〈5月16日の食事〉
朝:カンパーニュアボカドのせ ベリーのタルト(PAULで購入) コーヒー
昼:お弁当(玄米ご飯、タケノコとゴーヤのひき肉あんかけ、にんじんしりしり、ほうれん草のごま和え) パインヨーグルト
夜:イチジクとクルミのカンパーニュ(PAULで購入) クリームチーズ 紅茶
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またやってしまった。
プレゼントしてもらった腕時計をなくしてしまったのだ。
着用して家を出たはずが、途中でないと気づいて血の気も汗も引いた。
そう、着用していながら外れた瞬間には気づかなかったのだ…外れること自体どうかと思うが、どれだけトンマなんだろうか…。
そのとき自転車で家から職場まで移動中だったのだが、上司に事情を話し、遅刻を申し入れることに。
来た7~8kmの道を自転車を押して引き返し、地面を舐めるようにして探し歩いた。
だが、あえなく。
歩道ならいざ知らず、当たり前のように車道を走っていたのが仇となった。
路駐している車の下敷きになったのか、走る車に轢かれてしまったか…結局見つからなかったのである。
家にまでたどり着いてしまい、最後の望みをかけて、マンションの敷地に落ちてなかったか管理人さんに聞いたり、交番に遺失届けを出したり。
そうしてからトボトボと、再度事務所に向かったのであった。
胸にあるのは、無くしたことそのものや自分へのふがいなさ以上に、プレゼントしてくれた相手への申し訳なさである。
本当に、本当に、ごめんなさい。
この件にて思ったのが、私は本当になくしものをするな、ということである。
去年はまたおなじく、いただきもののブレスレットをなくしてしまった。
先の話を妹にしていて思い出したのが、私は過去に保険証を落としてしまったことがあるのだった。
その時は、親切な人に拾われたから、無事手元に戻ってきたのだが…。
だが待てよ、と思う。
それらは大切なものだからこそ紛失にすぐ気づけたが、そうでもないものも、結構落としたり無くしたりしているのではないだろうか。
それに気づいていなかったりするんじゃないだろうか。
自転車を押して腕時計を探した時。
太陽の光を反射させている銀色のものを見つけたら、即顔を近づけて確かめていたのだが、キャラメルかハイチュウかとおぼしき銀色の包み紙に包まれたお菓子が、ひとつぽつんと道端に落ちていたのである。
期待して近寄るからがっかりする訳なのだが、同時に少しぞっとしたのだ。
私はハイチュウをひとつだけ落としたとしたら、絶対に気付かないだろう。
それが最後の一個ならいざ知らず、開封して途中の2~3個目だったらどうか。
いや、落としても音を立てないような大きさだから、たいがいの人は気付かないだろうとは思うのだが。
大概の人はそもそもまずは落とさないので、落とす私がどうにかしているという話なのだが。
こんな風に、落としたり無くしたりしても気付かなかったものが、過去にどれだけあったかだろうかと想像すると恐ろしい。
かつて、データを取りにきて、そのDVD-Rを事務所の階下に落としていたという取引先の人がいたのだが。
その人を笑えない出来事である。
落としもの・なくしものに関しては、くれた人の信用をまるで失ってしまったこの一件。
いや、私自身、それに関してはまったく自分自身を信用できない。
本当に苦い経験で、あまりのことに、食コンテンツにはまったく関係ないのに、こうして一本綴ってしまった。
(強いて言うならハイチュウを絡めて書いたことだけ)
とにかく、反省の一言である。
朝:カンパーニュアボカドのせ ベリーのタルト(PAULで購入) コーヒー
昼:お弁当(玄米ご飯、タケノコとゴーヤのひき肉あんかけ、にんじんしりしり、ほうれん草のごま和え) パインヨーグルト
夜:イチジクとクルミのカンパーニュ(PAULで購入) クリームチーズ 紅茶
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またやってしまった。
プレゼントしてもらった腕時計をなくしてしまったのだ。
着用して家を出たはずが、途中でないと気づいて血の気も汗も引いた。
そう、着用していながら外れた瞬間には気づかなかったのだ…外れること自体どうかと思うが、どれだけトンマなんだろうか…。
そのとき自転車で家から職場まで移動中だったのだが、上司に事情を話し、遅刻を申し入れることに。
来た7~8kmの道を自転車を押して引き返し、地面を舐めるようにして探し歩いた。
だが、あえなく。
歩道ならいざ知らず、当たり前のように車道を走っていたのが仇となった。
路駐している車の下敷きになったのか、走る車に轢かれてしまったか…結局見つからなかったのである。
家にまでたどり着いてしまい、最後の望みをかけて、マンションの敷地に落ちてなかったか管理人さんに聞いたり、交番に遺失届けを出したり。
そうしてからトボトボと、再度事務所に向かったのであった。
胸にあるのは、無くしたことそのものや自分へのふがいなさ以上に、プレゼントしてくれた相手への申し訳なさである。
本当に、本当に、ごめんなさい。
この件にて思ったのが、私は本当になくしものをするな、ということである。
去年はまたおなじく、いただきもののブレスレットをなくしてしまった。
先の話を妹にしていて思い出したのが、私は過去に保険証を落としてしまったことがあるのだった。
その時は、親切な人に拾われたから、無事手元に戻ってきたのだが…。
だが待てよ、と思う。
それらは大切なものだからこそ紛失にすぐ気づけたが、そうでもないものも、結構落としたり無くしたりしているのではないだろうか。
それに気づいていなかったりするんじゃないだろうか。
自転車を押して腕時計を探した時。
太陽の光を反射させている銀色のものを見つけたら、即顔を近づけて確かめていたのだが、キャラメルかハイチュウかとおぼしき銀色の包み紙に包まれたお菓子が、ひとつぽつんと道端に落ちていたのである。
期待して近寄るからがっかりする訳なのだが、同時に少しぞっとしたのだ。
私はハイチュウをひとつだけ落としたとしたら、絶対に気付かないだろう。
それが最後の一個ならいざ知らず、開封して途中の2~3個目だったらどうか。
いや、落としても音を立てないような大きさだから、たいがいの人は気付かないだろうとは思うのだが。
大概の人はそもそもまずは落とさないので、落とす私がどうにかしているという話なのだが。
こんな風に、落としたり無くしたりしても気付かなかったものが、過去にどれだけあったかだろうかと想像すると恐ろしい。
かつて、データを取りにきて、そのDVD-Rを事務所の階下に落としていたという取引先の人がいたのだが。
その人を笑えない出来事である。
落としもの・なくしものに関しては、くれた人の信用をまるで失ってしまったこの一件。
いや、私自身、それに関してはまったく自分自身を信用できない。
本当に苦い経験で、あまりのことに、食コンテンツにはまったく関係ないのに、こうして一本綴ってしまった。
(強いて言うならハイチュウを絡めて書いたことだけ)
とにかく、反省の一言である。
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