昨晩より娘夫婦が家に来ています。娘は6月に出産の予定で出産後もしばらくは滞在するでしょう。娘を嫁がせてしまえば出費は少なくなると思っていたのですが、その考えは甘かったようです(笑)。嫁いだ後も何かと出費がついて回ります。今日から6日までは娘夫婦と昼間は買い物やら森林浴やらにつきあう, 楽しくも体力的金銭的にちと苦しい日が続きます(本心は楽しみな事です)
今日はまず備中国分寺周辺を散策した後に倉敷川ほとりの倉敷美観地区をぶらぶらと歩きました。僕はこの美観地区と言う名称があまり好きではありません。美観地区があるということは、不美観地区もあるという感覚にとらわれるので、景観保存地区という名称を正式名称にして欲しいのです。もうそうなっているやも知れませんが、上の写真は今日のいわゆる倉敷美観地区での倉敷川の眺めです。夕暮れからライトアップされ日が暮れかかる頃がより趣が感じられて好きな一時です。
倉敷へ行く前に散策した聖武天皇が天平13年(741年)に仏教の力を借りて天災や飢饉から人々そして鎮護国家を目的に建てられた官寺の一つである備中国分寺の五重塔の写真です。この五重塔の詳しい説明はリンク先をご覧ください。塔の一階部分の軒下には東西南北それぞれに干支が彫られてあり、その自分の干支に向かって礼拝するとお釈迦さまのおかげがあるとボランティアの方の説明でした。立派なお堂で改修に数年かかったのですが修復が成り久し振りに訪問しました。もしこちらにお出での時には是非お立寄り下さいとの倉敷市および総社市からのお願いをお伝えさせていただきます。
今日はまず備中国分寺周辺を散策した後に倉敷川ほとりの倉敷美観地区をぶらぶらと歩きました。僕はこの美観地区と言う名称があまり好きではありません。美観地区があるということは、不美観地区もあるという感覚にとらわれるので、景観保存地区という名称を正式名称にして欲しいのです。もうそうなっているやも知れませんが、上の写真は今日のいわゆる倉敷美観地区での倉敷川の眺めです。夕暮れからライトアップされ日が暮れかかる頃がより趣が感じられて好きな一時です。
倉敷へ行く前に散策した聖武天皇が天平13年(741年)に仏教の力を借りて天災や飢饉から人々そして鎮護国家を目的に建てられた官寺の一つである備中国分寺の五重塔の写真です。この五重塔の詳しい説明はリンク先をご覧ください。塔の一階部分の軒下には東西南北それぞれに干支が彫られてあり、その自分の干支に向かって礼拝するとお釈迦さまのおかげがあるとボランティアの方の説明でした。立派なお堂で改修に数年かかったのですが修復が成り久し振りに訪問しました。もしこちらにお出での時には是非お立寄り下さいとの倉敷市および総社市からのお願いをお伝えさせていただきます。
懐かしい、修学旅行でいって以来ですね。大原美術館でキリコ?の「ヘクトールとアンドレマケーの別れ」という抽象絵に感心した記憶があります。今もあるのでしょうか。
私の修学旅行は広島の厳島神社からはじまり、原爆ドーム、倉敷 鷲羽山 姫路城 京都 奈良と回りました(順番が怪しいですが)
歴史好きの方には魅力的なコースですが当時の私にはまったく興味がありませんした。今考えてみれば 先生あなたは偉かった! です。
時間とお金が出来ればもう一度 厳島神社 と法隆寺はまわってみたいです。
美観地区についてですが時代の流れですので仕方がないのではと思います。倉敷だけでなく遠くはパリでも景観については厳しい規制があるようです。
美観地区って言葉の裏返しをお話されてましたがあることを思い出しました。ありがとうって言葉を持ってない(感謝の対象が自然だけで人間に向けられてない部族の話を聴いたことがあります 確かアボリジニ)
みんなで助け合うのが当たり前なのでありがとうという言葉が存在しないのだそうです(ある意味理想ですね) なんか中国の故事にもありましたが弓の究極の名人は弓の射方を忘れる って言うような話に似てます。
朝飯も食べたし、農作業に行ってまいります。今日も一日がんばります。
コメントありがとうございます。
大原美術館の常時展示物ですが、僕は詳しく覚えていないのです。
とくに抽象画は僕には判りにくく足早に通り過ぎます。
大原美術館の一番の有名画はエル・グレコの受胎告知だと思いますが他にもこんな地方の美術館がよく集めたものだと思える絵画がたくさんありますね。
今までに十回以上行きましたが行くたびに新鮮に感じます。