小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

故郷を追われ、帰れない人たち

2018年03月12日 | エッセイ・コラム

 

本来ならば昨日アップするべき記事だったのだが仕方がない。

3月11日は、日本人が居住まいを正して東日本大震災の記憶とフクシマの現状に向き合う一日。誰もが、それぞれの心の中で一瞬でもいいから祈り、喪に服したい。

復興はいま、国の計画では70%ほどの達成率という。しかし、NHKの報道番組によると、かさ上げの土地造成・インフラ整備及び住まいや公共住宅、市街地の施設などのハード面では、まだ50%の達成。一方、人々の心の在り方、生活の拠りどころ、コミュニティづくりや人間関係など、ソフト面での充実度では25%以下、未だに復興半ばにも達していない。仮設住宅に依然として暮らす方々は、東北地方全体でいまだに7万人余り。2011年3月11日からまる7年も経つというのに、復興はまだまだ終わりがみえない。

NHK、その他の特集番組など見て、自分なりに受けとめたことをまとめるとこうなる。

[ 立派な上物が出来上がっても、未来の展望もなく不安が渦巻く、そこが帰るべき故郷の地であっても、足も心も踏み出そうという気にならない。愛する山や川が目の前にある、でも仕事はない、友人もいない。話す相手がいないから、疎外感はなおさら感じる。すべてを諦めても、せめて余生を故郷の地で過ごしたい高齢者。孤独死する覚悟をもってしても帰還したいという。強制的に避難を余儀なくされた福島の人たちは特に、避難先それぞれの環境格差に悩み、前向きに生きる気力は寸断される。家族のなかで、予想だにしなかった別離や相克が生まれる。百歳過ぎの老人が自死に追い込まれる状況がある。]

過酷さの度を超えている。余りにひどい。東京に居てのうのうと暮らす我が身がつらい、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

だが、今日という日が、忘れてはならない特別な日であろうと、思いだしたくない、考えたくない、そういう人たちが確実に、年々ふえているような気がする。過去を津波に流され、未来を原発に破壊された人々の現実がどのようなものなのか。関心を持つものが少なくなったという調査報告は、信じがたいがほんとうらしい。(※)

 

昨日の午後2時46分頃、黙祷式をテレビでやっていた。かしこまった式辞を述べる安倍首相に対して「森友!って叫ぶ人、誰かいないかしら」とぼやく妻を残して、地元の民間団体が主催する「月1原発映画祭」に行ってきた。堀切さとみ監督の『原発の町を追われて』というドキュメント映画をみるために。(船橋淳監督の『フタバから遠く離れて』も、かつて月1映画祭で見た)

原発を誘致した双葉町の人々、その避難先での生活を足かけ5年にわたって記録した3部作のドキュメンタリー。1・2部は2011年から2年、主にサイタマの加須市の廃校になった高校で避難生活をした人々がメイン。3部はその廃校の近くで野菜農家をはじめた、双葉町の酪農家の奥さんを追った。主に2016年、避難生活のかたわら、大好きな牛飼いをあきらめて、慣れない野菜づくりに取り組む鵜沼久江さんである。なお、彼女の夫は避難先で、労苦と心痛だろうか60代で病死した。

今回みた『原発の町を追われて』に出てくる双葉町の皆さんは、放射能のリスクを敏感に察知した当時の井戸川町長が先導してさいたまに避難した町民たち。つまりフタバ全体の2割程度の約1400人が、当初サイタマ・スーパーアリーナに避難したときから始まる。近くに住んでいた堀切さとみ監督がまずボランティアとして参加。話しかけてくる僅かな避難民と交流し、家庭用ビデオカメラで撮り始めたことが切っ掛けで、この映画が誕生した。

1部から3部までの、記憶にのこった言葉を書き出してみたい。

「ボランティアの方々の上からの視線に胸が痛むんだ」「原発を誘致して町が豊かになって、補償や賠償金もらって・・、そんな言葉をきくと死にたくなるな」「毎日が冷たい弁当でもありがたいさ、でもずっと続くと強制収容所の中にいると思えるんだ」「義理の息子がさ、東電に勤めていて、最初の爆発のとき残った10人の中にいたよ。嬉しくて、涙流れた」「福島市の仮設にいる人たちから、あんたら電気代払ってないだろって言われたとき、なんでそげなこと言われなきゃならんと・・。学校の教室で段ボールで区切られたところに、ずっと寝起きしてんだよ、わしら」

監督が縁もゆかりもない女性だからだろう、遠慮のない本音や明け透けの愚痴、不満を告白をしてくる。でも、東北のひと特有のゆっくりした、なまっているが温かい方言は嫌みがない。カメラに話しかけてくる、その人懐っこい目が、女性監督を慕っている。長い時間をかけて、一対一の本物の信頼関係を築きあげたからこそ、ビデオに収められたし、撮ることを許してもらったのだ。

3部の主演(?)ともいうべき鵜沼久江さんの人間力には敬服するばかりだ。どんなに悲惨なこと、辛いことでもつねに笑って語りかける。深刻な話なのに、なぜ微笑みをたやさないのか不思議に思える。さすがに夫の葬式では涙を流していたが・・。東北の女性は、ほんとに芯が強い。

▲映画上映後、堀切さとみ監督と3部のヒロイン?鵜沼久江さんのトークがあった。

 

▲木蓮が咲いていた。桜ももうじきか・・。

 

▲あちらこちらで桜を目にするようになった。例年よりも早い?



(※)東京新聞はそれでも福島の地方新聞と提携して、定期的にフクシマの今、人々の声を届けてくれる。原発や除染状況などの情報も異変があれば詳しく知らせてくれる。先日は福1作業員の汚染限度量が、従来の100ミリシーベルトから250msv/hに引き上げられたことが報告された。いつの間にかである。死者がまだ出ていないから、というのがその主たる理由らしいが、放射能被爆の危険性の、国際的な基準を無視した暴挙にひとしい基準の改悪である。この事実だけでも、当事者や家族から、大きな声をあげていい筈であるのに、国や東京電力のみえない圧力や隠蔽がはたらいているからとしか思えない。日本全体の、フクシマに向けるまなざしは、残念ながら曖昧模糊のものになったと言わざるをえない。




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