S栄印刷のMさんが言った。
「熊猫さん、すごい飲み屋街を見つけました」。
Mさんが言うには、戦後そのままの酒場通りが、今も谷中に残ってるのだという。
「ともかく行ってみましょう」ということになり、ボクらは日暮里に向かった。
「初音小路」。
浅草にも同じ名前の通りがあるが、谷中の方が数段上だ。
谷中の「初音小路」は住宅の裏を通り、その小道に入る。ともすれば、人んチの敷地内を通るようなそんな後ろめたさも感じさせる。その住宅の裏をくぐると、突如として現れる、飲み屋街のアーケード。幅2m弱くらいのアーケードが長さ50m程度で展開する。天井があり、完全にモール型だが、いかにも、いかにも古そうだ。
建造は、昭和30年代だろうか、それとも昭和40年代だろかうか。とにかくそれでももう半世紀は経っていることになる。今はほとんどの店が居酒屋となった。かつては、恐らく小料理屋やスナックだったのだろう。建設時から入居していた店はもうないのではないだろうか。扉が完全に閉まっている居酒屋がある。かつてはスナックだったのだろう。内観が全然見えない。
扉を開けて営業する小料理屋もある。だが、カウンターだけの店で極めて入りにくい。
この威圧感がすごい。
ビンビンと来る、「入りにくい」風圧。
ボクとMさんは通りを2往復した。
ボクは接待される側だったので、自ら進んで入ろうとは思わず、Mさんに任せていたが、Mさんは「入れそうな店ないね」と言って、匙を投げたようだった。
そこでMさんが目につけたのが、初音小路の終点にある店舗。
日和ったな、Mさん。
しかし、その店舗、どう見ても、外観は喫茶店である。居酒屋には見えない。でも、店は開いている。だが、店の外に貼り出したメニューを見ると、酒も飲めるらしい。それを見て、Mさんの行動は早かった。すぐさま、店に入ったからだ。
店に入ってみて、明らかになったのは、この店「若菜」は、喫茶店だということである。しかも、重厚な純喫茶ではなく、簡易な茶店といったあんばいだ。けれど、夜も引き続き営業しているようで、そのまま居酒屋に変わる。カフェバーという風情ではない。田舎の喫茶店である。
ボクらは、カウンターに腰かけて、瓶ビールを楽んだ。ビールはカウンターの後ろにある冷蔵庫で冷やされており、スーパードライの大瓶だった。
店は、夫婦と思われる年配の男女が切り盛りしていた。喫茶店ではあったが、ちょっとしたつまみくらいはあった。乾きものではなく、しっかり調理するもので、ボクは「湯豆腐」を頼んだ。
Mさんは、店のおじさんに、「初音小路」のことを、あれこれ尋ねた。おじさんは丁寧に教えてくれた。ということは、この「若菜」も古い店なのだ。
ビールをやめて、焼酎に切り替えた。
「すずめ」をボトルで。
おじさんの話しによると、「初音小路」は、一時期衰退が進んだが、近年の谷中の賑わいで復活し、若い経営者がたくさん入ってきたという。
「今では、もうどこも入りやすくなったよ」
と教えてくれた。
わいわいと話し込み、だいぶ夜も更けてきた。そろそろ、お会計かなと思った頃、おじさんは、入口のショーケースを指差して、「象牙買ってかないか?」と言った。
「象牙?」
それは突拍子もない展開だった。ショーケースを見ると、確かに象牙が飾られている。
江戸象牙というらしい。
古くは、江戸時代から続く伝統工芸のようだ。なんと、おじさんはその江戸象牙の職人らしい。
しかし、この店は一体何者なのか。喫茶店かと思いきや、居酒屋で、居酒屋と思いきや、象牙の店。
しかし、今も象牙は流通していることも不思議だ。
その江戸象牙はしっかりとした技術で彫りこまれ、圧巻の作品ばかり。素晴らしい。帰り際、ボクは「次回、買いにいきます!」とおじさんに言ったまま、時は無情に流れていく。空手形で、象牙は買えない。
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