もうここ数日はグッタリしたままで、口から無理やり入れる流動食もつらそうに飲むから半分近くは口から出してしまうようになって、時間の問題かと思っていたがついに6日朝になって頭部が冷たくなっていて、腹側はベッドに犬用のヒーターを敷いてやっていたからやや温かみはあったものの、もう完全にグニャリとした状態に。獣医にすぐに死亡を確認してもらって、次の7日朝には見送りだした。
ベッドから抱いて居間に運んだらもう息が無い感じ、微かに息があったとしても朝8時過ぎには眠るようにどの時間が死亡時間かも分からないままで胴体部分も冷たくなって、9時から開診の獣医にすぐに連れていったらもう心臓は止まっていると。まだ死後硬直もまったく出ていないから、看取っていたその直前の時間帯に死んだのだろうということであった。近くのこの母親の犬の家にも電話してお別れをしてもらった。
この直前には脱水症状もひどくて、二日間続けて皮下注射でリンゲル液を入れたのだが、もうオシッコなども立てないから漏らすようになっていて、もうダメだと覚悟はしていた。ちょうど前日には芦屋にいる女房の妹夫婦が来ていて、彼らも我家で同居の高齢両親の様子見舞いを兼ねてこの犬の子供の頃から月1回ペースで土日に来て可愛がっていたから、最後に会うために待っていったかのように。その前夜には会っての反応もあったのに、でも死なれてしまうとは悲しいものだねぇ。
とにかく病名が最後までハッキリと分からなかったのが治せなかった主原因で、ベテラン獣医もいくつか試みてみても改善せず最終的には悪性貧血だったんだろうと。輸血をするのが一番いいが続けられるような供給能力は皆無、手の打ちようが無かった病気だったという判断しか残念ながら残らないという。
ネットで一番近い症状の病気にIBD(炎症性腸炎)というのが見つかって、それはステロイドでかなり改善するとあったが、それも最初の注射では多少は効いたようだがそんなには良くならず、アジソン病の特効薬も全くダメで策が尽きていた。最後にエポジンという腎臓からの骨髄造血作用がある物質の注射があるが、逆に危険なものであるし、効くかどうかも分からないということであった。しかし最後の手段としてそれを試みる相談をしようとしていたその日に死んでしまった。
思えばこの犬は胃腸が同居している父親ほどは丈夫じゃなくて、時々軟便をしてはいたが、こんなに急激に痩せるまで悪化するとは昨年末までは予想できなくて、この一ヶ月は極端に病状が進行していつ死んでもおかしくないという状態が続き、命ははかないというか、しぶといというか。やれることはしてやったし、犬も頑張ったと慰めるしかない。
昨年10月末からの症状と治療を思い出すままに列記してみると
・最初は血便を伴って下痢、抗生物質と胃腸薬を
・11月は多少良い時と下痢の繰り返しと朝にちょくちょく嘔吐するように、鶏肉アレルギーではと診断
・餌が変わってからは食欲があったり無かったり、症状もあまり変わらず
・餌を変えても変わらず、嘔吐物には未消化物が多く、下痢もあまり長いから獣医もほかの原因を考え始める
・昨年末には前立腺肥大や膵臓機能なども調べたいが、その前に血液検査とレントゲンをということになった
・結果は赤血球が少ないのと栄養失調状態だと、レントゲンでは腸内に何も見えなくて消化酵素が出過ぎかと
・酵素が足りないなら薬はあるが、出過ぎには薬はないと低脂肪食をもらう
・かなり危険な状態だから年が明けたら外部に採血したものを送って膵臓の検査をということに
・その後も悪化し続け、食べない日が多くなってきた
・正月2日にこの犬の母親の家の人にセカンドオピニオンでとベテラン獣医を紹介される
・3日に看てもらったら触診で膵臓が悪いと痛い場所がなんともない、胃腸炎の薬で数日は食べ物を控え目にと
・持参した血液検査表のこちらの判断は、原因は脊髄か副腎かのどちらかで、貧血が消化を妨げているかもと
