小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

まさかの、シャルル・アズナヴール

2017年12月17日 | 音楽

 

土曜日、特訓(?)を重ねてきた発表の場、手話交流会があった。開催は午後からだったので、手話や演技の最終チェックをするべきところ、毎日更新されている竹下節子さんのブログをなんとなく開いてみた。
先日亡くなったフランスの歌手ジョニー・アリディについて書かれている。フランスでは超大物ロック歌手の教祖で知らないものはいない。その彼が先日、闘病の末に74歳で斃れた。

つい最近、偶然見たBSの海外ニュースで流れた映像は、その盛大な葬列、葬儀は国葬ともいうべき壮大さに満ちていた。反射的にそのテレビ画面を撮ったくらいだ。フランス各地で多くの人々が悲嘆にくれている光景を次々と放映。ジョニー・アリディという歌手がまさに国民的スター以上の、カリスマ的な人気を誇ったことを知った。

▲凱旋門通りを埋め尽くす人々、故アリディを偲ぶ多くの人たちと、先導するバイクの警官たちがものものしい葬儀のパレード。弔辞をのべるマクロンの姿もあった。

「たかがロック歌手」という言い方は不謹慎だろうが、あのシャルリ・エブドの事件のデモに匹敵する葬儀の凱旋。これは、私にとって理解を超える驚きとしかいえない。ジョニー・アリディの何がフランスの全国民の魂を揺さぶったのだろうか・・。

そのジョニー・アリディの死について竹下さんは、その葬儀をふくめて冷静、客観的にブログに書かれていた。

(『L'art de croire 竹下節子ブログ』⇒http://spinou.exblog.jp/28576233/

端的にいえば、その葬儀はフランスらしいカトリックに則った荘厳さはあるが、「白人のフランス」を象徴していて、在仏40年ほどの竹下さんでも、ある種のショックを感じたというもの。フランスという国柄を正確に掴むことは、傍からではまったく理解できないと思い至る。

 私の20代前後にはフレンチポップは日本でも受容され、かつスマッシュ・ヒット曲もあった。シルヴィ・バルタンの「アイドルを探せ」を筆頭に、フランス・ギャル「夢みるシャンソン人形」など女性歌手は多くの日本人を魅了した。

その時期、ジョニー・アリディは、フレンチポップの期待の新星として鳴り物入りで来日した。様々なプロ―モーションを展開したが、好感度な印象も、フレンチロックのなんたるかの爪痕さえも残せず、ほうほうの体で退散したかと記憶している。

そのジョニー・アリディの死について、そのロック歌手としてあるいは「矢沢永吉的なるものについて」、日頃わたしが感じていたことをどうしても、竹下さんのブログの掲示板「フォーラム3」のコメントに書き残したかったのである。1時間ほどで思いのままを書きぶつけた私は、手話の最終チェックもないがしろにし、不安を抱きつつ交流会に参加した。

 

交流会については、あらためて書いてみたい。ただ、台東区の主催であり交流会のカメラ等の個人による撮影は厳禁。関連する画像を貼りつけてブログを作成したい私としては、文章だけで交流会を書くのはどうも物足りない。なにか違う材料をみつけて「手話交流会」について論評したい気持ちはある。まあまあ、私たちの演目は細かいミスはあったが好評価を得られたし、全体の会そのものも順調に成し遂げられた。

手話のさまざまな使い手が一堂に会して親睦をふかめる交流会は、私たち初心者だけでなく誰にとっても意義深く、学ぶべきものが多々あったと思う。終了した後、有志で集まり飲み会に参加。久しぶりに多くの女性たちと歓談し、終電近くまで呑む楽しさを味わった。

 

酩酊し家に帰ったのはいいが、リズムが狂ったのか夜中の3時半ごろ眼が醒めてしまった。直ぐに寝付けず、もしかしたらと思い、竹下さんの「フォーラム3」にアクセスしてみた。
なんと、予想をこえるコメントを残してくれていて、その内容がとても愉しく含味ふかいものだった。⇒http://8925.teacup.com/babarder/bbs/1028

「夢みるシャンソン人形」のことを私は、「恋するシャンソン人形」と間違って表記したのだが、竹下さんは「あはは」と笑いながら「今でも日本語で歌えちゃいます」なんて書いてあった。
こういう所も彼女の凄さなのだが、シャルル・アズナヴールについての情報をもらさず書いてくださることも流石である。

93歳かなんかで今も現役、全国ツアーのリサイタルです。舞台には疲れた時のために椅子が置いてあり、医師も待機しているそうですが、座らないとか。アルメニアからの難民出身のエネルギーはすごいですね。私も高校時代かなんかに『イザベル』の熱唱、というか叫びがラジオから聞こえてきたときにはたまげて、絶対に忘れられないインパクトがありました。

 

私の多感な青春時代は、ジャズだけでなくシャンソンも関心の的。古参のコラ・ボケールや前衛のブリジッド・フォンテーヌなど女性歌手に注目していた。男性陣は少なく、ジョニー・アリディにしてもフランス語でのロックはどうもピンとこない。それよりもフランソワ・トリフォーの映画『ピアニストを撃て』で主人公を演じたシャルル・アズナヴールに先鋭なるものを見出していた。当時、『イザベル』という歌は日本でもヒットしただろうか、彼の歌というよりも演技たっぷりの台詞を語るような「情熱の語り」は、一世を風靡した感があった。

そのシャルル・アズナヴールについて正直に書けば、その存在を完璧に失念していたのだ。93歳(!)にして、いまだ健在。67歳で年寄りじみた言葉を吐く私なんか、甘ったれのヒヨコじゃないか! もう一つ驚いたことは、彼がアルメニア系の移民だという事実。本名をシャアヌール・ヴァリナグ・アズナヴーリアンといって、フランス語の香りさえない。広大な土地をもつフランスには、様々な地方とルーツをもつ人々がいるが、シャルル・アズナヴールは生粋のフランス人だと思い込んでいた。

100年ほど前にオスマントルコ帝国下でキリスト教徒が多いアルメニアで大虐殺があった。その難を逃れてフランスに移民した家族の、シャルル・アズナヴールは子供なのかもしれない。イブ・モンタンやアダモも移民だったが、フランスにはカトリック国として多くのキリスト教徒を受けいれた歴史がある。地続きのヨーロッパ諸国は、まさに移民、難民の移動によって形成されたともいえるのか・・。

 

さて、今日の日曜日。福岡の妻の友人が久しぶりに遊びに来、いろいろと歓談するなか、シャルル・アズナヴールの話題を持ち出した。プログレロックはもちろんのこと、音楽全般について高感度のアンテナを張っている彼は、なんとアズナヴールについても知っていた。来年には、94歳になるものの、最後の来日公演をやるということを教えてくれたのだ。「老いること」の、ちょっと人間の領域を超えるバイタリティについて、私たちがしばし話を弾ませたことは言うまでもない。

▲来年、94歳になるアズナヴールの日本公演ポスター。高額なチケット料金にも驚く。

家に帰ってからネットでアズナヴールを検索したのだが、なんと2016年にも日本で最後の、奇跡の来日公演と称して全国でリサイタルをしているではないか! 

まあ、これは詐称ではなく、独りのアルメニア系シャンソン歌手が、老いても峻厳として生き抜くことの証左としよう。奇跡は繰り返されるのだから。


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