本日の宿はバスでここからは20分ほど、道筋すぐ近くで猿が集まって騒いでいた道路を地図上はさらに奥に進み、ロックフィルダムの奈良俣ダム傍の湯の小屋温泉、その一軒宿である洞元荘という和風旅館に。ここはTVでも何回か紹介され、餌付けしたタヌキの宿として有名である。
渓流の脇に建つ宿(冒頭写真は正面玄関前)には4時半前に到着、この日は団体客が二組、それにマイカーの客は駐車台数で10組ほど、団体ツアー客は玄関ロビー直結の旧館1Fと新館に分かれたが、我々夫婦の入った旧館和室はかなり古い建物ながら二人には広々の立派なもので、これは格安団体ツアーではお値打ちでしょう。早速にも入った混浴露天風呂は、夕立温泉という提灯が吊下げられた小屋が半分に架かるかなり大きなもの、片側は山の斜面となっていて樹林に囲まれた露天風呂といったところでまずまずかな。この浴槽も女性はタオルを巻いて入ってよいということで、フロントでタオルの無料貸出を用意していた。食事前に内風呂もと続けて入ったら、こちらのほうがやや温めで僕向き、この温泉も無色透明のサラッとした湯で、脱衣室には笑っちゃう昭和31年分析という大昔の手描きの成分表があって、やはり単純温泉で成分量は薄いがメタ珪酸がやたらに多いからツルリ感がある。湯の小屋温泉という地名と成分表の温泉名が尾瀬の湯という違いはどうしてか分からないが、尾瀬の方が名が通っているのに露天の提灯にも湯の小屋と書いてあった。ここは尾瀬に入る道筋の一つだけれど、夏の日の思い出という歌が流行って一躍尾瀬が全国区で有名になったのは昭和40年だったから、尾瀬の湯とは成分検査のあったもっと前に名乗っていたことになるが、どういう経緯で尾瀬から湯の小屋になったのかな。
手書温泉成分表はもう珍しい
夕食は和室大広間の真ん中に仕切りを入れて団体客が二組、向うは親睦旅行とかで賑やかだったが、こちらは観光会社が募ったバラバラな客の集まりだから静かなもの、皆さん早々に食事を済まして部屋に戻ってしまう。肝心の夕食メニューは恐らく格安なりに普通より落としているはず、おきりこみと素麺の麺類が重複しているのがイタダケナイ。格別に旨いというものがなくて、蕎麦雑炊なんぞショッパ過ぎていけません、山菜ものなどもこの時期のものではないから冷凍物、その筍でも小鉢と皿物で重複だしでもっと工夫はないものかと。多少はまともだったのは陶板焼ぐらいであった、それと天つゆだけはいい味を出していたんだからもっと上手に献立ができるはずなのに、ちょっとばかり残念でした。それでも瓶ビールと冷酒を二人で1本ずつ飲んだら、食事を終えたのはツアー客では最後になってしまった、今回の参加者は下戸が多かったみたいだね。部屋に戻る際に隣室の膳をチラリと見たら、イワナ塩焼らしきがあったから、アチラの方が料金は高ったかな。
夕食は山のもの中心ではあるが
食後の7時半からはタヌキ見物の間で餌付観察が始まる。その最初から出てきたのは小型のキツネが2匹だけ、餌を取っては藪に隠れを繰り返す。そろそろタヌキが出るという8時になったらキツネは消えたが次がなかなか現れない。女房は朝が早かったからもう眠いと、タヌキは木島平のオーベルジュ・グルービーで何回も見たからもういいかと部屋に戻って寝てしまう。今日の温泉はもう充分に堪能したし、明日早朝にまた入ればいいからね。
翌朝も早朝5時には起きだして、朝の入浴時間5時半を待って早速に露天風呂からと外に出たら小雨が振り出していて、もう露天はいいからと内風呂に。食事時間までには充分に時間があるからユックリと、風呂からは目の前は草叢、その先には渓流が望める。女房に聞いたら女性専用露天はその渓流すぐ脇にあって、かなり自然の中そのままのロケーションというから、混浴よりも小さくても風情はそちらのほうが良いんじゃないかな。
7時半からの朝食は昨夜と同じ場所で、朝の内容はいつもの一般客と同じだろうから夕食よりはボリュームは少ないものの、内容では僕はこちらのほうがむしろ好ましいんじゃないかと思うほど。特に田舎風の固めの湯豆腐と糸コンとキクラゲなどの佃煮風にしたものは美味しい、あとで宿の土産物販売処で奥上州のかくし味というものだと教えてもらって、我家での朝食の漬物代わりにいいと購入した。
