今日もミューズが微笑んで

歌うように暮らしたい。アートの道探しを楽しむJasmineのきままな日々。

武田 譲先生

2007-01-17 | 仲間・つながり

私が声楽を始めたきっかけは、今参加しているオペラ団体、東京オペラシアターへの参加なのですが、歌そのものの始めは合唱であり、歌うことに対しての考え方の転機になったのは、仙台で過ごした高校時代の音楽部の顧問の先生である武田譲先生(通称 譲ちゃん)との出会いと言ってもいいかもしれません。

私の合唱デビューは小学校5年生のNHK合唱コンクールでした。音楽部員として、合唱コンクールや吹奏楽コンクール、作曲コンクールなどに出ていました。

音楽は好きだったのだけど、コンクールの練習は・・・
ただでさえ努力・忍耐・地道という言葉が苦手なのに、コンクール出場となれば、もちろん、それで上位に入ればうれしいのだけど、音楽の演奏する楽しさより、上手く歌わなければいけないという強迫観念の練習がイヤだ~~という気持ちが強くて。

それに、コンクールが遠足と重なって行けなくなるし、運動会の練習のときも私たちはコンクールに向けての練習。吹奏楽コンクールの練習に至っては、古い講堂での練習なので寒くて寒くて・・・

そんなことで、練習を強要されることばかり心に残り、音を楽しむという行為からは、離れていたように感じていました。
音楽は好きだけど、そういうツライ音楽はゼッタイイヤ!

というわけで、中学では音楽部には入りませんでした。そして、入りたかった演劇部が中学にはなかったので、有志で同好会を立ち上げるも、部長が転校してしまい、ボツに・・・ 
そんな折、文化祭があり、音楽部がオペレッタ「シンデレラ」をやったのです!

「こんな音楽もあるんだ!」
歌と演劇を一挙にできる!と結構、衝撃的でした。
で、即入部したのだけど、今度は先生が異動で替わってしまい、結局、中学生らしい合唱曲をフツーにやるだけの生活で、コンクールの参加もなかったけど、その代わり、ほとんど思い出もなく。。。つくづく、巡り合わせの悪い私!

さて、高校に入学。とりあえず、勧誘された音楽部の練習を見に行きました。
そしたら、今まで聞いたことのないサウンドに出会ったのです

それが大中恩先生の「愛の風船」のシリーズでした。
そして、この音楽に魅せ音楽部に入ることに・・・。もっとも、不真面目な生徒だったので、あまり真剣にやっていなかったのですが、顧問の譲ちゃんはとても楽しい先生でした。
中でもこだわっていたのは、「歌う心を大切にする」と、音楽を通じて親交を深める、ということ。それが一貫した先生のポリシーでした。

「愛の風船」に関するエピソードは
 ⇒まだある、オペラ「ヤマタノオロチ」(音楽つながり?編) の後半部分にあります。


また、故石丸寛先生の指揮で「ネスカフェ・ゴールドブレンド・コンサート ショスタコービッチ 森の歌」にも参加させていただきました。

定演の選曲も、一般的な合唱曲だけでなく、当時の高校生としては珍しい、ミュージカルソングやスクリーンミュージックも取り上げました。
県内の高校生の合唱団として、最初にドレス着用を取り入れたのも、母校でした。

音楽の授業でも、教科書とは別の合唱曲集を使ったり、試験もレポート形式だったり、とにかく自由で大らかな先生でした。

高校を卒業してからは私は合唱を離れていたのですが、私が卒業してからも譲ちゃん率いるその高校の合唱団はコンクールにも出場して上位入賞の常連だったし、海外の高校と音楽交流をしたり、先生が定年退職してからもOG合唱の指揮者として大活躍していたことなど、仙台の家族から聞いて知っていました。そして数年前、私がまた時間ができたので合唱を再開した頃、上野で音楽イベントがあり、そこに譲ちゃんの指揮で歌うOG合唱団がゲスト出演しているのに出会いました。

