小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

戦争の代替はあるか

2018年02月21日 | エッセイ・コラム

 

国別の「闘争」心は競技で解消して、オリンピックそのものがほんとうに平和外交の契機になるといいのだけれど。

竹下節子さんのブログ(2月20日)の最後に、こう記されていた。ほんとにそう思う。
4年に1回のオリンピック(2年に1回)だからそう思うのでなく、無益な戦争をするよりもスポーツによる勝負で決着をつける方が合理的でリスクは少ない。このことは常に、前向きに議論されるべきだと考える。

殺人兵器の製造に莫大な国家予算を使い、掛け替えのない生命を死に至らしめる。一般市民をまきこんだ大きな犠牲も強いられる。

核の抑止力か何か知らんが、国家間の軋轢を武力で解決できる時代はもう終わっている。
国家間の利害を解消するための交渉・会議は、亀裂する場合がある。その後に、戦争という手段は解決するための選択肢のひとつだ。と、近代政治史の本の何かで読んだ記憶がある。

戦争は、解決の最終手段なのか。オルタナティブな解決法、もっと最善の策があるのではないか。我思う、スポーツ、ゲーム、クイズなどの対決メソッドで代替させたらいいではないか。

すべての武力解決を人間による身体・頭脳・技術・遊びの総合ゲームで勝負の結着をつけるのが、安くて安全な解決方法だ。
二国間のそれぞれの代表が公平なルールと監視のもとに競い合う。もちろん勝敗の結着後についても、遺恨が残らぬよう詳細に決めておく。

冬のオリンピックを観ながら、そんな他愛のないことを考えた。暇人の考えそうな夢想だろうが、真剣に取り組んだら戦争はこの世から廃絶できそうな気がする。
古代ギリシャの競技にしても、都市国家間の紛争をさけるガス抜きの効果を目的として行われた。無益な戦争を避けるための智恵がはたらいていたからだ、というような話を何かで読んだこともある。

現代の先鋭的な哲学者とか数理(分析)学者が集まって、「戦争を代替させるものは何か」を真剣に話しあってもらいたいのだが・・。

なんか戦前に似た世の中の動き、嫌なムードを感じるのは老人の取り越し苦労なんだろうか・・。
トランプが大統領になってから、世界が「戦争」を厭わない傾向になりつつある。

最後に書いておきたい。
雄々しさの反対は女々しさではない。柔軟性であり包容力だ。


▲人間さんたちよ、無駄な争いを止めてほしい。(FBよりダウンロードさせていただきました)

 

 


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