セピア色の映画手帳 改め キネマ歌日乗

映画の短い感想に歌を添えて  令和3年より

「誓い」

2020-08-11 15:11:32 | 映画感想
 「誓い」(「Gallipoli」、1981年、豪)
   監督 ピーター・ウィアー
   脚本 デビット・ウィリアムソン
   撮影 ラッセル・ボイド
   音楽 ブライアン・メイ 
   出演 メル・ギブソン (フランク)
      マーク・リー (アーチー)
      ビル・カー
      ロバート・グラブ

 「1917 命をかけた伝令」を観たので、似た部分があるという本作を。

 1915年、地方で一番速い足を持つ18歳のアーチー、彼は地方大会で優勝した後、念願だったオーストラリア軍に志願して欧州戦争に参戦しようとするが3つ年齢が足らずハネられる、そこへレースで二番だったフランクが別の街なら大丈夫だと・・・。

  予告篇 https://www.youtube.com/watch?v=CT1JHKpSHXA 
 
 近代要塞や機関銃陣地への突撃は悲惨極まる事になる、日露戦争時の旅順攻略戦で日本は骨身に滲みるほど理解した、しかし、欧米は陥落させた乃木将軍を讃えはしたが、海軍と違い陸軍は極東の僻地で起きた蛮族のレアケースと認識したに過ぎなかった。
 その優越意識の莫大な代償を欧米は欧州大戦(第一次世界大戦)で払う事になる、彼らは日本の何倍もの将兵を無知、無能な突撃戦で機関銃の餌食にさせた。

 この作品を観ると、旅順攻略戦は世界にとって遠い縁ない国のお話、紙芝居のようなものに過ぎなかったんだなと。
 欧州兵も主人公達オーストラリア人も戦争のイメージは牧歌的な中世っぽいものを少し出た程度、精々、ナポレオン時代のものだった、大砲の撃ち合いの後、前進して鉄砲の一斉射撃、そして騎兵と歩兵の突撃。近代戦がどれ程、残酷で個人の尊厳とまるで関係ないものだと知らなかった。
 現代から見ると主人公の一人、アーチーの戦争に行きたがる気持ちが安易に見えて仕方ないのだけど、当時の小説にあるような「危険な冒険に挑む」くらいの感覚だったのでしょう、「長閑だね」とは今だから言える事。
 でも、アーチーの戦争への憧れのような動機が余りに漠然としてるので1時間以上、映画の推進力が足りず散漫な印象を受ける、この話がアーチーとフランクの友情物語だとしても。
 ラスト15分がいいだけに何か工夫が必要だったんじゃないでしょうか。
 僕はファーストシーンが失敗だった気がします、プロローグでも何でもアーチーの戦争への憧れを最初に印象付けておいた方が以後の行動に納得出来る様になったと思う、確かに走る練習の「気合い入れ」がラストに回収される訳だけど、それはセカンドシーンでも充分だったでしよう。
 悲劇としか言いようのない絶望感とその中でのアーチーとフランクの友情、そして「走れメロス」のような熱い仁義、ラスト20分くらいは本当に見せてくれます、見終われば漠然とした1時間も意味あるものと解るのだけど、やっぱり、もっと、やりようは有った気がしてなりません。
 あと一つ、この作品はオーストラリアによるオーストラリアの為の映画でしょう、移民国家であるオーストラリアやニュージーランドの国民が初めて一つになったアイデンティティを確認する為の物語。それが前半、中盤とアジア人にはイマイチな原因かもしれません、最後の生死を賭けた友情の部分は万国共通だから我々にも響く、そういう事なのかなと思いました。

※この突撃戦は大日本帝国の特攻隊と同じだ、遺書、遺品を塹壕に突き刺していくシーンは、学徒出陣兵の「きけわだつみのこえ」や普通の特攻隊員の遺書を読むような気がしました。
※これ、現実だったら悲惨極まる、若気の至りとはいえ偽名、年齢詐称で志願してるから、戦死しても恩給渡す先が解らないし、戦死者名簿にも本名でなく偽名でしか残らない、最早、遺品と戦友の証言だけだけどこの部隊で生き残るのは難しい、戦争はまだ何年も続く。
※原題はオーストラリア軍が初めて国として参戦した第一次世界大戦で上陸したトルコ帝国の地名、オーストラリアにとっては多くの戦死者を出した聖地であり、公費による巡礼が長く続けられた場所、尚、この作戦の大失敗でチャーチルは最初の失脚をしました。

  間に合わず 突撃の笛 鳴り響く
   我れを恨めと 我れを恨めと

 R2.8.10
 DVD
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