全員がディズニーのキャラクタに扮装して、振り付で歌う合唱団・・・ミッキーの姿で登場した譲先生・・・。いろいろ崩そうとしても、どうしても“ワク”からはみ出せない、正統派合唱を披露する合唱団が多い中、全く違うオーラが流れて衝撃的で、忘れていた「歌う心」が私の中に蘇りました。もちろん、単に楽しいだけでなく、音楽のレベルも高品質。
演奏が終わってから、すぐさま舞台の袖に駆けつけ、先生と何年かぶりの再会。先生はちゃんと私のことを覚えていてくださいました。

そして、先生から、お正月に昨年度の音楽活動が書かれた年賀状が届くようになりました。数々の合唱団の指揮をして、コンクールでも上位の成績、それだけでなく、海外への招待演奏旅行も何度となくされていることが毎年書かれていました。
譲ちゃんの音楽(合唱)に対するポリシーは、相変わらず健在だった。

その年賀状は、私が一年の始めに音楽のことを考えるとき、初心に返る瞬間でもあります。そして、先生の笑顔とパワーを思い出して、私も頑張るぞ!という気持ちになったものでした。今年は、私が喪中だったため年賀状はいただかず、なんとなく、物足りない気持ちでいたところ・・・

なんと、そのOG合唱団のHPで先生が急逝されたことを知りました・・・ 
ショック・・・・ 早過ぎるよ・・・

私たちも歌った「ラストワルツ」で先生は送られたそうです。
武田譲先生、天国でも、天使たちをたくさん集めて合唱やってくださいね
心よりご冥福をお祈りいたします・・・・
先生が教えてくださった「歌う心」と「音楽でのコミュニケーション」私も大事にしていきたいと、心に誓ったのでした。

 

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8 コメント

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Unknown (仙台人)
2007-01-24 00:43:48
はじめまして仙台在住の合唱人です
武田先生とは面識は薄いのですが
うちの団が全国に行ったときには
自分のことのように喜んでくれた方でした

年末年始もお元気で、うちの団の指揮者も
連絡を受けたときには「正月から何言ってるんだい」って
信じられなかったようです

武田先生は連盟の打ち合わせ中に倒れられ
そのままお亡くなりになられたそうです
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初めまして (Jasmine)
2007-01-25 07:25:34
仙台人さま

ご訪問ありがとうございます。
仙台というか宮城の合唱愛好者の方々は大きな衝撃を受けているでしょうね。合唱交流に尽力されている先生らしい最後だったんですね。
宮城の合唱王国の火を消すことなく、宮城の合唱団にはがんばってほしいと思います。仙台人さまも、素敵な歌声を天国に届けてあげてくださいね。それが一番の恩返しだと思います!
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はじめまして。。 (maria)
2007-01-25 10:45:21
合唱団のHPから飛んでまいりました。。
私も譲先生率いる音楽部の元、3年間合唱を愛したもののひとりです。。
私は、現在は合唱から遠のいておりますし、Jasmineさんと同じく在京しておりますが、このたびの訃報は当時、部長をしていた関係もあり、直ぐに飛び込んできたのでした。。
先生のお通夜だけ参列してまいったのですが、、本当に今にも起き上がり「なんだやぁ~!わざわざ来たの?」とでも言いそうな、あの当時のままの優しいお顔でした。。

Jasmineさんのおっしゃるとおり、譲ちゃんはいつも「歌は心!」と教えてくださいましたよね。。
先生と出逢わなかったら、あの充実した高校生活はなく、たくさんの友達・先輩・後輩とも出逢うことがなかったと思います。。
どんな先生よりも、私に大きな影響を与えてくださった方でした。。
今年は、譲ちゃんが退職されて10年と言う節目の歳にあたられていたので、是非先生の指揮される合唱団のコンサートに、足を運ぼうと思っていた矢先だっただけに、残念でなりません・・・
でも、先生は天国で、私たちの一人一人を見守って下さると、勝手ながら思っております。。

