小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

落ちぶれて消えたい

2018年03月09日 | 日記

 

この齢になって、あろうことか全女性を敵にまわすかのような失言をし、さらに貧血状態の妻を放っとき仲間と呑みに行った。見かねた女性の二人は妻を介抱し、タクシーに乗せてくれて自宅の玄関まで送ってくれたという。そんな事態になったとは露知らず、手話の仲間たちと愉しく酒を飲み午前様になるまで遊び呆けた。その間、妻から二度ほど電話があり、送ってくれた女性二人が二次会に合流できたかどうかを聞いてきた。こちらには来ていないと返事したが、意外にも怒気を含んだ声でもなく、非難がましいことを少しも言わないことに調子づき、皆さんと愉しく呑んでいる様子を誇ったかのように報告する始末。もう、兎にも角にも酩酊し、すべてが上の空になって一時の宴に現を抜かしていたという事実をなんとするか。

日頃の鬱憤などたまっていることはなく、金はないが好きなことをする自由人を気取っている男が、貧血の妻を放置するようなことをすれば、多少ボケ始めた老人といえども社会的制裁を受けねばなるまい。もし私が、誰もが認知する押しも押されぬ立場にいたならば、週刊誌にすっぱ抜かれ、その非道ぶりを面白おかしく書かれ、人間としての資質、年を重ねて得られる徳の、あるやなしを徹底的に指弾されるであろう。そうだ、名もなき市井の老人を気取ってみたところで、このご時世であればどこぞのSNSか知らん、他人の不幸を悦ぶブロガーのネタにされ、あれやこれやと弄られること必定だ。

それを承知でこの夜におきた、恥ずべきことの数々を嘘偽りなく書き記し、今後も忘れ去ることなく肝に銘じ、13年も続けている自身のブログにさらす次第である。だからといって、自虐嗜好の癖(へき)はこれっぽちもないことを、ここに断言しておきたい。

すでに事実関係のあらましは述べたが、個人情報は一切秘守することは当然だが、自己分析もふくめて具体的に掘りさげ、なぜ私がそのような愚挙に及んだのか述懐することで、こんな私でも少しは血が通う人間であることを証明したい。自分の不始末は正直に告白し、これを読んでいる方に少しでも得心がゆくことがあれば幸いである。もちろん、この機会に乗じて、保身目当ての取り繕いはしないし、弁解したいという疚しい魂胆は毛頭にもない。

この日は春の訪れを言祝ぐ二十四節気のひとつ、獣や虫が蠢きはじめる「啓蟄」の日。二、三日前から摂氏二十度ほどの温暖な日が続き、いかにも春、卒業のシーズンを感じさせた。私たち夫婦もなにを隠そう、区が主宰する初級手話講習会の修了式を無事に迎えたのである。

週に1回2時間の講習を40回休みなく受講した私はなんと、この晴れがましい日に、仲間を代表して修了証書を受け取る栄誉を戴くことになっていた。妻の方は二回休んだのだが、幸か不幸かくじ引きで選ばれて、若い女性と組んで交互に修了式の挨拶をする。つまり一年間ともに学び、互いに励まし、助け合い、その初級手話講習を修了するに記念すべき、夫婦ともに歓びあえる式でもあったのだ。蛇足だが、初級・中級のすべてに携わる人々に向けた挨拶、そのほとんどは妻が作成し、私を含めて初級修了者たち全員を代表すべく、感謝の意、言いたいことを包摂した内容は、端的で文句のつけようがない。ここは正直に誉めておきたい。

実は手話を学ぶことにおいては、最初はやや主導権を妻がもっていたことは確か。そのうち、手話の奥深さに気づき、私はこの講習以外にも、NHKの手話講座やネットにある関連動画を見るようになった。ブログにも書いたことだが、品川区のろう学校「明晴学園」のTV放送を見るにおよんで、しばらく手話を続けてみる価値があると思い、ちょっと本気モードになった。とはいえ、この修了式の手話の練習には、私も傍らにいて手伝ってもいたのだが、客観的にみても妻の手話の方がやはり、私よりもかなり上手くなったと認めざるを得なかった(一緒に挨拶した若い方の手話は、妻よりもさらに上手い。記憶力の差であろうか、手の運びが淀みなく流れるよう見える。だから格段に美しく、正確な手話だと思う。それに妻も異論なく、練習に励んだ)。

初級の講習会は昨年の5月、20人ほどでスタートした。最終的に14人ほどに減ったが、男性は私もふくめて2名で、女性陣は大学生から主婦、企業で働くかた、子育てを終えたやや高齢の方など年齢の幅は広かった。それぞれ手話を学ぶ動機は違うし、熟達度はやはり若い人にはかなわない。私たち夫婦は60代でほぼ最年長に属し、周囲からは温かい目でみられていたものの、果たして手話が身につくか誰もが訝っていたであろう。

