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千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史 その弐百四拾七
将軍山荘や寺院の名庭を造った善阿弥
中世までの京の河原は、きちんとした護岸工事もされておらず、
いつ大水が溢れ出すか分からないとても不安定な土地でした。
それゆえ農業にも定住地にも不適で、
当然無税地で、京のような都市では、
地方からの流入者がとりあえず住み込む場所になったといわれています。
鴨川畔の河原に居住し種々の生業に従事した人たちのことを と総称した。
は、種々な仕事に従事したが、
やがて徐々に専業化する者も生まれ、
その中で庭園の建造や修理・手入をする専業とする人たちを区別して
「 山水 」と呼ぶようになる。
こうしたの専業化は、
京の都市機能の変化に相応し、
政治都市であった平安京が、
古代国家機能が麻痺するにつれて、
徐々に商工業都市として生まれ変わっていく変化の中で、
種々の産業の下請け的な雑業の需要が生まれ、
そうしたことを請け負う人々が多く河原に住まうようになる。
その中には個別の有力者結びついて、
優れた能力を発揮する者も出てきた。
慈照寺銀閣や 相国寺陰涼軒などの作庭で知られる
善阿弥もそうした有能者の一人です。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
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