです。
さて、二大政党の党首がつづけて選出された日本。
この二人に、いまの息苦しい日本国から居心地よい日本に転換できるかどうか、そこに私は関心がある。ちょうど、それに応えるかのように、渡辺治氏が日本の政治状況を分析していました。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080919/171080/ http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080922/171276/ |
結局、氏の展開するところをもってしても、麻生も、小沢も日本の転換をなしえない、こう結論づけざるをえない。
なぜそうなのか。
当ブログは、自民党政治を特徴づけるのは、財界・大企業の圧力と、盟主米国の圧力を受け続けると常々、指摘してきましたが、渡辺氏は、まさにこの点において、麻生も、小沢もこのくびきから解放されることはない、と断じているのです。
麻生氏はしょせん自民党の政治家。あの小泉でさえ、自民党をぶっ壊すといいながら、残ったのは国民へのしわ寄せ、痛みであって、日本社会の亀裂でした。壊したのはいうまでもなく国民の生活でした。麻生氏には、自民党をぶっ壊すなどと言い出す勇気はもちろんありませんし、せいぜい、やり方をかえ自民党の政治をつづけるのみでしょう。
では、政権交代をさけびつづけ、今衆院選はラストチャンスといいきる小沢氏。彼は、期待に応え、自民党政治を転換できるのでしょうか。
当ブログの読者のみなさんならばお分かりのように、この問いにたいする当ブログの見解は明確にノーです。
小沢氏はもともと保守政治家。それを変えたとは公私にわたり聞いたことはありません。ただし、民主党に彼が収まってからは、政局に敏感な彼は、民意なるものを重視するかのように、その時々で、政策的に七変化をなしてきたといえるのではないでしょうか。
このあたりについて渡辺氏はこう指摘しています。
問題は自公が過半数取れなかった場合です。民主党には2つ選択肢があって、民主党が他党と組まないと過半数を取れない場合は、公明党に手を突っ込むか、それか社民と共産を引っぱってくるか。この場合、公明に手を突っ込む方が簡単です。
ところが民主党は自民党と違って、党内では急進派か新漸進派か全く議論していません。自衛隊の海外派遣の恒久法についても議論していない。そもそも代表選をやらなかったのは、結局できなかったから。やれば衆院選を戦えないので蓋をするしかなかったのです。 いずれにしても民主党政権になれば、福田康夫政権が抱えた以上の問題を抱えます。民主党は去年の参院選で、反構造改革、反大国化の旗を掲げて支持された面があります。 いつかは旗印を変える必要があったのですが、ついに変えるチャンスは衆院選まで来なかった。もともと小沢代表は大連立を機に変えたかったのですが、民主党が言うことを聞かなかったのです。 |
氏の慧眼は本質をとらえて離しません。
少しふりかえってみると、選挙になれば、虚構の対決軸をもちだすのですから、終われば、なおいっそうの矛盾を抱え込むことになります。そのよい一例をすでに私たちは知っています。小沢氏は昨年の参院選で議席増をかちとったものの、その際のいわば国民向けの政策的展開と本来のそれとの矛盾を解消しようと、大連立を成し遂げようとしたのでした。
小沢氏は昨日、「基本政策案」なるものを披露していましたが、そこに私はいまの自民党政治を転換させようという意思も、そして具体的な政策的進化もまた、みることができませんでした。
それは、いまの自民党政治を性格づける、財界・大企業からの、さらに米国からの圧力を跳ね除けるようなことはこれまでも一切なかったからですし、これからもそれはおそらくありえないだろうと推測もするのです。
ですから、つまり渡辺氏がいうように、麻生氏をふくむ5人の候補者と小沢氏を区分するすべはない。
財界・大企業からの圧力でゆがめられている日本の社会、米国の圧力でゆがめられている日本の社会。
これをあらためようと思えば、財界・大企業からの圧力と米国の圧力に抗しうる勢力を見極めなければなりません。
こんどは、各党がどんなことをいって、どんなことをしてきたのか、どうしようとしているのか、一つひとつ見定めること、これをしっかりやることからはじめましょうよ。
