ビエンチャンからタイとの国境までは僅かなバス旅行だった。
国境を越えるということはいつもエキサイティングな経験だったが、今回ばかりはちょっと興ざめした。
1995年、つまりまだ出来たばかりの国境の橋「友好の橋」をただただバスで通るだけの国境超えだったからである。
「友好の橋」はラオスに似つかわしくないほど近代的だった。それまでバスは地面むきだし悪路を走っていたのが、嘘のように滑らかな走りとなる。久しぶりにきれいなコンクリートを見たような気がした。
タイ側の入国審査も至って簡素だった。手続きが終わると、わたしはまたボロバスに乗り込み、タイ国境の町ノンカイまで乗車した。
ノンカイのバスターミナルは多くのバスと人でごった返しており、活況を呈していた。わたしは、ここから一気にバンコクへ戻るつもりでいた。午後一番のバスなら日付が変わる前には、バンコクに着くだろう。とにかく、バンコクに戻れば、この焦りからも解放されるのではないかと考えていた。
バンコク行きのバスを探し出して、いざ乗り込もうという段になった。幸いなことにちょうど今発車するというのだ。「やれやれ、助かった」と胸をなで下ろしながら、席を見つけようとしたところ、車掌に「チケット」の提出を求められた。
タイのバスは車掌から買うこともできるので、その積もりでいたが、タイのバーツを持っていないことに気が付いた。財布の中はラオスの通貨であるキップとほんの小銭程度のバーツしかない。
バンコクまでは250バーツどの料金だったが、持ち合わせてはいなかったのだ。「ちょっと両替してくるよ」と車掌に言うと、「もう出発だ」と威厳を努めた風に言う。
わたしは、バスから飛び降りて、両替屋を探した。だが、予想に反して両替屋はなかなか見つからない。
そうこうするうち、バスは轟音と黒煙を撒き散らしながら、走り始めた。まさか、その便がこの日のバンコク行き最終であるとは思ってもみなかったのである。両替を済ませて乗り場に戻ってみると、もはや乗り込むべきバスがないことにわたしは愕然とした。
別段、わたしの中に差し迫った予定があるわけでもなかったが、言いしれぬ喪失感が心の中に沸き起こったのである。
バスが行ってしまったのは仕方がない。今晩はノンカイで一泊することにしよう。
バックパックから「旅行人ノート」を取り出し、ノンカイの項をみると、メコン川沿いに数件のゲストハウスがあると記されている。その道順通りにメコン川を目指すと雄大な流れのメコンに突き当たった。その眺望たるやなかなか素晴らしい。これは、存外ついているかもしれない。
そう思いながら、ゲストハウスを数件訪ねた。
しかし、最後に訪れたゲストハウスが素晴らしかった。部屋代はそんなに安くもなかったが、川沿いのバルコニーが広くてゆったりしており、素敵だった。それよりもなによりも、その眺めがなんともいえない。とろりとしたメコンの流れが眼下に見下ろせ、川面はきらきらと光っている。バルコニーには誰もおらず、わたしは椅子にこしかけ、しばしその眺めに見入ってしまった。
もう、宿を探す必要はない。
ここなら日がな1日、川を眺めていても、ちっとも飽きることはないだろう。
そう考えるとなんだか、ウキウキしてきた。
わたしは、ビールを求め、宿の外に出た。バスターミナルの方まで戻ってビールを買い求め、再び宿に戻る途中で、屋台にでくわした。屋台は鶏肉を焼いたものを売っており、これがなんとも香ばしい匂いを放っている。迷うことなく、わたしはそこでどっさりと鶏料理を買った。それを手にして、わたしは宿に戻り、バルコニーでひとり祝杯をあげた。
メコンの川の流れにかんぱい!
気がつくと、日はもうだいぶ傾いている。夕日がメコンの川面に反射しながら、なんとも喩えようのない光を湛えている。川面はまるでビロードのように輝きながらうねっている。
あぁ、なんという瞬間だろう。
シンハービールを一口飲み、嘆息を漏らす。
そして、ナンプラーの味が香ばしい鶏の焼き物をほおばる。
もし、わたしがバンコク行きのバスに乗っていたら、この時間を得ることは決してなかった。
このメコンの悠久の流れを見ながら、最高にうまいビールを飲むことはなかった。
ちょっとした運命の悪戯にかんぱい!
