小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

上野の森の、智の巨人に会いにいく

2018年02月25日 | 日記

 

昨日、去年からやっている国立科学博物館の『100年早かった智の人 南方熊楠』「生誕150周年記念企画展」を見に行った。

慶応三年生まれといえば夏目漱石、正岡子規、幸田露伴がまず頭に浮かぶ。何度か書いたこともある。
ところが南方熊楠については触れたことがない。なぜなら、著作をまともに読んだことがなかったからだ。

▲科学博物館は高齢者(65歳以上)は無料である。地球館、日本館すべてを見ると一日かかる。ボランティアの元教師らしい方達の説明が親切丁寧で嬉しい。

読もうとしたことはある。たとえば『十二支考』。最初の「虎」で躓いた。まるで明治調の文体による、格調高い「ウィキペディア」のような・・。で、まず虎に関する名前(名義)のことに関して、古今東西の歴史、逸話、伝承などがこれでもかと羅列される。
もちろんすべてが「虎」とリンクするのだが、凡人の頭脳では疲れて字面を追うだけになり投げ出す。それでも、面白そうな字句、出典、意外な情報源がぱっぱっと目に入って来、読みたくなるのだがやがて諦める。気分では読めないのだ。

▲ロンドンの大英博物館時代から、熊楠は原典からひたすらコピー&ペーストした、手書きで。

▲粘菌などの採集道具は他にもたくさんあった。

恥かしい話だが、熊楠のわが読書体験は貧困である。
その代わりと言ってはなんだが、南方熊楠の伝記は三冊読んでいる。鶴見和子、神坂次郎、そして水木しげる(もちろんマンガ)である。
いずれも面白く興趣冷めることはなかった。とーぜんのことに、熊楠の人となり、生き方が凄く面白いからだ。人とのつきあい方、世間との関わりなどのエピソードも破格の面白さがある。そして、何よりも探求すべき事柄の選択方法、情報の集め方が参考になる。というよりも、その集中力と共に、広汎に、つまり学問を越境して探求を広げるヴァイタリティに打ちのめされる。

▲採集した菌類の標本

『100年早かった智の人 南方熊楠』の企画展を見ての感想。やはり想像を超える才能の存在を認めるしかない。

熊楠はただ、自然のなかの森に棲むコケ・地衣類・粘菌というミクロコスモス、森羅万象の生きものが好きだった。そのことがよーく分かったのだが、何故好きになったのかが分からなくなった。
やはり、本を読むしかないのだろうか。

柳田国男がいっている。「わが南方先生ばかりは、どこの隅を尋ねて見ても、これだけが世間なみというものがちょっと捜しだせそうもない」と。
やはり100年早かった智の巨人の敷居は高いのだろうか・・。

 

▲建築としても科学博物館はゴシック的な美しさが随所に見られる。(バロック調か?)

 

 

 


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