(「世相を拾う」08184)

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山口二郎「保守政治の限界」の限界
自民党総裁選に、名乗りをあげる者が相次いでいる。確実にメディアへの露出度は高まる。なので、自民党という政党も、一人ひとりの候補者名も、国民の脳裏にすり込まれることになる。小泉選挙以来、メディアの報道が選挙戦の勝敗を大きく左右していることを考えると、侮ることはできない。
山口二郎氏が、福田辞任後を語っている。
保守政治の歴史的限界 |
山口氏によれば、安倍政権以降の素描はつぎのようになる。
一年前はその安倍氏が突然政権を投げ出し、福田康夫氏が首相に就任した。そして今年は、福田氏も同じように政権を投げ出した。今回の退陣は、福田氏個人の問題ではなく、日本の保守政治の歴史的な限界の現れととらえるべきである。
戦後の保守政治は、外における対米追随、内における富の再分配を二本柱としてきた。この枠組みが揺らぎ始めたのは、冷戦が崩壊し、バブルがはじけた1990年代である。 このころ自民党は政治改革の激震にも見舞われた。しかし、新党勢力が再編の過程でまごまごするのを尻目に、自民党は他党を巧みに引き込んで政権を維持してきた。そして、改革を看板とした小泉政権の段階で、富の再分配による国民統合という伝統的手段を自民党は放棄した。 安倍政権では、憲法改正という政治的争点を軸に新しい国民統合の手法を試みたが、あえなく挫折した。 その後を襲った福田氏は、結局統治の基本構想を持ち合わせていなかった。小泉路線を継承して経済競争の徹底を進めるわけでもなく、安倍路線を継承してナショナリズムを鼓吹するわけでもなく、昔のような地方と庶民に優しい保守政治に回帰するわけでもなかった。 この秋の経済対策をめぐる綱引きの中で、福田氏が自分の考えを明確にできなかったのはその現れである。 |
このように氏は、いわば戦後の自民党政権を俯瞰する。あえて山口氏は、自民党政治とはいわず、保守政治とよび、その保守政治の限界を指摘している。
けれど、氏のいう保守政治に、政権を争っている民主党は入らないのか。少なくとも、上記の俯瞰にもとづけば、民主党もまた、この枠組みの中に入るのではないか。入れても違和感はない。
むしろ、山口氏の文脈にそっていえば、「バブルがはじけた1990年代」にこそ、いまの自民、民主のいわゆる二大政党制の確立を、保守側が追求してきたことを忘れてはならないだろう。
政治の場面で以上の転換が図られたように、経済・産業構造の面でもダイナミックな転換が図られた。
このなかでこそ、非正規雇用という形態が増大した。グローバル化にともなう大規模な産業構造の転換といえるのだろうが、先進諸国の多国籍企業は、こぞって生産拠点を労賃の安い後発諸国に移した。だから、国内では、当然のようにサービス職種の比重が高まり、繁閑の変動が著しいサービス業にとっては、短期間で集中的に労働力を投入できる雇用形態として非正規雇用に置き換えられてきたのだ。同様に、製造業においては、製造ラインを頻繁に変動させる多品種少量生産では、非正規雇用が使い勝手がよいということになる(*1)。
このように、新自由主義的施策と産業構造の転換と、自民・民主の体制がもくろまれてきたのが軌を一にしているのは偶然ではない。あえて山口氏の言葉を借りて、より正確に表そうとすれば、「二大政党をめざした保守政治の歴史的限界」といわなければならないだろう。
だから、以上の若干の歴史的ふりかえりで民主党の出自はもう明らかなのだけれど、実際にも、国会のなかで、民主党はたとえば労働者派遣法の改悪にたたかうことがなかったばかりか、賛成したわけである。
山口氏は意識的に保守政治の枠組のなかから民主党を消去している。
「政権交代は国民の悲願」とするコメントを頂戴した。これに私は、こう応えた。
「対結軸をはっきりと国民に示し、自民党の長年の政治とはこうちがうんだという明確な提起」があってしかるべき、なのに、それを示しえない。ここが「政権交代論」の最大の弱点でしょう。これを、民主党はたとえば代表選で明らかにすることもできたのに。