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
国境を越えるということはいつもエキサイティングな経験だったが、今回ばかりはちょっと興ざめした。
1995年、つまりまだ出来たばかりの国境の橋「友好の橋」をただただバスで通るだけの国境超えだったからである。
「友好の橋」はラオスに似つかわしくないほど近代的だった。それまでバスは地面むきだし悪路を走っていたのが、嘘のように滑らかな走りとなる。久しぶりにきれいなコンクリートを見たような気がした。
タイ側の入国審査も至って簡素だった。手続きが終わると、わたしはまたボロバスに乗り込み、タイ国境の町ノンカイまで乗車した。
ノンカイのバスターミナルは多くのバスと人でごった返しており、活況を呈していた。わたしは、ここから一気にバンコクへ戻るつもりでいた。午後一番のバスなら日付が変わる前には、バンコクに着くだろう。とにかく、バンコクに戻れば、この焦りからも解放されるのではないかと考えていた。
バンコク行きのバスを探し出して、いざ乗り込もうという段になった。幸いなことにちょうど今発車するというのだ。「やれやれ、助かった」と胸をなで下ろしながら、席を見つけようとしたところ、車掌に「チケット」の提出を求められた。
タイのバスは車掌から買うこともできるので、その積もりでいたが、タイのバーツを持っていないことに気が付いた。財布の中はラオスの通貨であるキップとほんの小銭程度のバーツしかない。
バンコクまでは250バーツどの料金だったが、持ち合わせてはいなかったのだ。「ちょっと両替してくるよ」と車掌に言うと、「もう出発だ」と威厳を努めた風に言う。
わたしは、バスから飛び降りて、両替屋を探した。だが、予想に反して両替屋はなかなか見つからない。
そうこうするうち、バスは轟音と黒煙を撒き散らしながら、走り始めた。まさか、その便がこの日のバンコク行き最終であるとは思ってもみなかったのである。両替を済ませて乗り場に戻ってみると、もはや乗り込むべきバスがないことにわたしは愕然とした。
別段、わたしの中に差し迫った予定があるわけでもなかったが、言いしれぬ喪失感が心の中に沸き起こったのである。
バスが行ってしまったのは仕方がない。今晩はノンカイで一泊することにしよう。
バックパックから「旅行人ノート」を取り出し、ノンカイの項をみると、メコン川沿いに数件のゲストハウスがあると記されている。その道順通りにメコン川を目指すと雄大な流れのメコンに突き当たった。その眺望たるやなかなか素晴らしい。これは、存外ついているかもしれない。
そう思いながら、ゲストハウスを数件訪ねた。
しかし、最後に訪れたゲストハウスが素晴らしかった。部屋代はそんなに安くもなかったが、川沿いのバルコニーが広くてゆったりしており、素敵だった。それよりもなによりも、その眺めがなんともいえない。とろりとしたメコンの流れが眼下に見下ろせ、川面はきらきらと光っている。バルコニーには誰もおらず、わたしは椅子にこしかけ、しばしその眺めに見入ってしまった。
もう、宿を探す必要はない。
ここなら日がな1日、川を眺めていても、ちっとも飽きることはないだろう。
そう考えるとなんだか、ウキウキしてきた。
わたしは、ビールを求め、宿の外に出た。バスターミナルの方まで戻ってビールを買い求め、再び宿に戻る途中で、屋台にでくわした。屋台は鶏肉を焼いたものを売っており、これがなんとも香ばしい匂いを放っている。迷うことなく、わたしはそこでどっさりと鶏料理を買った。それを手にして、わたしは宿に戻り、バルコニーでひとり祝杯をあげた。
メコンの川の流れにかんぱい!
気がつくと、日はもうだいぶ傾いている。夕日がメコンの川面に反射しながら、なんとも喩えようのない光を湛えている。川面はまるでビロードのように輝きながらうねっている。
あぁ、なんという瞬間だろう。
シンハービールを一口飲み、嘆息を漏らす。
そして、ナンプラーの味が香ばしい鶏の焼き物をほおばる。
もし、わたしがバンコク行きのバスに乗っていたら、この時間を得ることは決してなかった。
このメコンの悠久の流れを見ながら、最高にうまいビールを飲むことはなかった。
ちょっとした運命の悪戯にかんぱい!
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
でも、ノンカイは良かった。もっと、イサーン料理を食べとけばよかったと後悔してるよ。
師もノンカイ行ってるんでしょ?通り過ぎただけ?
旅行人は大理で日本人から買ったんだ。もう日本に帰るからいらないって。
確か50元くらい払ったかなぁ。
いい寄り道したねえ。
乗ろうと思ってたバスが行ってしまったりすると激しく凹むけど、そのあとでこんないい時間が過ごせれば全くチャラだよな。って言うかお釣り来てる感じだよね。
しかし、師よ、師は旅行人持ってたんだね。久々に旅行人って聞いて懐かしかったなあ。俺は旅の時には持ってなかったけど、結構持ってる人にあの特徴のある地図を良く見せてもらったよ。