デリーのチャンドニーチョウクをボブネッシュとわたしは黙って歩いた。
太陽が激しく照り付ける中、わたしは大きなバックパックを背負いながら。
ニューデリーのパハルガンジに比べると、道幅は広く、人口密度も少ないうえ、秩序はあるように見えるものの、鼻をつく匂いは相変わらずである。果物の甘い芳香、インド人の男どもの汗の匂い、くらくらとしてしまいそうな官能的なインセンス。焼けた脂身。幾重にも層をなすような複雑な香辛料の薫り、そしてどこからかやってくるじゃ香の薫り。
一体、どこまで続いているのだろうか。まるで迷宮に迷いこんでしまったように、歩いても歩いても、チャンドニーチョウクはどこまでも続いているように見えた。
1時間も歩くと喉が渇いてきた。
ボブネッシュにそう打ち明けると、彼は近くにあった屋台に近づいた。銀色のクーラーボックスのような巨大な箱にノズルがあり、屋台のオヤジはおもむろに小ぶりのコップを出すと、小さな柑橘系の果物をそれに入れ、箱の上部にあるノズルから水を注ぎこんだ。味付きの水を売っているらしい。
ボブネッシュが水を受け取ろうとしたとき、彼はいきなり激昂した。そうして、屋台のオヤジと口論になり、しまいにボブネッシュは水が入ったグラスを地面に叩き割って抗議した。
「どうしたんだい?ボブネッシュ?」
「いやなに、店のおやじが水の値段を2ルピーと言うんだ。冗談じゃない。我々は普段10パイサで買ってるんだぜ」
「何故、そんなに高いんだい?」
「君が外国人だからさ」。
インド人のローカルプライスと外国人のツーリストプライスがあることを、わたしはそのときに知った。
「今度はボクが一人で買いに行くから、君はちょっと離れていて」。
そう言って、ボブネッシュは別の屋台に近づいていった。その屋台は、クーラーボックス上の箱ではなく、屋台の上に機織り機のような回転するような機械が置かれている。
ボブネッシュが注文すると、店のオヤジは屋台の後ろ側に立てかけられている竹のような植物を出してきて、機織り機に差し込み、ハンドルを回した。その竹のような植物は大きな歯車に潰されることで、豊富な液体を出した。その液体がグラスへと注がれていく。濃い緑色の液体だった。
ボブネッシュがグラスを持ってわたしに差し出した。
「これは『ネガラ』という飲み物だよ。
わたしが飲むのに躊躇していると、彼は「とても甘い。とても甘い」と繰り返した。
恐る恐る口をつけて飲んでみると、青臭さはあるものの、とても甘い飲み物だった」。
その植物はサトウキビだった。「ネガラ」とはサトウキビジュースだったのである。
1杯30パイサというフレッシュジュースを飲むと、わたしはようやくひとごこちがついた。
「ボブネッシュ、聞いてほしい。ボクはやっぱり今夜、ニューデリーを立つ。インドをくまなく見てから、ボクは必ずニューデリーに戻ってくる。君に会いに必ず戻ってくる」。
ボブネッシュは、「ネガラ」の入ったグラスを見つめながら、しばらく黙っていた。
インドの喧騒がわたしとボブネッシュの間を通り過ぎていく。随分長い時間が流れたように感じたその時、ボブネッシュはようやく口を開いた。
「必ず戻ってくるんだね」。
「もちろん」。
「アーグラー行きのチケットを買いに行こう」。
「どこに?」
「ニューデリー駅に」。
「え?」
「ボクの父さんはニューデリー駅の駅長なんだ」。
ボブネッシュはさらりと言ってのけた。
そして、いつもの「外国人プライス」。インドのデフォルトと言っていい設定だねえ。
しかし、あれだけ師を引き止めていながら、意外にあっさり、結局なぜ引き止めたかの理由も言わず師を開放するボブネッシュ。
これまたインドの人らしいといえばインドの人らしい対応だねえ。
そして、ボブネッシュの父ちゃんが鉄道関係者っていうか駅長って、もうネタみたいな出来すぎな感じ。うーん、インド感爆発だよ。(笑)
さて、この後どうなんのかな。楽しみにしてるよ。
帰国後、しばらく腹の状態が悪かったこと。
ジュースはインドの洗礼の最たるものだね。
でも、この生ジュースがインドの魅力のひとつともいえると思う。
結局、ニューデリー編に1年以上もかかってしまった。
次回、多分ニューデリー編の最終回だよ。