小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

耳は何から進化したのか

2018年03月05日 | エッセイ・コラム

 

昨日の「耳の日」に続いて、今回も耳の話題。耳、みみ、33と重なると、耳鳴りがする話になろうか・・。
冗談はさておき、3月3日の東京新聞一面の『筆洗』というコラムは、やはり「耳」について書かれていた。

解剖学者の岩堀修明の著書『図解・感覚器の進化』をもとに、平衡感覚を司る耳の進化の歴史にふれたもの。

生物の進化の歴史のなかでも、「重力を感じ、体の傾きを感知する平衡覚器」は「最古の感覚器の一つ」で、そこに「水の流れや振動を感じる感覚細胞が加わり、さらに陸に上がった脊椎動物には、空気の振動を伝えるための『中耳』がうまれた」という。

その「中耳」がそもそも体のどの部分から進化したかというと、魚でいう所の「鰓」(エラ)の部分だそうである。「エラや周辺の骨の一部が転用され」、私たちの「耳の中では『エラのかけら』が働き続けているのだ」ということになる。(※追記)

▲「美しい耳」で検索したら、たくさん出てきたが・・(私の好み? 基準とは?)

この日の『筆洗』では、古代ギリシャの哲学者ゼノンにはじまり、寺田寅彦の『柿の種』につないで、くだんの岩堀修明の耳の話に落とし込む。やや硬い学者先生たちの著作からの引用で構成されたものであった。しかしながら、単なる披瀝にとどまることなく、引用の見事な連携により、耳の進化とその存在理由を簡潔に仕立てあげた「名コラム」といえよう。

耳は二つで口が一つなのは、「より多く聞き、話すのはより少なくするため」だ、といったゼノン。
「眼はいつでも閉じることができる」が、「耳の方では自分で閉じることができないようにできている、なぜだろう」と問いかけた寺田寅彦。
いずれも耳にまつわる「妙味たっぷりな警句」を紹介しつつ、耳の進化とその身体的な機能と役割を、解き明かすように解説した。

最後には、平衡感覚をたもち、世の中の声をかっぽじいて耳を傾けようと、筆者ふくめ私たちが自戒すべきことの結論として読めた。

「目は口ほどにものをいい」というが、一つしかない口が二つもあったらうるさい。目が一つしかない妖怪もいたが、遠近感がつかめないから始終どこかにぶつかりながら歩いたのか・・。
「エラのかけら」が進化したわが耳は、目のように閉じてしまったら睡眠中になにか異常が起きても、その危険をしらせる物音を感知できない。

そんな聴覚だけでなく平衡感覚さえもそなえている我が耳にたいして、よく頑張っているなと誉めたいくらいだ。
ただし、解剖学者(いまは作家)の養老孟司によれば、動物一般の耳は「絶対音感」をもち、音を正確に聞き分けているそうである。

ところが、人間には「絶対音感」を持つ人は少ない。わたしなぞは「音痴」に分類されるだろう。

さて、その聴覚が生まれた時から失っていた人の場合を考えてみたい。

その人にとって、聞こえないことや音のない世界に生きることは、それを普通のこと、当たり前のこととして受け入れなければならない。
産まれた時に聞こえても、病気などが原因で失聴する場合もある。耳の聴こえない人、聞こえなくなった人にとって、今の世の中はまだまだ暮らしづらい。そういう方達への偏見・差別はまだある。

3月3日「耳の日」は、単に「耳の健康を考える日」ではない。日頃、なに不自由なく暮らす私たちが、ろう・失聴者たちにまなざしを向ける一日。あるいは彼らの障害を我が身に置き換えて考えてみる一日でもある。東京新聞の『筆洗』でも、一言そのことにふれていれば完璧だったとおもう。

ま、しかし、「耳の日」の存在を知らしめてくれたこと、それだけでも功績大といえるのかもしれない。

 

 