正直を言いますと、譲ちゃん以外の先生の指揮で、歌う事ができなくて合唱から遠ざかっていたのです。。
Jasmineさん、どうかこれからも音楽に携わって、たくさんの方に歌を通しての「ココロ」を伝えていってくださいね!!
機会がありましたら、是非お伺いしたいと思っております。。
乾燥した日々が続き、のどにも辛い時期ですが、お身体お大事に、、これからも頑張ってくださいね!!
長々、失礼いたしました・・・・・
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追記です。。 (maria)
2007-01-25 10:56:04
すみません。。
コメントに添付し忘れたもので・・・
私も先生の思い出を、ブログ内で書かせていただきました。。
よろしかったら、、遊びにいらしてくださいね^^
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同感です (Jasmine)
2007-01-26 23:02:12
Mariaさま

初めまして!ご訪問ありがとうございます。全くお目にかかったことないのに、同じ高校の音楽部で歌った方に出会うとは・・・不思議な感じです。

> 今年は、譲ちゃんが退職されて10年と言う節目の>歳にあたられていたので、是非先生の指揮される合
>唱団のコンサートに、足を運ぼうと思っていた矢先
>だっただけに、残念でなりません・・・

私もです!それに合わせて帰省しようと考えていたのに・・・


> 正直を言いますと、譲ちゃん以外の先生の指揮で、>歌う事ができなくて合唱から遠ざかっていたので
>す。。

実は私もそれに近いかも。本当は20代の半ば頃に、一度仙台の某有名合唱団に入ったのですが、レベルは高いけどなんか違うと、1ヶ月でやめてしまいました。

それでやめた理由をすっかり忘れるくらい年月を経て東京で合唱再開したのですが、やはりどうしても譲先生の合唱と比べてしまって、ダメでした。そんな頃、声楽始めたんですが。その研究所で「歌う心」「歌を学ぶ心」を教えていただいてます。なかなか難しいですね。心のある歌、って口で言ってできるものじゃないし・・・

3月にその声楽研究所の修了演奏会があるのですが、最後に合唱曲を4曲歌うのです。そのうち2曲が大中先生の作品なので、譲先生を偲びつつ歌おうと思います。

Mariaさん、いつかOGみんなで歌う機会あればいいでですね。後で訪問させていただきますので。
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私も音楽部でした (こま)
2007-02-14 00:22:41
譲先生の記事をありがとうございました。
合唱から離れていてしまったこと後悔しています
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ってことは・・・ (jasmine)
2007-02-14 21:51:38
同窓生ですね。
「音楽でコミニュケーション」が譲先生の生き方。このブログで、時代は違っても、あの音楽室て時間を過ごした皆さん始め、音楽を愛する方々と触れ合うことができてうれしく思います。先生のおかげですね。
こまさまも、また合唱を始めてはいかがですか?
時々、いらしくてくださいね!
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Unknown (pinomama)
2022-03-26 23:33:06
はじめまして。
譲ちゃん 懐かしくて懐かしくて
お腹が 弱くて よく壊していました。
譲ちゃんの指揮。
照れくさそうに笑うお顔。
全く 威圧的なところがなくて
歌うこころを 大切にしてくださった。
純粋で 真っ直ぐで 揺らがない
本当は とても 強い方。
ちょっと モジャモジャ頭で 定演なのに
何故か ワイシャツが…。
長い年月を経ても 繋がれる曲をと
愛の風船 ラストダンス
歌うんだと 仰っていましたよね。

あの ドレスの予算は
一度も着る事がなかった卒業生の会計が
来年の後輩のために 他クラブに
ちょっと 申し訳ない思いを持ちながら
頑張って 私が 勝ち取り(笑)ました。
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