朝食はご飯が進むおかずが
渓流の脇に建つ宿(冒頭写真は正面玄関前)には4時半前に到着、この日は団体客が二組、それにマイカーの客は駐車台数で10組ほど、団体ツアー客は玄関ロビー直結の旧館1Fと新館に分かれたが、我々夫婦の入った旧館和室はかなり古い建物ながら二人には広々の立派なもので、これは格安団体ツアーではお値打ちでしょう。早速にも入った混浴露天風呂は、夕立温泉という提灯が吊下げられた小屋が半分に架かるかなり大きなもの、片側は山の斜面となっていて樹林に囲まれた露天風呂といったところでまずまずかな。この浴槽も女性はタオルを巻いて入ってよいということで、フロントでタオルの無料貸出を用意していた。食事前に内風呂もと続けて入ったら、こちらのほうがやや温めで僕向き、この温泉も無色透明のサラッとした湯で、脱衣室には笑っちゃう昭和31年分析という大昔の手描きの成分表があって、やはり単純温泉で成分量は薄いがメタ珪酸がやたらに多いからツルリ感がある。湯の小屋温泉という地名と成分表の温泉名が尾瀬の湯という違いはどうしてか分からないが、尾瀬の方が名が通っているのに露天の提灯にも湯の小屋と書いてあった。ここは尾瀬に入る道筋の一つだけれど、夏の日の思い出という歌が流行って一躍尾瀬が全国区で有名になったのは昭和40年だったから、尾瀬の湯とは成分検査のあったもっと前に名乗っていたことになるが、どういう経緯で尾瀬から湯の小屋になったのかな。
手書温泉成分表はもう珍しい
夕食は和室大広間の真ん中に仕切りを入れて団体客が二組、向うは親睦旅行とかで賑やかだったが、こちらは観光会社が募ったバラバラな客の集まりだから静かなもの、皆さん早々に食事を済まして部屋に戻ってしまう。肝心の夕食メニューは恐らく格安なりに普通より落としているはず、おきりこみと素麺の麺類が重複しているのがイタダケナイ。格別に旨いというものがなくて、蕎麦雑炊なんぞショッパ過ぎていけません、山菜ものなどもこの時期のものではないから冷凍物、その筍でも小鉢と皿物で重複だしでもっと工夫はないものかと。多少はまともだったのは陶板焼ぐらいであった、それと天つゆだけはいい味を出していたんだからもっと上手に献立ができるはずなのに、ちょっとばかり残念でした。それでも瓶ビールと冷酒を二人で1本ずつ飲んだら、食事を終えたのはツアー客では最後になってしまった、今回の参加者は下戸が多かったみたいだね。部屋に戻る際に隣室の膳をチラリと見たら、イワナ塩焼らしきがあったから、アチラの方が料金は高ったかな。
夕食は山のもの中心ではあるが
食後の7時半からはタヌキ見物の間で餌付観察が始まる。その最初から出てきたのは小型のキツネが2匹だけ、餌を取っては藪に隠れを繰り返す。そろそろタヌキが出るという8時になったらキツネは消えたが次がなかなか現れない。女房は朝が早かったからもう眠いと、タヌキは木島平のオーベルジュ・グルービーで何回も見たからもういいかと部屋に戻って寝てしまう。今日の温泉はもう充分に堪能したし、明日早朝にまた入ればいいからね。
翌朝も早朝5時には起きだして、朝の入浴時間5時半を待って早速に露天風呂からと外に出たら小雨が振り出していて、もう露天はいいからと内風呂に。食事時間までには充分に時間があるからユックリと、風呂からは目の前は草叢、その先には渓流が望める。女房に聞いたら女性専用露天はその渓流すぐ脇にあって、かなり自然の中そのままのロケーションというから、混浴よりも小さくても風情はそちらのほうが良いんじゃないかな。
7時半からの朝食は昨夜と同じ場所で、朝の内容はいつもの一般客と同じだろうから夕食よりはボリュームは少ないものの、内容では僕はこちらのほうがむしろ好ましいんじゃないかと思うほど。特に田舎風の固めの湯豆腐と糸コンとキクラゲなどの佃煮風にしたものは美味しい、あとで宿の土産物販売処で奥上州のかくし味というものだと教えてもらって、我家での朝食の漬物代わりにいいと購入した。
朝食はご飯が進むおかずが