 (※追記)書いた後で、再び養老先生の著書を繙いた。胎児の目と鼻の区別ができかけた頃、耳も出来るのだが驚くのはその位置だという。「思っていなかったほど、低い位置に耳があるからである。早い話がアゴよりも下、つまり親の身体でいうなら、首のあたりに位置している」。脊椎動物の胎児はかならず「鰓のもと」が生じ、陸棲の動物ではそこから耳の多くの部分、アゴやノドの部分が発生するという。「鼓膜は外耳道のつきあたりにある薄い膜で、その内側にある、空気の入った部屋が、中耳である。鼓膜は外耳と中耳を仕切る。自身は音波によって振動する。その振動を内耳に伝えるのが、耳小骨という三つの小さな骨である。これを、その形からツチ骨、キヌタ骨、アブミ骨と呼ぶ」、以下省略。(養老孟司『からだの見方』の「耳はいかにして耳となったか」を参照) 

素人知識しかない筆者の知る限り、中耳の「蝸牛」で感知された音の振動は、内耳の超微細なたくさんの繊毛状の組織に伝わる。その組織の毛根のような所から伝達物質を飛ばし、脳の聴覚神経細胞がそれを受容して、聴覚野で音を認識するらしい。ただ、この繊毛状の組織の細胞は再生しない。つまり、その内耳のなかの聴覚細胞は老化により摩耗したり、若い人でもロックのライブで響かせる大スピーカーの前にいると、重低音にさらされて、音を感じる繊細な組織は破壊されるので注意が必要だ。(養老先生がいう「三つの小さな骨」が、音の伝達にどう関わるのか分かりません)

老化すれば確実に耳が遠くなるし、若くても大ボリュームで音を聴き続けると難聴、最悪の場合には失聴となるケースもあるということだ。



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2 コメント

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Unknown (スナフキンÀ)
2022-06-05 15:52:00
耳骨の元はエラというのは外れでないと思いますが、より細かく言うと、
顎関節でしょうね。耳の鼓膜周りの骨によく似た構造体を探すと、ワニ🐊の顎関節かそっくりなんです。これは偶然ではなくて、水辺て日向ぼっこしながら口を開けているワニを観ると解るんです。
あれは何をしているかと言うと、長い下顎を川辺の地面に接触させる事で、地面から来る振動をキャッチして、獲物や外敵の接近に備えている。
小寄道様は鋭いから、もうお解りでしょう。そうワニには聴覚がない!!
恐竜の子孫である鳥類には聴覚がありますが、爬虫類にはなかったと思いました。
骨格みると唖然とするほど、耳骨と似ています。
ただ、これらを進化と呼ぶようでせか、進化とは向上ではない。退化と進化は等しいものです。小型の森林生性爬虫類か.彼らから観ればジャングルジムのようなブッシュ茂みの中で生きようとすれば、捕食であれ退避であれ、「手足を無くして弾力性に富んだ体幹の力で移動する方がショートカットできる」と言えます。だから蛇は四肢がないのですか、これ
退化と呼ぶには「便利になってる」と言えます。
つまり進化とか退化と言うものは優劣とか上下がない全方向的、全方位的なものなのですね。学校で解剖学の授業の時に、私は万物の霊長と言われるサピエンスが、解剖学的には「かなりな失敗作」な事に気が付きました。生物として観た時に致命的な欠陥があるのですね。別に環境破壊しなくてもいずれは絶滅する運命だと思います。それが10年後か数万年後かの違いはありますが。

次いで遅ればせながらご挨拶てすが。
貴兄記事の中に私の素性が解らない点を記しておられましたので
明かせる範囲で書かせて下さい。
そちらの段は、別コメントとしますので、お手数ですが、読後に削除または非公開にして頂けませんでしょうか。
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Unknown (小寄道)
2022-06-05 16:54:02
コメント ありがとうございます。
古い記事にも目を通して下さって、感謝感激です。
それに、目から鱗の話題を提供していただき、これまた恐悦至極(笑)。いや冗談でなく、ワニに聴覚がなかったなんて知りませんでした。もちろん、その代わりの「化生」があったんでしょう。
進化を英語にすると「evolution」ですが、この言葉には日本語でいう進歩するとか、前よりも良くなる、そういう意味合いはないんですね。
専門用語で「化生」とか「化育」の意味がより正確なようです。
だから、スナフキンさんの「進化とは向上ではない、退化と進化は等しいもの」というのはまさに至言ですね。いやあ、目から鱗でした。ありがとうございました。

別コメントに関するご要望については、了解いたしました。
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