ま、しかし手話を共に学ぶ老夫婦であるが、真摯に学ぶべき一個人として参加しているのであり、仲間の前では仲睦まじいベタな夫婦関係を見せたくはなかった。妻はただし、仲の良さを演じるのではない、自然でいいという立場で、各々自立して手話を学ぶという頑な私の姿勢に、やや冷ややかに思っていたかもしれない。

年老いても夫婦で何事かにチャレンジするというのは、男にとっては気恥ずかしさはつきまとう。手話に限らず、どのような場面でも「いつまでも仲良くて羨ましいわ」と、女性たちから声をかけられるか、視線をおくられる。男性からすれば、街なかでそんな老夫婦を見たところでなんの感慨ももたない。それよりも「齢をとってもいつまでもベタベタしやがって」みたいな、やっかみ半分の呆れた視線をおくられる、そんなふうに感じることは偶にある。

さて、その日の修了式の後で、講師や助手2名のかたを含めて、ともに学んだ皆と一緒に打ち上げの呑み会を、浅草のもんじゃ焼き屋で行うことは半月ほど前に決まっていた。その当日の宴席がいかなるものだったか、想像がつくと思われるので省略する。その地のもんじゃ焼きでは名店であるらしく、夕方から私たちと同じ予約の客で満席になり、ふりの客が次々と訪れては引き取ってもらう様子を見るのは、ちょっと優越感を味わったことを書くまでとしたい。美味しく食べ、味わい、呑み、歓談したことは間違いない。

3時間半ほどであったが、あっという間に時は過ぎ、二次会にも行こうと店を出た時であった。妻が貧血だからといって路上にへたり込んだ。周囲の女性たちが一斉に駆け寄り、心配する声をかけた。わたしは思わず「糞詰まりなんだから」と言った。そのとき、だれかが「あ、全女性を敵に回すひどいことを言った」と叫んだ。それに同調する声も聞こえ、私は狼狽えた。心にもないことを言ってしまったと思っても手遅れ。その場の空気を察し、ひたすら謝り、手を合わせて妻に許しを乞うても、女性たちの目つきの厳しさは半端がない。

酒を呑むと調子にのって口がすべるのは私の悪癖のひとつ。口は悪い、ひとを毒づくのも日常茶飯事という下町育ち。と、言ったところで誰もが誉めやしない。ただ、周囲の者から即非難される暴言を吐いた覚えはこの身にまだない。「糞詰まり」などという下卑た言葉を発したのは許されるはずもないことは承知だが、ごく内輪で飲んだ時に妻は同じような症状におちいり、あちこちの店のトイレを探しまわったことは二度、三度。妻がトイレを済ましたらすっきりして貧血はおさまり、呑み直したこともあった。そのときは家族と呑んだ時で、「糞詰まり」なぞと、それこそ噴飯ものの冗談をいって、内輪だけでなく妻の笑いを誘っての大笑いで済んだ経験もあったのだ。

呑み過ぎて貧血になることは、妻が若い時にもよくあった。最近はお互いに酒量は減り、その日も酔うほどに呑んでいる様子ではなかった。むしろ、私が呑み過ぎるきらいがあること。いや、恥を忍んで書くと、私には発達障害に等しい「のぼせ症」があり、外見的にはいわゆる「お調子者」症候群があることを自覚している。だから、それを理解している妻は、飲み会の席では隣に座るようにと、前日、私に約束させていたくらいだ。

その指示に逆らったからこの次第におよんだということは言い訳にはならないことは百も承知。どんなに足掻(あが)いても、自分の失態、不始末はそうやすやすと許されるはずもなく、なんらかの方策をたてて許しを乞うことをすべきだと心に誓った。そして、妻及び介抱してくれた二人、そして居合わせたすべての女性たちに、駄目爺の拙いこの告白文書を読んでいただき赦しを乞えればと願っている。本来ならば、ですます調のもっと謙虚で改まった文体で書くべきだが、このブログにおいて自分に枷をはめた訳があり、どうしてもそれはできかねた。それも含めて陳謝したい。また、通りがかりの方が、どうにもならないこの駄文を読み、煮たり焼いたりしても、その責は当方にないことを附け加えておく。

 

わがこころ消えてなくなれ春かすみ


追記:妻にはもちろん読んでもらった。前半はもっと簡潔に書けばと指摘されたが、全容をまず知ってもらうために必然性のある導入部であるため、そのままとした。妻は女性たち全員がタクシーまで送ってくれたものと記憶していて、私はわたしで二次会に行くメンバーと歩いていた。だから、その時点で妻がタクシーで自宅に帰ったことは知らなかったし、妻も自分で歩いてタクシーに乗ったという。が、その記憶は確かだというが・・。



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