結局、自民党のなかの派閥間の総裁争いと区別することはむずかしいのではないでしょうか。ようは、民主党は「政権交代」のただ一点で「結束」しているようなものですね。 「政権交代」が「国民の悲願」なのであれば、それが、小泉に勝たせた国民の判断とどうちがうのか、この説明がいるのでしょうけれど。 |
先にのべた歴史的ふりかえりが間違っていないとすれば、自民党総裁争いと自民、民主の間の「政権交代」も、まさに顔だけかえて体は同じということになる。
(「世相を拾う」08169)

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*1; 本田由紀『軋む社会』参照
「新党」や再編には期待できない。
解散を牽制する小泉氏の発言も、中川元幹事長の発言も、それを正直に吐露した結果である。
仮にそう考えるならば、だれが首班に指名されるのか、ということはさして大きな意味はもたない。いつもの繰り返しだが、自民党という器のなかで誰がトップになろうと本質的な変わりはない。自民党政治を特徴づける大企業奉仕と米国優先の政治は貫かれるにちがいないからである。だから、ポスト福田をもくろむ数人の「候補者」のちがいに着目する、あるいは特定の人物の主張に関心を寄せる視点そのものが、どうしても私には相対的に狭くみえてしまう。断っておくが、それらの見方が間違っているとか正しいとかといっているのではない。
そのような差異よりむしろ、自民党と民主党をふくむ横断的な動きに今、あらためて注目したいのである。とはいっても、こんな動きは今にはじまったことではない。繰り返されてきたのである。
したがって、派閥の離合集散も、政党間の秋波も、いずれもこの自民党政治をいかに保持するのかという観点が貫かれているという点こそ重要だと思う。表現にそれぞれちがいはあるが、財界と米国の利益優先という姿勢は一致するのではないか。あえていえば、鳩山幹事長の伝えられる動向すらもこの枠組みに位置づけられる。
政党や政治家の政権にからむ動きが他とは無縁で独立してあるわけではない。すでに改憲議連に民主党の有力者が名を連ねている。そして、ついに、宇宙軍拡法案は民主党も賛成し、衆院を通過した。
これらの動きは、以下の現実と決して無関係ではない。すなわち、自民党が一般財源化を片方でいっておきながら、道路財源法を再議決するという、国民にとって理解できない事態を選択せざるをえないほどの、自民党政治の矛盾の深刻さがあるからだ。
だが、国民と自民党政治の矛盾はこれだけではなく、たとえば後期高齢者医療制度の顛末を少し考えるだけでも明らかというものだろう。
結局、この政党や政治家の動きが活発化するという今日の事態は、今の政治の弥縫策ということになる。平沼氏が、あるいは鳩山由紀夫氏が、そしてその他の政治家の名があがり、派閥再編がとりざたされるのは、そのためである。
それは、国民が願う、今の事態から一歩でも抜け出したいという願いには正しく答えるものではむろんない。何か新しいものがあり、今の政治がかわるだろうなどと考えると、手痛いしっぺ返しがくる。われわれはすでに、何度もそんな経験をしているのだが。私自身は、たとえば民主党の伸張がどうであるのかというよりも、日本共産党の政治的伸張のほうがはるかに日本の今後、政治状況におおきな影響を与えると、考えている(参照)。
反復のなかにわれわれはこれまで閉じ込められてきた。そこから抜け出すことはできなかった。湯浅誠氏がいみじくも語るように「私たちは大きく社会を変えた経験を持たず、それゆえにどうしてもそうした希望をもちにくく、社会連帯を築きにくい状況にある」。しかし、大きな変化が物理学的に物質の間の極度の緊張関係によってもたらされるものだとすれば、先にのべたように長年の自民党政治のほころびが露呈し、先にすすむこともままならぬ事態にあるのだから、今はまさに沸点にも似た限界点の位置にあるのではないか。
(「世相を広う」08082)
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改憲にむけ自民、民主が溶け込む。
以前に政党の溶解ということについてのべました(参照)。
まさに、政党が溶け込んでしまっています。
