三十路の食卓

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餃子アイデンティティ

2013-02-19 23:12:35 | 食雑記
〈1月16日の食事〉
朝:クリームシチュー ロールパン コーヒー
昼:お弁当(玄米、牛肉とピーマンのオイスター炒め、ニンジンしりしり、もやしの和えもの)
夜:餃子 肉団子(買ってきたレトルト) ダイコンとワカメの味噌汁

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とても大きな声では言えないが、餃子を焼くのが下手である。
商品に記載の「作り方」に添って焼いてさえ、皮がフライパンに貼り付く始末だ。
(上記の写真は、比較的ちゃんと焼けたものをなるべく手前にし、皮が剥がれたものは巧みにもとの位置に貼り付ける、という隠蔽工作をした。)

これまた大きな声では言えないが、私はさして餃子にこだわりがない。
どの店で食べてもだいたい美味しいじゃんと思っているから、うまい店を尋ねられてもまず答えられない。
食べ物には何でも「まずい」「普通」「けっこう美味しい」「物凄く美味しい!」が存在するのだろうが、餃子に関しては「まずい」か「美味しい」しかないのでは、とすら思っている。

作り手としての上手い・下手や、味へのこだわりのなさといった、個性や嗜好の違いの範囲内の話のはずなのだが。
どうして大きな声では言えないかって、私は宇都宮出身だからなのであった。
そう、餃子がやたら有名な街である。

そういう認識が広がっているもんだから、東京に出てきてからというもの、宇都宮出身だと分かるといなや、「ああ、餃子の!宇都宮で食べたことあるよ。地元の人はどこが好きなの?」的な話をさんざんされてきていた。
きっと、学校帰りに立ち寄ったり、土曜の昼には決まって食べる店があったり、みたいなソウルフードとしての餃子の話を聞きたいのだと思う。

ところが私は、上記のように餃子にこだわりのない身。
おまけに小・中学校時代は、通学路に飲食店が見当たらないという宇都宮の中でも郊外に育ち、高校も比較的外れの方。
そもそもが友達付き合いも苦手としていたから、街の方の学校だったとしても「友達とよく行った餃子」なんて店を築けたかは怪しいし、家族で餃子を食べに行ったこともない。

要するに、宇都宮の餃子に関して語れるポテンシャルはないもないのである。
そんな話を振られるたびに、冷や汗をかいていたのは、本当に大きな声では言えない話。

ではそういう話を振られたらどう出るかと言えば。
ずっと以前に親戚からいただいた「まさしの餃子」が、家で焼いてもとても美味しかった、という思い出について話す。
あるいは「実家では、寄せ鍋やキムチ鍋の具として餃子を入れていた」なんて話をする。
宇都宮=餃子になった理由は、いち家庭あたりの消費量が極めて高かったことに由来するので、それを裏付けるエピソードとして有効なのである。
まあ、それにはスーパーで適当に買ってきたパック詰めの餃子を使うのだから、こだわりのなさも同時に窺えるのだが。

…という風に切り抜けているのだが、こんな風に冷や冷やしている人は全国に沢山いるのだと思うのだ。
ジンギスカンを食べられない北海道出身者、うどんよりご飯が好きな香川県民、ゴーヤが食卓に出てきたら泣きたくなる沖縄県民。
いるな、絶対にいるな。
それを思うと、世間話を出身地を絡めた話で広げたいときには、「◯◯が人気ですよね?」ではなく「名物は何ですか?」というように切り出したい所存である。

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