・主役は胃腸薬のガスターテンと下痢止めを兼ねて抗生物質のビオラマイシンと薬が変わり長丁場で直そうと
・錠剤の飲ませ方を教わり、食べ物は高カロリー粉末をもらい混ぜる消化薬も、下痢には牛乳と卵はダメと
・しかし食欲はないままで、無理やり食べさせるのが大変で嫌がるから量も限られる状態が続く
・かなり痩せてきて胃腸だけじゃなく貧血も改善してこないからとステロイドを注射
・翌日はかなり元気が出たようで、固定のジャーキーーなど食べるように、報告したらアジソン病じゃないかと
・胃腸薬は止めてもう一回注射して飲み薬にし数日は多少の改善をみたが、再び嘔吐と下痢して弱りだす
・アメリカ製のアジソン病特効薬に切り替え、胃腸薬も復活したが、改善しないからアジソン病も消える
・残ったのは脊髄からくる悪性貧血で直しようがない病気だと、胃腸薬に加えて副腎の髄と皮質のホルモンも
・死ぬ三日前の夜はオシッコを大量にして水も沢山飲み、その間に尻尾を久しぶり一時的に立てる
・次の日朝の獣医師診断では脱水症状がひどいと皮下注射で水分補給、危険な状態が続き益々ぐったりと
・皮下注射の夜にはもう立てないらしくてオシッコを漏らしたのを知らせ小さく鳴く、そして下痢まで
・次の日の朝も水分を皮下注射、夜まで僕の隣に寝かせたが昨日まで僕の腿に一時的に頭を寄せたのにもうダメ
・そして次の朝
冒頭写真は2月2日のグッタリした状態から変えて、まだ2歳と3ヶ月の若々しい頃の親夫婦と子供兄弟の写真で寝そべっているのがこの子。
そして死んだ朝に食べさせようと用意していた流動食が下の写真だが、これを食べずに終わってしまった。こんなに少ない食事を2~3回に分けて食べさせていた、水はポカリスェットで牛乳も飲ませもちろんこの量を朝昼晩と用意、それでも吐いたり下痢してしまうから衰えるばかりであったわけだ。この段階の薬はガスターテンは半分、腸への抗生物質と副腎の髄と皮質のホルモン剤が一つずつであった。
そして次の7日の朝11時にはペット葬祭から迎えが来て、母親犬の飼い主に我々夫婦、さらに義母、義弟、この犬を可愛がってくれた義母のヘルパーさんと6人で見送る。ヘルパーさんは花まで持ってきてくれて、こんなに大勢で見送った犬は初めて、短い命だったけれど一番大勢に好かれた分は幸せだったねと。改めて焼く箱に入れられた犬の手並みを触ってみたらまだ綺麗で滑らか、周囲を花で飾って出棺に。焼くのは8日だそうで、パリで暮らしている名付け親の長女にもメールで知らせておいたが、彼女も悲しむだろうね。
この犬は尻尾に特徴があって、やや長めだったから巻いた格好がソフトクリームみたいで皆に面白いと愉快がられたからと、人間の頭髪代わりに尻尾の毛を少しだけ切り取って庭の灯篭のそばに埋めておいた。火葬では単独葬も考えたけれど、向うに行っても大勢の仲間と一緒の方がいいだろうと合同葬にしたが、夕方には近くのこちらも2匹パグを飼っている家から、よく散歩で出会っていたからと花が届けられて、改めて皆さん可愛がってくれたと、感謝ありがとう。
これは後で気が付いたのだが偶然だろうけれど、この犬の誕生日は7月7日、父親は2月2日、母親は6月6日で死んだ年齢がちょうど7歳7ヶ月とぞろ目が重なるし、生まれ日時と死亡年齢が同じに。そうしたら昨夜のNHK大河ドラマで信長の最後の場面を放映していて6月2日の出来事だったと、愛犬が死んだのは2月6日とこれが逆だが放送日は同じ日で、さらに2は父親で6は母親の生まれ数字とは、奇妙に数字が付きまとっていたなぁと。つきまとうと言えばこの犬は、家では造りつけ長椅子にあぐらで座る僕の太腿の上に顎を乗せて休むのが好きだった。しばらくは思い出が次々に浮かぶだろうねぇ、来月の月命日にはお参りに行ってやろう。
この後にもご近所さんから花が届けられて、犬のためだからと可愛い大きさに活けてあるものを、我家で飼った犬でこんなことは初めて、ありがとうございます。