自民党の国会議員やOBでつくる新憲法制定議員同盟(会長・中曽根康弘元首相)は4日、国会内で総会を開き、新たな役員として、民主党の鳩山由紀夫幹事長や国民新党の亀井静香代表代行らを顧問に、民主党の前原誠司前代表らを副代表に迎え入れた。昨年、それまでの「自主憲法期成議員同盟」を衣替えして活動を始めたが、今回は超党派に枠を広げ、改憲機運の盛り上げをめざす。 総会で中曽根氏は「改憲のような国家的大問題は超党派で決めていかねばならない」とあいさつし、安倍前首相も「改憲は私のライフワーク」。民主党を代表して田名部匡省参院議員も「改憲はここ数年で決着すると決めてやらないと」と呼応した。 与野党改憲派がタッグ 鳩山由・前原氏ら役員に |
この議員同盟の新体制は、個別の課題で、というより今後の将来にかかわる改憲の課題で、自民、民主の垣根はないということを示しています。
もちろん、それぞれに所属する議員の一部で構成されたものではあるのですが。
けれど、自民、民主の両幹事長が顧問にすわるというのですから、自民、民主両党の意思はこの同盟とともにあると考えてよいでしょう。
つねづね二大政党制を推進する勢力の欺瞞に私はふれてきましたが、ここに至って、二大政党制が何に対抗しようとしているのが、あらためてはっきりしました。
この同盟は、組織的には九条の会に対抗することを明確に打ち出したのです。
メディアも基本的には歓迎しているのでしょうか。朝日も、毎日、読売も肝心の議論の中身を伝えてはいません。以下は「しんぶん赤旗」から。
四日の新憲法制定議員同盟の総会では「拠点となる地方組織づくり」を方針として確認しました。 愛知和男議員同盟幹事長は活動方針の説明の中で「われわれと正反対の勢力、『九条の会』と称する勢力が、全国に細かく組織作りができておりまして、それに対抗していくにはよほどこちらも地方に拠点を作っていかねばなりません。そこが今後の活動の大きな焦点となる」と強調。「各党支部や青年会議所などに頼んで拠点になってもらうことも一つかと思う」と提起しました。 中曽根康弘会長も「各党の府県支部に憲法改正の委員会をつくり、全国的な網を張っていくことが私たちの次の目標。そしてできれば超党派の全国的な国会議員、地方議員の連合の会をできるだけ早期につくりたい」と発言しました。 |
ということは、必然的に、名乗りをあげた自民党議員だけでなく、鳩山、前原氏など民主党議員もまた、九条の会はもとより、九条改憲は必要ないと考えている国民への敵意を鮮明にしたということになるのではないでしょうか。
これまでは自民党が中心でした。が、鳩山氏などが新たに加わったことは、溶解がさらにすすんだことを意味します。
大連立はいちおう頓挫した恰好でしょうが、個別・具体的な問題で、実践に移されています。(「世相を拾う」08043)
憲法議員同盟の役員
新憲法制定議員同盟総会で了承された役員は次の通り。☆は新。かっこ内の元は元職。敬称略。
【会長】中曽根康弘(元)
【会長代理】中山太郎(自民・衆院)
【顧問】衆院=海部俊樹、中川秀直、丹羽雄哉、中川昭一、瓦力、山崎拓、☆安倍晋三、☆伊吹文明、☆谷垣禎一(以上自民)、☆鳩山由紀夫(民主)、綿貫民輔、☆亀井静香(以上国民新)、参院=青木幹雄(自民)、元職=塩川正十郎、奥野誠亮、森下元晴、上田稔、倉田寛之、関谷勝嗣、片山虎之助、☆粟屋敏信、☆葉梨信行、谷川和穂
【副会長】衆院=津島雄二、古賀誠、野田毅、島村宜伸、深谷隆司、与謝野馨、高村正彦、二階俊博、町村信孝、額賀福志郎、大野功統、斉藤斗志二、杉浦正健、森山眞弓、堀内光雄、☆臼井日出男、☆石原伸晃(以上自民)、☆前原誠司(民主)、平沼赳夫、☆玉沢徳一郎(以上無所属)、参院=☆藤井孝男、☆尾辻秀久(以上自民)、☆田名部匡省、☆渡辺秀央(以上民主)、山東昭子(無所属)、元職=小野清子
【副会長兼常任幹事】衆院=保岡興治、鳩山邦夫、大島理森、船田元、金子一義(以上自民)、参院=鴻池祥肇、☆泉信也(以上自民)
【幹事長】愛知和男(自民・衆院)
【副幹事長兼事務局長】柳本卓治(自民・衆院)
【副幹事長】中曽根弘文(自民・参院)
【常任幹事兼事務局次長】衆院=☆平沢勝栄(自民)、参院=林芳正、岡田直樹(以上自民)
【常任幹事】衆院=☆松原仁(民主)、☆下地幹郎(無所属)、参院=☆谷川秀善、☆中川義雄(以上自民)、☆亀井郁夫(国民新)、元職=飯田忠雄、永野茂門
【監事】萩山教嚴、木村太郎(以上自民・衆院)
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