laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

歌う地球儀

2012-11-03 | spectacles

沢田研二さまの2012年コンサートツアーファイナル@有楽町国際フォーラムに行ってきました。

うーむ。もう数年、ファンではなくなっている自分を自覚しつつ、昔世話になったおっさんの健在を確認する、くらいの気分で参加し続けているわけですが。

おっさんへの恩返しもそろそろいいのかなあ、って正直感じたり。

特に前半、いわゆる反原発ソングを歌ってるおっさんに対しての違和感たるや、ああ、彼は昔の彼ならず、と痛切に感じてしまった。違和感はいちーにーさんと三角印で三拍子をとりながら「♪かがやけいのち~」と会場にコーラスを要求したとき頂点に達した。
なんなんだコレは。地方の民音の大会か?(あるかどうかも知らないけど)。インターナショナルの唱和か(行ったこともないけど)。

わが窮状くらいまでは許せたし、この人は本来とても単純なLOVE&PEACE精神の団塊おじさんなんだとわかっちゃいるんだけど、FUKUSHIMAとかとーでん(当然と歌詞にはあるけど、確実にとーでんと歌ってる)とかナマ過ぎる言葉を使って直接的に訴えかけられたくないのよね。とくにこのおっさんには。
反原発とノーモアヒロシマを同次元で捉えた稚拙すぎる歌詞とかに触れるまでもなく、この人には善意しかないとわかっていても、どういう団体に利用されるかわからない危うさも感じるし。

ジュリーさんがやってるならついていく!という素敵なファンには一生なれないし、まあこのライブツアーは今回で終わりなので、今後こういう形式じゃなくなるなら、また楽しみに年イチ参加くらいは出来ると思うのだけれど。

なぜなら後半、いわゆる運動会状態になってからは、やっぱり楽しかったから。

推定+30キロの肉体を無理くり引きずってよたどた走りながら歌う姿は、かっこいいとも素敵とも思えないのだけれど、じっと見ているとある種の感動を呼び起こすものがあって。
ただおっさんががんばっている、ということ以上に、このおっさんには覚悟とか性根とか、そういう言葉で表現しちゃったら申し訳ないような野太いものが備わってるな、ということがびんびん伝わってくるのですよ。
個人的にはかなり嫌いな曲に分類される「MANGIARE CANTARE AMORE」にいちばんその野太い根っこを感じた。いいじゃんこの曲(豹変w)。

逆に過去の名曲でも「時の過ぎ行くままに」などを現在の声、姿形で歌われると、原作レイプ、は言い過ぎとしても正直「じゃない」感を感じてしまったことも事実。
最近過去のヒット曲を歌う率が減っているけれど、やっぱりご本人もそこらへんを自覚なさっているのでは。
ストリッパーあたりは今歌っても全然OKなんだけどね。もっと前の曲でもきみを乗せてはぎりぎりOKなんだけどね。ジュリーがもっともジュリーであった安井かずみ・阿久悠的世界がいちばん似合わなくなってきてるのかな。

タイトルはこの写真の(一般人の盗み撮り?を再掲していいのかどうか、よくないよねw→ちっちゃくちっちゃくしておきます)服でぶんぶん走ってるときに感じたこと。

青から茶へのグラデーションのシャツが、走ってる勢い+本人の肉でバルーン状に膨らんで、その上に、架空の国旗っぽいものをデザインしたネクタイが踊ってる姿が、まるで地球儀に見えたのです。
今回のツアーのテーマを見事に表現した、秀逸な衣装だと思います。そしてこのパフォーマンスをするためには、やはり中の人の膨らんだ肉体が必要なのだ、とwww

いや、後半は本当によかったので、もう、下手な説教ソングとはおさらばして欲しいです。

後半の「気になるお前」のコーラス強制はそんなに不自然でもいやでもなかったのだから。でもやっぱりなんか「会場と一体化」ってジュリーっぽくないけどw