laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

IDは痛い

2012-11-13 | spectacles

IDと打ち込んだら過去の候補で「IDは大事」ってのが出てきた、いつ何について書いたタイトルなんだろう?w

というのはともかくとして。

日の浦姫物語@コクーン見てきました。

例によってフジタツと大竹しのぶがでる井上ひさしの作品だ、ということ以外は何も知らずに(それでも知ってるほうかw)出かけていったわけですが、説教節がらみの話だったのね。ところで日の浦姫という説教節は実在するのだろうか?ちらっとぐぐっただけでは出てこなかったので、ここでは井上の創作だということにしておく。大前提が間違ってるかもしれないという怖ろしい感想をこれから書きますw

冒頭から暫くは大竹の童女ぶりが気持ち悪かったり、絶世の美女設定に違和感があったり、これ、宮沢りえがやればよかったんじゃないの?などと思っていたのだったが、最終的には大竹で納得。
やっぱ巧いわ。
そして、よくよく考えたらものすごーく気持ち悪くて悲劇的なストーリーをここまで上質なトラジコメディに仕立て上げられたのは、演出もさることながら、大竹の力なんだろうなあ、好きではないんだけど認めざるを得ない。

マスコミ的にはこの場面ばかりが宣伝されているようですがw

しつこいくらいに女の一生の「誰が選んだのでもない自分で決めた道だもの」(すげーうろ覚え)の台詞が出てくると思ったらこの芝居、最初は杉村春子に向けて書かれたものだったのね。杉村が絶世の美女だったんなら大竹大セーフw
てかたぶんコメディエンヌのセンスは大竹のほうが上だったんじゃないかな。

兄と密通して子供を生み、成長した息子と再び密通・・・グロテスクでエロティックな話かと思いきや、芝居を見終わるとそこには、ひとりの女の精神の成長と浄化の記録、みたいなイメージがすっと一本の道のように開けていて。

狂言回し的な説教節語りの夫婦(と思わせて実は・・・)の存在が陰惨な物語の救い(と思わせておいて)最後に逆転する井上得意のどんでん返し。後味の悪い終わり方は好みなのでw満足でした。
不満といえば、当然このどんでんは予想できてもよかったのに、なぜか勘が鈍っていてまったく「してやられて」しまったこと。
そして、顔を覚えない名人としては[

吉田綱太郎と吉田日出子?」と思っていた二人が(吉田日出子はまさかね?と思ったけど声が似てたんだあ)「木場克己と立石涼子」だったのも不覚。立石さんはほとんどしらないのでともかく、木場吉田って、あたし本当に区別つかないんだなあ。。。

こうやって見ると、木場さんだわねぜ確かにwそして吉田さんにしたら若いわねぇ。立石さん、下手な歌舞伎役者より三味線お上手でした。

大竹と説教節二人の存在感が大きすぎて、フジタツの影が薄いのは、まあ作品自体が「日の浦姫物語」だからしょうがないのかな。好きな役者ではあるんだけれど、そろそろ「いつものフジタツ」じゃない顔も見せてもらいたいのだが。
孤島の岩場で俊寛みたいな扮装を見たときはちょっと期待したんだけど、あっという間にその場は終わっちゃったし、やっぱり丸顔の老け役はヘンだったw

井上作品ならではのたかお鷹とか辻萬長などのおなじみさんも手堅く活躍で、あちこち笑いを取りすぎ?(客が笑いすぎ?)なところもあったけれど、まずは興味深い舞台でした。

小屋がコクーンだったこともあって、舞台装置、時代設定、台詞回しなど、女性が出ていることを除けば限りなくコクーン歌舞伎に近いなあ、歌舞伎と現代演劇の境目って本当にどこにあるのかわからないなあ、などとも思ったりもしたのでした。

おっとまた忘れるところだったw

タイトルは、キーポイントになる台詞「アイデンティティ」から。この、下手に使うとものすごーくだっさいタームをとーほぐなまりの「あいで!いでぇ!」に変身させた井上のセンスに脱帽。


そして、冒頭のIDは大事、のタイトル、やはり同じ井上作品の『雨』を見たときにつけたタイトルだったことが判明。井上作品を見るとIDについて考えたくなるのだな、あたし。(11/15追記)