「夜どんなにメンテナンスしてカタチを整えても朝になって変わっている楽器なんて、人間だけだよね~」と私たちに向かってなのか独り言なのかつぶやきながら、久々のいわみん先生の授業開始。
ほんと、先生の言う通り。もちろんピアノだってヴァイリオンだって部屋の環境で音は変わるし、管楽器だって同じ。でも、人間の声って楽器は環境を保っていたとしても変わってしまうことはある、というか、全く同じ状態で演奏できるなんてことはまずないですよね。だからまた面白いのかもしれないけど,それだけ手のかかる楽器であり、メンテナンスは大事ってこと。気を抜かないようにしないと。
先週は基本レッスンのクラスで歌ったCaro mio benを歌ってみたのだけど、支えがうまくなくて全部頭声に入ってしまい・・・
そのときなぜ「中低音域」の曲をやることを薦められていたのか、やっと気付いた。
全く、今頃かい・・・ しかも、中音域やる意味間違って理解していたし。
「Sebbenn crudele」をいただいた理由もわかった。
意味がわかると、集中できる。ヤル気も出てくる。
1ヶ月以上歌って飽き始めていたSebben crudeleだったけど、そんなことで今日は迷うことなく歌いました。
そんな私のチャレンジ、いわみん先生も私がやろうとしていることが伝わったようでした。そして息の流し方など楽器に例えて説明してくれて、特にチェンジ付近での息の流し方を中心に繰り返して、体にたたきこみました。
楽譜に自分の楽器を当てはめようとするのでなく、自分の楽器に合った鳴らし方をするとよいのでは?と先生。なるほど。
初めて私の演奏を聞いた先生方から言われるのは、たいてい「音楽はよくまとまっている。でもまとまり過ぎて小さくなっている。もっと開放感があってよいのでは?」
そんな感想があるのは、おそらく鳴らし方に問題があるからなんでしょうね。
「自分の楽器に合った鳴らし方」をするには、まず自分の楽器の特長を知らなければいけないわけだし、鳴らすって言ってもねぇ。。。見えない・カタチもよくわからない楽器・・・アタマで理解しても実践するのはまた難しく・・・
クラスメイトたちにも、いわみん先生のお得意の例え話でユーモラスにアドヴァイスをしてくださる。自分の歌でわからなくても、他の人へのアドヴァイスと重ね合わせながらイメージを作っていくと、さっきいわみん先生から言われたことのイメージが突然ひらめいた
今までどうしもできなかった、自分という楽器のイメージができたのです
こうすれば鳴るのではないか・・・?
というわけで、それを立証したくて週末のオプションの個人レッスンを申し込んでしまいました。初めてお目にかかる先生のレッスン。慣れていない環境でどうできるか?どんなコメントをいただくか、達成度合いを測る目安になりますから。
先生は人によって色々な「イメージの言葉」を使ってアプローチしてくれます。
声という楽器は、1人1人違い、先生も見えない・自分とも異なるであろう楽器の使い方の感覚をイメージにして伝える。しかも、アウトプットも「声」という一瞬で消えてしまいカタチが残らないものであり、受け取る私たちもイマジネーション全開で自分の中で展開することになる。
過ぎ去って行った「声」がどうだったか、の確認作業は容易でないし、イメージを正しく受け取れていないこともよくある話。そして違っていたことに気付くのも、何年か過ぎてからなんてこともよくあること。
今回もいわみん先生の発した言葉に、他の先生方からいただいてる今まで重ねたイメージと、プラスαの周辺情報?を駆使した結果のイメージ出力。
そう、さらにもう1つ。レガートに歌う練習の意味も勘違いしていたことが判明。全く逆に受け止めていたかも。。。
長いこと歌ってきたのに間違いだらけの人生を送ってきたようで。。。
この2ヶ月でその間違いの数々が浮上して修正を図れたということは大きな収穫。でもその修正したと思ったことも、案外まだ違っているのかもしれないけど。。。
歌を続ける限り、この修正作業は続くのでしょうね。いつもは、少し修正したところで一旦修正作業はさておき、となってしまうのだけど、今年はもうちょっとがんばって続けます。
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